映画「フェイブルマンズ」原体験を思い出せ

 どうも、人生が上手くいかないことに定評のある柏沢です。

 やっと見たかった映画を観て、一息ついてます。


 僕の現状をご存じの方からすれば、「映画観てる暇無いんじゃない?」と思われるかもしれませんが、どうかお気になさらず……



 さてさて、今回は巨匠スティーヴン・スピルバーグ監督の自伝的映画という宣伝がされていた映画「フェイブルマンズ」です。


 これはまぁ……創作をやってる人でも、そうでない人でも、かなりの劇薬みたいな映画ですね。これは……




 ユダヤ人一家に生まれた「サミュエル・フェイブルマンズ」の幼少期から物語は始まります。

 薄暗い街の通りに行列が並び、母と父が息子のサミュエルに語り掛けます。

 「映画は怖くないよ」「映画は楽しいよ」そう諭されて、シートに座り、スクリーンに投影された映像に没頭する主人公。

 

 列車強盗のシーン、登場人物が向かってくる列車を止めようとして失敗するシーンに強い影響を受けた主人公。

 クリスマスプレゼントでもらった電車模型と車の模型をぶつけさせて、映画のシーンをするのです。

 色々と問題があったので、父親はそれを止めさせますが。一方の母親はフィルムカメラを与えて「映像にすれば何度でも衝突させられるわよ」と教えます。


 この出来事から、主人公はカメラ小僧になり、映画の道を進むことになるのです……




 一言でこの映画を例えるならば……「原体験」がふさわしいのではないかと思います。



 映画を撮る、つまりは表現することです。

 表現の最初のステップは模倣――小説で言うところの模写、絵で言うところのトレス。


 この映画においては、模型同士をぶつけさせる「再現」です。

 特にこのカットは象徴的なシーンで、カットや構図も印象に残るシーンだと思います。



 これは主人公サミーがいかに映画を撮るか、という話ではなく。

 どちらかと言うと、フェイブルマンズ一家とサミーの想いや悩みを描いたものでした。

 完璧ではないけど、愛はあるし。笑いもある。


 しかし、母親は特別でした。

 ピアノ演奏家の才能があり、同時に主人公のセンスを見抜いた「芸術家」なのです。


 この「特別」が人を苦しめることもあると、作中で語られています。





 僕がこの映画がすごいなと思うのは、「シェフ」「ライ麦畑の反逆児」と同じく道を描いたものだと感じたからです。


 中盤、母の伯父であるボリスという男が現れます。

 サーカス団員から映画関係者になったという人物で、主人公が映画好きだと聞き、喜々として語ります。

 しかし、主人公が映画の道に足を踏み入れていることに気付いたボリスは表情を変えるのです。


 『芸術は麻薬だ。俺たちはジャンキーなんだ』『家族と芸術は両立できない』と半ば脅すように言います。

 このセリフで、思わず背筋が凍りました。


 そうなんですよ、表現をしている時って本当にんですよ。

 やめられない、とは例えたくない。

 まさに、麻薬なんですよ。表現って行為というやつは……



 だから、「お前は家族も愛している。だが、これ(編集機)も愛している」と求道者の何たるかを語ります……


 これ、すごくわかります。……アマチュア以下の身ですけどねw



 実際、創作を始めると確実に以前の自分と別物になるんです。

 それはきっと、誰でも同じで、特別なんです。


 主人公の母親の家系はそういった芸術家の血筋で、伯父であるボリスも母も、そうした芸術の道を明確に捉えているんですね。

 逆にそれがわかっているからこそ、諦めさせられたという話もあります。



 だから、というわけではないんですが……


 ボリスの言葉に、求道者としての凄味を感じたんですね。

 あくまで演技であっても、あの語りは創作の道を進んでいる者として響くものがありました。

 


 同時に、手段が目的になることの恐ろしさもそこにあるのではないかと感じたんですね。


 「ライ麦畑の反逆児」で描かれたように、J・D・サリンジャーは書くことに生涯をささげるような生活になってしまったし、「シェフ」では料理人としてのプライドが強すぎて破滅しました。


 表現(芸術)はあくまで手段でありツール、それを用いることの意味や重さというのをよく考えなければなりません。

 作中終盤、いじめを受けていた主人公は学校のイベントを撮影し、映画にすることを引き受けます。


 この先は……是非とも、自分の目でご確認ください。




 わりとシリアスがシーンがある印象ですが、少なくとも笑えるシーンもあるので、僕は楽しく見ることができました。


 創作の原体験、僕たちもたまには振り返ってみるのもいいかもしれませんね。




追記


 僕は小さな頃から本を読むことが多かったです。


 実家には紙が茶色になるくらい古いコミックや小説がありましたし、母が小説好きでした。

 そういうこともあって、昔から「物語」ばかり楽しんでいた記憶があります。


 それと同時に、ゲームも好きでしたね。


 N64のラストレジオンというロボゲーを狂ったように遊び、ゲーセンではバーチャロンOMG、ガンダム連邦VSジオンDX、ガンプラを作ってはブンドドして……という幼少期だったと思います。



 おまけに「ロックマンシリーズ」には特にお世話になりました。

 ボロボロになりながらも戦うヒーロー(おまけに青い!)の姿に心底憧れ、アクション映画で銃器を好きになり、猟銃を磨いている祖父のところで触らせてもらったり……


 僕の中には色んな「好きだったモノ」がたくさんあって、それを使いたいという欲がずっとありました。

 人よりゲームを遊んでいる自覚があったので、誰よりも強くなりたいし。誰よりも色んな作品を読んでいるという自慢をしたかったですね。(昭和の作品ばかりなので、同世代と話が合わないのですがw)


 だから、この映画の中で「やれること」を認めてもらえるのは……とても羨ましかったですね。

 僕も堂々と「小説を書いている」と公言しているのですが、それでも家族からはあまりウケがいいわけではないです。



 いつか、僕も、僕以外も、小説を書いてることが胸を張って言えるようになったらいいのにな、と思います。









 

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