第16話

「くっ、引きちぎれねぇ!」


 男性は両手で蔓を引っ張って引きちぎろうとしているが、頑丈な蔓はしなるばかりで千切れる様子はない。おそらくそういった品種を選んでおいたのだろう。


「これで逃げ場はないよ」

「……クソッ!」


 イヴの言葉に男性は表情を崩した。

 これでもしこの男性が黒魔法を使えたら、炎を出して蔓を焼き切られてしまっていただろう。しかし彼にはそんなことはできない。魔法が使えないできないからこそ盗みができていたのだから。


「なんでだよ、クソッ!」


 だん、と壁を叩く男性にイヴは一歩近づいた。


「正直私としてはきみが逮捕されようとされまいと興味はない」

「は?」

「え?」


 イヴの言葉に男性とアンドレアの口からは素っ頓狂な声が漏れた。


「でもむかつく魔法省の人間に喧嘩を売られたものでね。あの男のプライドを折ってやらないと私の気が済まないんだよ」

「めちゃくちゃ私怨……!」


 イヴは泥棒が魔術師ではない時点で泥棒自体に興味を無くしていた。だからあんなにも冷静に行動していたのだろう。しかしまさか、泥棒を追い詰めた理由がこんなにも私怨にまみれたものだとは。


「というわけできみは私のために逮捕されてくれ給え」

「すごくいやだ! 逮捕されるってだけでいやなのに、理由を聞いてもっといやだと思った!」


 男性は叫んだ。多分アンドレアがそのポジションにいても同じように叫ぶ気がする。


「まぁまぁ、いいじゃないか。きみは盗み自体には興味ないんだろう?」

「なっ」

「そうなんですか?」


 この男性が今まで盗んだのは今回の絵画を含めておよそ十点ほど。これだけ盗んでおきながら盗みに興味がないとはどういう意味だろうか。


「私が思うに泥棒くんの目的は盗みではない。窃盗はあくまで手段だ」

「盗んだものをお金に変えるのが目的、みたいな?」

「いや、もっと違う理由なんじゃないかな?」


 アンドレアが首を傾げると、イヴは否定した。

 男性は少し俯いて黙りこくってしまった。


「……なんで、わかった?」

「うん?」

「なんで俺が盗むという行為を手段としているってわかったんだ?」

「それは……言葉にできないな。ああ、いやきみたちを馬鹿にする気はないけどね。どうせ言ってもわからない」

「それでも聞かせてくれよ」

「うーん、ぶっちゃけ勘だ」

「すごく簡単な理由じゃねぇか」

「勘と言ってもただの当てずっぽうなものではない。私が今まで生きてきた中で接してきた人々の性格、行動、それらすべてを混じえて至った判断だ」


 まっすぐに、ただまっすぐに男性を見つめてイヴはそう言い放った。


「警部くんが私たちを危険人物ではないと判断したのは警察としての勘なのだろう。それと同じようなものだよ。女の勘、とでも言っておこうか?」

「そうか、そいつはすごいな。女ってのはいつだって恐ろしい。あの女もそうだった……」


 俯いた男性の拳が強く握られるのが見えた。わなわなと震えている。


「話くらい聞こうじゃないか。言ってみ給え」

「言ったら見逃してくれるのか?」

「それはそのときにならないとわからないね」

「いや、普通に逃しちゃダメでしょ……」


 イヴの言葉に小さく突っ込みを入れながら男性を見遣った。すると男性は楽器ケースを地面に落として話を始めた。


「俺には弟がいた。喧嘩ばかりしている俺とは正反対の性格の、正義感の強いやつだった。あの女は俺と弟を――」


 男性は一呼吸おいた後、恨めしそうな瞳でこう言った。


「引き離した」


 なんでも男性には弟がおり、母親は育児に手が回らず男性とその弟を別々の保護施設に押し付けたらしい。

 男性は幼い頃に母親の手によって引き離された弟を探している。その探す手段として選んだのが窃盗だったそうだ。


「俺は手先が器用だ。だから、盗みを働けば弟が駆けつけてくるって思ってたんだ。だって、あんなに正義感の強かった弟が警察官になっていないはずがない。俺はいろんな場所で何度も盗みを繰り返しては弟が捕まえにくるのを待っていたんだ」


 男性の頬を雫が伝って地面に染みを作った。

 なんとも悲しい犯行動機だ。


「……これを見給え」


 泣き声を上げることなく、ただ静かに拳を握りしめる男性にイヴはそっと近寄って胸元に挿してあった一輪の花を見せた。

 あれは王都に来る前に町の子にもらったと言っていたピンク色の花だ。摘まれてからだいぶ時間が経っているはずなのに、その花は萎れることなく綺麗な状態で咲き誇っていた。


「これは王都に来る前に立ち寄った町で少年にもらった花だ。彼は満面の笑みで私にこれをくれたけれど、もしここにきみの弟がいたとして、笑顔で会いたかったよお兄ちゃんなんて言うと思うかい?」

