第15話 立ち塞がる農夫

 朝日を受けた鐘楼しょうろうが、石畳の道に長い影を落としている。その上で蹄を打ち鳴らす白馬に牽引され、王家の紋章の入った海老茶色の馬車がかたかたと進む。人々は道を開け、帽子をしている者は帽子を取って頭を下げる。窓の内側からキーシャが手を振ると、サンタニエルの住人達の無表情に喜悦や崇敬が咲き誇った。

 

 愛馬の鞍上からその様子を眺めていたバルコは、主人の人気ぶりを思い知った。王妃というだけではない、キーシャの人柄もあるのだろう。自分自身、その懐の深さに救われたばかりである.。


 昨日の宮廷舞踏会を思い出すと、頭を抱えたい気分になる。王妃を巻き込んでの転倒など、免職されても文句は言えない。衆目の中、顔面蒼白で平謝りするバルコだったが、起き上がったキーシャはごめんなさいと謝り返してきた。


 ――――無理に付き合わせてしまって。戦での傷が癒えていないというのに。


 周囲に聞こえる程度の音量だったから、皆すぐに気を利かせた。踊れるかと訊いてきた若い女からは謝罪され、バルコは困惑しつつ曖昧に受けた。実際は戦の傷など無く、健康体そのものである。自身に恥をかかせまいという、キーシャの機転だった。

 客が帰った後に改めて謝意を伝えると、怒るでもなく偉ぶるでもなく、鷹揚おうような態度でキーシャは答えた。


 ――――気に病まないで。私の方こそ、先に確認すべきでした。


 こうも謙虚な王妃がいるだろうか。側近の不器用さ故に衆目で恥をかかされたというのに、それを責めるどころか、立場を配慮するなんて。結局何のお咎めもなく、今日もこうして護衛を任せて貰っている。感動を覚えるバルコだった。


 市場を抜けると、一気に人通りが少なくなった。物陰から馬車を狙う人影は無いか、辺りを警戒する。バルコは張り切っていた。名誉挽回の気持ちもないもではないが、勝るのは忠誠心である。この主人こそは王国の宝だ。ちらと窓の向こうを一瞥いちべつすると、本を読んでいる姿が見えた。知的な横顔であった。


 建物が見えなくなり、静閑せいかんとした林の風景に変わる。木々の間から、バルコは人の気配を感じた。隠れているつもりのようだが、殺気がだだ漏れだ。自身の馬も馬車馬も、刃のような気配を察知しており、興奮気味である。車内のキーシャ達に変化は見受けられないが、手綱を取る御者は馬の様子から何かを感じ取ったようで、不安げな顔をこちらに向けた。バルコは、安心させるつもりでゆっくり頷いた。


 大丈夫、自分がいます。


 馬車馬がいななき、馬車が止まった。木々の間から姿を現した十人前後の男達が、前方に立ち塞がった。貧相な身体にぼろぼろの服を纏い、すきくわ、もしくは火掻き棒のような物を持っている。伸びるに任せたといった風の髭面は、煮え切らない心中を表していた。貧しい農民である事をアピールしつつも、こちらが弱気と見るや、手にした生活用具を武器にして襲い掛かってきそうな気配である。


「何事ですか?」

 柳眉りゅうびに懸念を漂わせたキーシャが、車中から問うてきた。


「農民の集団が立ち塞がっています」

 車内の侍女達が浮足立つ。物々しい雰囲気を感じ取ったのだろう、すがるような目を向けられる。


「お任せを」

 こういう時の為に自分がいるのである。馬を進めたバルコは、おもむろに右腕を真横に伸ばした。


 恐み恐み申す――――。


 開いた右手の中で空間が歪み、そこから伸びた幾筋もの霊糸が長槍を形成する。得物を握って正面を睨むと、男達はたじろいだ。戦場の兵士達を射竦めてきたバルコの眼光である、農民達が震え上がるのは道理であった。


「どけ」


 殺気を声に込める。穂先を地面に向けたままゆっくり近付くと、音を上げたように男達は手にした物を放した。


「ど、どうかお許しを」

「我らは直訴に参ったのです。何卒なにとぞ

 

