第8話 占領統治
「貴様! もういっぺん言ってみろ!」
酒場から、酒気を帯びた怒声が聞こえてきた。怯えた様子の男の謝罪が続く。辟易として、バルコは足早に通り過ぎた。
また、住民相手に怒鳴り散らしているのか……。
ククルーン陥落から一週間が経った。居住区を我が物顔で歩くニュークラント人の横暴は、目に余るものがあった。皆が皆ではないが、バルコ達が来る以前から戦い続けていた兵士達は
コヴィッチやダストン、ケルバンといった駐留軍の責任者達は、部下達の不品行を咎めようとはしなかった。
最初は止めに入っていたバルコであったが、次第にやらなくなった。切りが無いというのが一つ、割に合わないというのがもう一つ。そんな事をした所で仲間から
ポロン人の恨めしげな視線に気付かない振りをして、通りを歩く。教会を探していた。手に掛けた人々の死に際の顔が、脳裏から離れない。
中に入る。荒らされていたものの、幸いにも聖画像だけは残っていた。歩み寄ったバルコは、神の子フェニールを描いたフレスコ画の前で跪いた。
「神よ、私の罪を告白します」
喧騒から離れた静かな午前中の空気が、自身の声によって微かに揺れる。瞳を閉じて、懺悔を続けた。
「私は多くの人間を殺めました。戦場にて、兵士として敵兵を殺めました。彼らの怨念が、この身から離れんのです。もとよりこの戦、目的は、道に外れた者共の成敗と伺っておりました。なれば聖戦にござります。然れど、我が軍の品行は余りに下劣。食料を奪い、女を貪り、抗弁する者には暴力を振るう。これが道理を示しに来た者のする事でしょうか。我が軍は、誠に正義の使途なのでありましょうか? 道理に外れた戦であったなら、この身が犯した罪もまた……」
「汝の罪を
不意に背後から声がして、バルコは振り返った。焼け残った骨組みが格子状の影を落とす床の上、体格のいい軍服姿の男が立っていた。五十代半ばくらいか、つるりとした坊主頭に口髭を蓄えた強面だ。どこかで見たような……と思いながら胸の徽章に視線を落とした途端、慌てて立ち上がって敬礼した。
「げ、
ドミニク・オーゴッホ――――軍人の最高位である元帥の肩書を持つ唯一の男で、事実上の軍の統率者だ。何故ここに、と疑問を口にするより先に、「誇れ」と励ますような声が発せられた。
「その
バルコは跪いた。些か大袈裟とは自分でも思ったが、オーゴッホが醸す聖職者にも似た雰囲気がそうさせたのだった。
「デュッフェル三等衛士だね?」
「はい」
「話は伺っている。君の父君には、私も世話になった」
本当に父は顔が広いなと思いながら、差し出された手を取る。
「〈竜甲騎〉の武名、しかと受け継いだようだな」
「いえ、自分などまだまだ……」
「謙遜するな。ククルーン陥落に最も貢献したのは君だと、皆口を揃えて言っておったぞ。あの偏屈者のドノーまでもが言うのだから、間違いない」
ふっと冗談めかした笑みが口元に浮かび、バルコも表情を緩めた。元帥にとっても、ドノー・ケルバンとはやはりそういう人物なのか。そう思うと少し可笑しかった。
「さて、問題は占領後だ」
オーゴッホが厳めしい顔に戻る。バルコもまた口元の笑みを消し、懸念を滲ませて言った。
「品行方正とは言えません。ポロン人の恨みを買うは……」
皆まで言うな、分かっておる――――渋面で頷くオーゴッホは、そう言わんばかりだった。
「参謀はこの事を?」
「承知している。彼らは君より遥かに長い時間、戦場で過ごしてきたのだ」
「では何故、兵士を戒めんのです」
「不満を溜めない為だ」
「不満を?」
「我が軍はククルーンを落とすのに手こずった。それだけ犠牲者を出したという事だ、とりわけダストン
「それは、兵士が兵士に対して、戦場で解き放つべき感情です。武器を持たぬ民間人に当たるなど……卑怯です。騎士道に反する」
「騎士道か。それも曖昧な言葉だ。騎士とは
「爵位の有無に関わらず、戦士は正しく在るべきです。その為の規範と考えます」
「故に法的拘束力はない。それで感情を自制出来るのは、君のような高尚な人間だけだよ」
「いえ、小官は決して……」
「正論で人は縛れん、デュッフェル衛士」
正しく正論であった。言い返せない悔しさを噛み締め、バルコは視線を
理解しろというのか、仲間を殺された仲間の憎しみを。それを鎮める為の
「しかし、それはあくまでニュークラント人の理屈だ。ククルーンの住民からすれば迷惑千万、道理から外れた話だろう」
こちらの意を汲むように、オーゴッホは言った。その通りだとバルコは思ったが、今欲しいのは、共感出来る言葉ではなく解決に繋がる言葉だ。
「占領地における軍の言動は、国家の品格を現す。兵士の態度を現場指揮官が改善させられないなら、より上の立場の者が出向く他ない」
「閣下……」
「国家にとっての不幸とは、デュッフェル衛士、君のような誠の騎士に愛想を尽かされる事だ。命令に疑いを持ち、反感を抱き、やがて離れていく。そうならないように、私はここに来たのだ」
占領統治は任せろ、だから迷わず任務に励め――――つまりそういう事だ。ひとまず、欲していた答えに近いものではある。バルコは恭しく頭を下げた。
「ありがとうございます」
二人で教会の焼け跡を出た途端、慌てた様子の壮年軍人がこちらを見て「あっ」と大きな口を開けた。
「閣下! こちらにおられたのですか」
「兵士達を広場に集めろ。訓戒する」
足早に歩くオーゴッホの後を、副官らしき男が追い掛ける。立ち止まったバルコは、その姿を眺めた。注目したのは、すれ違う通行人だ。ニュークラント人を見付けたポロン人は、睨み付けるか恐れ
間もなく、広場に招集がかかった。本国から視察に来た元帥が訓示するという事で、整列した兵士達は落ち着かない様子だった。階級が下の若い兵ほど顕著で、ドミニク・オーゴッホを生で見られるぞと、見るからに浮き浮きしている。
黒いマントを
「このギバリーは、八十年を経て祖国に帰って来た。勇猛果敢なる諸君らの働きに、国民を代表し感謝を述べたい」
労いの言葉を前置きと並べ、オーゴッホは核心に触れた。
「祖国の女達は諸君らを誇りと語り、子供達は諸君らに憧憬を抱く。かかる立場を自覚せよ。踏まえて、ここでの行いを各々顧みよ。あえて多くは語らんが、思い浮かぶ光景が各々あると思う。力戦奮闘により高めた名声を、戦後の不品行で貶めてどうする」
ばつの悪い顔を浮かべる者が多い。祖国の誇りとまで褒められた後だからこそ、耳の痛い話である筈だ。よくぞ言ってくれたと、バルコは一人小さく頷いていた。元帥の言葉なら、皆真摯に受け止める。
「忸怩たるものはあるか。あるならば、道から外れてはない。戻るのだ、騎士の道に。それこそが、ニュークラント王国に生まれた諸君らの真実の姿である筈だ。元帥たる栄誉を今一度思い出させてくれる事を望む」
期待と称賛を結びとして、オーゴッホは訓示を終えた。黒マントを
あなたこそ誠の騎士です、オーゴッホ元帥。
その日を境に、ククルーン駐留軍の兵士達は、人が変ったように大人しくなった。
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