導き

私、高吉真奈美たかよしまなみ歳は聞かないでね。もうすぐ三十路。夫と二人の娘の4人家族。今でこそ幸せな生活をしているけど、私の中学校時代は悲惨だった。


中学校1年の冬、私の知らないところで私がクラスメートを殺そうとしているというという噂が流れ冤罪と証明されたけど、私は学校が怖くて行けなくなった。

人も怖くなって家からは出れなくなった。さいわい母が無理して学校に行けと言わなかったことで引きこもりだけは免れた。学校の方も担任が帰りにプリントなどを届けてくれるなど手を尽くしてくれた。


2年の1学期の終業式、私は母と午後から学校に行った。通された部屋で夏休みの宿題を渡された。家庭科の宿題がエプロン作りだった。家に帰ると母が

「教えるから作ってみない?」と言う。母は手作りが上手で、手芸は一通りできる人。私は母に教わりながら見よう見まねで布を断ちミシンをかけた。

次の登校日、例のごとく私は母と昼から学校に出かけた。出来上がったエプロンを持って。

「作ってきました」私はエプロンを担任に差し出した。

「すごい、よくできてるわね。家庭科の先生呼ぶね。お母さんに教わったの?」

「はい」そんな話をしているうちに家庭科の先生がやってきた。

「え、日高(私の旧姓)さん、エプロン作ってきたの、嬉しいなあ。よく出来てるわね。ね、これ預かっていい?ほかの子の参考にしたいの。こんな風に作れってね」

私は単純に嬉しかった。自分のしたことが認められたのだから。


それから私は家で母に教わりながら、縫物や編み物などをするようになった。


3年になって進路を決めなくてはならなくなった。中学校は全休でも卒業はできるらしい。でもほとんど授業に出ていない私が行ける高校などあるのだろうか?

進路指導で担任が「私立玉本高校が来年沢山の入学者を募集しています。そこの服飾デザイン科だったら日高さんにあうと思いますよ」と進路を勧められた。

服飾デザイン科は学科のほかに料理や裁縫などの課題もありあまり難しくないとのことだった。私は親と相談しそこを受験することにした。母に言わせるとその学校は学力は市内の高校の中でも底辺ということだったが・・・。

結果は合格。私は玉本高校に入学できた。


生活技術科は本当に制作物などが多く、楽しく通うことができたし、友達もできた。そして私は服飾部に入った。その部は秋に毎年ファッションショーを開催していて、その衣装を作ったり考えたりするのは大変だったがショーをやり遂げた達成感は格別だった。

2年3年と持ち上がり、私は3年で部長となりファッションショーを盛り上げた。


ショーが終わると今度は進学、就職の話が出てくる。

担任に「玉本専門学校で歯科衛生士の資格を取らないか」と提案された。玉本高校からならある程度成績があれば進学できるという。歯科衛生士は就職も有利なのだそうだ。

今就職しても大した職には就けないだろう。とゆう母の意見もあり私は歯科衛生士の専門学校に進学することにした。


専門学校は3年間。歯科衛生士の資格を取るために今度は勉強しないといけない。

専門用語などは難しかったが、歯の型取りや、技術的なことも多くどうにかついていけた。きつかったのは実習に行ったときに立ちっぱなしになること。歯科衛生士は患者に接しているときは椅子に座っているが、助手をしている私は立ちっぱなし。

でも、就職してもしばらくはこんなものと言われ、我慢した。

学校自体は高校からも持ち上がりの人もいて楽しかった。実技が多いのも私にあっていたと思う。

3年で歯科衛生士の資格を取得。卒業資格を得て、歯科医院への就職も決まった、無事専門学校を卒業することができた。


私は歯科医院に勤め始めた。だが資格を取ったから通用するわけではなく、実際の経験がなくては務まらない。新人は患者に触れるわけではなく雑用係。1週間もすると嫌気がさしてきた。

母に相談すると、「仕事はね、下積みってことが必要なのよ。基礎って言った方が解りやすいかしら。あなたの仕事は人を扱うんだから生半可なことではできないのよ。

口の中ってとてもデリケートだしね。だからせっかく資格を取ったんだからもう少し頑張ってみなさい」と諭された。

それもそうだと思いなおし、頑張った。そのうちに患者を任されるようになってきた。1年も経つと仕事にも慣れ働くことも楽しくなってきた。


プライベートでは友達と遊んだり、家では編み物をしたりと充実していた。

そんなある日友達から合コンに誘われた。その合コンで出会ったのが主人。主人は県外の人だったが、就職のためこの市に来ていた。

数年お付き合いを続け、彼が転勤のタイミングでプロポーズされ結婚した。


そして今では、長女、次女が生まれ、親子4人で幸せに暮らしている。


中学校で不登校になり、人間不信に陥ってしまった私がここまで来たのは、いろいろな人の導きがあったからだと思っている。


そして、私がどんな状況になろうと私を信じで見守り、アドバイスをした母。私も二児の母となって、母がどんな気持ちでいたのだろうかと考えることが多くなった。自分は不安を表に出さす、私の気持ちを尊重して決して無理強いをしなかった母。あなたのおかげで今の私はあります。離れて住んでいるし、面と向かっては恥ずかしくて言えないから、この場を借りて言うね。ありがとう。お母さん。















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