第3話 〈竜甲騎〉

 琥珀色の屋敷を背景にして向かい合う騎士の親子を、サイモン・フリッグは興味深く観察していた。


 戦の絶えないニュークラント王国の歴史において、〈竜甲騎〉の名は幾度も登場する。竜のうろこを思わせる刺々しい鎧に全身を包み、戦場を駆ければ万の敵をほふる、正に最強の戦士である。〈竜甲騎〉は世襲制で、基本的に一時代に一人であり、その称号を代々継いできたのが、霊兵家系の名門デュッフェル家であった。


 称号継承の際には試験が行われるというが、その内容については全く知らない。文献にも載っていない。キーシャ王妃から命じられたのは、称号を継いだ次代の〈竜甲騎〉を迎えに行く事であったが、その一部始終を間近で見せて貰えるとは思っていなかった。サイモンは、ライダ・デュッフェルの――――かつての上官にして当代〈竜甲騎〉の、いきな計らいに感謝した。


 それにしても似てない親子だなと、二人の横顔を見比べて思う。髪を短く刈った強面のライダに対し、上品な顔立ちのバルコは優男といった印象で、中性的とも形容出来る美しさがある。青い月を彷彿とさせる碧眼然り、はっきりした目鼻立ちは母方の要素が強い。もっとも父方の要素が見受けられない訳ではなく、新雪を彷彿とさせる銀髪は父親譲りだ。


「神とは?」

 出し抜けに、ライダが息子に尋ねた。

「天にまします唯一無二の、万物の創造主にございます」


 バルコが淀みなく答える。称号継承の試験は、問答から始まるようだ。


「霊術とは?」

「神との契約です。天の命に身命をすと宣誓し、もって御神力をたまわる」

「汝が契る神とは?」

「破壊の竜神、ヴリハンドラ」

「矛盾している。神とは、唯一無二の創造主ではないのか? 何故破壊の神と契約する」


 口をへの字に曲げて腕を組んだサイモンは、密かに落胆の鼻息を吐いた。まるで異端審問だ。〈竜甲騎〉の継承試験とは、かような宗教裁判の真似事なのだろうか。


「神とは真実であり、真実とは無定形です。本質は永久不変なれど、表層は千変万化するもの。破壊の竜もまた数多の化身の一にして、真実と一体なのです」


 バルコは、教会に問い詰められた霊術軍人がよく使う、紋切もんきり型の説明を口にした。

 霊術師が契る神は、ほとんどが古代ミラナ神話の神々だが、それが度々熱心な聖職者の不信と反感を買う。ニュークラントの国教フェニール教において、神とは唯一神ロゴスをおいて他になく、それ以外を信仰する者は悪魔崇拝者と見なされる。それが為に刑死させられた例は、歴史を振り返れば枚挙にいとまがない。


 頭を悩ませた霊術師達が、神学者の知恵も借りて考案したのが、バルコが今述べた〝一実多様いちじつたよう〟という考え方だった。一応、教会はこの解釈を正式なものとして認めている。


 その後もしばらく、退屈な問答が続いた。いい加減に飽きたサイモンが、奥さんに挨拶にでも行くかな、とその場を離れかけた時、雰囲気が変わった。


「この上は問答無用」


 おもむろに、ライダが右腕を伸ばして手の平を前に向けた。応じるようにバルコも同じ動作をする。

 興味を取り戻して注視していると、互いに向け合った右の手の平に水晶玉が現れた。


 いや、違う、手の平の空間が歪んでいるのだ。


 透明な球体は何本もの細い線を発し、後方に伸びて両者の身体にまとわりついていく。歪んで見える領域が広がり、その中心で、無数の糸が服を編んでいく。かいこまゆにも似ていた。


 否、それは鎧であった。竜を彷彿とさせる刺々しい全身装甲と、矢印型の長大なを有する槍が両者の右手に出現する。


 これが〈竜甲騎〉の霊術だ。霊術師というのは大半が熱や風の使い手で、乾燥した地域には水気を操る術師などもいるが、武具の生成という術は、サイモンが知る限りデュッフェル家の専売特許である。しかもその生成物は、あらゆる術を無効化するという。

 

 父子ともに見事な鎧で、よく似た形状をしていたが、色が違った。ライダの鎧が海面を思わせる群青色なのに対して、バルコのそれは葡萄酒色ワインレッドだ。その違いが錬度の差なのか、個性なのかは、サイモンには分からない。


 柄を両手持ちして穂先を斜め下に向け、互いに同じ構えを取る。アーメットに包まれた両者の表情は窺い知れないが、放たれた闘気が横たわる空間で激しく競り合っている。


 五歩の間合いが、一瞬にして無に帰した。人間の瞬発力とは思えない、野生の鹿や馬に匹敵する素早さだ。あるいはそれ以上か。サイモンが驚愕と興奮を抱いて目を見開く間に、父子の槍が鋭く打ち鳴らされた。


 朝日を眩く弾く二振の白刃が乱舞し、甲高い衝突音を庭に響かせる。一秒の間に三合はぶつけている。突風のようなライダの槍捌やりさばきはとても五十代とは思えないが、息子も負けていない。二十歳になると聞いているが、槍の腕前は熟練と言って差し支えない。少なくとも、サイモンの目にはそう見えた。そうでなければ、あのライダとこうも渡り合えまい。


 均衡が崩れ始める。バルコがいよいよ勢いを増し、攻勢に転じる。逆にライダは守勢だ。一見息子が優勢だが、実際追い詰められているのは彼の方だ。呼吸が乱れているのが分かる。ライダの方は、まだ余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった風だ。鎧越しにもそれが分かる。巧みに攻撃を往なされ、苛立ちと焦燥がバルコの槍捌きに現れていた。


 穂が双方の足元でぶつかった次の瞬間、ライダの石突がバルコの横っ面を強かに打った。バルコがぐらつく。その足に足を掛け、ライダは転ばせた。仰向けに倒れた息子の胴に穂先を向ける。


 まさか、とどめは刺さんよな?


 サイモンははらはらした。相手を足元に転ばせてなお、ライダの槍がいささかも失速しないからである。〈竜甲騎〉が創り出した武器はあらゆる霊術を断つ。バルコの鎧も霊の糸で編まれた物ならば、布のように容易く貫かれるだろう。まさか息子を手に掛ける筈もないが、そういう常識を疑わせる程、今のライダは殺気をみなぎらせていた。


「デュッフェルきょう!」


 堪らず、サイモンは叫んだ。一秒先、かつての上官が息子を刺し殺す姿が、確信とともに鮮烈に浮かんだからだ。


 容喙ようかいが、ライダの動きを鈍らせたのかは分からない。叫んだ刹那、彼の穂先は土をえぐっていた。意図して外したのではない、仰向けのまま咄嗟に身体を捻じったバルコが、紙一重で刺突をかわしたのだ。  

 

 地面に突き立った父の槍の柄を左手で握り、その動きを封じつつ、右手にした自身の槍を父の頸部けいぶに走らせる。首が飛ぶ、とサイモンが肝を潰した瞬間、それが現実になる寸前で、バルコの穂が急停止した。


 一秒、二秒……騎士の死闘を表現した彫刻のように、二人は動かない。早朝の野鳥のさえずりが、場違いなのどかさを張り詰めた静寂にもたらした。


「見事」


 沈黙を破ったのは、ライダの方だった。息が上がっている様子はなく、肩を上下させる息子とは対照的だ。やがてバルコが父の首筋から刃を離すと、サイモンは肺に溜まった空気を一気に吐いた。

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