第一の刃
「いや試した自分も悪かったっすけど、まさかあの状況で啖呵切るなんて思ってもみなかったっす」
数刻前アレウス様の前で行った発言は喝采と、それ以上に大きな反感を買った。特に右の横髪を三つ編みにしたひとに、額がぶつかるのではないかと思う程に詰め寄られて罵倒された。
「少し見目を褒められたからといって、調子に乗るなよ人族風情が!純粋な神妖族でもない、何の種かも分からない贋物の貴様が神妖族を名乗るな!」
ぎゅっと 纏めるとこういった具合だったと思う。だが悲しいかな、物心ついた時からありとあらゆる罵倒をされてきた私は、全くもって何も感じないのである。慣れとは恐ろしいものだ。
「トラキア嬢に絡んできたのはデイモスっつー奴で、特にアレウス様を慕ってるんです。多分……というか絶対これから絡まれると思うんで、困った時は自分に言ってください。これでも結構偉い立場なんで」
そう言うグリムさんに思わず笑ってしまえば、
「でも良かったじゃないすか。あっこに居た大半を的に回したけど、アレウス様に気に入ってもらえて」
そうなのである。喝采とブーイングの嵐の中、それを静かにさせたのは一人の大きな笑い声だった。
「ハ、ハハ、なんだよお前!数年前のちっちぇー人族のガキじゃねェか!将来有望だとは言ったけどよ、オレの見込んだ通りだったな」
覚えてくれていたという事実だけでも飛び上がる程嬉しいのに、目を細めて笑い掛けられるなんて倒れてしまうかと思った。
それからアレウス様は二つ返事で臣下に入ることを承諾してくれた。曰く、面白ェから側に置いてやる、とのこと。
城に来る前にグリムさんが、気に入った者は強い弱い関係無く引き入れると言っていたが、まさかこうもあっさりとは。大変嬉しい誤算である。
そしてこの喜びを数倍、いや数百倍に増幅させたのは、退席間際にアレウス様が放った一言だった。
「あのクソガキがオレの為に美しくなって、わざわざここまで来たんだろ?じゃあそれに見合う報酬をやるよ。グリム!テタルトンにまだ空き部屋があっただろ、連れていってやれ」
「はいっす」
「トラキアとか言ったな。オレの為にその命を使え、いいな」
そう言ってアレウス様は謁見の間から出ていった。室内は一瞬静まり返った後また大きなざわめきに包まれて、先述したように黒髪三つ編みさんに詰め寄られて罵倒されたのである。
「顔が緩んでるっすよトラキア嬢」
「あの場でこんな顔しなかっただけ偉いので、今だけは許してください……」
髪だけでなく見目まで綺麗だと言われ、初めて出会った時のことを覚えていてくれて、臣下に置いてやると言われ、しかも臣下の中でも最高位のテタルトン・レピダを与えてくれて。生まれてから貰えなかった幸福が、今日一日で一気に押し寄せた気がする。さっきまでの威勢が台無しっすね、なんてグリムさんの言葉も耳に入らなかった。
石でできた階段を三度上り四階、通称テタルトンに足を踏み入れる。本で読んだのだがアレウス様の臣下は階層によって
「この左手の一番手前のが自分の部屋っす。何かあったら気軽に訪ねてもらって良いんすけど、城門のとこに居ることも多いんで、あんま当てにしないでください」
グリムさんは長い袖で横のドアを叩いた後、そのまま奥を指した。
「奥から二つ目、右手の部屋が空いてるんで、今日からそこがトラキア嬢の部屋っす。一番奥の左右二部屋以外は全部埋まってるんで、顔合わせたら挨拶でもしといてください。まぁあんなことした後だから、既に知れ渡ってると思うっすけど」
噂ってのは早いっすからね、とグリムさんは肩を竦める。今更ながら少し恥ずかしくなってしまい、意味も無く長い髪を触っていると、石の階段を上ってくる足音が聞こえた。一つは恐らく革靴、もう一つは甲冑だろうか。
「おやグリム殿……と、そちらのお嬢さんは……。成程、件のミス・トラキアでしょうか」
「……カボチャ」
背の高いグリムさんと同じ位かそれよりも大きなひとが二人、階段の方向から現れた。一人は思わず口をついて出てしまったカボチャ頭で、黒い燕尾服に黒いネクタイを絞め、黒いシルクハットを被っている。黒の中にオレンジのシャツが際立ってお洒落だ。もう一人は濃紺の鎧で脇に兜を抱えている。というか、兜を脱いでいるのに頭が無い。鎧が歩いているという感じだ。
「あー……あんまり持ち場を留守にするとアレなので、自分はもう行くっす。それじゃあ、トラキア嬢」
「え、あ、はい」
少し目線を泳がせたグリムさんは、そそくさと二人の脇を通って行ってしまった。ここまで連れてきてくれた礼を言えていないのに、何故あんな逃げるように行ってしまったのだろうか。
「相変わらず貴方とグリム殿は仲が悪いですねぇ」
「……互いに噛み合わんだけだ、誤解を産むな」
「フフ、失礼。……あぁ申し訳ございません、
楽しそうに動かない口元を覆いながら、ジャックさんはクスクスと笑う。
「彼とグリム殿は互いを苦手としているのですよ。フフフ、命を狩る者同士、
「いい加減にしろ」
