それは正に、身も心も焼き尽くす

 デイモスに手酷くやられてから数ヶ月。私はあの時の経験を元に、双剣を使っての受け流しやカウンターを練習、会得していった。

 テタルトンのひと達には、それはもう心配された。パンドラさんに至っては、あの大きな目からぽろぽろと涙を零すものだからこちらが焦ってしまった。

 デイモスは当事者である私が何も求めないと言った為、お咎めなしになった。彼は相変わらず私のことが嫌いだそうで、今でも目線は合わないし罵倒は無くなったものの舌打ちはされる。

 かくいう私も彼のことは好きではない。あんなことをされて、寧ろ好きになれるひとが居るのであれば是非会ってみたい。だが嫌いになれないのは、彼も私と同じようにアレウス様を慕っているからだ。慕うが故に、純粋な神妖族でないぽっと出の私が気に入らなかったのだろう。

 落ち着いた最近はもし私がデイモスの立場なら、と考えることがある。訳の分からない奴が敬愛する主に気に入られて、冷静に歓迎することが出来るのだろうか。自分もデイモスと同じ行動をするのではないだろうか。そう考えると、どうしても彼を責めきれないのだった。

 それに決して感謝などはしないが、彼にやられたせいで得られたものもあった。先述した双剣を使っての受け流しやカウンターもそうだが、生きるか死ぬかの戦いを体に刻み付けることが出来た。この出来事があってからは、動きが格段に良くなったとデュラハンさんに言われることも増えたのだ。成長する為の良い経験だったと最近は思うようにしている。決して感謝などはしないが。

 そしてあの時アレウス様に助けて貰って以来何か進展があったのかと言われると、特に何も無い。

 ただ自分の決定事項にケチを付けられたのが気に入らなかったのだろう。だがそれでも、あのひとに助けて貰ったことが私にとっては大きな幸福だった。






 ある日ののどかな昼下がり、天候は赤い空に黒い雲、風は穏やか。自室で双剣の刃こぼれが無いか確認していた時だった。


『プロートン・レピダ、デウテロン・レピダ、トリトン・レピダ、テタルトン・レピダ、大至急武器を持ち、南の城門に集まるように』


 突然フォボスさんの声が直接脳内に響く。全ての階級が呼ばれることは珍しく、それにいつも落ち着いているフォボスさんの声が些か焦っているように聞こえた為、ざわざわと騒ぐ胸を撫でながら双剣を持って巨大な門へと向かった。


「人族の野郎共が攻めてきやがった」


 アレウス様の口から告げられたのは、至ってシンプルな内容だった。


「彼らは高度な耐熱魔術を使用しているようで、そのお陰で修羅界リコフォスまで乗り込んで来れたみたいです。つまり熱や炎といった魔術は効きません」


 アレウス様に代わり、フォボスさんが現状を全員に伝える。

 胸騒ぎの招待はこれだったのか。炎が効かないとなると、それを司っているアレウス様は圧倒的に不利なんじゃないのか。

 それなのに、何故全員そんなぎらぎらした目をしている?グリムさんも、デイモスも、フォボスさんも。表情は分からないがジャックさんやデュラハンさんもいつもの雰囲気とまるで違うし、あのパンドラさんでさえ静かに笑みをたたえているではないか。


「まだ軍勢は南の山から動いていません。……アレウス様」

「たった十年前に暴れたばかりだから衝動は治まってるが……あっちから来られちゃあしょーがねェよなあ」


 あ、あの目。十年前に見た、街を攻めてきた時の目。暴れたくて、殺したくてしょうがないって目だ。


修羅界リコフォスは修羅の世界だ。神妖族テメェらの本能を抑えるな、爆発させろ。のこのこ攻めてきた間抜け共全員鏖だ!」


 ビリビリと大気が震える程の咆哮。赤い鎧に身を包んだ主がハルバードの石突を地面に打ち鳴らして先駆けると、それに続いて次々と駆け出していく。どうしても動くことが出来ず固まっていると、グリムさんに背を軽く叩かれた。


