第24話 ダンスレッスン

 バルコを伴いキーシャが来たのは、一枚の風景画が飾られているだけの、がらんとした部屋だった。自分達以外は誰もおらず、漂う埃が射し込む陽光を受けてきらきらと輝いている。使用頻度の低さ故か、自分の部屋と比してしまえば掃除の甘さが目についた。


「ま、ここでいいでしょう」

 ドレスの腰に手を当てて言うと、後ろからバルコが訊いてきた。

「こちらで?」

「ちょっと埃っぽいけど、我慢して貰えるかしら。私の部屋だと些か狭いので。さ、始めましょう」


 キーシャは右手を差し出した。首肯するも、バルコはなかなか手を取ろうとしない。逡巡しゅんじゅんが見て取れた。


「手を取って。右手は私の背中に回して下さい」

「は、はい」

「もっと上です。そう、その辺り。顎を引いて、こっちを見て」

「はい」と答えつつ、バルコは視線を横に逸らしたまま動かそうとしない。肩甲骨の辺りにある手は小さく震えており、彼の緊張を物語っていた。身体が触れ合うほどの距離だから、表情もよく分かる。頬が火照っていた。


「視線は、その、こうでは駄目ですか」

「駄目です。ダンスはコミュニケーションよ。お稽古して欲しいって、あなたが言ったんですよ」

「そうですが……」

「私を見なさい、バルコ」


 喉を波打たせ、バルコは心持ち顎を引いた。青い双眸から情熱的な視線を注がれる。不意打ちだった。頭の中がぼんやりして、束の間判断力を奪われる。


 そんな目で見つめろなんて、言ってないわよ……。


 胸中で呟きながら、声には出さない。このまま黙って見つめ合っていたら妙な気分になりそうで、キーシャは意図して事務的な声を出した。


「一、二、三の三拍子で足を動かします」

「ワルツですか?」

「そうです」


 まったくの未経験者であればジルバから教えるが、バルコの場合、過去にレッスンを受けている。であれば、実用性の高いワルツから入る方が効率的だ。


「あなたは前に進むように足を動かして下さい。それに合わせて、私は後ろに進みます。ゆっくりね」


 リズムを取って歩調を合わせながら、初歩的なステップとターンを繰り返す。バルコは飲み込みは早かったが、やはりまだ動きが硬い。


「もう少し力抜ける?」

「はい」と強張った返事が返ってくる。案の定、足運びはぎこちないままだ。


 まぁ、いきなり完璧に踊れる訳ないわね。


「一、二、三。はい、ターン。そう。一、二、三……」


 反復するうちに慣れてきたか、次第にバルコの動きが柔らかくなってきた。没頭している間に半円窓の向こうは斜陽に変わっていて、二時間近くが経過していた。


「日も傾いてきましたし、今日はこの辺にしましょう」

「ああ、いつの間に」


 夢中だったのだろう、窓の向こうを見たバルコは少し驚いていた。背中に回していた手を離すと何歩か後退し、恭しく辞儀した。


「直々のご指導、感謝し奉ります」

「上手でしたよ、バルコ。今日だけで随分上達したんじゃないかしら」

「あなた様のご指導の妙にござります」

「まぁ、お上手」

「本当ですよ。楽しくて、時間を忘れてしまいました」


 浮き浮きとバルコは話す。緊張はすっかり解れた様子で、謹厳実直な彼がこうも興奮するのは珍しい。そんなにも楽しかったのか。キーシャとしても、嬉しい反応だった。


「練習は繰り返しが大事です。来週以降も、この時間空けられますか?」

「はい」

「じゃあ、毎週水曜日の午後は、お稽古の時間にしましょう」

「誠ですか。ありがたき幸せにござります、王妃殿下。今から一週間後が待ち遠しいです」


 純粋な笑顔で、バルコは声を弾ませた。弟のようにも感じられ、可愛らしいなとキーシャは思った。男に対して誉め言葉にはならないから、口にはしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る