第2話 幼馴染の杜若さん、機嫌直してください



 昼休み。

 机をくっつけてランチタイムの談笑を楽しむ、女子たちの高校生らしい元気な笑い声が響く。

 しかし、教室に生息する生き物は、そんな華やかな女子たちだけではない。


 ほんのり湿り気を帯びていそうな掃除用具。そのロッカーの辺りはクラスの陰キャ三人、通称キモいマンズたちの居場所になっていた。


「どうだ、この神イラスト」

「おほっ、良いですな」

「いやいやキミたち、三次元も中々捨てたモノではないよ」

「おお〜っ、これはすごい……」

「F、いやG……いやいやもはやコレは世界クラス、ワールドカップですな!」


 俺はそんな奴らの輪にも入らず、さっさとボッチ飯を済ませて、ひとりぼんやりと窓の外を眺めていた。


「うわ、キモっ」

「ヘンタイだ、ヘンタイがいるよー」


 教室に戻ってきた女子たちだろうか。

 キモいマンズの辺りから、悲鳴に似た声が上がった。

 三人の女子は、クラスのトップヒエラルキーに位置するグループだった。

 その中でも一際目立つ美少女が、男子たちのアイドル、杜若かきつばたあやめだ。


「えっと、もしかして、私たちの事もえっちな目で見ているのでしょうか?」

「そ、それは……」


杜若かきつばたの問いかけに、キモいマンズは三人とも視線を逸らして、回避行動に出た。

まあ、それで女子たちがゆるしてくれる筈もない。


「あー、あるかもー。夏服に衣替えしたばっかだしー」

「キモーい」


杜若かきつばたを除く二人の女子たちは、軽蔑、侮蔑、睨む、と三パターンの攻撃でキモいマンズを威嚇する。

でも、そこはキモいマンズと呼ばれる三人だ。

久しぶりの女子たちとの接点を喜んでいる顔を、隠そうとして隠し切れてないぞ。


「「やっぱキモいマンズって、キモいわー」」


 しかし、杜若かきつばたの横でキモいキモいと言い続ける女子たちに自尊心を傷つけられたのか、丸メガネ君が立ち上がった。


「け、健全な男子とは、こういうものでござる!」


 うわ、ござるって。

 しかも健全な男子とか。

 お前ら、陰キャ底辺ボッチの俺から見ても、けっこう不健全だぞ。運動不足っぽいし。


 ぼんやりとそれを眺めていたら、ふとその自称健全な男子たちと目が合う。

 あー、これはやっちまったな。

 やばい予感しかしない。


「ほ、ほら、田中だって興味あるだろ。ほれ、このグラビアを見たまえ。巨乳だぞ〜」

「そ、そうだ、田中は絶対むっつりすけべだ!」


 ──こいつら、俺を新たな標的として、女子たちに差し出す気だな。

 つか俺はムッツリスケベじゃない。

 ガッツリスケベだ。自室限定だけど。


「ほら田中、ワールドカップだぞ〜」


 丸メガネ君は、週刊漫画誌のグラビアを俺の顔に押しつけてきやがった。


「ほれほれ〜、好きなんだろ?」


 まあ、嫌いでは無いけど。

 こういうのは基本的に家で嗜む主義なんだけどな。

 キモいマンズは俺が抵抗しないのを良いことに、ますます調子に乗って、ラノベの挿絵を見せつけてくる。

 おお、上手いイラストレーターさんだな。

 お乳の張りが見事でございます。

 とりあえずラノベのタイトルだけチェックしようと視線を動かすと、真っ赤な顔をした杜若かきつばたあやめが猛然とダッシュしてきた。

 いやいや、お前何する気なの?

 高校入学の前日、学校ではお淑やかに過ごすって言ったの、自分だよね。

 高校二年生まで被った仮面、いま取っちゃうのかよ。


「だ、だめぇえええ」


 ダバダバと変な足音を立てて走ってきた杜若かきつばたは、バッと手を開いて俺の後ろに回る。


幸希こうきくんは、そんなえっちなの見ちゃダメなんだから!」


 そして背後から、俺の両目を手で覆った。

 あーあ、やっちまったな。


「おい」

「──はっ、ご、ごめん、幸希こうき……「呼び方」あっ、た……田中、くん」


 ったく。

 学校では必要以上に近づくないって決めてるのに。

 見ろ。

 クラス中が呆気にとられて静かになっちゃったじゃねぇか。

 つか、学年のアイドルが陰キャボッチの俺を下の名前で呼んで「だーれだ」みたいな目隠しするなんて、何処の世界線のラノベだよ。


「──杜若かきつばたさん」

「は、はいっ」


 あくまで冷静に、声のトーンは低めに。

 しかし、なるべく角が立たないように、杜若かきつばたに話しかける。


「健全な男子なら女子に興味があるのは当然、とは言わないが……」


 世の中の各所に気を配りつつ、ゆったりと言葉を紡ぐ。

 同時に、視界を覆うその白い手の細い手首を、そっと握る。


「女子たちがイケメン俳優を見て喜ぶ、みたいなものだろ」


 手を離す直前、ほんの少しだけ握る手に力を込める。


「あんっ」

「だから。広い心で、放っておいてくれると助かる」


 俺が握った手首をさすりながら、杜若かきつばたは頬を染めていた。

 やめなさい。少なくとも学校でその顔は禁止したはずだ。


「あの、幸希こうき……田中くんも、その……興味、ある、の?」


 おい、その質問はいかんぞ。

 ヤブヘビどころか、ヤマタノオロチが出てくるぞ。


 いや待て。

 ここで俺が杜若かきつばたにキモいとか言われれば、この現状を一気にひっくり返せるのでは。

 その一縷の希望に、賭ける。


「そりゃ、まあ……大きいおっぱいは正義だからな」


 さあ今だ。

 キモいと言えキモいと。

 それで全部がまるく収まるんだから。


「……そ、そうなんだ」


 杜若は、自分の胸元に手を置き、項垂れる。

 それからゆっくりと手を伸ばしてくる。

 その手は、俺の顔の前で止まり。


「いででででっ」


 俺のほっぺたを思いっきり抓った。


「ふんっ、どうせ私はDカップしかありませんよっ!」


 おいおい、お前──


「Dカップ!?」

「あやめ姫はDの一族だった!」

「お、おれ、世の中でDカップが一番好き!」


 ──今とんでもない事を口走ったこと、自覚してるか?







 帰宅すると、すでに杜若かきつばた──あやめは俺の部屋にいた。

 つか勝手にベッドを占領するな。

 俺も疲れてるんだよ、人生に。


「ちょっとどいて。俺も横になりたいんだけど」

「つーん」

「あの、杜若かきつばたさん?」

「つーん」


 なんだ?

 ワサビか?

 いや、こいつ。


「……まだ怒ってるのか」

「怒ってませーん」

「じゃあ、なんだよ」

「……つーん」


 なるほど、ね。

 拗ねてるワケだ。

 となれば、あの台詞を言うしかない。


「世界一可愛い俺の大事な幼馴染の杜若かきつばたさん、機嫌直してください」

「……今回だけだぞぉ?」

「わかってる」

「んふふー、んにゃー」


 まったく、気難しいクセにチョロい幼馴染だ。

 切り札を用意したけれど、これは必要なかったな。


 いや、せっかくだから。


「なあ、今度の日曜──」


 差し出した映画のチケットに、彼女は大輪の笑顔を咲かせて見せてくれた。

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