デュラハンさんに咎められながらも、相変わらずジャックさんは忍び笑いを続けている。何とも言えず会話についていけない私に気付き、デュラハンさんは無い頭をぺこりと下げてきた。どうすれば良いのか分からず、こちらも軽く会釈を返す。
「お喋りなんだ、悪いな」
「い、いえそんな……」
両手を顔の横に上げて左右に首を振る。どちらかというと、私が少し苦手かもしれないと思ったのはジャックさんよりもデュラハンさんの方だった。
グリムさんのようにマスクをしていても、彼は目元が見えているから何となく表情は分かる。ジャックさんは笑ったままのカボチャだが、言動でどのような人なのか分かる。しかしデュラハンさんは頭が無いのである。脇に抱えている兜も当たり前だが動かないし、言葉からも感情が読み取れないのだ。
つまり、少しだけ怖い、かもしれない。
そう思っていることを読まれたのか、ジャックさんは細長い体を腰から折って、こちらの耳元に大きな顔を近付け小さな声で言った。
「デュラハンは口下手なのですよ。決して怒っている訳でも、貴方を嫌っている訳でもありませんからお気になさらず」
「聞こえているぞ」
またジャックさんは楽しそうに笑いながら、その長身を起こす。悪いひと達ではなさそうということは、このやり取りを見ていて感じ取れた。歓迎はされていると捉えて良さそうだ。
「そういえば……貴方は元は人だそうですね、ミス・トラキア」
突然の問いに少し体が強ばる。先程までの明るい雰囲気とは違い、ジャックさんが冷たい声音になったのも原因の一つだろう。大々的に公言しているのだから、今更誤魔化しは聞かない。
「ええ、そうですが……ご不満がおありですか」
緊張していることを悟られないように態と強気な態度で返すと、不意にジャックさんが笑い始めた。それはもう可笑しくて耐えられないといったふうに。
「フフフ、スミマセン、驚かせました。同じ境遇の者として、少し嬉しくなってしまいまして」
混乱して固まっている私に、ジャックさんは自分も元は人族であるということを教えてくれた。
彼曰く、生前はなんとも悪賢い遊び人だったそうで。魔族を騙して死後
「貴方は禁術でそうなったと聞きました。死んでこうなった
「……ありがとうございます」
「あら!あらあらあら!その子ね、新しいテタルトンは!」
ジャックさんに向かって頭を下げたその時、突然扉の開く音が聞こえたと思ったら、次いで小鳥の囀りの様な美しい声が廊下に響いた。驚いて振り返ると、美しい金色の髪を持った女性が扉から顔を覗かせていた。
「おや、ミス・パンドラ。騒がしかったですか」
「いえ全く!それよりワタシにも紹介してくださいな!あらあらあら、綺麗な髪してるのね!まあ!目はアレウス様とそっくり!」
こんな綺麗な女性に詰め寄られて、たじろがないひとが居るのだろうか。反応する間もなく早足で近付いてきたパンドラ……と呼ばれた女性は、一つに纏めている長い赤髪を片手で一房掬い取った。
私よりも少し背の高い彼女は、ウェーブのかかった綺麗な金色の髪をしていて、エメラルドグリーンの瞳がキラキラと輝いている。肩が出ている足が見えないロングドレスがとてもお似合いだ。
そしてお淑やかそうな見た目とは裏腹に、気になったであろうことをこちらが答える間も無く投げ掛けてくる。
「あら、ドレスの裾が燃えているのね。他に焼け移ったりしないのかしら。でもとてもお洒落で素敵よ。火が点いているってことは、貴方は火を司る精霊なのかしら?あら、その耳飾りもとても素敵ね」
「ミス・パンドラ、その辺りで。ミス・トラキアが困ってます」
「あらあらまあまあ、ごめんなさいね。気になったことがあると何でも知りたくなってしまうの」
恥ずかしそうに髪を弄るパンドラさん。こんな美しくて可愛らしいひとも居るなんて、先程から驚きの連続だ。
思わず見とれてしまい、挨拶をしていなかったことをやっと思い出す。
「挨拶が遅れました、トラキアと申します」
「えぇ勿論知っているわ!それよりもお話しましょう!テタルトンに女の子が増えてとっても嬉しいの!」
爪先まで整った柔らかい手で掴まれ、思わず間抜けな母音が口から零れる。華奢そうな見た目からは想像出来ない程の力でぐいぐいと引っ張られ、どんどんジャックさんとデュラハンさんから遠ざかっていく。まだ別れの挨拶をしていないと彼らを振り返るも、ジャックさんはひらひらと手を振り、デュラハンさんは上体を折って会釈をしてきただけだった。聞こえるように一言だけ感謝を述べるとほぼ同時、パンドラさんの自室に押し込まれてしまう。
それからティーパーティーというものを開催され、パンドラさんの気が済むまで質問攻めに遭った。先程答えられなかった服装の話や、出自や
結局、グリムさんに教えて貰った自室に入ることができたのは空が黒くなってからだった。
たった一日で様々な出来事に会いすぎた。テタルトン・レピダ全員に挨拶は出来ていないが、もう体が限界を訴えている。
久方ぶりのまともな寝具に抗うことが出来ず、私の意識はそのまま闇へと落ちていった。
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