第33話

「……幻覚?」

「いいから……助けてくれ」

「しゃべった⁉︎」


 アンドレアをここに来るように仕向けたのは姿の見えぬ声の主だ。だから声の主が喋れるのはわかっている。しかしだからといって目の前で動物が人の言葉を話しているのを見て驚かないのは無理なことだ。


「た、助けるっていっても俺にはどうすればいいのかさっぱり……」


 目の前で苦しげに肩で息をしながら人の言葉を話す不思議な生き物の正体がなんなのかはわからない。なので助けてくれと言われても助け方などわかりはしない。


「……魔術師に向いていないのか、おまえは」

「! 魔術師を知ってるのか」


 白い毛並みのライオンは唸り声をあげながらもため息をついた。

 人の言葉を話せるだけでじゅうぶん不思議な生き物だというのに、魔術師の存在を知っているとは本当に何者なのだろうか。

 気になって質問責めにしようとして、相手が瀕死の状態にあることを思い出して口を閉じた。


「お、俺はなにをすればいい?」


 白いライオンは珍しい。多分世界中探してもそうそういないだろう。なので他のライオンとの性格の違い、具体的に言うと凶暴さが推し測れないがこのまま放っておくこともできずに、アンドレアはライオンのそばに駆け寄って膝をついた。

 目の前で横たわるライオンは苦しそうにしている。そっとその白い毛並みに触れてみるが、襲ってくる気配はない。

 助けを求めてきたものあって、この動物は襲わないだろうと判断して外傷がないか確認してみる。白い毛並みはふわふわとしていて手触りが良く、どこかを怪我して血を流している様子はない。

 罠で足を怪我しているわけでもなさそうだ。


「魔力だ。魔力が足りぬ」

「魔力? もしかしておまえ、魔獣なのか?」

「オレをあのような知能のない生き物と一緒にするとはなんて不躾な……でも今はその認識でもいい。オレはまだ死ぬわけにはいかぬ」


 不満気にガルル、と唸り声をあげているが覇気はない。相当弱っているらしい。


「なにを言いたいのかわかんねぇけど、助けて欲しいんだろ。なら助け方を俺に教えてくれ。まだまだ魔術はひよっこなんだ」

「……魔術なら、あれだ。あの術があるだろう……召喚術だ」

「しょ、召喚術⁉︎ いやいや、あれは俺には使えないって! 師匠にすら使えない高度な術なんだぞ?」

「試す前から否定するな!」

「すんません!」


 ぐわっとライオンに威嚇のような叱咤を受けて、アンドレアはつい反射的に謝った。

 しかし召喚術は魔術師としての腕前が良いイヴですら使えない高度な術なのだ。試す前から、などと言われてもできる気が微塵もしない。


「……できる気しねぇ」


 カバンから魔術書を取り出し、召喚術について書かれたページを開く。

 できる気など毛頭ない。だがライオンの言う通り否定ばかりしていても事態は好転しない。


「いちおう文様を描くことはできるけど……術のレベルが高すぎる」


 召喚術は自身が契約した魔獣を自分の意思で呼び出し、操ることができる術だ。なにかトラブルに巻き込まれた際、自分ではなく魔獣が荒事に対処してくれるのですごい術だとは思うが、その分術のレベルが高くそう容易にできるものではない。

 人と違う思考を持つ魔獣を操ることどころかそもそも召喚という術が膨大な魔力を消費するものなのだ。


「いちおう描けたけど……」


 ライオンを囲うようにして文様を描く。これは召喚する前、魔獣と契約を結ぶ段階だ。本来なら魔獣が文様の中でおとなしくしてくれないのでそう簡単に文様で囲めないものだが、今回は本人が動く気がない、というより動けないため簡単に囲うことができた。


「次は……ええっと」

「乙女の涙か……やはりちょうどいいな」

「え?」

「なんでもない」


 ライオンがなにか呟いた気がしたが、気にしている余裕はない。アンドレアは文様を描くとその文様に魔力を流し込んだ。


「できるかわかんねぇけど」

「大丈夫だ。オレの方でなんとかする」


 出会ってまだ数分しか経っていないが、その言葉を信じるしかない。アンドレアは文様に魔力を流し込んで、召喚術・契約が無事に終えられるようにと願うしかできなかった。


「……」

「…………」

「……」

「……え? なんか言ってくんない?」


 沈黙が続き、それに耐えられなくなったアンドレアが口を開いた。

 やはり召喚術を行うにはアンドレアの魔力量が少なすぎたのだろうか。ライオンは目を閉じて黙りこくってしまったので召喚術が成功したかの判断ができない。


「……なんとか、大丈夫そうだ」

「マジで? まさか……成功したのか?」


 魔力を流したまま、ライオンを見つめて数分。再び瞳を覗かせたライオンの言葉にアンドレアはきょとんとした。

 召喚術はアンドレアの魔力量でできるような術ではない。なのにライオンはまるで成功したかのような口ぶりをしたので驚くのもしかたがない。


「召喚術は契約した魔獣に自身の魔力を流し込むことで多少ならば自由に操れる術だ。オレはそこら辺の魔獣とは違う。この魔力量では契約とは程遠い……仮契約程度のものだが、じゅうぶんだ」

「褒められてるのか貶されているのかわかんねぇな」

「オレは魔力がきれていた。だからおまえから魔力を少し拝借した。それだけだ」

「つまり俺は契約していないし、なんなら魔力を持っていかれたってこと?」

「二度はないから問題ない」

「一度は俺の魔力を奪っておいて偉そうな」


 幾分か元気を取り戻したライオン曰く、アンドレアとこのライオンの間に契約という関係性は認められない。先程の儀式で起こったことは召喚術の仕組みを利用してアンドレアからライオンへ魔力を移動させた、ということらしい。

 つまりアンドレアは自称他の魔獣とは違うライオンと契約できず、少ない魔力を持っていかれただけという損な結果になったということだ。


「まぁ、これで助かったならいいけど……」


 アンドレアは頭をかきながらつぶやいた。

 消費した魔力は睡眠や食事で回復できる。生まれ持った魔力保持量の限界を超えて回復することはないが、元々の魔力保持量上限までは健康的に過ごしていれば自然回復することができるのだ。

 だから今のアンドレアには魔力があまり残っていないが、街に戻ってご飯を食べて寝ればある程度は魔力が回復するのだ。


「って、無事に街に帰れるかどころかこの屋敷から出られないんだった!」


 アンドレアは頭を抱えた。魔獣一匹助けても、自身の現状を打破できていない。このままでは死ぬまで館に囚われ続け、アンドレアが噂の幽霊になってしまうかもしれない。


「屋敷からなら出られる。オレが結界を解いたからな」

「は?」


 すくっと立ちあがったライオンはそう言って歩き出した。


「ちょ、待ってくれよ。説明してくれ」

「わかっている。ちゃんとするからついてこい」


 ライオンは壊れた屋敷をなんの迷いもなく進んでいく。そのあとを追いかけながらアンドレアは疑問をぶつけた。


「まずおまえはなんで喋れるんだ?」

「魔獣じゃないからだ」

「魔獣じゃないならなんなんだよ」

「……世間では神の使い魔と呼ばれている」

「使い魔ァ⁉︎」


 アンドレアは驚いて大声をあげると、ライオンの姿を改めて見た。

 アンドレアの先を歩くライオンは真っ白な毛並みがつややかで、一歩進むたびに揺れて美しい。

 体長二メートルほどのがっしりとした体格でのしのしと歩いているが、ふらふらすることなくまっすぐにどこかに向かっている。悪意のようなものは感じられない。

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