第4話 いざ、王都へ


「様になっているじゃない」


 王立軍の制服に身を包んだ息子を見て、母が相好を崩した。釈然としないまま、バルコは曖昧な笑顔を返した。


「自信を持て。お前は、正式に当代〈竜甲騎〉となったのだ」


 母との間に弟妹ていまいを挟んで立つ父が、角張った頬にえくぼを作って言う。こちらの心中を察しているらしい。


「王室を守る、それがデュッフェル家の役目だ。神前の誓いを忘れるなよ、バルコ。真実に忠実である限り、竜神ヴリハンドラは、お前に御力を貸して下さる」

「はい、父上。しかし……」

「余計な事は言わんでいい。私が継がせると言ったんだ」


 先代にそう言われてしまえば頷く他ないが、納得してはいなかった。先の最終試験、力試しの折、父は明らかに手加減をしていた。刃を交えてすぐに分かった。〈竜甲騎〉の称号は、当代の実力を上回ってこそ次代に引き継がれるもの。そうでなければ継承する意味がない。まだまだ修行不足で、十一代目〈竜甲騎〉として王立軍に正式入隊する己に、不安と力不足を感じずにはいられなかった。


 しかし、これ以上駄々をねても仕方がない。自分を納得させるように小さく頷いたバルコは、「精進します」と万感の思いを込めて言った。


「兄様、兄様、行ってらっしゃいませ!」

「道中お気をつけて、兄上」


 歯の抜けた幼い笑顔を見せる弟と、寄宿学校への入学を来年に控え令嬢らしくなった妹が言う。それぞれ抱擁し、額に接吻した。


「しっかり務めを果たすのですよ。騎士の誇りを忘れぬように」

「はい、母上。行って参ります」


 家族が頷き返し、その後ろに並んだ使用人達が辞儀する。長男の門出を庭先まで見送りに来てくれた面々に背を向け、あぶみに足を掛けたバルコは、青鹿毛の馬にまたがった。


「お待たせしました、フリッグ卿」


 頷いて応じた鞍上あんじょうのサイモン・フリッグは、馬首を返した。開かれた門の向こうへと進んでいく背中を追って、バルコは馬の腹に踵を当てた。


 ぱから、ぱからと、見晴らしのいい農村の道にのどかな馬蹄ばていの音を響かせる。都の方角に行く二騎に気付いてか、畑で農作業をしていた農夫が、痩せ細った身体を折り曲げて辞儀した。複雑な思いで、バルコは片手で応えた。


「サンタニエルだがな」と、隣のサイモンが王都の名を出した。


「このペースじゃ、今日中には着かんかもな」

「走りますか?」

「いや、別に急がんでもいいだろう。明日までに着けばいい。今晩はどこかで泊まっていこう」

「では、ユニー辺りでしょうか?」


 街道沿いの宿場町で妥当と思しき場所を挙げると、「ほう」と意外そうな声が返ってきた。


「都に行った事が?」

「士官学校がサンタニエルでしたので」

「そうか、そういやそうだな。エリートだったんだ」

「いえいえ、そんな。友達が出来なくて苦労しましたよ」

「天才は周囲に理解されんからな。うん、気持ちは分かる」


 冗談めかして笑う。気さくな人だなと思って、バルコも笑った。


「自分がどこに配属になるか、フリッグ卿は何か聞いておりますか?」


 何気なく尋ねたが、人の良さそうな笑みを消したサイモンは、寄せた眉根に暗鬱を漂わせた。


「北方師団のどこかだと思う。今一番人手が足りていないからな……」


 人手不足の理由は、田舎暮らしのバルコでも知っている。北方の隣国、ポロンと戦争中だからだ。


「ポロンで革命が起きたと聞きました」

「あそこは今内戦状態だ。そこにニュークラントが介入して、もうぐちゃぐちゃだよ」

「我が国と戦争するだけの余力があるとは、到底思えませんが」

「金欠はお互い様さ」


 批判的な口調で言うサイモンの気持ちも、分からないではない。国を疲弊させ、庶民に貧困を強いてまで対外戦争を続ける王の治世に、不平不満が募るのは道理だ。


「土地と資源は奪える時に奪うと、こういう事でしょうか」

「いや、今回の主たる戦争目的はそこじゃない」


 首を傾げる。であれば、何の為の戦争だというのか。


「革命の原因は聞いてるか?」

「いえ」

「宗教さ」

「宗教?」

「ああ。散々暴利を貪ってきた聖職貴族に、国民がぶち切れた」


 王妃親衛隊長ともあろう者が、大胆な物言いをする。サイモンは続けた。


「十年くらい前になるか。ブライアン・ライロというポロンの神学者が、真契約説というのを唱えた。内容はこうだ。フェニール教会は聖典を忠実に守れと言うが、聖典には教会の事など一言も書いてないじゃないか。一体何の権限があって神の代理人など称するのか。信仰とは個人が神に捧げるものであって、仲介組織など不要である」


