依頼人

「ほ~……」


 私のぽかんと開いた口は、そんな具合に間の抜けた声を漏らす。

 私の視線は、自分のはるか頭上、辺りの建物の何倍も高くそびえ立つ真っ白な建物へと向いていた。


「ポルックスタワー。この商業都市随一の高さと行政の中心を担う塔なんだってさ。んで、今回の依頼主はここに居るんだけど……会えるのかな」


 そんな私を見て、途中まではこの建築物についての説明をしてくれたお姉様だったが、そう言ったお姉様は一瞬首を傾げ、「まいっか」と呟いた後、


「たのもー!!」

「あっ!お姉様!」


 そう言うと、正面の入り口を吹き飛ばす様に開いてお姉様はずかずかと中へ飛び込んで行ったのだった。

 あぁ、もう。ホントに……どうしてこう……

 その様を見て思わずそう頭を抱えるが、置いて行かれるわけにはいかないので、私はその後を慌てて追いかけた。


 そうして、中に入った私は思わず一言。


「……へぇ」

 

 私の眼前に広がった光景は、見渡す限りの白く磨かれた石による物だったのだ。

 今私が踏みしめている床。壁。果てには天井まで。

 私を囲む空間の全ては上から私を照らす豪華なシャンデリアの光をぼんやりと反射し、どこか上品なイメージを私に与えていた。

 どこかの成金のような部屋よりよっぽどマシだ。

 そう先ほど見た嫌なギラ付きを脳裏によぎらせつつ、そんな柔らかな明かりに心地よさを覚えた私だったが、


「え~、会えないのかい?」


 入口の真正面に居た受付係と思われる女に話しかけているお姉様を見て我に返る。

 とっさに近寄ろうとも考えたが、関係者でもない私が行っても話がややこしくなるということは目に見えていたので、少し遠くから聞き耳を立てているとすぐに状況は読めてきた。

 おそらくここに突撃したお姉様は、最初から受付にここのトップと会わせるよう言ったのだろう。

 だが、この組織としても、アポも取ってない人間をここのてっぺんに会わせる訳には行かない。

 そうして起きているのがお姉様がぶー垂れ、受付の女が申し訳なさそうに謝っているというこの現状ということなのだろう。

 まぁ、正直お姉様が突撃していった時点でこうなることは容易に想像できていた。

 そして、私にできるということは、お姉様にもできているということ。

 その上で突撃したのなら何か勝算があるのだろうが……どうだろう。

 その勝算が相手を怒らせないものとは限らない。お姉様は人の機微を敢えて気にしていない節がある。

 こんな大物を怒らせたりして面倒なことにならないと良いんだけど……


 そう不安に思いつつも、お姉様が行動を起こすまではどうにも出来ないので、その様子をじっと見ていると、


「構いません。お通ししてください」


 そんな堂々とした声と共に、一人の男が受付の両側にある階段の左から降りてきた。

 見た目としては、多分初老に差し掛かった辺りなのだろう。顔にはシワが目立ち始め、髪も既に白が差し始めているのだが、その背筋は一切曲がった様子を見せず、未だ見るものに衰えすら感じさせない。

 そんな男だった。

 

