第5話 王と王妃

 何だかんだと寄り道をした結果、目的地に着いたのは翌日の十八時過ぎだった。


「二年ぶりだな……」


 石畳の道をひづめで打ち鳴らしながら、鞍上のバルコは周囲を見回して言った。軒を連ねる家々には不等間隔にランタンが掛かっており、夕闇にぽつぽつと文明の光を灯している。


 薄明の都市にそびえ立つ煉瓦れんが造りの教会堂はみやびやかだが、そのすぐ近くの路地裏の闇では、座り込んだまま死んだように動かない浮浪者風の男にはえがたかっている。醜美が雑然と同居する王都サンタニエルは、バルコの記憶と違わぬ姿を維持していた。


「変わったろう、サンタニエルも」


 しかし、隣を行くサイモンの目には違って見えるらしい。眉に懸念を漂わせ、彼は言った。


「活気がなくなった」


 言われて、再度周りを見回してみる。確かに、自分が学生だった頃のここは、もっとがやがやしていたかもしれない。行き交う人馬の足取りは重たげで、痩せこけた住民達の顔は喜怒哀楽に疲れたように無表情だ。


「腹減ったな。どこかで食ってこうか」


 意図してだろう、明るい声で話題を変えるサイモンに、バルコも明るく肯定を返した。


「今晩はうちに泊まっていくといい。明日は謁見だから、身綺麗にしなくちゃな」


 サイモンの厚意に甘えたバルコは、翌日の午前中、彼とともに王宮に入った。横に長い白亜の王宮は、外観もる事ながら、内装は豪華絢爛ごうかけんらんを極めた。目が眩みそうになる派手な色彩の通路を、慣れた足取りで歩いていくサイモンの後を追う。


 バルコは、〈竜甲騎〉の称号の重みを改めて実感していた。防人さきもりとして何ら実績のない、どころか正式な入隊さえ済ませていない若輩じゃくはいが、王宮に入り、まして王族に謁見するなど普通あり得ない。この栄誉は、父や先代が積み重ねてきた偉大な功績によるものなのだと、高鳴る胸のうちで独り言ちた。


 アーチ型の大きな観音扉が開かれ、サイモンに続いて中に入っていく。金のレリーフの入った白い円柱が等間隔に並ぶ、天井の高い奥行きのある部屋だった。


 射し込む陽光を鏡のように反射する磨き上げられた床の中央には、真っ赤な絨毯がのびており、両側に上流階級然とした出立ちの男達が並び立っていた。その奥は階段状になっていて、最も高い位置に一席だけある椅子に男が座っている。


 やたら肩幅のある、複雑な刺繍ししゅうの服を着た中年だ。膝をつき、うやうやしく礼をするサイモンに倣う。


「面を上げ」


 下げた頭の上から掛かった言葉に従って、バルコは、国王シャオップ四世のひげに覆われた顔を見上げた。


「そなたがライダの息子か」

「バルコ・デュッフェルにござります。拝謁の栄を賜り恐悦至極に存じます、陛下」


 硬い表情と声で、バルコはこの国の最高権力者に挨拶した。「うん」と応じる王の声は平坦だ。玉座からこちらを見下ろす茶色い目が、品定めするように細められる。


「ライダは、余の近衛師団の長を務めておった。〈竜甲騎〉の名に恥じぬ、忠孝の士であった。そなたも励めよ」

「あ、ありがたきお言葉……!」


 顔を綻ばせたバルコは、興奮気味に言って再び頭を下げた。主君より家族を褒められる――――栄誉であった。ふっ、とシャオップの顔にも微笑が生じた。


 幾分上機嫌になったらしい王は、学生の頃の話や、父ライダとの修行についてあれこれ訊いてきた。バルコは言葉遣いに気を付けながら、話せる範囲の事を話した。顎髭を撫でながら興味深そうに聞いていた王は、やがて思い付いたように言った。


