焦熱愛慕のパラデイソス
テタルトン・レピダに任命された次の日、アレウス様から直々に武器を下賜された。直々に、といってもアレウス様の前に描かれた魔法陣の中に立ち、詠唱を唱えるといったものだが。そうすると各々に見合った武器が召喚されるといった具合である。
そして詠唱後に私が手にしていたのは、刃が揺らめく炎の様になっている深いガーネット色の双剣だった。
「似合ってんじゃねェか。お前の髪色とピッタリだ」
肘掛けに頬杖をつきながらそう言って笑うアレウス様に、掠れた声でありがとうございます、と返すのが精一杯だった。
こうして自分の武器が出来たのは良いのだが、私には武器を振るうという経験が無い。暴力というものは振るわれるもので、反撃する術は無いものだと今まで思っていたからだ。悲しいかな、これも慣れというやつである。
どうすれば良いものかと自室で刃を眺めていると、不意にノック音が響いた。開けた先には首の無い鎧。
「稽古をつける、来い」
あれよあれよと連れて来られたのは、訓練場のような場所だった。目の前に立つデュラハンさんは私の背丈の半分以上はある、鎧と同じ濃紺の剣を携えている。もしかしてもう実践に入るのかと双剣を胸に抱いて震えていた所、いきなりそんなことはしないと断言された。
「武器の一つも持ったことが無いだろう。構え方、振り方、全て一から教えてやる」
そうやってその日からほぼ毎日稽古をつけてもらっているのだが、デュラハンさんは教え方が上手だった。初めて会った時に口下手であるとジャックさんが言っていたが、そんなことは無いような気がする。鎧とドレス、
デュラハンさんの居ない日は、教えて貰ったことを体に覚えさせる為に一人で反復練習を行うことが日課になっていた。
昨日指南してもらったことを繰り返し練習していると、突然足元に拳程の石が飛んできた。驚いて尻餅をつくと、複数の嘲笑する声が聞こえてくる。
「一人で何やってんだよ赤髪女。俺が稽古の一つでもつけてやろうか?」
右の横髪を三つ編みにして、紫色の瞳でこちらを見下ろしているのは、あの日私を盛大に罵倒したデイモスだった。背後には名前も分からないひと達が連れ立って、全員小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
避けられていたので知ったのは結構時間が経ってからだったのだが、最高位であるテタルトン・レピダの一人が彼だったのである。今まで一人で居る時やすれ違いざまに罵倒されるということはあっても、反復練習をしていた時は絡まれなかったので、私に興味が無くなったのかと油断してしまっていた。
「……私、まだ実践練習は早いと言われているので。失礼します」
立ち上がって彼らに背を向けるも、いつの間にか取り囲まれており、逃げ出すことは困難になっていた。
「逃げんなよモンスターもどき。この俺が直々に相手してやるって言ってんだ、喜べよ」
「やめてください」
「んだよつまんねぇな。……こーんな腰抜け拾うなんざ、アレウス様もどうかしちまったんじゃねーか!なぁ!そう思わねーか!」
「ん、だと」
自分のことを罵倒されるのは構わない。しかし、敬愛するひとの誹謗を聞いて黙っていられる訳がなかった。
デイモスに向き直って双剣を構えると、彼はにたりと笑って担いでいた槍を構えた。右手に
「来いよザコ」
人さし指を曲げてデイモスは挑発してくるも、私は動かなかった。いや動けなかったと言った方が正しい。
彼の誘いに乗ったは良いものの、こちらは双剣で槍の対処どころか、通常の実践練習すらしたことが無いのだ。こんな腹の立つ奴でも、テタルトンという
「何だよ、来ねぇんならこっちからいってやるか」
仕方無い、といったような声音とは裏腹に、確実にこちらを殺しにきている突きが顔をすぐ横を通り過ぎた。頬が薄く熱を持って、液体の流れる感覚がする。
これ、もしかして本当に殺されるんじゃないか?
