第32話
「どこかで道を間違えたのか?」
そう疑問に思って、いやそれはないだろうと首を横に振った。
アンドレアたちは屋敷の外側の大きな廊下をまっすぐ歩いていたのだ。一度角を曲がったものの、部屋に入ったわけでもなく廊下の分岐を分けれたわけでもない。ならば迷いようなどないのだ。
「もしかして俺、迷子な感じか?」
イヴが消えた。そう思っていたが、もしかしたらイヴではなくアンドレアの方が迷子になってしまっていたのかもしれない。
「って、いやいや、だから一本道だったじゃん」
一本の長い廊下で迷子になることの方が難しい。イヴが消えたわけでもなく、アンドレアが迷子になったわけでもないとしたら。
「……マジで幽霊に攫われた感じ、なのか?」
アンドレアの言葉が誰もいない廊下に響く。
幽霊に人を攫う力などあるのかわからないが、これが霊の仕業と考えると歩いても歩いても玄関にたどり着けない謎が摩訶不思議な力が原因だと理由付けられる気がする。
幽霊がイヴ、いやアンドレアを攫って、もしかしたらこの世とは別の世界に連れてきてしまったのかもしれない。だから、いつまで経っても玄関にたどり着けないのだ。
「でもそれだと……俺、死んだことにならない?」
魂を幽霊に攫われてしまった。それはつまりアンドレアが死んでしまったことになってしまう。
アンドレアは冷静になろうと努力したが、顔を引き攣らせて苦笑した。
幽霊屋敷に探索に来て死ぬとは、もはや笑うしかない。
「マジかぁ……俺、死んだのかぁ」
『勝手に死ぬな』
「うわぁっ!」
恐怖よりも絶望よりも、ショックが強くてアンドレアが無気力に肩を落とすと、どこからともなく声が響いてきて慌てて周囲を見渡した。しかし周りには誰の姿もない。
「し、師匠?」
『バゥ』
「あっ、これ師匠じゃないな」
もしかしてイヴが上空からアンドレアを探してくれたのかと期待したが、もう一度聞こえてきた声が女性のものではないと気がついて肩を落とした。
「なーんだ」
『クゥ、なぜだか失望された……』
声はアンドレアの周囲に響いているが、アンドレアの周りには相変わらず誰もいない。声も響いてくるのはわかるが、どの方向から聞こえてきているのかわからなかった。
「あっ、もしかして幽霊」
『断じて違う』
声が聞こえるのに姿が見えないのは相手が幽霊だからではというアンドレアの考えは声の主に速攻で否定された。
「じゃあどちらさまですか?」
話し相手が誰かどこにいるのかわからないので、とりあえず周囲にきょろきょろと視線を向けながら尋ねた。
先程まで自分は死んだのかという失意に駆られていたが、謎の声と会話をしているうちに、アンドレアは落ち着きを取り戻していた。
死んだにしては緊張感の無さに恐怖心がどこかに行ってしまったのだ。
『オレは……グルゥ』
「グルゥさんって言うんですか?」
名前を言ったというよりは獣の唸り声に近かったが、アンドレアが誰かと聞いてそう答えてきたのだからきっと唸り声のような名前なのだろう。
『クゥゥ……ガルル』
「……大丈夫ですか?」
ついさっきまでは普通に会話出来ていたはずなのに、急に話し相手は唸り声のようなものしかあげなくなってしまった。
さすがに声の主が心配になってアンドレアが声をかけると、
『奥の……ダイニングルームに……来い……グルゥ』
そう言って、途端に話し相手の気配がなくなった。
自身の身になにが起きているかすらわからないし、相手が誰なのかもまったくわからないが、少なくとも今のアンドレアよりは話しかけてきた彼の方が現状に詳しいのだろう。ならば言われた通りの場所に行くしかない。
アンドレアはランタンを引っ提げて屋敷の奥の方へと向かって歩いていく。どれだけ歩いてもイヴとすれ違うことはない。
「そういえば静かだな……」
ふと、長い廊下に取り付けられた窓の外を見てそう思った。
屋敷に入る前、山の中では夜になって活動を開始した梟の鳴き声や虫などの鳴き声が聞こえていた。だというのに、今はなんの音もしない。風で木々が揺れる音すらしていなかった。
「……不気味、か?」
自身の足音がコツコツと響くだけで、他の音がなにもしないのは普通なら不気味に感じるだろう。しかし何故だか自然と恐怖心などは湧いてこなかった。この先に声の主の誰かがいるとわかっているからだろうか。
「ダイニング……ここか?」
長い廊下の突き当たりを曲がり、両開きの扉が取り付けられた部屋の前で立ち止まる。
廊下の途中で他にも部屋はあったが、書斎や物置などの小さな部屋ばかりだった。この屋敷で一番広いこの部屋がおそらく、食事をとるダイニングルームなのだろう。
「コンコンっと」
一応扉をノックしてみた。扉は木製で、少し朽ちているようだが中の様子を窺えるほどの大きな穴などは空いていなかった。
「入……れ」
扉の向こうから声が聞こえた。間違いない、ダイニングルームに来るように言った者と同じ声だ。
アンドレアをこの部屋まで案内した人物と同じ声をしているが、先程より苦しそうな声色をしている。もしかしたら体調不良なのかもしれない。
なぜダイニングルームにいた彼の声が、遠く離れているアンドレアにまで聞こえてきたのかはわからないが今はどうせわからないことだらけなのだ。深く考えるのはやめてアンドレアは両開きの扉を思いっきり開けた。
長年のつもり積もった埃が視界内を舞う。
「んっ」
手でさっさと払って、アンドレアは声の主を探した。
両開きの扉はアンドレアが開けた衝撃で少し痛んでしまったようだがここはどうせ廃墟なので気にする必要はないだろう。
「どこに……」
長いテーブルに、先の切れたボロボロのテーブルクロス。椅子は脚が壊れてバランスを崩れて床に倒れている。
部屋の端には火の付いていない暖炉があって、薪らしき木は湿っているように見える。
アンドレアは部屋を見渡してみるが、声の主らしき人物は見当たらない。
「あれ……?」
この部屋ではなかったのかとアンドレアが疑問に思ったとき、テーブルの向こうでなにかが動いたのが見えた。
人がいる気配はなかったが、それはテーブルの向こう側で倒れていたからなのだと理解して、アンドレアはテーブルを回り込んで声の主の元へ駆け寄った。
「大丈夫ですか⁉︎」
倒れ込むほどひどい怪我をしている人がいる、そう思って声を出したアンドレアの動きが止まる。
扉からテーブルを挟んだ向こう側には、たしかに生き物がいた。しかしそれは人ではなく、アンドレアの口は開いたまま固まってしまった。
「……し、白い……ライオン?」
テーブルの向こう側、苦しげな声をあげて床に臥していたのは真っ白な毛並みをしたライオンだった。
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