第25話 雨天の軍事演習

 灰色の雲から降り注ぐ晩春の雨が、針葉樹林を音もなく叩いている。所狭しと木々の立ち並ぶ隘路を、一個大隊が隊列を成して進んでいた。


 先頭を行くのは、近衛師団第三連隊隊長、ミシェル・バロンだ。レガ腹心の部下で、彼に陣頭指揮を任せたのはレガの判断らしい。そのレガはと言えば、隊列中央で白馬に跨り周囲を警戒している。彼に守られるようにして随伴するのは輸送部隊で、馬々が引く荷車の上には補給物資に見立てた道具類が置かれている。


 隊列後方、〈竜甲騎〉の鎧を纏い愛馬に跨ったバルコは、殿軍を任されていた。

 雨天の林の薄闇に紛れ、襲撃の機会をうかがう敵影は無いか。縦隊は側面からの攻撃に弱く、現にポロンでは、かかる状況で輸送部隊が奇襲されるケースが頻発しているそうだ。此度の演習は、それを踏まえての事である。


 それにしてもと、バルコは思う。いよいよ近衛師団からポロンに派兵するつもりか。レガがあえてミシェルに全体指揮を任せているのも、増援部隊の指揮官に彼を据える腹なのかもしれない。


「敵襲!」


 前方から発せられた仲間の叫びを聞いて、バルコは現実に意識を戻した。どこから、と目で探すより先に、両側の木々の間から飛び出してくる数十の歩兵を視認する。敵部隊に扮する黒衣隊である。やはりと言うべきか、狙いは隊列中央の輸送部隊のようだ。


 演習であるからして、殺される事はない。各々が手にしている銃に実弾は装填されておらず、銃口を向けられたとて脅威は無い。そう頭では分かっていても、奇襲は奇襲であり、動揺と混乱の波紋が陣内に広がった。


 撃たれた――――という体で前方の兵が次々に退いていく中、援護に向かおうとして、バルコは硬直した。背中を刺すような鋭い殺気と、敵の襲来を知らせる部下の叫びとが、ほぼ同時に届いた。振り返ったバルコの目に映ったのは、双剣を諸手に猛然と迫る、黒馬に跨った黒衣の一騎であった。


「オーゴッホ卿!」


 なるほど、部下達を側面から襲わせ自身は背後から襲撃か。圧倒的強者の気配を感じ取ってか、殿軍の馬が次々に嘶いて、騎手の指示も無視して道を開ける。歩兵もまた成す術なく、バルコが馬首を返す僅かの隙に、オーゴッホは眼前まで迫っていた。訓練である事を忘れているのではないか、と思うほどの気迫で、右手にした抜き身の剣を振り翳す。


 抜き身でやる気か。


 困惑しつつ、やむなくバルコも霊槍で迎え撃つ。鋭い衝突音が湿った空気をつんざき、飛び散る火花と共に後方に弾かれる。すぐに体勢を立て直し穂先を向けると、ふっとオーゴッホの口元に笑みが浮かんだ。


「討つ気で来たまえ、デュッフェル衛士」


 余裕を含んだ、挑発的とも取れる表情である。前方に注意を向けたまま、バルコは背後を一瞥した。

 あくまで最優先は輸送部隊、及び補給物資を守る事である。中央は何とか持ち堪えているようだ。あちらにはレガもいる。であれば、自分が受け持つべきは眼前の熟練の騎士か。


 手加減無用と申されるなら、そうしましょう、オーゴッホ卿。


御首級頂戴みしるしちょうだい


 踵で愛馬の脇腹を蹴り、今度はバルコから仕掛けた。両手持ちにした長槍を突き出す。迫る穂先を左の剣で弾いたオーゴッホは、すぐさま右の剣で反撃に転じた。それを石突で受け止め、一連の動きでバルコは前方を薙ぎ払った。ぶんっと風を唸らせ、距離を取ろうとするオーゴッホに追撃の刺突を放つ。


