4話 結唯の成果

 そんな出来事から二日後。

 学校から帰宅した結唯ゆいは、家で塾の準備をしていた。まだ家を出るには早いが、朝雛あさひなとの刺激的な時間を思い出して、待ちきれずに飛び出す。


「いってきます!」


 ――ガチャッ


「まだ早いんじゃ……って、もう居ないし」


 母親が止めようと玄関に来た時には、既に結唯は自転車を走らせていた。




 自転車で15分。自転車を停めて、階段を登っていく。習い事をしておらず、学校でもあまり動かない結唯にとって、塾までの道のりは険しい。気温は低いにも関わらず、額には汗が滲んでいる。


 ……やっと着いた。


 家を出てから20分。ようやく塾に辿り着いた。引き戸を開けて中に入ると、始めて塾に来た時に説明をしてくれた、優しそうなおじいさん。塾長が居た。


「こんにちは、佐宮さみやくん。土曜日はすまなかった。突然、熱が出てしまってね」


「いや、大丈夫です」


「始めての授業の感想を聞いてもいいかな?」


「良かったと、思います」


 塾長と話しながら自習室を覗くと、誰も居なかった。何でだろう?とそわそわしている結唯を見て、塾長は察した。


「ああ、朝雛くんならまだ学校だね。授業が終わる頃には会えるから、平気だよ」


「そ、そうですか」


 朝雛を探していた事を見透かされて、少し驚いた様子の結唯。


「そうだ。まだ半刻程早いけど、もう授業を始めるかい?規定の時間さえ受けて貰えれば、朝雛くんが来た時に終わりにするよ」


「……い、今から暇になっちゃうし、お願いします」


 朝雛に早く会いたいと思っているのは紛れもない事実だが、結唯はそれを認めなかった。






「あ、朝雛くんが来たみたいだね。今やっている問題の確認をしたら、授業を終わりにしようか」


「……はい」


 朝雛から結唯の話を興奮気味に聞かされていた塾長としては、どちらかと言うと朝雛を気遣っての事だった。しかし、それを知らない結唯は、そんなに早く会いたいと思われいるのか。と恥ずかしさを覚えていた。


「全て正解しているね。質問は無いかい?」


「大丈夫です」


「なら良かった。じゃあ、これで授業は終わりだよ。後ろで待っている人も居るから」


 待っている人?結唯がそんな疑問を浮かべながら振り向くと、窓越しに朝雛と目があった。嬉しさで走りそうになるのを抑えて、歩いて向かう。


「あれ?授業はもう終わりなの?」


「うん」


「さては、私に会いたくて、早く来ちゃった?」


「ち、違う」


「じゃあ、どうしてなのかな?」


 絶対に私に会いたくて、早く来てくれたんだ。そう確信して、顔を覗き込む朝雛。

 この二日間、朝雛も結唯の事を考えていた。今度会ったら、何を教えよう。どんな可愛い反応を見せてくれるのだろう。そんな風に考えて、珍しく小走りで塾に来たのだ。


「嬉しいのは解るけど、それくらいにしなさい、朝雛くん」


 だが、今日は二人だけでは無い。塾長の存在が、朝雛の余裕を崩した。


「な、何を言ってるんですか?」


「根拠を教えて欲しいかい?」


「……勘弁してください」


 もしこのまま恍ければ、昨日、早口で結唯の可愛さを語ってしまった事。朝雛が出した宿題は自分で見たいと言った事。いつもより塾に来るのが早い事。それらが全て結唯に伝わってしまう。

 それを悟った朝雛の敗北宣言だ。


「……?」


 そんな二人の様子を見て、よく分からないけど、楽しみにしてたのは僕だけじゃなかったのかな?と安堵する結唯。


「と、とりあえず、私が出した宿題を見せてよ。やってきた?」


 塾長の視線。結唯の視線。

 その二つに挟まれて居た堪れなくなった朝雛は、話題を変えた。


「ちゃんと覚えてきたよ」


「なら良かった。時間があるなら自習室で確認したいんだけど、平気?」


「うん!」


 外はまだ明るい。結唯に断る理由は無かった。






「じゃあ、プリントを出して?」


 結唯が出したプリントは、全て空欄だった。


「お、私が書いたやり方でやってくれたの?」


「せっかく教えてくれたから」


 朝雛は、英単語の問題だけでは無く、英単語の重要性や記憶法も記した。その中に書かれていたのが、問題用紙はそのままにして、別の紙に回答する事だった。

 結唯はそれに従い、答案はノートに書いていた。


「そっか、嬉しい。解いて欲しいんだけど、紙は持ってる?」


「う、うん。持ってる」


 朝雛の笑顔に照れながらも、結唯はノートを取り出して、開く。

 その際に一面が英語で埋まっているページが見えた朝雛は、今すぐにでも褒めたい。という衝動に襲われたが、必死に抑えた。


「間違っても絶対に怒らないし、ゆっくり解いていいからね」


「わかった」


 朝雛は少し苦戦しちゃうかな。と思っていたが、その予想に反して、結唯はスラスラと書き進めていく。そして、数分で鉛筆を置いた。


「終わったよ!」


「早かったね、お疲れ様。確認するから、ちょっと待ってて」


 結唯の顔は、自身に満ち溢れていた。






「凄い!全問正解だよ!本っ当に凄い!」


 朝雛は、もう、我慢が出来なかった。座っている結唯の頭を、凄い。偉い。と言いながらひたすらに撫でる。


「こ、子供扱いすんなって」


「ごめん。でも無理」


 結唯は抵抗しようにも、腕に触れる事はもちろん、膨らみを意識してしまい、目を開く事すら出来ない。

 朝雛も、悪いとは思いつつ、褒めたいという欲求を抑えきれなかった。




「「……」」


 そして少しすると、結唯は柔らかい手に撫でられる感覚に。朝雛は小さな頭を撫でる感覚に。お互いに心地よくなり、無言になった。結唯に至っては目を細めていて、まるで猫のようである。

 それを自習室の外から見ていた塾長は、何をしているんだろう、あの二人。と心の中で呟いた。

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