第5話 王と王妃
何だかんだと寄り道をした結果、目的地に着いたのは翌日の十八時過ぎだった。
「二年ぶりだな……」
石畳の道を
薄明の都市に
「変わったろう、サンタニエルも」
しかし、隣を行くサイモンの目には違って見えるらしい。眉に懸念を漂わせ、彼は言った。
「活気がなくなった」
言われて、再度周りを見回してみる。確かに、自分が学生だった頃のここは、もっとがやがやしていたかもしれない。行き交う人馬の足取りは重たげで、痩せこけた住民達の顔は喜怒哀楽に疲れたように無表情だ。
「腹減ったな。どこかで食ってこうか」
意図してだろう、明るい声で話題を変えるサイモンに、バルコも明るく肯定を返した。
「今晩はうちに泊まっていくといい。明日は謁見だから、身綺麗にしなくちゃな」
サイモンの厚意に甘えたバルコは、翌日の午前中、彼とともに王宮に入った。横に長い白亜の王宮は、外観も
バルコは、〈竜甲騎〉の称号の重みを改めて実感していた。
アーチ型の大きな観音扉が開かれ、サイモンに続いて中に入っていく。金のレリーフの入った白い円柱が等間隔に並ぶ、天井の高い奥行きのある部屋だった。
射し込む陽光を鏡のように反射する磨き上げられた床の中央には、真っ赤な絨毯がのびており、両側に上流階級然とした出立ちの男達が並び立っていた。その奥は階段状になっていて、最も高い位置に一席だけある椅子に男が座っている。
やたら肩幅のある、複雑な
「面を上げ」
下げた頭の上から掛かった言葉に従って、バルコは、国王シャオップ四世の
「そなたがライダの息子か」
「バルコ・デュッフェルにござります。拝謁の栄を賜り恐悦至極に存じます、陛下」
硬い表情と声で、バルコはこの国の最高権力者に挨拶した。「うん」と応じる王の声は平坦だ。玉座からこちらを見下ろす茶色い目が、品定めするように細められる。
「ライダは、余の近衛師団の長を務めておった。〈竜甲騎〉の名に恥じぬ、忠孝の士であった。そなたも励めよ」
「あ、ありがたきお言葉……!」
顔を綻ばせたバルコは、興奮気味に言って再び頭を下げた。主君より家族を褒められる――――栄誉であった。ふっ、とシャオップの顔にも微笑が生じた。
幾分上機嫌になったらしい王は、学生の頃の話や、父ライダとの修行についてあれこれ訊いてきた。バルコは言葉遣いに気を付けながら、話せる範囲の事を話した。顎髭を撫でながら興味深そうに聞いていた王は、やがて思い付いたように言った。
「バルコよ、そなたに三等衛士の地位を与える」
「えっ」と、バルコは目を丸くした。衛士とは王族から直々に賜る特別な位で、三等衛士は大尉相当である。現場部隊内での単独行動と、中隊の指揮が可能となる。
部隊運用は学校で習っているとは言え、自分のような実戦経験のない若造が中隊長など務めていいものか。身に余る栄誉ながら、自信がないというのが本音だった。居並ぶ男達に目を転じると、さして驚いている様子はなかった。それほど珍しい事でもないのだろうか。
「そなたにはギバリーに行って貰う」
ポロン南部の穀倉地帯だ。その
継承権問題で内政が乱れていた当時、
「ククルーンを攻めあぐねているようでな。〈竜甲騎〉は一騎当千の兵であるが、少しは手駒も欲しかろう?」
「過分なご高配、感謝し
「うむ。悪逆の徒を討ち武勲を立てるが良い。下がって宜しい」
にっこりと笑む王に、バルコは改めて
どうやら王には気に入られたようだが、取巻の男達の反応は冷ややかだった。特に印象に残ったのは、王に一番近い位置に立つ上背のある青年だ。金髪を後ろに撫で付けた、華やかな軍服に見劣りしない
調子に乗るなよ、田舎者が。
そう言わんばかりだ。反感と恐縮の両方を抱きつつ、バルコは謁見の間を後にした。
昼食を摂った後、バルコとサイモンが向かったのは王妃の待つ部屋であった。王との謁見では幾らか緊張した面持ちのサイモンだったが、今はリラックスしている様子だ。しかしバルコにとっては、王妃も十二分に緊張する相手である。心臓の拍動を自覚しながら、扉を潜るサイモンの背を追う。