「バルコよ、そなたに三等衛士の地位を与える」


「えっ」と、バルコは目を丸くした。衛士とは王族から直々に賜る特別な位で、三等衛士は大尉相当である。現場部隊内での単独行動と、中隊の指揮が可能となる。

 部隊運用は学校で習っているとは言え、自分のような実戦経験のない若造が中隊長など務めていいものか。身に余る栄誉ながら、自信がないというのが本音だった。居並ぶ男達に目を転じると、さして驚いている様子はなかった。それほど珍しい事でもないのだろうか。


「そなたにはギバリーに行って貰う」


 ポロン南部の穀倉地帯だ。その肥沃ひよくな土壌をめぐり、度々戦争の火種となってきた地域である。


 此度こたびの戦争目的は有害思想集団の誅鋤と聞いていたが、やはり物事には、副次的な狙いがつきものである。混乱に乗じて豊かな土地を掠め取る事に良心の呵責かしゃくを感じなくもないが、元を正せばギバリーはニュークラントの領土である。少なくとも八十年前まではそうだった。

 継承権問題で内政が乱れていた当時、間隙かんげきを突くように出兵したポロンに収奪されたのだ。すなわち、火事場泥棒的に奪われた土地を火事場泥棒的に奪い返すのであって、そういう殺伐とした関係こそが、国境に横たわる現実なのだとバルコは理解していた。


「ククルーンを攻めあぐねているようでな。〈竜甲騎〉は一騎当千の兵であるが、少しは手駒も欲しかろう?」

「過分なご高配、感謝したてまつります。身命を賭し、尽忠報国じんちゅうほうこくの一途に邁進仕まいしんつかまつる所存です」

「うむ。悪逆の徒を討ち武勲を立てるが良い。下がって宜しい」


 にっこりと笑む王に、バルコは改めて慇懃いんぎんに辞儀した。よもや直々に位を下賜かしされるとは、予想外であった。


 どうやら王には気に入られたようだが、取巻の男達の反応は冷ややかだった。特に印象に残ったのは、王に一番近い位置に立つ上背のある青年だ。金髪を後ろに撫で付けた、華やかな軍服に見劣りしない眉目秀麗びもくしゅうれいだが、高みからこちらを見下す目には嘲りと高慢の輝きがある。


 調子に乗るなよ、田舎者が。


 そう言わんばかりだ。反感と恐縮の両方を抱きつつ、バルコは謁見の間を後にした。


 昼食を摂った後、バルコとサイモンが向かったのは王妃の待つ部屋であった。王との謁見では幾らか緊張した面持ちのサイモンだったが、今はリラックスしている様子だ。しかしバルコにとっては、王妃も十二分に緊張する相手である。心臓の拍動を自覚しながら、扉を潜るサイモンの背を追う。


 想像していたより、すっきりした部屋だった。殺風景と言われない程度に絵画や陶芸品が飾られているものの、煌びやかな宮廷内にあっては質素という表現が似つかわしい。全体的に青白い室内には弦の柔らかな音色が流れていて、森の奥でひっそりと来訪者を待つ秘境のような、淑やかな美しさが支配していた。


「こちらへ」


 正面から澄んだ声が発せられた。部屋の奥、玉座に比べればやはり質素な一席に腰掛ける若い女性がいた。傍らで、女官がハープを奏でている。


「只今戻りました、王妃殿下」


 心持ち砕けた調子で、サイモンがひざまずく。慌ててバルコも倣った。


「双方、長旅ご苦労でした」

「お気遣い痛み入ります。ワイゼルですか。ええっと、曲名は……」


 思案顔のサイモンが、ちらとこちらを見た。ぽかんとして見返す。曲名とは、今流れている音楽の事か。芸術に疎い自分が知るところではない。


「〈神代かみよ〉です」


 王妃が答えた。神代にワイゼルと聞いて、バルコははっとした。もしや、ワイゼル・グジーか。故郷シモーヌ州出身の偉大なる音楽家だ。今更になって、サイモンの目配せの意味に気付く。つまりこれは、王妃の粋な計らいなのだ。


