2話 否定文

 朝雛あさひなが帰ってきて、再び結唯ゆいの隣に座る。


「じゃあ、再開しようか」


「うん」


 結唯はもう落ち着いていた。先程までの動揺は、笑われた事で消えたようだ。


「さっきまでの内容に、質問はある?」


「無い、と思う」


 説明はあまり覚えていないものの、朝雛の書いたホワイトボードの内容を見れば理解できた。


「それなら、プリントの下半分をやってみようか。be動詞が変わる以外はさっきと同じだから、きっと解けるよ」


「うん。……あ、ごめん。やっぱり質問、いい?」


 結唯はプリントをやろうと鉛筆を持ったが、不安そうに朝雛を見上げた。結唯が縮こまっているので、本来はそこまで無い筈の二人の身長差が、大きく見える。


「もちろんいいよ。あのね、質問をするのは悪い事じゃないの。絶対に怒らない。むしろ嬉しいから、どんどんして欲しいな」


 朝雛はそんな結唯を可愛いと思いながらも、人に聞く事を恐れるようになっては絶対にいけない。そんな使命感に似た感情を胸に、優しく語り掛けた。


「わ、わかった。じゃあここなんだけど、これもaを付けるの?」


 結唯は、私は医者です。という問題を指差した。


「すっごくいい質問だね。そのプリントの問題は、全部aかanを付けるよ。本当は付けない場合もあるんだけど、また今度ね。今は、aかanを付ける意識を身に付けた方が良いと思うんだ」


「わかった」


 結唯は頷くと、再び鉛筆を持って、問題に挑んだ。






「他は全問正解なんだけど、最後の問題だけ惜しいね。どこが違うか分かる?」


「……?ごめん、わからない」


「ヒントは、ここ。足りない物があるの」


 結唯が首を傾げたので、朝雛は回答の文末を指差した。


「あっ!ピリオド?」


「そう、正解。小さな事だけど、テストだと減点されちゃうからね」


「そっか、ありがとう!」


 素直に間違いを認めて、笑顔で感謝する結唯に、驚いた様子の朝雛。回答自体は合っているので、いい顔はされないと思っていた。


「……ふふっ、結唯くんって可愛いね」


「か、可愛いくない」


 結唯は否定しているが、年下と接する機会の少ない朝雛にとっては紛れもない事実。

 思っている事が全て表に出て、コロコロと表情が変わる。そんな結唯の存在は新鮮で、可愛いのだ。


「えー、すっごく可愛いのに」


「うるさい。子供扱いすんな」


「小学生でしょ?子供じゃん」


「お、お前だって、中学生のくせに」


「うん。だから結唯くんよりは大人だよ?ていうか、そうやって気にしてるとこも可愛いなあ」


 結唯はお年頃である。子供扱いはされたくないと必死に抵抗するが、それすらも朝雛に可愛いと言われてしまう始末。


「う、うるさいうるさい」


「ふふ、ごめん。意地悪しちゃったね」


 遂には顔を背けた結唯に、謝る朝雛。


「ふんっ」


 だが、結唯は振り向かない。

 どうしようかと悩んだ朝雛は、ポーチの中から小瓶を取り出した。


「ほら、飴をあげるからさ。仲直りしよ?」


「……何味?」


「べっこう飴だよ。少しレモンが入ってるけど、平気?」


「……平気。欲しい」


 気になるのはそこなんだ……。と思いながらも答えると、結唯が体はそのままに、手を後ろに出した。


「はい」


「ぁむ。……これ、すごい美味しい」


「良かった」


 べっこう飴の甘さによって機嫌が治った結唯は、よくやく顔を見せた。頬が一か所だけ膨らんでいて、そこに飴が入っているのが分かる。


「……もう、子供扱いしない?」


「うん。気を付ける」


「なら、ゆるす。飴、ありがとう」


「ふふ、どういたしまして」


 結唯が嫌がっているとは理解しつつも、小学生だし、子供扱いは今後もしちゃうよね。そんな風に考えていた朝雛は、とだけ言った。

 実際、今も飴で頬の一か所を膨らませている結唯を見て、可愛いと思っている。


「あ、あと、教えてくれたのもありがとう。プリント、これで終わりだから」


「……あのさ、次の授業は正午だよね?予習すれば渡辺先生の授業も理解出来ると思うから、もう少しだけ教えようか?」


「いいの?迷惑じゃない?」


 結唯は遠慮していた。自分に教えると、朝雛の時間が減ってしまう。それが分からない程、子供では無い。


「全く迷惑じゃないよ。人に教えると理解が深まるって言うし、気分転換にもなるから、結唯くんに教えたいの。ダメかな?」


 朝雛にはもっと可愛い反応を見せて欲しい。このまま塾に通って欲しい。そんな思惑もあったが、隠した。


「それなら、お願い」


「うん!じゃあ、次の内容は否定文と疑問文だね。そのまま、これはペンではありません。って否定する文と、これはペンですか?って聞く文だよ」


 朝雛は、結唯の鉛筆を指差して言った。


「否定文は簡単で、be動詞のあとにnotを付けるだけ。isでもamでもareでも、全部notを付ければ否定する文になるよ」


「I am not a チルドレン.ってこと?」


「使い方は合ってるけど、ほんのちょっとだけ惜しい。childrenは子供たちって意味だから、子供じゃないって言いたいならI am not a child.だね」


「わかった」


 教わって一番最初に言うのがそれなんて、可愛すぎるでしょ。朝雛は、心の中で悶絶していた。

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