想像していたより、すっきりした部屋だった。殺風景と言われない程度に絵画や陶芸品が飾られているものの、煌びやかな宮廷内にあっては質素という表現が似つかわしい。全体的に青白い室内には弦の柔らかな音色が流れていて、森の奥でひっそりと来訪者を待つ秘境のような、淑やかな美しさが支配していた。
「こちらへ」
正面から澄んだ声が発せられた。部屋の奥、玉座に比べればやはり質素な一席に腰掛ける若い女性がいた。傍らで、女官がハープを奏でている。
「只今戻りました、王妃殿下」
心持ち砕けた調子で、サイモンが
「双方、長旅ご苦労でした」
「お気遣い痛み入ります。ワイゼルですか。ええっと、曲名は……」
思案顔のサイモンが、ちらとこちらを見た。ぽかんとして見返す。曲名とは、今流れている音楽の事か。芸術に疎い自分が知るところではない。
「〈
王妃が答えた。神代にワイゼルと聞いて、バルコははっとした。もしや、ワイゼル・グジーか。故郷シモーヌ州出身の偉大なる音楽家だ。今更になって、サイモンの目配せの意味に気付く。つまりこれは、王妃の粋な計らいなのだ。
「恐悦至極に存じます、王妃殿下。芸術に無縁故の愚鈍、何卒ご
「そう肩肘張らないで」
細い指を口元に当てたキーシャ・エル・ファウン王妃は、ふふっと可笑しげに笑った。鈴を転がすような軽やかな声が、爪弾かれた弦の旋律に乗って、耳の内にまろやかに溶けていく。顔を上げたバルコは、水色のドレスを着た王妃をまじまじと見た。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。長いまつ毛に縁取れた黒々とした大きな瞳は、練絹の上で煌めく黒曜石のようだ。陽光を柔く弾く栗色の髪は、首筋から胸元へと流れる清水の如く
「綺麗な目だわ」
真っ直ぐにこちらを見つめながら、キーシャ王妃は言った。
「澄んだ心をお持ちなのね、バルコ・デュッフェル卿」
はっと我に返ったバルコは、同じ目線の高さで見つめ合うという非礼に気付いて、
「父子の試合を拝見致したが、この御仁、齢二十にしてかなりの実力者ですぞ」
「何せ、あのライダ卿と渡り合ったのですから」
渡り合った訳ではない、あの時父は手加減していた、そう口を挟もうかとも思ったが、「左様ですか」と王妃が興味を示したので、何も言わなかった。
「父君から直接お稽古を?」
「ええ、まぁ……」と曖昧に返事する。しどろもどろになりながら、父との稽古内容を話した。ライダ・デュッフェルはキーシャ王妃にとっても親しみ深い人物のようで、家の中での父の姿を関心ありげに聞いていた。
「〈竜甲騎〉の武名、確かに継承されたのですね。頼もしい限りです」
「まだまだ未熟にござります。されど名を継いだ以上は、王統護持が為、
王妃の微笑が消え、影が射す。何かまずい事を言ったろうか、と不安になったが、心当たりがなかった。
「ギバリーに向かうと聞きました」
「はい」
「申し訳ないと思っています」
王妃の
戦争は戦士の仕事である。身を案じてくれているのなら過分な栄誉であるが、なればこそ、働きで応えるのが騎士の道である。
「謝罪など不要にございます、王妃殿下。主君の為に戦うは男子の本懐。北方に王室の敵がいると伺いました。
何か言いかけた王妃は、結局何も言わずに桜色の唇を閉ざした。作り笑いを浮かべて「ご武運を」とだけ言ったが、存外に内心を隠すのが上手い人ではなかった。何故そんな顔をされるのか、バルコには分からなかった。
王族との謁見を終えたバルコは、王宮を出た。今日中に軍令部に行って正式な入隊手続きを済ませ、明日には北方に向かう部隊と合流しなければならない。ここで別れる事になるサイモンは、玄関まで見送りに来てくれた。
「お前さんも大変だな、あっちこっち行って」
「それが仕事ですから」
「見習いたいね」と肩を竦めたサイモンは、こちらの緊張を解すように軽く肩を叩いた。
「気張りすぎるなよ。命あっての物種だ」
返事に困ったバルコは、曖昧に笑んだ。命が惜しくて兵士が務まるか、と思ったものの口にはしない。踵を揃え敬礼すると、そこは相手も軍人らしく答礼した。
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