「恐悦至極に存じます、王妃殿下。芸術に無縁故の愚鈍、何卒ご寛恕かんじょ下さい」

「そう肩肘張らないで」


 細い指を口元に当てたキーシャ・エル・ファウン王妃は、ふふっと可笑しげに笑った。鈴を転がすような軽やかな声が、爪弾かれた弦の旋律に乗って、耳の内にまろやかに溶けていく。顔を上げたバルコは、水色のドレスを着た王妃をまじまじと見た。


 年齢は二十代半ばくらいだろうか。長いまつ毛に縁取れた黒々とした大きな瞳は、練絹の上で煌めく黒曜石のようだ。陽光を柔く弾く栗色の髪は、首筋から胸元へと流れる清水の如く瑞々みずみずしい。かくも美しい人がこの世にいるものかと、身分の違いも忘れて見惚れた。


「綺麗な目だわ」


 真っ直ぐにこちらを見つめながら、キーシャ王妃は言った。


「澄んだ心をお持ちなのね、バルコ・デュッフェル卿」


 はっと我に返ったバルコは、同じ目線の高さで見つめ合うという非礼に気付いて、たちまち低頭した。益々ますます胸が高鳴る。王との謁見の時でさえ、ここまで緊張はしなかった。頬が火照っているのが自分でも分かり、それを隠すように伏せた顔をなかなか上げられなかった。


「父子の試合を拝見致したが、この御仁、齢二十にしてかなりの実力者ですぞ」


 ほこり一つない床を見つめながら言葉を探していると、間を取り持つように傍らのサイモンが言った。


「何せ、あのライダ卿と渡り合ったのですから」


 渡り合った訳ではない、あの時父は手加減していた、そう口を挟もうかとも思ったが、「左様ですか」と王妃が興味を示したので、何も言わなかった。


「父君から直接お稽古を?」

「ええ、まぁ……」と曖昧に返事する。しどろもどろになりながら、父との稽古内容を話した。ライダ・デュッフェルはキーシャ王妃にとっても親しみ深い人物のようで、家の中での父の姿を関心ありげに聞いていた。


「〈竜甲騎〉の武名、確かに継承されたのですね。頼もしい限りです」

「まだまだ未熟にござります。されど名を継いだ以上は、王統護持が為、粉骨砕身ふんこつさいしん仕る所存であります」


 王妃の微笑が消え、影が射す。何かまずい事を言ったろうか、と不安になったが、心当たりがなかった。


「ギバリーに向かうと聞きました」

「はい」

「申し訳ないと思っています」


 王妃の柳眉りゅうびに憂愁が漂う。戦地に送り出す事への謝罪か。妙な事をおっしゃられると、バルコは思った。

 戦争は戦士の仕事である。身を案じてくれているのなら過分な栄誉であるが、なればこそ、働きで応えるのが騎士の道である。


「謝罪など不要にございます、王妃殿下。主君の為に戦うは男子の本懐。北方に王室の敵がいると伺いました。不逞ふていの輩は、このバルコ・デュッフェルが討ち滅ぼしてご覧にいれましょう」


 何か言いかけた王妃は、結局何も言わずに桜色の唇を閉ざした。作り笑いを浮かべて「ご武運を」とだけ言ったが、存外に内心を隠すのが上手い人ではなかった。何故そんな顔をされるのか、バルコには分からなかった。


 王族との謁見を終えたバルコは、王宮を出た。今日中に軍令部に行って正式な入隊手続きを済ませ、明日には北方に向かう部隊と合流しなければならない。ここで別れる事になるサイモンは、玄関まで見送りに来てくれた。


「お前さんも大変だな、あっちこっち行って」

「それが仕事ですから」

「見習いたいね」と肩を竦めたサイモンは、こちらの緊張を解すように軽く肩を叩いた。


「気張りすぎるなよ。命あっての物種だ」


 返事に困ったバルコは、曖昧に笑んだ。命が惜しくて兵士が務まるか、と思ったものの口にはしない。踵を揃え敬礼すると、そこは相手も軍人らしく答礼した。

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