見えざる貧困

俺、倉田勇くらたいさむ。34歳独身。勤務先の工場の寮に住んでいる。給料は手取り15万ほど。え、そんな少なくて大丈夫かって?寮費を引いた残りだからね。

残業があればもう少し増えるし、手取りから支払うのは、携帯代と休日の食事代ぐらい。後はこまごまとした雑費かな。だから十分に暮らしていけるんだよ。


でも、俺には人に言えない過去がある。ホームレスになっていたことがあるんだ。

大学を卒業して、勤め始めたがそこがブラック企業で、残業に次ぐ残業。休みも取れなくて、俺は2年ほどで体を壊して退職するしかなかった。

暫くは雇用保険の給付金が出るから、生活に困らなかったけど、体はなかなか回復しない。

次の仕事を探さなくてはと思うのだが、思うようにいかない。時間ばかりが過ぎ雇用保険の給付が打ち切られて、俺は無収入になった。


収入が無くなれば、家賃が払えない。俺は借家を追い出され、ネットカフェに寝泊まりするようにになった。

ネットカフェに寝泊まりしながら職を探したのだが、住所が無いとまともな職には就けない。日雇いで食いつないでいたが、それもだんだんきつくなり、ネットカフェに泊まる事すら出来なくなり、公園などで野宿、つまりホームレスにまで落ちてしまった。


それからは公園の炊き出を利用したり、たまに入る日雇いの仕事とかをしていたが、料金未納でスマホが使えなくなり、仕事を探すことも出来ず、俺は途方に暮れ公園のベンチにぼんやりと座っていた。


「倉田、倉田」俺はその声に目を覚ました。ベンチに座ったまま寝てしまっていたらしい。俺は顔を上げ声をかけてきた男を見た。

「滝沢?」大学の同期の滝沢だった。

「お前どうしてこんなところにいるんだ」俺は何も言えずうつむくと泣き出してしまった。

「ちょっと待ってろ、ここから動くなよ」滝沢が走って行った、戻ってくると

「まずこれ飲め」と俺にスポーツ飲料を渡した。

「ゆっくり飲むんだぞ」俺は言われた通り少しずつスポーツ飲料を飲んだ。ペットボトルと飲み干すと、

「腹減ってるんだろ」とコンビニのおにぎりと、お茶を差し出した。俺は受け取るとむしゃぶりついた。まともに食べたのはいつぶりだろう。おにぎりはとてもおいしかった。

「少しは落ち着いたか、何があったんだ話してくれ」滝沢に促されるまま俺は今までの事をぽつりぽつりと話した。滝沢は辛抱強く俺の話を聞いていたが聞き終わると、

「俺の家に来い。人生をやり直すんだ」

「やり直す」

「ああ、手順は俺が教える。だから俺の家に来い」

「いいのか?」

「悪けりゃ声なんかかけないさ。さ、行こう」俺は言われるがまま滝沢についていった。


滝沢の家は俺のいた公園から徒歩で20分ほどの所にあった。

家に入ると、

「荷物は玄関に置いて、こっちだ」俺は渡されたビニール袋を足にはめてゴムで止めるとついていった。

「ここがバスルーム。シャワーを浴びて体を洗え。着替えは用意するから」

俺は言われるがまま服を脱ぎ、風呂場に入ってシャワーを浴び体を洗った。

体を洗ったのはいつぶりだろうか、数回髪を洗い、数回体を洗ってようやくお湯が汚れなくなった。風呂から出るとタオルが2枚と着替えが用意されていた。なんかいい匂いがする。匂いに誘われるように俺はリビングに行った。

「さっぱりしたか?さ、食べろ」見るとテーブルにガスコンロが置いてあり、鍋がぐつぐつと音を立てていた。

「いただきます」俺はそう言うと、鍋を食べ始めた。温かい食べ物もいつぶりだろう。俺は夢中になって食べた。

「うどん入っているからゆっくり食べろ。食べながら聞け。倉田、まずは住所がいる。ここの住所を教えるから、その住所を使って住民票を取れ。その後携帯を使えるようにして、就活に入る。軌道に乗るまではここに住んでいいからまずは仕事を出来るようにすることだ」俺は食べながら頷いた。

「これがここの住所と俺の連絡先。そしてこの家の鍵。当座の資金がいるだろう。貸すからさしあたりこれを使え」滝沢は封筒を差し出した。

「5万円入っている。これは何に使ってもいい、収入が得られるようになってから返せばいいから」俺はびっくりして滝沢を見た。

「お金まで貸してくれるのか、どうしてそこまでしてくれるんだそんなに親しくなかったのに」

「親の影響かな。親が貧困者を助ける活動をしていて大学時代から俺も手伝っていたんだ。今も勤めながら手伝いをしている。だからお前の事をほっとけなかったんだ。若者の貧困は住所を与えて、スマホと、仕事があれば脱出可能だからな」

俺は滝沢の話を聞いて納得した。借家を追い出されて住所が無くなってから転落したんだから。

「お前の服は全部洗濯しなきゃな。今夜は俺のベットでゆっくり寝ろ。まず疲れを取らなくてはな」

俺は滝沢に感謝してもしきれなかった。でも今はお世話になるしかない。

「お世話になります」俺は滝沢に頭を下げた。


翌日から俺は動き始めた。洗濯したこざっぱりな服を着て、まず住民票を取った。そして未払いだった携帯料金を払い使えるようにした。後は仕事探し。

滝沢の家に帰り、スマホで仕事を探し始めた。アルバイトでもいい、とにかく職に就かなくては。俺は必死に探した。


数日後、俺はスーパーの品出しのバイトの面接を受けていた。店長からいろいろ聞かれたが俺は事実を伝え、働いて恩に報いたいのだと訴えた。

結果は採用。俺は週6日朝からスーパーで働くようになった。

品出しは重いものは重労働だが、淡々と仕事をしていればいいのは俺の性に合ったようだ。俺は黙々と仕事に励んだ。


始めて貰った給料で俺は数万円を滝沢に返した。その日は俺の奢りですき焼きにした。


次にしなくていけないのは貯金。自分で家を借りれるようにならなくてはならない。

最初の5万円を返し終わってから、月に2万円ほど滝沢に渡し、必要最小限の出費に抑えて貯蓄に励んだ。


一年後ようやくお金がたまった俺は、滝沢の家を出て一人暮らしを始めた。

スーパーの品出しバイトの実績が付いたので、俺は正社員の職を探し始めた。


アルバイトしながらエントリーシートを書き、面接を受ける。だがあまりいい結果は得られなかった。それでも俺はあきらめない。業種を変えれいいのではないかと思い、工場勤務を探した。そして今の会社を見つけ面接を受けた。面接官はいろいろと過去の事を聞いてきたが俺は飾らずありのままに話した。結果は採用。俺はやっと正社員になることが出来た。


滝沢に採用の報告をすると自分の事のように喜んでくれた。その日俺と滝沢は居酒屋で祝杯を挙げた。


あの公園で滝沢に会わなかったら今の俺は無い。過去は過去。俺は恩に報いるために、顔を上げまっすぐ道を歩いて行く。




※ 若者の貧困が増えていると言われています。職に就いても長続きしなかったり、奨学金の返済や、病気などで困窮状態に陥ってしまう。実家があると引きこもりになるなど新たな問題を引き起こしています。













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