第22話 陰謀の宴

 片手にしたグラスで葡萄酒を弄ぶニックは、上機嫌だった。というのも、シャオップが上機嫌だからである。視線の先を追えば、地味なドレスを着たうら若い美女が目に入る。テーブルに並んだ料理にも周りの女達も一切無視して、ただ一人、その女だけを見つめている。ニックは手応えを感じた。


 間違いなく、初めてだ。キーシャ以外の女に王がこれほどの関心を寄せるのは。

 シャオップが動いた。件の美女に声を掛けると、彼女は緋色のドレスの裾を持ち上げ、恭しく辞儀した。


「ルピナ・メ・リルルと申します」

「聞いておる。女優だとか?」

「はい。トゥエロン劇団に所属しております」


「ふん」と、誰かが鼻で笑った。女の声だ。俳優という職は、この国において社会的地位が高いとは言えない。ましてルピナは平民である。どうしてそんな女が宮廷晩餐会に来るのかと、家格が物を言う貴族社会で育った令嬢や婦人にすれば、看過出来ぬ異常事態の筈である。その上目当ての男を独占されたとあっては、嫉妬心もいよいよ激しく燃え上がって、嘲笑はその発露だ。侮蔑の囁きが後に続きそうな気配だったが、シャオップの睥睨がそれを呑み込んだ。


「〈バリファイの騎士〉は好評を博しておるな。主演だそうじゃないか」

 王が再び話し掛けると、ルピナははにかむようにして小さく首肯した。

「幾つになる?」

「十八になります」

「十八か」と繰り返した王は、恐らく無意識だろう、ぺろりと唇を舐めた。シャオップが最も好む年頃である。キーシャが王妃として迎え入れられたのも、十八歳の時だった。


「大法官がお声掛け下さったのです。劇場に足を運んで下さったようで」

 ルピナに視線を向けられる。釣られるように王もこちらを向いた。挨拶代りの笑顔で辞儀するに止める。二人の邪魔をするつもりはない。


「あれは仕事の出来る優秀な男だが、今宵の働きは格別であった」

「今晩もお仕事を?」

「ああ。そなたをここに連れてくるという、素晴らしい仕事をしてくれた」

 太い指が艶やかな黒髪をさらりと撫でて、赤くなった耳を衆目に晒す。

「へ、陛下……」


 俯き加減に目を泳がせるルピナの反応は、素か、はたまた演技か。後者だとすれば、役者の面目躍如めんもくやくじょといったところだろう。まるで相手にされない周囲の女達の、歯ぎしりの音が聞こえてくるようだった。


 まったく、食えん小娘だ。


 遠巻きに見るニックは、口に運んだチーズを舌で転がしながら、一週間前の光景を思い返して内心呟いた。


〈バリファイの騎士〉観劇後、ニックは、その日のうちに劇団を訪れルピナに声をかけた。鍵職人の娘とは本人の談だが、高貴の身を演じる事に慣れているのか、既にして貴族社会に溶け込めそうな立ち振る舞いであった。王妃も夢じゃないといういつもの口説き文句にも、憧憬を覗かせこそすれ、俗欲で目をぎらつかせるような浅はかさは見せなかった。本音と芝居の境目が見えず、どこか底知れない感じがするこの娘を、ニックは、些かの躊躇もなく宴に招待した。


 勿論、前例主義的な宮中で顰蹙を買うのは織り込み済みだ。平民をいきなり王妃には出来ないから、ひとまずは妾だ。地位も特権も、必要なものは全て用意すればいい。体裁を整える事は容易い。王さえその気なら、例え王妃が相手でも、濡れ衣を着せ処刑台に送るなど訳ない。キーシャには、アレクシアと同じ目に遭って貰う。


 ミステリアスなティーンエージャーとは対照的に、齢四四の中年は鼻の下を伸ばし、実に分かり易かった。強引に言い寄ってきた女を羽虫よろしく片手で追い払うと、もう片方の手でルピナの肩を抱き、シャオップは宴の閉幕を待たずして広間から出て行った。装飾された観音扉が閉まる間際、王の隣を歩くルピナが、肩越しに一瞥を寄越した。

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