 膝をついてひれ伏す。敵わぬと見たか、哀れな弱者に徹するつもりらしい。「直訴だと?」と、バルコは顔をしかめてみせた。


「であれば、その鋤や鍬は何だ」

「こ、これは……」

「護衛一騎と見て、襲撃するつもりだったか?」


 滅相もないと言いたげに、全員が慌ててかぶりを振る。白々しい、とバルコは思った。信用出来たものではない。


「王家の馬車の行く手を阻んだのだ。その無礼、本来であれば命を以て償わせる所だが……今回だけは見逃してやる。消えろ」

「そうせざるを得ない事情があったのです、騎士様」


 最も年配と思しき男が、視線を伏せたまま反論した。頬のこけた顔に、恐怖と憤りと義務感とが混淆こんこうしている。

 出し抜けに、背後で扉の開く音がした。


「キーシャ様っ」


 男達もやはりニュークラント人である、王妃の名を耳にした途端、全員が反射的にその場に跪いた。


「お下がり下さい、王妃殿下」


 男達に歩み寄るキーシャを見て、バルコは慌てて制止した。知らず、咎めるような声色になる。それでも主人の歩みは止まらなかった。


「危険です!」

「彼らも危険を冒しました。命の危険をです。そうまでされたからには、話を聞かねば」


 バルコを追い越したキーシャは、横並びになってつむじを見せる男達の前に立った。

「面を」

 周りの反応を伺いながら、おずおずと男達が顔を上げる。最初に口を開いたのは、先の年配の男だった。


「戦争をおやめ下さい、王妃殿下」

 声は震えていたが、物言いは率直であった。

「パン一つが二千バラットもするのです。こんな物価高では我々は生きていけません。せめて、せめて戦時税だけでも……」


 ポロンとの戦争長期化に伴い、戦費調達の為、戦時特別税が課されたのは今年に入ってからである。穀物もその対象で、物価高騰と食糧不足の悪循環に陥っているとはバルコも聞いていた。が、二千バラットとは流石に驚いた。

 年長者の発言を皮切りとして、他の男達も次々に声を上げた。


「食べ物の奪い合いが起こっとるんです!」

「うちのは乳が出んのです。ややこがおるんに」


 前のめりに惨状を訴える農民達の姿は同情を誘ったが、懇願する相手を間違っているとバルコは思った。戦争を推し進めているのは王と政府、元老院であって、王妃に反戦を訴えても仕方がないのだ。ご苦労は理解するが……と間に入ろうとした時、それを察したキーシャが、干渉を拒むようにこちらを一瞥した。


「これを」

大粒タンザナイトのネックレスを首から外し、それを真正面の男に手渡す。目を瞬いた男は、困惑気味に恭しく受け取った。

「売れば幾らかにはなるでしょう。一時凌ぎに過ぎませんが、皆で分け合って下さい」


 バルコは驚愕した。今日会ったばかりの素性の知れぬ平民に、そこまでするのか。しかし、最も驚いているのは受け取った当人達のようで、狐につままれたかの顔を互いに見合わせている。


「あなた方の困苦窮乏こんくきゅうぼう、よく分かりました。お辛かったでしょう」

 落ち窪んだ男達の目から、ぽろぽろと涙が零れる。王族からここまでの施しを受ければ、感涙を堪えられる平民などいないだろう。男達は何度も頭を下げ、もはやバルコなぞ眼中にない様子で、その場から去って行った。


「恐れながら、キーシャ様」

 馬から下りたバルコは、馬車に戻ろうと眼前を通過するキーシャを呼び止めた。


「民への慈悲深さには感服致しますが、宜しかったのですか」

「宜しかったとは?」

「その、財を下賜などされて。彼らの言葉の全てが真実かは分かりません」

「私には、嘘をついているようには見えませんでした」


 無論、自分だって彼らが演技をしていたとは思わない。しかし、優しさが仇となる場合だってある。言うべきは言わねばならなかった。


「弱き己を演出して、同情や油断を誘おうとする輩もいます」

「であれば、そういう人が何を言おうと無視しろと?」

「そうは言いませんが……」

「好んで弱い立場にいるのではないでしょう。かかる人々の声こそ、政の指針であるべきです」


 凛然と言い放つキーシャの顔は、怒っているようにも見える。礼を失した諫言かんげんであったか。王妃の志の高さを語るサイモンの顔が浮かんだ。


「でも、そうね。警護するあなたの立場を考えれば、私の行動は些か軽率だったわ。ごめんなさい」

 主人から頭を下げられ、バルコはいよいよ焦った。

「どうか頭をお上げ下さい、王妃殿下。あなた様にそのような真似をされては、どうしていいか分かりません」


 言われた通りにしたキーシャは、普段の微笑を取り戻していた。海老茶色の扉が閉まり、再び進み出した馬車にバルコは随伴した。この林を抜ければ、目的地はすぐそこだった。

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