怪物受胎作戦

 気がつけば、目の前に天蓋が広がっていた。広い寝台に高い天蓋のある部屋は王家の者達が、初夜を迎えた部屋だ。ここは先ほどテオドールとの一幕を演じた場所のはずだった。穴が開いていたはずの壁も、フィアの力で既に復旧している。

 ぼんやりと天蓋を見上げていれば、部屋のカーテンが閉められて、外の光が差し込んでいた部屋がサッと暗くなった。


 薄闇の中で、動く影がある。自分が気を失っていたことに気づき、それまでそばにいたゼクスのことを思い出す。

「ゼクス?」

 と声をかけた。すぐには答えは返って来なかったが、寝台の軋みを感じて、そばにやって来たことを知る。

「眠っていていただければ、一番良かった。ただ、封印もない女王陛下ともなれば、力も強い。そこまでは眠っていただけないようだな」

 声が近づいてきて、こちらを見おろす静かな眼差しのゼクスがそこにいた。

「どうして、ここに?」

「ここがティアトタン王家の者にとっては、婚姻の初夜を迎える場所だと、作戦で知ったからだ。そして、王妃選びを利用し先ほどは大立ち回りを演じていた」

「そうね、でも。今はもう、その作戦も終わったはず」

「そうだな」

 気のない返事をする、ゼクスのことが気にかかった。フィアの脇にやって来て、フィアの髪を一房手にとり、口づけをする。その仕草があまりにも色っぽく見え、フィアは言葉を紡げない。


「目をつぶって、夢だと思っていて欲しい。悪い夢だ。でも、目覚めれば何でもないものになる。現実ではない、夢の世界の出来事だ、と簡単に忘れ去れるようなものだと」

 そのどこか詩的な表現に、フィアは頭のどこかに引っかかりを覚えるのだ。

 どこかで、誰かが言っていたような?

「何のことを言っているの」

「そうだったな、女王陛下は鈍感だった。翻訳をしなければ、通じないのか」と茶化すように言う。

「何だか、失礼なことを言っているのは、分かるけど。何を言っているの?」

「俺は今からフィアを抱く。だが、事が終わったら、すっかり忘れてもらって構わない。記憶のかなたに流してもらえばいい」

 ゼクスが率直な言葉で語る内容は、はいそうですかと流せるようなものではない。

「えええ!?な、何を言っているの?正気?」

「正気も正気だよ。アインとノインを消さないために、必要なことだ」

「アインとノインの問題と、それは繋がらない、と思う。急に、何でそんな」

「繋がっているんだよ。フィアの知らない、いや、記憶のかなたの出来事の中では」

 ゼクスが動いて、ドレスの裾に触れてきたので、金の飾りがしゃらりと音を立てる。

 抱く。

 抱く、とは、抱きしめるという意味ではないとは、さすがのフィアでも知っていた。テオの得意分野ね、と冷ややかに思っている単語だからだ。

「あなたには、妻がいてノインがいて、そして。リュオクス国の総督でしょ。立場的にも、こんなことが許されるわけがない」

「それは周囲の理由であって、俺たちの理由ではない。フィアがどう思うかが重要だ」

「それは、そうかもしれないけど」

 納得させられそうになりつつも、待て、待て、とフィアは思う。不貞を肯定するような真似は出来ない。

「触れられるのは、いやか?」

 と聞きながら、耳朶に触れてくる。

「な、何を聞いているの?」

「いやか、いやではないかで答えて欲しい」

 ゼクスが耳のふちを撫でてくるので、フィアはどこかそわそわとするのだった。

「い、いやではないけど。でも」

「なら問題はない」

「も、問題はあるでしょ!」

「ここへ来て、フィアからの信用を失いたくはない。だが、目的を達成するためには、多少の犠牲も覚悟だ」

「大げさに言いかえても、要するに、それは」

 フィアの言葉に、ゼクスは髪をかき上げる。

「要するに?」

 ゼクスはいつの間にか防具を外し、シャツとボトムスだけになっている。胸元から覗く筋肉の筋を見て、立ち上る雄々しい色気に、驚く。少し乱れた髪の毛が目元に影を落とすせいか、表情が見えにくくて心が揺さぶられる。

 こんな姿見たことはなかった。

 いや、見たことは、なかったのだっけ?

