第13話 夫婦の間の隙間風

 植木で描かれた幾何学模様の中心で、白亜の女神像から噴水が立ち上っている。雅やかな王宮の庭を一望出来るバルコニーで、赤いウェストコートを着た男が足を組んでくつろいでいた。この国の最高権力者、シャオップ四世である。


「陛下」

「来たか。近う寄れ」


 こちらに振り返った男は、グラスを持っていない方の手で手招きした。微笑を浮かべて辞儀したキーシャ・エル・ファウンは、十六歳年上の夫のもとに歩み寄った。テーブルを挟んだ隣席に腰掛ける。


「ギバリー産だそうだ。ニックが持ってきた」

 卓上のチェリーを手に取った王は、お前も食べろと言わんばかりに目で促した。礼を言って、キーシャはチェリーの果梗かこうを摘んだ。


「ハナリも今年で九歳か」

「ええ。我が子ながら、物覚えも良く聡明です」

「そなたに似たらしい」

「陛下の御子なればこそです」

「そろそろ、本格的な帝王学を教えねばならんな」


 和やかだった夫婦の会話が途切れる。それは私が――――と言いかけてやめたキーシャは、「はい」と努めて穏やかな表情で首肯しゅこうした。

「ニュークラント女王として将来恥をかかぬよう、私がしっかり教えます」

「いや、キーシャ。ハナリの帝王学は、向後こうごはパトリフに見て貰う」

「レガ師団長に?」


 切れ長の瞳に嘲りを映す青年を思い浮かべ、嫌悪感を覚える。パトリフ・レガ――――二三歳の若さで近衛師団長にまで登り詰めた逸材で、シャオップのお気に入りだが、キーシャは嫌いだった。何となれば、自惚れが強く人を見下した態度を取る。いかに優秀であろうと、人格的に、娘を任せたいと思える相手ではなかった。


「彼は霊術の教師に就任した筈です。この上別の学科まで任せては、近衛師団長の職務に支障をきたすのでは?」

「何、それくらい奴ならこなすさ」

「しかし」

「元老院の意向もある。はっきり言うが、彼らはそなたが教鞭を執る事を望んでいない」

「陛下、シリー家の件は……」

「無論」と、遮るように王が言った。


「くだらぬ噂とは百も承知である。そなたが我が息子を手に掛けるなどあり得ぬ話。余はそなたを信じておる」

「陛下……」

「しかし、元老院の不満はそこではない。そなたは議会派の連中と通じ、王国の伝統を壊そうとしているそうではないか」


 ひそめた太い眉に不快感が漂う。王党派と親しい王からすれば、妻のやっている事が気に食わないのは道理だろう。


「壊そうとしているのではありません。私はただ、バランスを取るべきと思うのです」

「バランスだと?」

「議会派は、皆が各地の当選者です。地方の事情や庶民の暮らしに明るい彼らの意見は、重要だと私は考えます」

「ふん、田舎者に何が分かる。権力が平民に媚びた結果、ポロンでは何が起こった? 王侯貴族は皆殺しにされ、今や群雄割拠ではないか」


 確かに、結果だけを見ればそうだろう。しかし、キーシャにも言い分があった。

「ポロンの悲劇は、かの国の王の専制主義が招いたものですわ。困窮する人々の声に耳を傾けなかったから、恨みを買ってしまった。弱者が武器を手に取る前に、彼らの意見をよく聞くべきなのです」

 一息に喋ってから、はっとなって傍らを見る。王の表情が険しい。失礼な物言いだったかと、キーシャは慌てた。


「武器を取る者が弱者なものか」

「ええ、それは勿論もちろんそうですが、だからこそそうなる前に……」

「つまりそなたは、王権を干犯かんぱんし議会の――――とりわけ庶民院の権限を強化しようと、そう考えている訳だな?」


 有り体に言えばそうだが、容易に頷けない雰囲気だった。片手で弄んでいたチェリーの果梗を不愉快気に投げ捨て、王は言った。


「重ねて言うが、我が妻よ。余はそなたを信じておる。しかし、そなたが余の治世を良しとせぬなら、余にも考えがある」

「いいえ、陛下。私はあなた様の治世を望んでおります。なればこそです」

「元老院は腹に据えかねておる。よもや庇いきれんぞ」


 こちらの弁には耳を貸さず、言いたい事だけ言うと王は立ち上がった。

「陛下!」

 呼び止めるも、オー・ド・ショースを履いた王の足は止まらない。出入り口の向こうへと遠ざかっていく赤いウェストコートの背中を、従者達が追いかけていくのが見えた。

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