「何固まってんすか、行きますよ」

「わ、私、こういうの初めてで、」

「そうでしたね。大丈夫っすよ、人族が神妖族に勝てる訳無いんすから。それに『恐怖』の二つ名を持つデイモスに一撃入れたトラキア嬢に、今更怖いモンとかあるんすか?」


 息を飲んだ私を見て、薄らと目を細めたグリムさんは続ける。


「アレウス様の役に立つんでしょ」


 ぶわ、と全身が粟立った。

 そうだ、アレウス様の為に戦うんだ。なら、何も怖くない。

 私の目付きが変わったのを見てか、グリムさんは更に目を細め、長い袖の中に手を突っ込んだ。


「それでこそアレウス様の見込んだ女っす」


 手を引き抜くと同時、真っ黒い大鎌が袖の中から現れる。お先、と言いながらグリムさんは宙に舞って前線に向かってしまった。

 私も双剣を携えて戦場と向かう。既に剣戟の音が響いている黒い野には、赤々とした血溜まりと人の死体が転がっていた。

 やはり何も思わない。幼い頃に肉片と血溜まりの街を歩いた頃と、感情は何も変わっていなかった。


「良かった」


 左側から飛び掛って振り下ろされる剣を受け流し、腹と首を横に掻っ捌く。鎧なんてものは無いみたいに、すっぱりと真一文字に切り裂けた。

 元々同族であった人に何も感じなかったのだから、神妖族となった今では刃を振り下ろすことに何も躊躇は無かった。

 向かってくる者全てを避けては腹を切り裂き、受け流しては首を切り落とす。

 あぁ、段々楽しくなってきた。これが神妖族の血か。戦いに生きる意味を見出し、戦いに喜びを感じるこの感覚。口角が上がり、頬が紅潮しているのが分かった。

 飛びかかってくる者が居なくなり、やっと乱舞が止まる。周りは黒い地面が見えなくなる程の血の海が広がっていた。息が乱れているにも関わらず、まだ足りないと体が言っている。

 戦況を見渡すとここは戦場の端の方だったらしく、西の方はまだ土煙と鮮血が飛んでいるのが見えた。あちらに向かうと他のテタルトン・レピダやアレウス様も居るだろう。

 剣に付いた血を振り払い加勢に行こうとしたその時、南の山の方角に妙な物が見えた気がした。目を凝らしてよく見ると、それは大砲によく似た巨大な武器だった。見覚えがあるのは人界デイレーの図書館で一度だけ読んだからだ。確かあれは高密度の魔力射出機で、狙ったものをほぼ高確率で貫くと書いてあった筈だ。つまり狙うのであれば、最高戦力である我らが主。

 何故全員気付かない!?あんな大きな物、岩肌が剥き出しの山で使えばすぐに気付かれる筈だ。隠蔽魔術?いや、もうそんなことはどうでもいい。あれが射出される前に向かえ。誰でもいいから伝えろ、自分じゃ弱い防御魔術の一つも使えない!

 山の方に視線を向けつつ戦場の真ん中へ走る。妖しい紫色の光を放つそれは、もういつでも撃てるように見えた。

 近付くにつれ、こちらに気付いて向かってくる敵も増える。斬って、避けて、受け流して、斬って。一分一秒でも惜しいのに、どうしてこうも邪魔ばかりしてくるのだ。

 それにほぼ戦場の真ん中へ来たというのに、何故まだ私にあの射出機が見えている?一定の範囲に隠蔽魔術がかかっているのではなく、始めに魔術が使われたひとにだけ効力があるものなのか。これでは誰かに伝えようにも、その術の解除が先に必要になるではないか。嫌な想像ばかりが膨らみ、背中に嫌な汗が伝う。

 不意に騒がしい筈の戦場で、射出機の起動する音がやけにはっきりと聞き取れた。山の方を見ると、射出機の先端にいくつかの魔法陣が展開していた。

 撃たれる。

 体が芯から冷えていく感覚がすると同時、愛しいひとの声が耳に届いた。ハルバードを振るう姿を目に収めるとほぼ同時、私は弾かれた様に走り出した。立ち塞がる敵を斬り伏せる。遠い、遠い。高密度の魔力が射出された音が遠くで聞こえた。


「アレウス様!!」


 双剣を投げ捨て、力の限りに巨体を押す。アレウス様が私を視界に入れたか入れないか、そのタイミングで私の腹部はえぐり取られたかと思う程の衝撃を受け──その後は記憶に無い。







 何だろう、体が熱い。

「妖魔下り」を行った時みたいな、全身が炎に包まれたかの様な感覚。服が燃えて、肌が焼けて、呼吸をすると肺まで焼けて。

 でも、今はこの感覚が心地良い。何だろうこれは。


「トラキア」


 耳馴染みの良い低音が鼓膜を揺らす。これは誰の声だっけ。

 全身が、唇が熱い。

 重たい瞼をゆっくりと持ち上げる。黒の中に輝く金色の瞳と、夕陽色の髪がぼやけている視界いっぱいに広がっていた。


「気付いたかトラキア」

「……ア、レウス、さま……?」


 何故私は愛しいひとの腕の中にいるのだろう。それより、今まで何をしていたんだったか。

 ゆっくりと現状を把握し始める頭に、段々と思考が追い付いてくる。そういえば、私は即死するような攻撃を受けなかったか?何故こうも意識がはっきりしているんだ?


「何で生きてっか分からねェって顔だな。サラマンダーはな、炎を食って皮膚を再生すんだよ。もっとも、お前は内臓から何まで治しちまったけどな」


 サラマンダー。そうだ、そういえば「妖魔下り」で使った素材はサラマンダーだった。

 しかしその炎とは何処にあったのだろう。目の前には愛おしい愛おしいアレウス様。炎なんてのは何処にも無い。


「まだ聞きてェことはいっぱいだろうが、それを教えてやるのは城に戻ってからな」


 面頬を外しているアレウス様は、とても美しく笑った。


「だが一つだけ教えといてやる」


 敬愛して止まない主の顔が、ぐっと近付いてくる。片手で頬を掴まれているので顔を逸らせることは出来ない。


「誰かを愛して止まない情熱的な女は、死後サラマンダーになるんだよ」


 私は寄せられた唇をされるがままに受け入れ、流れ込んでくる炎を飲み干した。

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