「そ、そんな事を言えば……」


「結論から言って、ブライアンは殺された。しかし、彼にはカリスマ性があった。撤回圧力をかけてくる教会に対し、ブライアンは教会不要論を庶民に説いた。出鱈目でたらめを言ってぼろ儲けをしている連中が免税され、汗水流して働いている自分達が重税に喘いでいる、こんなのはおかしい。教会を潰せば貯め込んだ財がばら撒かれ、庶民の懐も潤うぞ……ってな。不作もあって、大衆がこれを真に受けた」


「王はどうしたのです?」


「教会の側についた。王権神授おうけんしんじゅを裏付けているのは教会だからな。ほとんどの諸侯も右にならえだったが、大衆は激怒した。王室は金持ちに味方して、庶民の声には耳を傾けないのかってな。王室も教会も貴族も、とにかく支配階級エスタブリッシュメントは皆敵だって話になってく。そして、ブライアンの処刑が引き金になった」


「王は……?」


 サイモンは自身の首の前に左手を持ってきて、払うように横に動かした。斬首のジェスチャーだ。


「処刑されたのですか!?」

「うん」

「軍は? 暴徒を鎮圧しなかったのですか?」

「軍が殺したんだ。王族も聖職者も」


 絶句する。畑に挟まれた凸凹道を進みながら、バルコは、田舎にいては耳に入ってこない隣国の革命の内幕に慄然とした。バルコが想像していたのは、宮廷革命であった。宮廷内の権力闘争によって支配者が入れ替わるのは、古来各国で幾度も繰り返されてきた。


 しかし、今回ポロンで起こったのはそういう次元の話ではない。支配者層まるごと、それも大衆に動かされた王立軍によって一掃されてしまったのである。このような異常事態は、古今東西の歴史を振り返っても例がないだろう。


「では、ポロンのまつりごとは今誰が?」

「そこだ。今のポロンには、まともな政治経験者がいない。従来の統治機構をぶっ壊したはいいが、その後の展望が革命家連中には無かった。指導的立場のブライアンはもういない。共和国政府なんてのは一応あるが、有名無実だ。然して各々好き勝手やり始めて、群雄割拠って訳さ」

「しかし、分かりませんね。そのような隣国のごたごたに首を突っ込んで、我が国はどうしたいのです? 資源や土地狙いでないとすれば、他にどんな利が?」

「利益の為の戦争じゃない。目的はライロ派の誅鋤ちゅうじょだ。教会も元老院も、そして陛下も、連中を恐れてらっしゃる。何せ、国家に王室も教会も不要と説いているんだからな」


 あまりに突飛で馬鹿馬鹿しい――――とバルコには思える――――主張に、乾いた笑いが零れた。


「そのような世迷言、人々がれるとは思えません」

「であれば、ポロンで革命は起きなかったよ」

「それは……」

「それなりに筋が通っているから、大衆に浸透したんだ」


 バルコは鋭い一瞥を投げた。含意がんいを読んだか、「勘違いしないでくれよ」と王妃親衛隊長は苦笑した。


「俺だって、王室不要論なんてのは馬鹿げてると思う。しかし、その馬鹿げた理屈が一国をひっくり返したんだ。侮れんだろう、実際。ライロ派は既にポロン国外に広がっているって、そういう話もある」


 馬鹿げた理屈……本心だろうか。言葉の節々から、ライロ派への肩入れが感じられないではない。無論、貧困に喘ぐ庶民の苦しみも分かるが、だからと王室に弓引く事が許されようか。疑心を胸中に抱きつつ、「道理ですな」とバルコは受けた。


「危険思想が大陸に波及する前に禍根を断つ、つまりそういう事でしょう。ええ、納得出来る理由です」


 否定も肯定もせず、サイモンは横目に見てきた。物言いたげな目である。


「何か?」

「いや。君の言う通りだ」


 進行方向――――王都サンタニエルの方角を見遣みやる。連なる山脈の上空、どんよりとした灰色の雲が広がっていた。

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