第6話 戦争

 森の中を進むニュークラント軍の隊列は、派手な鱗の大蛇のようであった。ギバリー地方の要塞都市ククルーン攻略の為、ニュークラント本国より一週間前に派兵された増援部隊である。


 有翼のユニコーンの旗がはためく先頭、いかにも貴族らしい鎧姿で白馬に跨ったコヴィッチ将軍が、七千の軍勢を得意げに率いている。その後方、青鹿毛の愛馬の鞍上にバルコはいた。

 

 浮いた存在である自覚はあった。王より衛士の位を下賜された親の七光り――――反感を買うのも道理であったが、当代〈竜甲騎〉という肩書が抗議の声を封殺しているようだった。

 肩書に守られてばかりいるのも肩身が狭いもので、名前負けしない実績を上げる必要があった。


 単独行動の権限はありがたかった。兵隊の錬度と性質を知らねば正しい指示は出せないし、いたずらに死人を増やすだけだ。まずは、現場を知り尽くしたベテラン指揮官の部隊運用を見学したい。中隊を預かるつもりはなかったし、誰も預けようとしなかった。


 森を抜ける。視界が開けるとともに、合戦の騒がしさが耳に届いた。前方、土塁と堀に囲われた星型多角形の巨大施設が見えた。要塞都市ククルーンである。斜堤しゃていに向かって、土煙の中を猛然と走る人馬の波があった。味方だ。


「これが戦争か……」


 手綱を握る力をわずかばかり強め、呟く。前に進むごとに戦場が近付いて、臨場感が麻布の下の肌を粟立あわだてる。


 猛々しい雄叫びと馬蹄の轟きの中、砦の方から男達の歌声が聞こえてきた。はっとなって視線を向ける。塁壁にずらりと並んだ霊兵合唱団が、讃美歌のような曲を歌っている。無論、今この場で神を称えんという意図ではない。祝詞のりとを旋律に乗せて奏上し、天上の力を借りようとしているのだ。霊術攻撃の予兆である。


 退かせるべきだ、とバルコは思った。しかし、味方は突撃を止めない。先手を取る気なのだろうが、どう見ても間に合わない。ろくな後方支援もなく、無謀そのものだった。


 びゅうっと風が唸り、土煙が瞬く間に後方に流れ去った。叩き付けるような突風が、二カロン(≒キロメートル)程も離れたこちらにまで届き、背後の森がざわついた。


 気流を無視して発生した不自然なこの風は、人為的なものである。風の霊術だ。真正面からこれを受けた突撃部隊は、見えない壁にぶつかったように足を止めた。あまりの強風に前進も方向転換も出来ず、踏み止まるのが精一杯のようだ。案の定である。


 はためく旗に引っ張られるようにして、旗手が馬上から転落する。木枯らしにもてあそばれる落ち葉のように人間が吹き飛ばされていく中、大気を揺るがす砲撃音が響いた。白い煙が立ち昇ったと思いきや、大地が爆ぜる。近くにいた人馬が、自らの血肉で真っ赤な花を咲かせ、散っていく。


 どぉん、どぉん、と砲撃音は連続し、緩やかな放物線を描いて落ちていく砲弾が、強風によって動くに動けないニュークラント軍を一方的に殺戮した。


 混乱と恐慌の只中、撤退を命じる喇叭らっぱの音が悲鳴よろしく響いた。遅過ぎる! と、指揮官を怒鳴りたい気分だった。


 無理に方向転換した事で、横風に煽られた馬が次々に転倒する。陣形が崩れ三々五々に逃亡を始めると、この機を待っていたとばかりに、敵の竜騎兵部隊が躍り出た。自陣から吹く追い風を受け、戦意喪失しているニュークラント人の背中を撃ち抜いていく。戦場というより、狩り場の様相だった。


「見ておれん!」


 堪忍ならんとばかりに声を上げ、コヴィッチは馬の腹を踵で蹴った。部隊が動き出す。バルコはその流れに従った。


 野営地に着いた増援部隊を出迎えたのは、厭戦えんせんムードであった。あれだけの惨敗を喫した直後なのだから、無理もないとバルコは思った。

 

 そもそも継戦能力が残っているのかも疑問である。戦線が伸びきって補給が追い付いていない。弾薬も食料も残り僅かで、ぐったりと項垂れて座り込む兵士達の顔には闘争心の欠片もない。空腹も深刻なようで、こちらが持ち込んだパンや燻製肉を泣いて食う様は憐憫れんびんを誘った。


 その晩、作戦会議が開かれた。三等衛士として出席を許されたバルコは、一万五千の兵がいかにして六千にまで減ったか、それだけの犠牲を払って尚ククルーンを落とせないのは何故なのか、知った。ひとえに、現場の最高責任者たるダストン将軍のせいであった。