「ランデルさん?どうしてこの時間に……」

「あの女、ランデルさんのいい人か?なるほど。確かに見目は麗しいがいささか……」


 その男がこちらへ降りてくるにつれ、色めき立つロビー。

 どうやらこの人物がここのてっぺんに居る人間らしい。

 そう判断しつつも、お姉様を勝手にあの男とくっつけようとした男には、鋭い殺意と魔力を当てて怯ませる。

 そんなの許す訳ないでしょう。


 「おーいサラ。こっちおいで~」


 そう射殺さんばかりの視線でじっと睨みつけていると、奥で手を振るお姉様からそんな声が飛んできた。


「あ、はい!」


 その声に自然と目元が緩むのを感じながらお姉様の隣まで駆け寄ると、お姉様に近づいていた初老の男はためらうように口を開きかけて……その口をすぐに閉じた。

 それを誤魔化す様に、今度は迷いなく口を開くと、男は受付の女に向けてこう口にしたのだった。


「何やら大事なご用事らしい。サミュエラさん。申し訳ないが私は今から応接室を使う。その間人払いをお願いしてもよろしいかね。」


 その呼びかけに何故か感極まったような顔を見せたのは一瞬。その女は気色満面で肯定の意を示すのだった。


「ありがとう」


 その様子を見て女にそう短く礼を言い、男はお姉様に向けて軽く片手を上げた。


「行こうか、サラ。」


 その合図を受けて、ゆっくりと歩き出すお姉様。

 その一連の動作は、まるで仲のいい者同士でする秘密の暗号のようで……少し妬けてしまう。


「……」

「よしよし」


 そう思ってお姉様の腕を抱きしめた私を、お姉様は慈しむような視線と共に頭を撫でてくれたのだった。


 そうして私たちの先を歩く男について行く。

 その道中は実に不愉快だった。

 道を歩けば、先導する男だけが賞賛され、通り過ぎれば、男の後ろを歩く私たちについて様々な邪推がされる。

 それには、私たちがこれから家族とする養子じゃないか、隠し子ではないか。果てには愛人ではないかと、とんでもない想像が次々と吐き出されており、私はキッドをけしかけたくなるのを何度も我慢していた。

 我ながら良く耐えたと思う。

 だが手を出さないからと言って、そんな妄言を私が許すはずもなく、そのたびに魔力と殺意で脅していたので、


「歩かせてしまって申し訳ない。どうぞこちらへ」


 男がそう言って部屋に招き入れるまでに、私はすっかり疲れ切ってしまっていたのだった。

 だからこそ男に勧められたふかふかのソファに腰かけたときはまさに天にも昇るような心地だったということは言うまでもないだろう。


「せっかく尋ねていただいたのに申し訳ない。あまり大層なおもてなしはできませんが……どうぞ」


 パチン


 そんな私を気にする様子もなく男は指を鳴らす。

 すると、どこからかティーセットの一式がまるでパレードでもする様に上下しながらやってきた。

 それは三人の前で、かちゃかちゃと音を立てながら紅茶を注ぎ、角砂糖が飛び込み、スプーンがくるくると波を起こす。


 物理魔術。そんな現象を目の当たりにしながら私は、その原因の名を思い浮かべていた。

 それは本来魔術とも呼べない程、単純な物だ。

 ただ魔力を固め、物理的な影響力を持たせた上で、自分に生えた新たな手の様に使う。

 こう言えば便利に聞こえるかもしれないが、この魔術が脚光を浴びることはあまり無い。

 というのも、ただ魔力を固めるという性質上、魔力の消費が大きいのだ。その上、魔力の分散を防ぐのにも魔力を消費するため、並みの魔術師なら持って一分といったところだろう。