 長槍と双剣が奏でる甲高い戦いの音色は、演習の中にあって異様な切迫感を放っていた。固唾を呑む気配を感じる。傍目には、本気で殺し合っているように見えるのだろう。十合程打ち合って一旦距離を取ったバルコは、自身の得物の刃毀はこぼれに気付いて怪訝に眉を顰めた。


 馬鹿な、霊糸で生成されたこの霊槍が……。


 水滴を帯びた相手の二振りの剣が、ゆらりと僅かに揺らぐのが見えた。剣身に何か纏わせているのだろうか。霊術であろうが、どういう効果を持つのか。刃毀れしているという事は、武器破壊の類か。それにしても妙だ、〈竜甲騎〉の武具はあらゆる霊術を断つ筈なのに。


「隙あり!」


 はっとなったバルコは、分析に気を取られ過ぎた己の迂闊に舌打ちした。突進と共に繰り出される右の刺突を紙一重で躱すも、反撃に転じる間もなく左の水平斬りが飛んできた。穂先を下向け槍を縦にして、既の所で受け止める。が、齢五十とは思えない凄まじい膂力に持っていかれ、鞍上から濡れた地面へと叩き落とされた。


「どけ、役立たずが!」


 罵声と共に、背後から急接近してくる馬蹄の轟きがあった。傍らを何かが猛速で通過して、ばしゃっと水溜まりが爆ぜる。バルコに泥水をかけたのは、陣の中央から駆け付けてきたレガであった。突進と抜刀の勢いを乗せた逆袈裟さかげさを、諸手の剣を交差してオーゴッホは受け止める。一際けたたましい衝突音が、雷鳴よろしく周囲を震撼させた。


 白馬の騎士との剣戟は、黒馬の騎士の実力を一層引き出させたようだった。なるほど、殺す気で来いなどと言える訳だ。オーゴッホの剣技、馬術、身のこなしは、先程にも増して冴え渡っている。自分との戦いでは、まるで本気を出していなかったらしい。ついていけるレガの技量も驚嘆に値するもので、いけ好かない相手ではあるが、実力の高さは認めざるを得ない。


 まだまだだ。


 猛者同士の一騎打ちを尻餅をついて見上げるバルコは、奥歯を噛み締めた口中でそう呟いた。上には上がいるものだが、己の未熟さを痛感せずにはいられなかった。

 十合以上打ち合ったろうかという所で、均衡が崩れ始めた。オーゴッホの息が上がっている。連戦の疲れか、年齢からくる体力の差か。レガは幾分余裕がありそうで、好機と見たか攻勢を強めた。


 雨に濡れた近衛師団長の瀟洒しょうしゃな赤服の周囲に、小さな電流が生じるのをバルコは見逃さなかった。霊術行使の前兆だ。来る、と確信したバルコは、見逃すまいと目を皿にした。が、瞬きの間に動作は終わっていた。


 双剣を振り上げたまま、オーゴッホが彫刻のように動きを止めている。その首筋に刃を当てたレガは、いつもの陰険な笑みを薄い唇に浮かべて、勝利宣言とばかりに「ふん」と鼻を鳴らした。


 見逃した――――が、決着の瞬間に術を行使したのは間違いない。電流が垣間見えたが、レガは電気を操るのか。自身に電気を流して身体能力を向上させる術があると、以前聞いた事があった。


「失礼」と、剣を引いたレガは鞘に収めた。

「いや、お見事。完敗です、師団長殿」


 敗北したオーゴッホは、悔しがるでもなくにこやかに相手の技量を褒めた。輸送部隊を襲撃した部隊も既に鎮圧されたようで、彼の言う通り黒衣隊の完敗であった。挨拶くらい返せばいいものを、無視するように馬首を返したレガは、雨に濡れ乱れた前髪を億劫そうにかき上げた。


「隊列を元に戻せ。行軍を再開する」

 立ち上がったバルコは、馬上から指示する上官をじっと見つめた。レガは一瞥も寄越さず、今度は穏やかに目の前を通過していった。

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