「決心が付かなんだ。乾坤一擲けんこんいってきの大攻勢なぞ仕掛け、失敗しようものなら……」


 肥満気味の身体を椅子に沈めたダストンは、地図や兵棋へいぎが雑然と置かれた円卓に視線を落とし、すっかり消沈した様子で言った。


 つまり彼は、一気呵成いっきかせいに攻める心が決まらず、兵力の逐次ちくじ投入という最も愚かな戦術を採用したのだ。加えてこの小太り中年貴族の罪深い点は、彼の案に批判的な――――即ちまともな戦術眼を備えた――――将校と、貴重な霊術軍人を投入し、ことごとく死なせた事であった。


「ど素人が!」


 声を荒げたのは、参謀さんぼう長として増援部隊に加わったケルバン大佐だった。一応は上官に当たる人物に対し、あまりに無礼な物言いであったが、ダストンはしゅんとして言い返さない。大柄で強面の大佐に気圧されただけではない、苦い表情には忸怩じくじたる思いが滲んでいた。部下の失言をたしなめたコヴィッチが、仕切り直すように言った。


「いずれにせよだ。どうやってククルーンを落とす? どう考えても霊術師が足らん」


 霊術に対して最も有効なのは、霊術である。敵が向かい風を吹かすなら、こちらは追い風を吹かし、騎兵や歩兵の進軍を支援しなければならない。そうして初めて五分の戦いが出来る。


「一個大隊なら連れてきてますが……」

「たかが大隊でどうなる。敵の霊兵は少なくとも連隊級だ。競り負けるのは必定。現場の霊兵が全滅と知っておれば……」


 言い掛けて、コヴィッチは口をつぐんだ。ダストンを気にしての事だろう。


「増援を要請しますか?」

兵站へいたんが持たん」


 参謀の提案をあっさり却下するケルバンに、ダストンがおずおずと発言した。


「せ、正攻法ばかりが攻城戦ではあるまい。敵を砦の外に誘き出し、こちらの陣地で迎撃するのも手ではないか」


 汚名返上のつもりか、智将を気取る風がないではないが、そんな事は皆分かっている。肝心なのは、いかに引きずり出すかではないか。具体案を問われると、ダストンは口籠るばかりで、ケルバンを一層苛々させたようだった。重たい沈黙が支配し、誰も何も言おうとしない。


「自分なら、霊術の影響を受けません」


 挙手とともに、バルコは沈黙を破った。一同の視線が集まる。すがるような目、疑うような目、様々であった。


「馬にも装備出来るのか?」


 コヴィッチだった。〈竜甲騎〉の鎧が霊術を断つ事は、皆知っている。それを馬にも纏わせる事が出来るのか、という質問だ。「無論です」とバルコは首肯した。


「軽騎兵並みの機動力を持った重騎兵とお考え下さい」

「それは都合のいい。装甲強度は?」

「刀剣や銃弾は通しません。砲弾となると流石に無傷では済みませんが」

「貴様一人で戦局を変えられると?」


 割って入ったケルバンの声は、懐疑的かつ批判的だった。このいかにも叩き上げといった風の男は、実績主義者なのだ。ダストン同様、自身の事も王の気まぐれで地位を与えられた素人軍人と思っているのだろう。バルコは臆さずに答えた。


「中に入り込めさえすれば」

「どう入り込む」


 そう、問題はそこだった。砦の中に入るには当然近付かなければならないが、稜堡式城郭りょうほしきじょうかくであるククルーンの火砲に死角はない。仮に突撃を仕掛けたとして、強風の影響を受けない一騎が突出すれば、忽ち集中砲火を浴びるだろう。砲弾を狙って人に当てるのは難しいが、撃ちまくれば当たる可能性は十分にある。


「それをここで議論したいのです」


 バルコの申し出に舌打ちを返したケルバンは、羽虫を払い除けるように片手を動かした。嫌気の差した顔で「話にならん」とぼやいたが、これにはコヴィッチが不快感を示した。


「八つ当たりも大概にしろ、ケルバン大佐。デュッフェル衛士は、兵士として自己の能力を報告したのだ。どう運用するか考えるのは、貴様ら参謀の仕事だろう」


 正論が眉間に突き刺さったか、ひび割れるように深いしわが刻まれる。躊躇ためらいの間を一瞬挟んだケルバンは、生え際の後退した頭を下げた。

 険悪な雰囲気が漂う薄暗い天幕の中、周りの男達同様に思案顔を浮かべたバルコは、右手で口元を覆った。

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