奇跡の結晶

 リュオクス国側の進行による被害状況はそれほど深刻ではなく、立て直しは容易だと、軍や騎士団を前に、テオドールは簡潔に述べる。開門し前線を引き上げる、と言うのだった。更に地下国の者たちを解放し、戦力にするという。


 指示や通達を行った後で、テオドールは産屋のフィアの元へやって来る。全て知っているはずだが、

「すべて、産み落としたか?」とテオドールは不思議なことを聞くのだ。

「ええ」とフィアが答えれば、テオドールは首を横に振った。そしてフィアの手を取り、地下室へと連れていくのだ。そして、寝台へフィアを拘束した。


「何をするの」

「空に稲妻が走った。あれは恐らく王都の者の魔法だ、古の。そして非常に強い」

 テオドールが言い、フィアは肝を冷やした。

「なぜ、今そんなことを」

「王都の者に心当たりがあるだろう。証拠は身体に残っているはずだ」

 とテオドールは言って、寝台に拘束されたフィアの下着をはぎ取り、下腹部を強く押す。骨に響くような鈍い痛みがあり、脚の間から何かがこぼれ落ちる気配があった。フィアの角度からは何も見えない。テオドールが、低く、なるほど、お前の母は地下国出身だったな、と呟く声を聞き、フィアはハッとする。


 テオドールが抱えていたのは、仮死状態の赤子だ。数時間ほど前に産み落とした子よりもはるかに小さい、そして、褐色の肌をしていた。

 フィアは思わず叫び出したい気持ちになる。ああ、護り切れないかもしれない、と思ったのだ。

「テオ、お願い。その子に蘇生の手当てをさせて」

 声が震えているのが分かる。どう考えても分が悪い。赤子の状態も悪ければ、テオドールに頼むしかない状況も、最悪だ。テオドールが少し手を捻れば、赤子を完全に絶命させるのは簡単だ。テオドールの瞳がスッと悲しい色に染まる。

「お前が、俺に何かを懇願するのは初めてだな」

 と言いフィアの口元を指で撫でてきた。

「懇願する女は、特に子のために懇願する母親は嫌いだ」

 テオドールはフィアを見ているようで、どこか遠くを見るような目をする。

「お母様のことを言っているの?」

 テオドールは王の縁戚であるリンドルド侯爵の愛妾の子として生まれた。

 政略婚にて結ばれた正妻との間には、子がなく、テオドール誕生後に間を悪くして正妻が懐妊する。正妻の子は魔法力も弱く、腕っぷしも弱い病弱な男児だったため、正妻の子を差し置いてテオドールが後継者となった。以降、口さがない者たちの噂が立つ。

 しかし、正妻がその後男児を産み、魔法力もそこそこであることが分かったとたんに、伯爵はテオドールと母に屋敷を与え、伯爵家から追い出した。テオドールの母は、彼をフェルンバッハ家に引き取ってもらうことを懇願したのだ。フィアの耳に届いていたのは、テオドールの母が彼の実力を発揮させるために、フェルンバッハ家に懇願しに通い詰めたという逸話だった。


「母は何かの罪を犯したのか。それゆえに、誰かにものを懇願しなければならず、自分の処遇も決められなかったのか。純粋な王族のお前には、分かるか?」

 テオドールの言葉に、フィアの胸は苦しくなる。前戦争のとき、もしも彼の母がフェルンバッハ家の屋敷にいたならば、命を落としてはいなかっただろう。テオドールの母は、屋敷ではなく都の端に追いやられており、それゆえに前戦争で命を落とすことになったのだ。

「前戦争に関して、お母様にもあなたにも、何の罪もない。お母様を護れなくて、本当にごめんなさい」

 幼いフィアが見たのは、窓の外の閃光だ。そしてその後、轟音を聞いた。記憶にあるのは、それだけだ。どこか記憶にもやがかかっているようにも思う。

 その後、ティアトタン国は瓦礫だらけの国となる。フィアの言葉に、テオドールは顔をしかめた。


「お前はいつもそうだ。与える側としてものを言う」

「私に出来ることがあったのかもしれない。ただ、何も知らずに城の中にいたの。あなたのお母様が亡くなった瞬間に。私にこそ罪がある」

 テオドールは頭を振る。

「フィア、お前は愚かだよ。全てのものを己の手でどうにか出来るに違いない、と過信する。どうにもできないことがあると知った方が賢明だ」

「出来ないことがあるのは、知っている、今がまさにそうでしょ。その子を助けたいの。私だけでは無理。あなたの手を借りなければどうにもできない」

 赤子の皮膚は変色しかけており、手を施さなければ間もなく絶命する。フィアの魔法だけではどうにもできないだろう。

「当然、取引があることは覚悟の上だろうな」

 とテオドールは言った。フィアはごくりと唾を飲み込む。想定はしていた。命を取られるか、あるいは、王権の完全な譲渡だろうか。しかし、テオドールが口にしたのは、フィアの想定したものの、どれでもなかった。


「記憶を消せ、この7年間の」

 フィアはテオドールの顔を見る。その意図を知りたかった。なぜ、そんなことを言うの、と思ったのだ。

「お前の悪事一つがこの赤子であるならば。もう一つは7年前からこれまでの記憶だ。赤子を残すのなら、記憶は捨てろ」

「7年間の記憶……」

 モントリヒト公国立のスクールを出て、騎士団に入り、そして退団したこれまでの記憶をなくす?

「お前は7年前に国を出ていない。そして、あのとき、フィアは俺と婚約したことになる。フィア・リウゼンシュタインは存在しなかった」

「そんな、それはつまり……」

 フィアは言葉を飲み込む。ゼクスとの出会いも、すべて消せということだ。

「選べ、フィア・ティアトタン」

 テオドールの瞳は静謐さをたたえている。これは揺るぎのない問いで、一度返答すれば、覆られないものなのだと、フィアは感じた。

 ただ、覚悟は決まっている。

 テオドールに屈しないと決めたときから。

 ずっと隠して誤魔化して来たのに、好きな人と一度だけ結ばれてしまった。どんなからくりだったのかは、分からないけれど、きっとあれは奇跡だ。

 だとすれば、この子は奇跡の結晶にほかならない。

「私の」

 ずっと、ずっと、大好きだった。言葉に出来るわけもない。

 けれど、剣を交わして会話をしていた。あの剣の重み、息継ぎの間合い、すべて目をつむれば思い出せる。

 愛してる。

 あの笛の音が耳に残った。


 テオドールの手のひらが、フィアの額に触れた。涙が頬を伝う感覚がある。

 ――――さよなら、ゼクス。


「記憶を消して」

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