第10話 戦場に届いた辞令

 野太い讃美歌の合唱が、強風を伴って平原に吹き荒れる。馬蹄の轟きが勢いを失い、騎兵部隊が目に見えて失速する中、突出して敵陣に猛進する一騎があった。〈竜甲騎〉、バルコ・デュッフェルである。


 近付くにつれ、敵の狼狽ろうばいと困惑の表情が明らかになっていく。なかんずく、敵部隊の中央の霊兵らが顕著だった。何故あの一騎だけ向かってこられるのか、霊術攻撃が効かないのか――――よく聞こえないが、多分そのような事を言っているのだろう。アーメットの裏側、バルコの表情は冷めていた。 


 軽騎兵部隊が左右から仕掛けてきた。両翼に控えていた機動部隊のようだが、その攻撃の悉くが霊鎧によって弾かれ、霊槍の露と消える。単騎で敵陣中央を突破したバルコは、即座に馬首を返して背後から襲い掛かった。白兵戦が不得手な霊術師を集中的に狙う。血の雨が野原を潤した。


 中央を破られたポロン軍の陣形は崩れ、畳み掛けるように味方の騎兵隊が突っ込んでくる。讃美歌は人馬の咆哮と絶叫、剣戟けんげきの音に変わり、やがて壊走の音となって遠退いていった。


 戦いが終わり、平原に静けさが戻ってくる。転がる手足や屍に囲まれながら、鞍上のバルコはふと空を仰いだ。格子状のスリットの向こう、いわし雲の並ぶ立秋の青空を禿鷲が旋回している。人肉のにおいに引き寄せられたか、三羽、四羽と集まってきて、人が立ち去るのを待っているようだ。


「口ほどにもなかったな」


 声を掛けられ、地上に視線を戻す。参謀長ドノー・ケルバン大佐が、馬上で片頬を歪めていた。

「ご苦労、デュッフェル衛士。戻るぞ」

 血濡れた野原の向こうの角面堡を顎で指す。一月前までは敵の拠点であったが、今はこちらの軍が駐留している。


「全く、貴様がいると戦がつまらんな」

 馬を進めながら話すケルバンの声色は、言葉とは裏腹に上機嫌であった。砦を奪い返しにきた敵を、ほとんど損害を出さずに撃退したのだから不機嫌の筈もない。

「自重すべきでしょうか」

「抜かせ。生意気な若造め」


 辛辣な物言いだが、四角い顔に浮かぶ笑みは親しげだ。戦場の最前線で、一年という時間をかけて築き上げた信頼関係がそこに現れていた。ククルーン攻城戦から、それだけの月日が流れていた。


 既に数え切れない人間を手に掛けたバルコだが、初陣で殺した兵士達の顔は今でも鮮明に思い出せる。攻城戦、防衛戦、夜戦……戦に明け暮れた一年であったが、人殺しという行いに慣れる事はなかった。慣れてはいけないという自戒もあった。慣れてしまえば楽なのだろうが、一度その境地に身を置いてしまえば、戻ってこられない気がした。不意に襲い掛かってくる巨大な罪責感――――あるいは敵の怨念なのか――――に吐き気を覚えたり、震えが止まらなくなる事もしばしばであったが、その苦しみこそが人間らしさである。荒んだ胸中に残った一摘みの良識を、バルコは大切にしていた。


 砦に戻ってケルバンと別れたバルコは、休憩所に向かった。猥談や武勇譚で盛り上がる男達の談笑の中を歩いていると、どこからか自分の名前が聞こえてきた。


「俺はバルコ・デュッフェルだと思うね」

「いやぁ、流石にパトリフ・レガの方が強いだろう。あの歳で近衛師団長だぞ」

「王宮に籠ってるような奴が本当に強いのか? デュッフェル衛士は前線で戦い続けてる」

「しかし、レガ師団長は剣の達人だぜ」

「デュッフェル衛士だって槍の達人だ」


「分かってないな、お前ら。その二人も確かに強いが、最強はオーゴッホ元帥に決まってるだろ」

「あー……。いやでもどうなんだ? 歳だろ」

「戦いぶりを見てないからそう言えるんだよ。あの人に歳なんて関係ない」


「それを言うならな、若いの、俺は先代の〈竜甲騎〉の戦いを見た事あるが、あの人こそ化け物だぞ」

「ライダ・デュッフェル?」

「そう。親父に比べたら、バルコ・デュッフェルもまだ……あっ」


 やっとこちらの存在に気付いたようだ。ニュークラント兵最強議論をしていた男達は、候補の一人を視認するや、ばつが悪そうに後頭部をいたり、愛想笑いを浮かべたりした。別に構わない、とバルコは思った。味方同士で戦う事はないのだから、誰が一番強いかなどどうでもいい。話題を変える四人の男達を視界から外して、休憩所の壁際に腰を下ろした。


「デュッフェル衛士、いらっしゃいますか」

 よく名前を呼ばれる日だ……と思いながら、声の方へ視線を向ける。出入り口に立つ若い兵士と目が合った。駆け寄ってきた彼は、踵を揃え敬礼した。


「ダムドー上等兵であります」

「デュッフェル三等衛士です」

「異動命令です。バルコ・デュッフェル三等衛士を、九月一日付けでキーシャ王妃侍従武官おうひじじゅうぶかんに任命すると」

「侍従武官?」


 聞き間違ったかと、バルコは復唱確認した。肯定を返されるも、にわかには信じ難かった。侍従武官と言えば、要人と行動を共にして身辺警護する宮仕えの軍人だ。近衛師団から選ばれるのが慣例で、なかんずく信頼の厚い兵士が任される栄職と聞くが、王妃とは一年前に一度会ったきりである。どうして自分にそんな役が回ってくるのか。


「すぐにサンタニエルに戻れとのお達しです」

「……分かりました」


 混乱する頭を整理せぬまま、バルコは異動命令を受領した。

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