本能的にそう感じ取った瞬間、両腕と両足に先程の何倍もの痛みを感じる。何が起きたのか理解する前に、私は地面に倒れ込んでいた。黒い革靴が視界に入ったと認識すると同時、腹部に鈍い衝撃が走る。蹴り飛ばされた体勢のまま、腹部を押さえて咳き込むことしか出来ない。
「嘘だろ、想像以上に弱ぇじゃねえか!アレウス様の名前どころかテタルトンの称号まで汚す気かよ!」
大きな笑い声が訓練場を包む。
腕も足も痛い、石を投げ付けられるのとは訳が違う。生理的な涙が目に溜まっていく。
「まだ終わる訳無ぇよなあ!?立てよエセ女!」
敬愛しているひとを罵られたことと、こんな奴に負けることが許されなくて、痛む足に力を入れて立ち上がる。しかし待ってましたとばかりに槍の穂先が私を襲う。体がズタズタになっていく感覚、血が流れて指先が冷えていく感覚、全てが怖かった。
脇腹に特に大きな痛みが走った時、とうとう足から力が抜けて膝から崩れ落ちる。もう腕も上がらなかった。
降ってくる罵倒の数々。溢れん程の嘲笑。ここに私の味方は一人も居ない。
血を流しすぎたのか音も上手く拾えない中、デイモスの一言だけが脳にはっきりと突き刺さった。
「こんなクソ弱ぇ女、誰にも必要とされねぇまま、誰も知らねぇとこで一人で死んでくんだよ!」
「……れ」
「あ?」
「黙れ!アレウス様は『オレの為にその命を使え』と言ってくださった!私の命はあの方のものだ!必要とされなくても良い!誰も知らなくてもいい!」
少ない血が音を立てて全身を巡っている。体が沸騰している様に熱い。
「だが!決して無意味な死に方をするものか!私は絶対にアレウス様の為に死ぬんだ!お前らが勝手に私の死を決めるな!」
喉が裂けると思う程の絶叫。静まり返った訓練場の中目の前のデイモスを睨み上げると、殺意の籠った目で私を見下ろしていた。
「そこまで言うんなら死ねよ。今ここで俺に殺されることが、アレウス様の為になるんだからよ!」
胸を狙って繰り出される穂先は今までのどれよりも鋭く速いものなのに、何故かはっきりと捉えることが出来た。手元に転がっていた双剣を掴み、片方の刃を槍の穂と柄に滑らせて軌道を逸らす。
肩を掠めた痛みに顔を歪めるも、一撃を外されたことに動揺したデイモスに向かって、血を全身から流しながら立ち上がりもう一方の刃を突き出した。
「テ、メェ、」
肩の痛みのせいか、こちらのカウンターはデイモスの綺麗な顔に一筋の赤い線をつけるに留まってしまった。強い蹴りが腹部に入り、私は思い切り城壁に叩き付けられる。
もう言葉の通り指一本すら動かない。怒りをたたえた紫の目が、しっかりとこちらを捉えながら近付いてくる。
「いい加減死ねよ、死に損ないが!」
頭に目掛けて槍が降ってくる。
あぁ、これは流石に死んだな。あれだけ啖呵を切っておきながら情けない。アレウス様にも、何も返すことが出来なかった。
強く目を瞑るのとほぼ同時、鋭い金属音が響き渡った。顔に影が差したのが瞼の裏からも分かる。痛みはいつまで経っても襲ってこない。
「ア、アレウス、様……」
デイモスの震えた声にはっと目を開けると、大きな赤い背中が私とデイモスの間に立っていた。手にはいつか見た大きな赤いハルバードを持っている。
「デイモス……テメェはオレの決定にケチ付けんのか?」
「い、いえそんな……」
「コイツをテタルトンに入れた時、オレは余計なことすんなって言ったよな。それをテメェは何度も何度も無視しやがって……」
アレウス様の表情は見えないものの、聞いたことの無い地を這う様な低い声をしている。足元の地面は、いつの間にかパチパチと音を立てて燃え上がっていた。
「も、申し訳ありませ」
「次は無いと思え」
アレウス様の一言と共に、足元の炎がぶわ、とデイモスや取り巻きが立っている方向へ広がる。恐ろしさからか、誰一人として声を上げなかった。
火の粉が弾ける音がする中、金属の擦れる音がして目の前の赤色が動いたように思える。しかし目は掠れていてよく見えずその上とても眠かったので、そのまま瞼を閉じて意識を手放してしまった。
次視界に入ってきたのは、白い石造りの天井だった。
体を動かそうにもとても怠く、寝返りをうつことすらままならなかった。
「あ、起きたかな」
石造りの天井だけだった視界に三つ編みをした黒髪のひとが映り込んできて、とどめを刺されるのかと思い危うく声を上げそうになった。しかしよく見ると、彼の編まれた髪は左にあり、チェーンのついた金枠の丸眼鏡をしていることに気付く。
「フォボス、さん」
「うん、僕と兄貴の区別がつくなら意識ははっきりしてるね」
そう言ってフォボスさんは、デイモスと同じ顔で似ていない朗らかな笑みを浮かべた。
フォボスさんは最高位のテタルトン・レピダで、デイモスと双子の兄弟だ。武術のデイモス、魔術のフォボスと呼ばれる程魔術に特化している彼は、「妖魔下り」を行った私を定期的に身体検査をしてくれている。
「体は大丈夫かい」
「あ、はい……あれ、傷、消えてる?」
「全部治しておいたよ、酷い怪我だったからね。アレウス様が血塗れの君を抱えてきた時は肝が冷えたよ。折角の貴重なサンプルが……大切な仲間が死なれちゃ寝覚めが悪いからね」
にっこりと、それはにっこりと胡散臭いまである笑顔をフォボスさんは浮かべる。
身体検査をしてくれるのは体を案じているからだと言ってくれてはいるものの、恐らく人族から神妖族に成った私の体が気になるから……だと思う。決して悪いひとではないのだが。
「兄貴が悪かったね。君のことを嫌ってはいると思っていたけど、まさかこんな強硬手段に出るとは思ってなくて。本当に悪かった」
「貴方が、謝ることじゃ、ないですよ」
上手く声が出ない喉を震わせて言葉を発する。けほ、と一度咳き込めば、無理に話さなくていいよと毛布を掛け直された。
「怪我を治すのに君も体力を使ったからね、もう一度寝た方がいいよ」
ありがとうございます、と言葉を紡げたか分からないが、フォボスさんはくすりと笑って私の上に
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