溺愛の刻印

 王が西方征伐に軍を派遣しようとしていると知ったとき、ゼクスは前戦争の記録を紐解くことにした。研究所に残された記述には、前戦争は「ティアトタン国との戦い」とある。

 ティアトタン国の王族は、怪力や魔力を持つ一族のようだ。取り分け大地のエネルギーを使う王や女王により統治されてきた歴史があると書かれていた。

 書物にはシルバーブロンドの髪とエメラルドグリーンの瞳が一族の特徴であると書かれている。 

 まさにそれは、フィア・リウゼンシュタインの容姿の形容そのままだ。


 前戦争において、ティアトタン国をリュオクス国が打ち負かしたのならば、敗戦を喫した一族が王都の者へと複雑な思いを抱くのは、当然のことだ。フィア・リウゼンシュタインの言動の根幹に理解が及んだような気がした。


 ゼクスがその書物を探せたのは、研究所の最奥の書庫にかかっていた魔法の存在を把握出来たからだ。フィアとの手合わせの際に解放された魔力により、ゼクスは、魔法のありかを補足できるようになっていた。


 文様が浮き出た空間に力を放てば、まるでガラスが割れるような音がして開かれた空間が出てくる。配架された書棚から著者不明の書物を取りだし、紐解いた。

 もし、フィアとの最後の手合わせを望まなければ、そして企てをしなければ、恐らく愚かにも魔法がかかったまま、偽物の安寧に沈んでいたことだろう。

 自身のたった一人の女性に対する執念が、まさか王都の秘密を暴くことになるとは、思ってもみない。


 西方への進軍はあくまでも威嚇であり、前哨戦だ。攻め入る必要はなく、地理の確認や本来の敵を見極める必要があった。

 敵と目されているのは、ティアトタン国であることは、総督府においては、恐らくゼクスのみが知る。そして、恐らくそこに、行方をくらましたフィア・リウゼンシュタインがいるだろうことも、王を除いてはゼクスしか知り得ないのだ。

 

 ヴォルモント公爵の領地に差しかかったとき、笛の音が聞こえて進軍を止めた。

 馬車が近づいてきて、降りてきたのはブロンドの髪の瀟洒な装いの紳士だ。

 唯一、そして最大なおかしな点があるとすれば、首に木の根っこを巻いていることくらいである。

 対面するのは初めてだったが、この地域で変わり者の紳士と言えば相場が決まっていた。


「何か?」

 と声をかければ、

「ご機嫌麗しゅう、総督殿。私の親しい友人からの伝言だ」

 と言って、それを告げてきた。

「また会えたら、嬉しい」

 声真似が非常に上手く、ゼクスの背筋はぞくりと震えた。

「擬声には自信があるんだ」

 と満足そうに笑う。

「では、フィールドワークに戻るよ。私の美しい土地をあまり荒らさないでくれ」

 と名乗りもせずに馬車に乗り込むのだ。周りの騎士たちも、まるで時が止まったかのようにして、その馬車が去っていくのを、見送る。


 本来ならばヴォルモント公爵の領地は進軍の最終地点だ。これよりも西方は未開の地域とされていた。しかし、忘れもしない、フィア・リウゼンシュタインそっくりな声で告げたそれを聞いて、さらなる進軍を決行する。

 部下たちは不安を募らせていたので、

「偵察に行くのみだ、待機していてもらっても構わない」

 と告げた。総督府の精鋭騎士として帯同する者の中には、騎士団時代の同僚も複数いる。同僚たちは、フィア・リウゼンシュタインを当然知っていた。

 自身や周りの騎士の周りに文様が浮き出すのを見て、何かの魔法がかかっていることが分かる。魔法をかける人物が近くにいるはずなのだ。そのとき、名前を呼ばれ、フードを被った騎士を目撃する。

 長いシルバーブロンドの髪が風に舞い、フードの奥からエメラルドグリーンの瞳が鋭い光を放つのを見た。

 剣が降って来たのと、ほのかな血の匂いを感じたのは、ほぼ同時だ。

 鍔迫り合いの音で、周りの視線がこちらに向くのを感じたが、すぐに距離を取る相手を咄嗟に追う。

 

 これは、本能だ。妥協を許さない。ただひたすらに、最も欲しいものを求める本能だ、とゼクスは自覚した。

 来て欲しい所へ必ず来る太刀筋に、身震いする。まともに受ければ、こちらの手が痺れるほどの力だ。

 伴侶として、好敵手として。自分が彼女をどちらから求めていたのかと知りたいと思ったことがある。

 今ではハッキリと分かっていた。彼女との未来ごと手に入れたい。退屈で満たされた凪の中にいた自分に、急遽生まれた激しい熱情だった。

 ただし、簡単ではないのは承知の上だ。


 彼女はゼクスの想像の範囲を優に超えてくる。生まれたばかりの赤子を託されたので、一つ自分も刻印を残した。


 戦場でフィアの姿を見たとき、服の上から見ても、その身体が魔法の刻印だらけであるのは、分かった。

 フィアの刻印を全身に施すほど、溺愛している者がいる。

 彼女の身の安全が保障されていることは想像できるが、フィアの逼迫した様子を見る限り、円満ではないようだ。

 試したことはなかったが、魔法を込めて刻印をすれば、恐らく魔法を持つ人間には見えるのだろう。

 もし、自分がほどこした刻印が消されれば、感じ取れるはずだ。

 ゼクスは、唯一残されていた場所に刻印を残す。

 もしその封印が消されたときには、フィアを奪いにいく、とゼクスは思った。


 ただし、その刻印が意味を成すときが来るかどうかは、賭けだ。

 魔法力の高い者が、あえて刻印を消して悟られるようなことをするかどうか。


 それは恐らく、その者が、真にフィアの身の安全を案じているかどうかにかかっているはずだ。



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