第6話 逃避行

 渡辺の研究室には、二人が残された。

「ジュリー、この日本には、”長い物には巻かれよ”なんて諺もあるんだ。悔しい気持ちもわかるが、この際、楽になったらどうなんだ」

「…………」

 ジュリーは何も言わず考え込んでいる。

 渡辺はしびれを切らして言った。

「人類を救う、地球を救うなんてでかい事言って、自分一人救えないじゃないか。何やってんだよ」

 何も言わずに考え込んでいたジュリーの肩が震えだした。

「そうよ、そのとおりよ。自分一人救えないわよ。それがどうしたの………」

 そう言ったまま、また黙ってしまった。

 そして、そのうち、かすかな嗚咽おえつが聞こえ始めた。泣いているのだ。そして、立ち上がると、泣き顔を手で隠し、研究室のドアを開けて出て行った。

 初めて見るジュリーの涙だった。ちょっと言い過ぎたかなと渡辺は後悔した。あんな気の強い女でも泣くときは泣くのだ。それだけ追い詰められているのだろう。だが、何もしてやれることはない。励ますぐらいしかできないのが、つまらんことを言って、かえって心理的に追い込んでしまったようだ。

 

 ジュリーは、小雨の降る夕刻、中華料理店の「山竜飯店」に向かっていた。店は、昼の営業が終わって暖簾は降ろされていた。。

 店の入り口の戸を開けたら、一人カウンターで新聞を読んでいる山岡がいた。

「やあ、ジュリー、いらっしゃい」 

 いつもの笑顔で迎えてくれる。

 その笑顔を見た瞬間、止んでいたジュリーの涙がその青い目からまた流れ始めた。

「山岡さん」

 ジュリーは、そう言うと、山岡の胸に顔をうずめて、泣きじゃくった。うわ言のように何か言っているが、言葉にならない。

 山岡は戸惑うしかなかった。

 どうにか落ち着かせて話を聞いた。山岡にはちんぷんかんぷんの内容だ。だが、ジュリーが、今現在、帝都電力グループ、否、電力業界とその周辺産業と言う巨大な敵を相手に悪戦苦闘し、ぎりぎりのところまで追い詰められているということだけは分かった。

「ジュリー、これ参考になるかどうか、アドバイスという程のもんじゃないけどね。俺、小さい頃からいじめられてたんだ。でも、中学に入る頃から知恵がついてね。いじめる奴らって自分より少しだけ強い奴らなんだって事が分かったんだ。少しだけ強い奴らが、自分より少し弱い奴らをいじめることで、自分が強いんだって納得させるためにいじめをするんだよ。だから、俺はね、一番強い奴に取入ることにしたんだ。一番強い奴に気に入られたらしめたもんだよ。誰も俺をいじめなくなったんだ」

 山岡は、続けて、もっと強い奴に頼るってことは、恥ずかしい事でも何でもないと言った。自分に正義があるなら、いま置かれている苦境を素直に告白して、頼れるべきには頼るのってのが、正義を貫く一番の方法だと強調した。

 その時、外でクラクションの音がした。

 渡辺のスバルサンバーが停まっている。

「渡辺先生が来たみたいだよ。ジュリーになんか用じゃないか?」

「いいのよ。放っといたらいいのよ、あんな奴」 

 ジュリーは渡辺の顔も見る気はしない。どうせ泣かれたりしたもんで、ばつが悪くなって謝りにでも来たのだろうと思ったが、そうではなかった。

 渡辺は店の中に入ってきた。

 そして、入ってくるなり

「ジュリー大変だ。俺たち、逮捕されるぞ」

 と叫んだ。

「どういうことよ………」

「ディックが教えてくれたんだよ。東大あずまひろしの奴が警視総監に俺たちを逮捕するよう仕向けたらしいんだ。明日にも逮捕状が出るってことだぜ」

「どうしてそんな事分かるのよ」

「CIAは、重要人物の携帯電話なんかは常に傍聴しているんだってよ」

「へぇー、どうか知らないけど、趣味悪いわね。風呂屋の覗きと一緒ね。でも、今回は助かったわ」

 ジュリーは、そう言うと立ち上がって店の出口まで歩いた。

「どうするんだ。出頭するのか?」

「そんな訳ないでしょ。逃げるのよ」

「俺もか?」

「当たり前でしょ。こうなったら地の果てまでも逃げてやる」

 店の外まで見送りに来た山岡が、

「ジュリー、俺は何にもできないけど、俺は味方だからな、身体に気を付けるんだよ。困ったことあったらいつでも連絡しろよ。出来ることなら何でもやるからな」

 と声をかけた時、

 ジュリーは振り向きざま、山岡を抱きしめた。

 そして、唇を山岡の唇にそっと重ねた。

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