第16話 議会

 古代の神殿を彷彿とさせる、装飾の華やかな建築物が聳え立っている。ブールイズ宮殿――――ニュークラント議会の議事堂である。立哨する兵士に敬礼で迎えられ、キーシャ一行は入場した。行先は庶民院本会議場である。観音扉を開けた途端、熱気と喧騒に包まれた。


「反王制主義者の跳梁跋扈ちょうりょうばっこを許せば、我が国もポロンの二の舞です。王国の安寧は、連中の誅鋤なくしてあり得ない。皆さん、どうぞご理解下さい。これは正義の戦争なのです!」


 議場中央に引かれた二本の剣線ソードラインの間で、演説台の縁を力一杯掴んだ初老の男が、必死に声を張り上げている。高貴な出自をひけらかすような金糸で飾られた真っ赤なコートは、いかにも貴族のそれである。フェニール教のシンボルたる三角形のペンダントを首から下げている所を見るに、恐らく聖職貴族だろう。


「つきましては、終戦までの限時法と致しまして、前述した印紙法の可決を……」

「また戦時税か!」


 剣線の向こう、雛壇から飛んできた野次が男の話を遮った。それを皮切りとして、あちこちから怒声が湧出した。


「食い物の次は紙か!」

「我々ばかりから搾取するな!」

「静粛に、静粛に」と議長が右手のガベルを打ち鳴らすも、野次は収まらない。耳を塞ぎたくなるような騒々しさの中、三階の特別席にキーシャは腰掛けた。その隣席に座ったバルコは、飛び交う言葉の荒々しさに驚いた。


 こんなにも激しいものなのか、議会とは。


 吠えるだけ吠えた議員らが多少なりとも落ち着くと、演説台の男は咳払いを一つ挟み、再び口を開いた。


「我が国の財政状況は今、非常に厳しい。騎士が堅忍不抜けんにんふばつを拒むのですか。国体の存続が懸ったこのときに!」

「何が国体か! 懸っているのは教会の権威だろう」


 またも野次が飛んだ時、男は忽ち顔を紅潮させて怒鳴った。

「誰ですか!」

 かつらがずれるのも構わず首を巡らせた男は、胸元のペンダントを右手にかざして、警告するような口調で続けた。


「宜しいか。天にまします主を頂きにして、地上を統べる権利を賜った王、その仲介者にして代理人たる教会……この聖なる秩序の三角形こそが、ニュークラント王国の本質です。王国を王国たらしめる仕組みです。これが危機に瀕しているというのです! 真実に敵対する者は異端者ですよ!」


 出し抜けに、水を打ったような静けさが議場に満ちた。議員達が息を呑む気配が伝わる。聖職者が口にする〝異端〟という言葉には、それだけの効力があるのだ。周囲の委縮をいい事に居丈高になる男を見て、バルコは複雑な気持ちになった。


 確かに、国家の現行秩序維持の為、国民が多少の苦難を強いられるのは仕方ないと思う。しかし、あくまで多少であって、限度というものがある。


 ここに来る途中に見た光景が――――暗く落ち窪んだ目を潤ませる痩骨そうこつの男達が、頭から離れなかった。農民達は王妃の行く手を阻んで直訴するほどに窮乏しており、キーシャが彼らに見せたような慈悲深さは、演説台で弁舌を振るう着飾った聖職貴族からは感じられなかった。


「笑わせるわ」

 キーシャの口元に嘲りの笑みが浮かぶのを、バルコは初めて見た。この人も、こんな顔をするのか。


「国民の一割にも満たない人間が、国家の本質だなんて」

 それは、憤りの裏返しだった。貧民に私的な財を下賜するキーシャである、国の足元を見ず戦争を継続しようとする政府が許せないようだ。


 赤いコートを翻して男が演説台を退くと、議長が次の登壇者を指名した。

「ドミニク・オーゴッホ」


 見覚えのある中年が席から立ち上がるのを見て、バルコはあっと思った。一年前、ククルーンの廃教会で出会ったあのオーゴッホである。元帥から退いたのは今年の初めだが、庶民院議員になっていたとは知らなかった。演説台に立つと、拍手喝采が彼を出迎えた。人気のほどが窺える。


「グリムン財務大臣の論は、なるほど一理あります。王国にとって、反王制主義者は脅威です。国家体制を護持する為には、時に戦う必要もありましょう。しかしです、国体の存続と言うなら、国外派兵までする必要がありますか? 戦争の長期化で財政は逼迫ひっぱくし、強引な戦時増税で賄ってはいるが、その皺寄せが国内に、とりわけ農民に及んでいます。民を飢えさせてまで続ける戦争か? 引き際ではないのか? 皆さん、考えてもみて下さい。ギバリーをはじめとした過去に奪われた領土は、既に奪回したのです」


「そうだ!」

「軍を退くべきだ」


 賛同の声が幾つも上がる一方で、「領土奪回が戦争目的ではない!」と非難する声もあった。先程まで演説台で響いていた声である。着席した財務大臣に顔を向けたオーゴッホは、ごほん、と咳払いを一つ挟んでから口を開いた。


「あくまで戦争を続けるおつもりなら、戦費は、継戦を主張する方々から賄えば宜しい。現にお歴々は、庶民が一切れのパンを隣人と奪い合っているこのご時世に、じゃらじゃら着飾った格好でパーティやら博打やらに興じるほど、余裕がおありのようですから!」


 拍手が起こる。議長が再び静粛を求めたが、それは立場上仕方なくといった風で、打ち鳴らされるガベルの音は幾分穏やかだった。それがまた大臣には不服なようで、仏頂面で腕を組み何事かぼやいている。盛り上がる議員らに片手を挙げて応えたオーゴッホは、静まるようそれとなく促して、再び大臣に視線を向けた。


「誤解しないでいただきたいのだが、大臣、何も我々はあなた方と敵対したい訳ではない」

「驚いた。私はてっきりそうかと思ったが」


 もはや一対一の問答である。議長含め、全員が見守っている。


「これだけ丁寧に説明し、お願いしているというのに、あなた方は批判や反対ばかりで、物事を前に進めようとしない!」

「だったら法案作成に関わらせろ!」


 野次が飛ぶ。どっと騒がしくなりかけた所を、議長がガベルで介入した。オーゴッホが再び口を開く。


「我々の立場は是々非々です。各都市、各州の代表としてここにいる以上、地元の現状を無視した法案を容れる訳にはいかない。それにです、批判や反対ばかりと大臣はおっしゃるが、我々はきちんと代案も出しています。戦時税を課す対象を広げるべきと」


 話の風向きを悟ったのだろう、話にならん、とばかりに頭を振ってみせた大臣は、立ち上がった。コートを翻し出入口へと向かう背中に野次が飛ぶ。


「どこに行くんだ!」

「こっちの意見はまた無視か!」

「代案など求めとらん!」と怒鳴り返した大臣は、雛壇を睥睨へいげいし不敵に笑んだ。


「提出法案については、よしなに。皆さんが陛下の善き臣下である事を期待します」


 一方的に言い放って踵を返した財務大臣は、議長の制止さえ無視して、非難轟々の中議場を去った。扉の閉まる音が喧騒に消える。ちらと傍らのキーシャの横顔を覗くと、演説台のオーゴッホをじっと見つめていた。

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