 と一瞬フィアの頭が混乱する。


「そ、そそられないって言ってたのに」

「覚えていないな」

 と言って手の平で頬に触れてくる。慈しむような触れ方が心地よくフィアは思わず目をつぶりそうになり、慌てて気を取り直した。

「す、据え膳は好きじゃないとも言っていたでしょ」

「ああ、今のフィアは、逃げられるだろう?据え膳ではない。逃げてもいいんだ」

 親指で唇をなぞられて、少し切なそうに見つめられると、フィア自身もなぜか息がつまる。

 この気持ちは、なに?

「ただし、このままでは、アインとノインは消えてしまうが」

「それは、本当のことなの?」

「ああ。あの幻の朝がなければ、アイツらはいない」

 幻の朝と、ゼクスは地下国でも言っていた。幻の朝。

 それは、リウゼンシュタインのいた、朝だと。

「もし、それをすれば。二人は消えないですむの?」

「恐らく、そうだと思う」

「なら、これは。作戦と言えるのかも」

「受た、いや、生存作戦か?」

「生存作戦?」

「ああ、奇跡の結晶の生存作戦だ」


 ――――奇跡の結晶?

 どこかで、聞いたことがあった。でもそれは、多分、それを聞いたのは彼の口からではない、とフィアは思う。

「これが作戦だとすれば、覚悟は決まるわ。二人のために、さあ」

 と言ってフィアが伸ばした腕は、本人の思惑とは反して震えてしまっていた。ゼクスはフィアの指に自らの指を合わせて、指を組み合わせてくる。

「怖いなら、怖いままでいい。フィアにとっては、我慢を要することだろう?俺のことは他国で女王を凌辱する最低な人間だと、思ってもらってもいい」

 ゼクスが眉根を寄せ、切なさを帯びる表情に、心が揺さぶられた。

「それは、違う。あなたはそんな人じゃない」

 ゼクスは緩やかにフィアの頬に手を触れて、その反応を確かめてくる。

「だとすれば、どんな人間なんだろうな。フィアにとっては」

 友人ではない。その言葉は似合わないから。

「名前がないの、あなたとの関係につけられる名前が。だって、友人では、ないもの」

 そう口にしたとたんに、その瞳が見ひらかれるのをフィアは見た。そして、ゼクスの口元がほころんだ。

「では、今はまだ。共闘関係と言うことにしておこう」と言う。

 その手が身体に触れて来たとき、フィアが声をもらせば、二人で顔を見合わせてしまう。作戦開始ね、とフィアがおずおずと言えば、そうだな、とゼクスが答えた。


 唇が触れ合ったとき、フィアはふと閃き、何かを思い出しそうな気がした。けれど、その閃きはとても儚く、再び、記憶の海の中に消えていく。


 優しい手つきで触れられていくなかで、声を出してもいい、と言われる。こらえる癖があるの、と言えば、それはそれで愛らしいな、と言われた。

「あのときは、無我夢中で、優しくはなかったかもしれない」

「あのとき?」

「傷つけていたなら、悪かったと思う」

 触れる度に、痛くはないか、気分は?と聞かれるので、すべて答えていくうちに、フィアは自分の心を手渡したような気がしてしまった。

 ゼクスは精悍な眼差しが印象的な騎士だと思っていたけれど、こうして向き合ってみれば、色気の立ち上る美男へと変わる。

「いつもと、印象が違うのはなぜ?まるで色気が目に見えるみたい」

 ゼクスがその前髪を煩わしそうにかき上げれば、その所作一つとっても艶っぽく見えてくる。時が迫ってくれば、その灰褐色の瞳がとろけるような潤いを帯びてくるので、まるで、別人、とフィアは思う。

「一度取り崩すと、際限がないから気をつけているんだ。どこまでも、求めてしまう」

 あまやかな声でそう言って、フィアの頭の先から足の先まで、愛の痕を残していく。

 ズルい、と思った。記憶のかなたに流してしまうことは、出来そうにないからだ。

「あなたに愛された人は、幸せね」

「今幸せなのは、俺の方だ」

 と吐息まじりの声で言われたあたりで、フィアは一度眠った。

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