 それなのに……


 目をつぶり、今しがた注がれたカップから音もなく紅茶をすする男の姿を見てほんの少し感心する。

 仕事を終えて宙を滑るたくさんの陶器たちの姿に、焦りはなく、ずいぶんと手慣れている様に思えた。どうやら日常的にこんなことをしているらしい。

 魔力量、それを扱う技量共に、優れてないとできないことだ。


「それで、本日はどういったご用件なのでしょう。ミカさん」


 そう考える私を他所にカップを机に置きなおした男は背筋を正してお姉様にそう尋ねる。


「いや、ちょっとこの子を例の依頼に巻き込みたいんだけど大丈夫?って確認をしたくてさ」


 その言葉と共に、お姉様は私の首に手を回しながらそう言った。

 それが突然だったので、緊張とうれしさから手に持っていたカップを取り落としそうになるが、何とか持ちなおす。


 そんな様子を見た男は少し目を吊り上げてお姉様に向けてこう言った。


「……その意味はもちろんお分かりで?」

「ふむ。それはわざわざボクを指名した依頼で人数を増やそうとしていることについてかな?それともこんな子供を任務に巻き込もうとしているという事実についてかな?」

「……どちらもです」


 お姉様がいつもの調子で提示したその疑問に男は唸る様にしてそう答えた。

 その様子を嘲笑う様にお姉様は口角を吊り上げると、お姉様は回した腕で私の肩を叩いたのだった。

 何事かと、お姉様の方を見れば、肩を組んだままこちらと顔を合わせてこちらにウィンクして見せるお姉様の姿。

 正直やりたくはないが……お姉様が言うのなら仕方ない。

 そう渋々ながらも私は足を組んでこう口を開いた。


「出して、キッド」


 ぺっ


 その次の瞬間、そんな擬音が聞こえるほど雑に私の影から一つの影が飛び出した。


「ぐっ……うぐぅ……」


 なんの受け身も取れず、したたかに背と後頭部を打ち付けたその影は苦し気にうめき声を漏らす。


「こ……これは?」


 そうして突然部屋に現れた第三者の登場に男は目を白黒させた。その目線の先には、脇腹の辺りから血がしみ込んだシャツをまとった一人の男。

 そう、女に刺されたところを私が影に放り込んだあの男である。

 今の今まで放り込んだことすら忘れていたが、私が魔女であることの説明にはちょうどいい。

 というのも、本来影という物は、人間にとって不可侵の領域なのだ。なんせ、ただ光によって遮られて出来た闇でしかないのだから。

 だが、概念そのものを扱う魔女からすれば、影は様々な意味を持つ。

 例えば、『異界への入り口』

 例えば、『もう一人の自分』

 影と言うのは、人間が魔術を得てから長らく研究してきた題材であるらしい。

 それならば、このレベルで魔術に精通している様子のこの男なら気付くはずだが……


 じろり


 影から出した男から目線を正面に戻すと、そこにはわなわなと震える様子の男が居た。

 その震えは直に頂点に達すると……


「っぷーー……」


 そこで男は大きくため息を吐いた。


 「……サミュエラさん。いらっしゃいますか?」


 男は少し声を大きくしてそう声を上げる。その行動に何事かと疑問符を浮かべれば、突然部屋の扉が開いて一人の女が入ってきた。


「はい、ランデルさ……ど、どうしたんですか!?この方は!?」

「命令です。この方をすぐ医務室へ。意識を取り戻して、正常な様子なら家に帰してあげてください」


 入って先ず、驚きの声を上げる女性に有無も言わせる猶予も無く指示をしたかと思うと、女は戸惑いながらも頷き、男の上半身を掴んで、ひきづりながらこの部屋を後にしたのだった。

 その後、音も立てずに閉じるドア。

 これも男の仕業なのだろう。

 やはりかなりの精度だ。なればこそ……


「……事情は分かりました」


 やはり伝わったか。

 そう一先ず安心しつつも顔は一切崩さない。


「ですがこれだけはお聞きしなければなりません」


 そう不安が霧散した私とは裏腹に、思いつめたような顔をして、けれど強い意志を持って男はこう訊ねてきた。


「あの男の傷は貴女が害したものですか?」


 その言葉に私はまたも感心させられる。それは自分までもが害されるという不安からくる質問ではない。必要とあれば今ここで討ち死にしてでも私を仕留めようとする強い責任感によるものなのだろう。

 その覚悟はこちらを睨みつけるまっすぐな瞳がありありと語っていた。

 

「いえ、私ではありません」


 だから私もそれなりの態度で応える。

 人間は確かに好きではないが……他人の覚悟を嘲笑える程私はまだ人間を辞めてはないつもりだ。そんな私をしばらく睨みつけていた男だったが、


「……はぁ。分かりました。信じましょう。」


 そう言って魂を吐き出す様な溜息と共に、うなだれたのだった。そして、お姉様に恨めし気な目線を向けてこう続ける。


 「えぇ。彼女がただの少女でないことはよ~くわかりました。ですので改めてもう一度お尋ねしましょう。一体どういうおつもりなんです?ミカさん」


 もはや表面を取り繕うことすら捨てたようで、背を曲げ、膝に肘を置いて前のめりになりながら男はお姉様に尋ねた。

 それにお姉様はより一層楽しそうに笑うと、


「なに、最初から言っている通りだとも。私はこの子をこの都市からの依頼に参加させたい。それだけだよ」

「それを信じられるとでも?私が貴女に依頼したのは魔女の討伐だったはずだ。よりにも寄って、つい先日まで存在すら疑っていた数少ない魔女が同士討ちなぞ……」

「ーーー!!!」


 突然空間に響いた不可思議な音が次の言葉を紡ごうとしていた男の口をふさぐ。

 男が音のなった方へ向けた視線には私の膝の上で首を掻くキッドの姿。

 次いで、その主の様子を伺おうとしたのか、そこから目が合ったことを認めた私はゆっくりと口を開いた。


「人間は人類全体の数が少ないからと言って、争いを止めますか?違うでしょう?むしろ力のあるものを殺そうとするはずです。だってらくを得るための資源を少しでも多く手元に置いておきたいから。違いますか?」


 そう一息に言い切った私を見てぽかんとした様子を見せる男。それは直にだらんと力を失い、まるで魂が抜けた様な溜息と共に下を向くのだった。それから再び力を込め、上半身を起き上がらせ、参ったとでもいうように両手を上げると。


「わかりました。貴女の参加を認めましょう。ただ、もう一つお聞きしても?」


 その言葉に首肯で返すと、男は居住まいを正し、再び私と目を合わせてこう言った。

 

 「貴女は我々の敵と成り得るのですか?」


 ふん、何をいまさら。

 その疑問に対して、私は鼻で笑ってこう言った。


「あなた方が自身の身分を忘れぬ限り敵と成ることは決してないと誓いましょう。ですが……えぇ。少なくとも私は、ですが」

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