第15話

「アン、行こう」

「え? もういいんですか?」

「ああ、もう見えた」

「は?」


 煙が上がってなにも見えなかったはずでは、と思ったがイヴが足早に美術館を出たのでアンドレアは急いでそのあとを追った。


「どこに行くんです?」

「泥棒くんのところさ」

「え?」


 先程から疑問系の言葉しか発していない気がするがしかたがない。あれほど泥棒に会えるのをわくわくと待っていたイヴはとても冷静に歩を進めていた。


「やっぱり盗むのに失敗したから興味なくなったんすかねぇ?」

「いや、あのガネの絵画は盗まれたよ」

「えっ?」


 ぼそりとつぶやいたアンドレアの言葉にイヴから予想外の返事が来て、アンドレアは思わず足を止めた。


「で、でも絵画はちゃんと飾られたままでしたよ?」

「絵というのはね、所詮は紙だ。額縁に入れられている状態だと大きく見えても、額縁から外して丸めてしまえば幾分かコンパクトになる」

「それは……つまり」

「煙が上がったあとに壁に飾られていた絵画は偽物だ。今頃警察も……ほら」


 イヴの言葉が途切れると背後から警察官たちの大声が響き渡ってきた。

 内容ははやく犯人を探せ、というもの。


「師匠はなぜあの絵画が偽物だとわかったんです?」

「煙の薄いところから泥棒くんの腕が見えた。見事な手腕だったよ。煙幕で警備たちが身動きを取れなくなったタイミングにたった一瞬で絵画を本物と偽物に張り替えていた」

「えっ、それはつまり……魔法も魔術も使っていないってことですか?」

「そういうことだ」


 イヴは頷いた。

 なるほど、アンドレアにも今回の犯人の特徴がなんとなくだが見えてきた。

 泥棒は魔法を感知する装置を反応させることなく盗みを行なった。つまり魔法は使っていない。イヴが言うからには魔術も使っていないのだろう。

 そして泥棒は盗みを行ったことからメインホールに無事に侵入できている。魔力で入場を制御する装置を起動できないように電源を切った可能性もあるが、おそらく泥棒はそんなことはしてない。


 腐ってもあの男は魔法省に所属する人間だ。機械を設計するほどの手腕を持つ。そんな男が装置の電源を簡単に切れるようにしているはずがないし、なにより切れたら切れたでなにかしらの通知が来るようにしていただろう。

 しかしあの男は煙幕が上がった際に自身の勝ちを確信していた。それは魔力による入場規制を張る装置が壊れていないと判断したからだ。


「盗みに魔法も魔術も使っていない。そして魔力によるメインホールへの入場規制にも引っ掛からなかった」


 それらの情報をまとめると、つまり泥棒は――。


「見つけた。やぁ、こんばんは」

「⁉︎」


 イヴが進む通りに着いていくと、表通りから路地裏に入ってしばらくしたところで若い男性と出会った。おそらく年はアンドレアと同じくらいだろう。背中に楽器ケースを背負っている。


「な、なんの用かな?」

「決まっているだろう。泥棒くんに会いに来た」

「は、はぁ?」


 俺が泥棒だと、なにを言っているのかわからないなとシラをきる男性は件の泥棒で間違いないだろう。

 背中に背負われたあの楽器ケースに本物のガネの絵画が丸めた状態で仕舞われているに違いない。


「きみが泥棒じゃないって言うのなら、なぜきみは楽器ケースを背負ってこんな路地裏にいるのかな?」

「これは……バンド仲間と軽く演奏した帰りで」

「バンド名は? 演奏した場所は? 他のバンドメンバーの名前と住所は?」

「いや、それは……」


 イヴの怒涛の質問に男性はたじろいだ。


「な、なんで俺だってわかったんだ……?」


 男性は一歩後ろに下がって、戸惑いがちに尋ねてきた。シラを切り通せないと判断したようだ。


「簡単だよ。美術館から逃げる際に最適なルートを事前に確認しておいた。警察彼らはきみを現場で捕まえる気でいたようだからね、それが失敗したときのことを考えてちょっと行動を先読みした」


 逃走ルートの確認などいったいいつしたんだと疑問に思ったが、おそらくアンドレアが宿で爆睡を決め込んでいたうちに一人で動き回っていたのだろう。イヴは意外と単独行動を好む節がある。


「でも意外でしたね。どれだけ厳重な警備の中からでも確実に盗む。だから魔法を使っているに違いないと警察も街の人たちもそう考えていたのに……実際は魔力すら持っていないただの人だったなんて」


 アンドレアの言葉に男性はにやりと笑った。

 泥棒は魔法も魔術も使っていない。そして事前登録していない魔力を弾く装置を壊すことなくメインホールに侵入した。それらが示していることは、泥棒は魔力を持たぬ一般人だということだった。


「あいつらもなかなかに間抜けだよな。俺を魔法使いだとか魔法を使える人間だと思い込んで魔法に特化した罠をいくつも作っていった」

「だから魔力を持たぬきみの盗みにはまったく影響がなかった」

「その通りだ」


 男性はくすくすと笑い出した。

 警察、そして魔法省の職員が協力したのに泥棒を逮捕できなかったわけ。それは協力したからだ。

 この泥棒は魔法を使っているに違いないという決めつけから、犯人候補に魔力を持たぬ人間を除外してしまっていた。それが今回の事件を解決できなくしていた一番の原因だろう。


「まぁ、しかたがないと俺は思いますけどね。大体こういった犯罪が起きたとき、魔法を悪用している人が多いのを実際に目にしてきたし、とくに魔法が身近にある魔法省の職員ならなおさら犯人は魔法を使う人間だ! と思い込んでしまうのもしかたがない」


 あのいけ好かない男を庇いたいわけではないが、魔法省の職員なら自動的に魔法を使った犯行だと思ってしまうのはアンドレアにも理解できた。

 魔法使いになれない、けれど魔法を使える人間が魔法を悪用して盗みや殺人などを起こす事件は少なからずある。アンドレアもそんな事件の解決のために魔法使いと一緒に派遣されたことが何度かあった。


「いやぁ、警察が無能で助かったよ。おかげで俺は簡単に盗み放題。ちょっと小手先が器用ってだけなのにな」

「たしかに。警察は自分たちの決めつけで魔法を使わない盗みをしているという捜査の仕方をしなかった。自分たち自身でただの窃盗事件を複雑にしてしまっていた」

「魔法を使ったと思われるくらい俺の腕が良かったのもあるがな」

「それはそうだ」


 イヴが頷くと男性は嬉しそうに口角を上げた。


「でもまさか警察でもなんでもない人間に追い詰められるとは思わなかったがな」


 男性がそう言いながらジリッと一歩後ろに下がる。

 おそらくこちら側の隙を見て逃げるつもりなのだろう。


「逃げれはしないさ」

「は? え?」


 一歩ずつ、確実に後ろに下がっていた男性は背中が壁にぶつかって困惑の声を上げた。いや、壁じゃない。男性の背中に当たったのは植物だ。


「な、なんだこれ⁉︎」


 本来ならそこには道があったはずだ。実際アンドレアたちが泥棒に追いついたときにそこに道はあった。

 しかし今は建物と建物の間を植物の蔓が壁のように成長して覆い塞がっていた。


「ちょっと小細工をしておいたのさ」

「成長魔術ですね」


 急激に泥棒の背後の植物が蔓を伸ばし始めたのを見たときはアンドレアも驚いたが、これは魔術の本で見たことがある。

 植物の種に文様を描き、魔力を流して成長速度を上げる成長魔術のひとつだ。もちろん本で読んだというだけで見るのは初めてだ。

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