正統な後継者

 ゼクスが自軍に赤子を連れ帰ったときの、周囲の驚き方は尋常ではなかった。総督就任後には、前にも増して無愛想になり、近づきがたい雰囲気をまとっていたゼクスが黄金の瞳を持つ赤子を抱きかかえて戻って来るとは、誰も思わない。更には、

「一体その子は?」という問いに、「正統な後継者だ」と嘯くので、たまったものではない。

 総督府や王立騎士団を中心に、王都の話題をさらっていった。

「あの金剛要塞に愛妾がいたとは」

 と口さがない者たちが語るが、ゼクス本人はもとより、妻であるアリーセもまた、だんまりを決め込んでいる。


 正式な婚姻を結んだアリーセとの間には、暗黙のルールがある。互いに公認の仮面夫婦であるというルールだ。

 アリーセは幼少時代からの知り合いである伯爵子息と懇ろである。ゼクスとの婚約後も関係を分かちがたく、ゼクスに不義理だと思いつつも忘れがたい、と言うのだ。


 婚姻初夜に、深刻な調子でアリーセに告げられた事情にゼクスは、

「縁を切る必要がどこにある?好きにしてもらって構わないし、責め立てるつもりもない。今後とも仲の良い付き合いをしていだたけばいい」と返す。

「今ここへ呼べばいい、遣いをやろう」と言い募り、ゼクスは寝所を退室していった。残されたアリーセがあんぐりと口を開いていたことを、ゼクス本人は知らない。


 婚姻当初より、アリーセにはゼクスとの間に後継者を急がせる圧力がかかっていた。度々匂わされるが、

「気が乗らない」

 とゼクスがあしらい続けていたら、しおらしい妻であっても、とうとう頭にきたらしい。

「一度でも気が乗ったことがおありでしたか?」

 と嫌味を言われるようになった。

 自分に指一本触れようとしない夫と、周囲の声の板挟みになっていたアリーセは、政略結婚にまんまと巻き込まれてしまっていたのだ。その鬱屈した思いを、飄々と逃げ続ける夫へぶつけたくなるのも無理からぬことだった。

 とはいえ、嫌味を述べたものならば、

「ならば、剣を手に取れ。貞淑な貴婦人にはそそられない。打ち負かされた後ならば、いかようにでもお相手しよう」と何倍にもして嫌味を返してくるので、アリーセは半ば諦めの境地となる。

 ゼクス・シュレーベンと対等に闘える貴婦人はいない。


 ゼクスはかねてより、「退場願いのシュレーベン様」「去りたがりの団長様」とサロンでは評判だった。ゼクスの精悍な眼差しと紳士的なふるまい、そしてどこか物憂げな表情に、色めき立つ令嬢や貴婦人たちは多い。しかし、ひとたびご婦人方から誘いを受ければ、

「申し訳ないが、食指が動かない。退場させていただいても構わないだろうか?」

「血が湧きたつ感覚がない。ご退場いただきたい」

「まったく、そそられない。去らせていただいても?」

 とゼクスはズバズバと切り捨てていくのだ。

 評判通りの振る舞いに、アリーセはため息を禁じ得ない。

 とはいえ、父の立場を考えれば、この婚姻の存在は重要であり、婚姻は継続するほかなかった。


 そんな矢先に、ゼクスが黄金の瞳を持つ赤子を連れ帰って来たのだから、どんな手を使ったのか、とアリーセもまた、周囲の者と同様に問い質したい思いになる。

「一体どなたのお子なのですか?」とアリーセが尋ねたところ、

「後朝待たずのなんとやら」

 とゼクスは隠語でさらりと語る。

 かつてその話は、アリーセの耳にも届いていて、サロンで持ち切りであった。

「退屈を切り裂く麗しの第二師団長様」とサロンの貴婦人の中には彼女のファンがいたくらいだ。


 そんな、まさか、と驚くアリーセだったが、赤子は成長する中でその出自を明らかにしていく。

「これで後継者に関して何も問題はないな。そちらの貴公子殿との逢瀬に水は差さない、自由にしてくれ」

 とゼクスはアリーセに告げる。

「自由にしてくれ」

 つまりそれは、自分も自由にする、という宣言だ。折に触れて赤子を見るたびに、かつての第二師団長そっくりになっていき、そしてその早すぎる成長や怪力を目の当たりにしたところで、アリーセは悟る。この子は自分の手には負えない、と。

 夫であるゼクス・シュレーベンが只者ではないのはたしかで、彼が連れ返って来た赤子の親が只者ではないのは、たしかである。

 理解しがたい者たちに囲まれているアリーセは、昔なじみの優しい貴公子との逢瀬にのみ、自分の心の置き所があるのだった。


 赤子はガルド人の何倍ものスピードで成長していった。そして感情が高まり泣くたびに、瞳をエメラルドグリーンに染めるのだ。普段顔色一つ変えないゼクスであっても、その容姿が明らかにかつての第二師団長の面影を見せてきた段階になったところで、いよいよまずいな、と思う。

 まだ王の目には触れていないが、見ればかつての第二師団長を想起しないわけがない。


 そして、赤子は力が強く、掴んだものはすぐに破壊してしまう。何名もの乳母や世話係が腕を骨折したのを見かね、ゼクスはルインに抑制剤の処方を頼んだ。かつて、フィア・リウゼンシュタインが口にしてた抑制剤を、赤子にも与え始めることにする。

 エメラルドグリーンの瞳になった赤子を見たルインは、

「フィアじゃないか」

 と屈託なく感想を口にするので、さすがのゼクスもため息をつく。彼女を知る者が見れば、この子の親は明らかなのだ。第二師団長退団後に、ルインには「最後の手合わせはできた」とのみ告げていた。


 抑制剤を必要としたのはゼクスもまた同じで、ふとした瞬間に、指の先から電撃が走り、屋敷の電気系統を破壊してしまうこともある。ルインからしばしば抑制剤を受けとり、凌いでいた。

 赤子もまた、抑制剤が効いているうちには、その金の瞳をエメラルドグリーンに変えることはない。

 赤子は、ゼクスの正統な後継者として、アインと名付けられた。

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