「っ! そ、それは……」

「なんの手がかりもない中、弟の正義感の強さに目をつけたところはいいと思うよ。だがそれ以外はまったくダメだね。正義感の強い弟くんが今のきみを見つけたとして、喜ぶはずがない。もしてや罪を犯した理由が自分に会うためなんてね」

「っ……うぅ」


 イヴの言葉が効いたのか、男性はその場にしゃがみ込みこんでぼろぼろと涙を流し始めた。

 幼いときに兄弟と引き離されて母親を恨み、そして生き別れになった弟を探したかった兄。

 探したいという気持ちは立派なもので、誰にも止める権利はないと思う。しかし探し方が良くなかった。彼は探偵を雇うなりして、もっと他人を頼るべきだったのだ。


「別の手段を選ぶべきだった、ってことですね」

「そうだね」


 泣き崩れる男性をイヴはただそっと、見守るように見つめていた。


◇◇◇


 それからしばらくして、男性は自ら出頭することにしたようだ。

 アンドレアたちはそれに付き添うように美術館に向かった。そこには部下に指示を出している警部の姿があって、警部に向かってイヴは笑顔を向けた。


「やぁ! あのうざい魔法省の人間はどうしたのかな?」

「え? ああ、アンタらか。悪いが今は窃盗犯の捜索中でな、あいつも独自に捜査を進めている」

「そうかそうか。それはまったく無駄なことを随分と全力で頑張っているようだね」

「無駄ってなぁ」

「無駄だとも、だってきみたちが追っている窃盗犯ならここにいるんだから」

「は?」


 イヴの言葉に警部は素っ頓狂な声を漏らした。

 イヴという人間のそばにいるのはなかなか面白い。教えてくれる魔術というものも面白いが、なによりイヴの性格が愉快なのだ。


「ほらほら、自首するんだろう?」

「ああ……俺がその窃盗犯だよ。盗んだ絵画はその人が持っている楽器ケースの中だ」


 アンドレアは男性の視線を感じて楽器ケースを警部に手渡した。

 楽器ケースはイヴの荷物じゃないので荷物持ちの仕事はしなくてもいいはずだが、泥棒に持たせたままも良くないとアンドレアが持つことになったのだ。


「これは……たしかに盗まれた絵画と同じものだ」

「盗んだ本人が言ってるんだから当然だとも」


 警部は楽器ケースの中を見て、手錠を取り出した。そして男性の手に手錠をかける。


「やっと捕まえることができたな」

「私のおかげでね。そこのところ、ちゃんとあのうざったい魔法省の人間に言っておいてくれ給えよ?」

「ああ、わかったわかった。お嬢さんたちには感謝してる。これでやっと上司に小言を言われずに済むしな。ありがとさん」

「ふふん、魔法省の人間はきらいだが、警部くんのことはきらいじゃないね。きみも安心するといい。この警部くんは見た目は怖いが根は優しいぞ。私が保証する」


 警部の感謝の言葉に気を良くしたイヴは笑顔でバシバシと男性の背中を叩いた。


「そうかい、そりゃよかった」


 男性は心のモヤが晴れたのか、どこか晴れやかな顔付きで笑みをこぼした。


「じゃあ、私たちは帰るとするか」

「そうですね。俺としては出番が少なくてちょっとやですけど」

「ははは、拗ねるな!」


 笑顔を見せるイヴにつられてアンドレアの口角も上がる。本当に、愉快な人だ。


「ちょっと待ってくれ。そういやアンタらの名前を聞いていなかったな。なんていうんだ?」


 宿屋に戻ろうと歩き始めたアンドレアたちを背後から引き止める声が聞こえた。振り返ると男性の身柄を部下に渡した警部がこちらを見ていた。


「うん? 私はミ――イヴだ。そして彼は私の荷物持ちくん兼、弟子のアンドレアだ。気軽にアンと呼んであげてくれ」


 一度名乗ろうと口を開いたイヴは、一瞬言葉を詰まらせて、そして自身の名を名乗った。ついでにアンドレアの紹介もされた。


「いや、俺のことはアンではなくアンドレアか、せめてアンドレと呼んでもらえれば。あと荷物持ちという肩書きではなく弟子って方を先に紹介して欲しかった……いや、どっちにしろ荷物持ちなことに変わりはないけど」


 アンドレアは苦笑しつつイヴの紹介に付け加える。

 アンドレアはイヴの荷物持ちで、魔術師としての弟子だ。なにがあってもそれが変わることはない。

 べつに変わらなくてもいいと、この関係性でいいと、アンドレアは心の底から思っていた。


 我ながら随分と絆されたものだ。

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