懐妊

 王であるラヌスが逝去し喪に服して間もなく、フィアに懐妊の兆候が表れ出た。小指の爪の色が青く変色し始めたのだ。ティアトタンの者だけの特徴だが、テオドールには目ざとく見つけられてしまう。


 フィアはテオドールと婚姻関係を結ぶ代わりに、ビアンカとアルフレートの安全な帰国を要請した。二人が無事に帰国したのちには、

「他の人との交流は望まない。でも、二人とだけは、会わせて」とねだる。

 元より力関係ではアルフレートやビアンカを歯牙にもかけていない様子のテオドールは、勝手にしろ、と言うのみだ。

 ビアンカとの交流が可能になったフィアは、抑制剤を飲み終われば、ビアンカに抑制魔法をかけてもらい、テオドールとの寝室をやり過ごしていた。

 にも関わらず、胎児を宿したとなれば、想定外の事態となる。


 驚くのと同時に、フィアは一つの仮説を思い浮かべる。

 一度だけ理性の完全に失われた愛のやり取りがあったのは、記憶にあった。抑制剤が効いていたのかは、分からない。

 なぜ彼とそうなったのかも、覚えていないのだから。


 ティアトタンの者は、ガルド人の半分以下の期間で子を産み落とす。魔力や腕力など身体的な能力が高ければ高いほど成長のスピードも早いとされていた。

 フィアの胎児の成長は著しく、あっという間に腹の膨らみが目立つようになる。胎児の成長と比例し、フィアの姿を見るテオドールの眼差しはどんどん柔らかくなっていった。

 しかし、一方のフィアは気が気ではない。フィアの子であることは、間違いないが、その瞳の色いかんによっては、子どもの命すら危ういからだ。


「大切な身体だ、無理をするな」とテオドールは言う。

 テオは、完全に支配していると思う相手には、優しさを見せるのね、とフィアは思う。

 今はフィアが自分の手元におさまっているように感じるから、牙をむかない。もし、同じ土台に乗ろうとするならば、テオドールは即座に自分の首をはねるだろう、とフィアは思う。

 思惑とは裏腹に、すくすくと胎内で育っていく生命の存在へ、フィアは愛おしさを感じていた。

 圧倒的な存在感を放つ存在を感じ、この子を絶対に護らねば、と思う。

 例えテオドールに歯向かったとしても、何としてもこの子を生かさなければ、と誓ったのだ。


 子どもが生まれたら即位式を行う、とテオドールは言う。

 テオドールの反乱以降、フィアの義母や兄、姉たちはすっかりテオドールの言いなりだ。宰相はラヌスの悪政を訴え、テオドールの反乱の正当性を主張しはじめていた。

 自身の権利を確保したい爵位ある身分の者たちは、火の粉がふりかからないように、とテオドールの治世が正しいと言わざるを得ないのだ。

 国民や権力から遠い者たちだけが、声を潜めながらテオドールの悪事を語り続けている。


 フィアが、

「力ずくの統治って、とっても憐れね」と皮肉を述べれば、

「それは力がない者の遠吠えだろう。力であれ意向であれ、あるものは、全て利用して統治すべきだ」

 とテオドールは言う。

 ある意味ではラヌスと同じ発想を持っていた。ただし、人望を得るための草の根活動を嫌い、国民の意見を聴く努力を欠いている点において、「テオはお父様に及ばない」とフィアは思っている。

 

 アルフレートは宰相である父の補佐についており、国内を駆けまわって得た情報をフィアに逐一教えてくれていた。王都近辺に動きがあるようだ、とアルフレートは言う。テオドールがビアンカに追手を出した際に、一部のガルド人が傷を負ったようだ。その報告を受けた遊離騎士団が、王の元へ報告をしたらしい。


 そして、遊離騎士団へフィア・リウゼンシュタインが所属していないことを怪しんだ、一部の団員がフィアの不在を報告したようだ。

 王都にフィアの出自の詳細を知る者はいない。ましてや封印のかかっているこの場所に騎士団がやって来るとは思えなかった。しかし、フィアからすれば、記憶のない一夜のことが気がかりでならない。

「たかだか、一団員の行方が不明になったくらいで、王が大がかりな動きをするとは思えないけれど」とフィアは言う。

「モントリヒト公国立スクール首席のフィア・リウゼンシュタイン。そして王立騎士団の第二師団長だろう?小国の災害派遣で活躍していた、とも報告を聞いている。王都からすれば、十分に必要な人材として認識されているようだ。そして今は」

 アルフレートはそこで言葉を切る。次期国王妃、という単語を、アルフレートは好まない。フィアは女王であるべきだ、とアルフレートは言うのだ。


「王都が動き出さないうちには、様子見よ。王都にはまだ魔法がかかっているわ。王族の人たちからも、力を感じられなかった。私たちがようやく、戦禍から立て直しをしたように、王都の人たちもまた平穏の中にいる。ここでことを荒立てることは、民のためにはならない」

「前戦争で王都の人たちが、我々から奪ったものは、何だったんだ?」

 前戦争はティアトタン内部の崩壊により、起こったと言われている。現在の王都の王族は元々ティアトタンの王族の系譜を引いていた。一族が枝分かれし、中でも異質な力を持つ者が反乱を起こし、戦争を起こしたと言われているのだ。


 ラヌス王に反旗を翻し、武器を奪ってティアトタン国を攻めた。王都はリュオクス国に移り、大陸の支配権を奪ったと言われている。ティアトタン国の民の一部は、リュオクス国に攫われて蹂躙された。そう聞いている。


「王都の名前と、そして支配権。そして、国民の尊厳ね」

 フィアの言葉にアルフレートはため息をつく。

「国民の尊厳を奪っているのは、テオも同じだな」

「もっと言えば、日夜、私の尊厳もめちゃくちゃにしているわ」とフィアが自嘲的に冗談めかして言えば、アルフレートは眉根を寄せて首を振り、

「やめてくれ」と言う。

 生真面目な貴公子には、きつい冗談のようだ。

 ただ、アルフレートとビアンカには既に話をしていた。生まれる子どもは、テオドールの子どもではない可能性が高い、ということを。

 父親のことを二人一様に尋ねてくるが、それだけは明かせない、と告げるしかない。


「まずは、子どもの命が危ない。そして、次に危険なのはオレやビアンカだろうな。疑いを向け、当たり散らすのは目に見えている」

 とアルフレートは言う。子どもの命が危ないのは分かっていたが、次点で危険なのは、フィアは自分自身だと思う、と告げた。

「テオがフィアに手をかけることは、まずない。今度は抑制剤や抑制魔法の存在を消し、事に及ぼうとするだろう。知ってのとおり、昔からフィアにご執心なんだよ」

「自分の思い通りにならないから、屈服させたいだけでしょ」

 とフィアは吐き捨てるが、アルフレートは首を横に振る。

「フィアには男心が分からないんだな。アイツのやり方に賛成はできないが、フィアのような女性にこそ、頼られたいと思う時がある」

「それは、私を同じ土台に乗せてくれてからの話。テオは女、女と私をバカにしてばかり。私はもっと対等でいたいのに」


 かつて剣先を交わらせていた彼のことを思い出す。

「公爵令嬢にはさっさと退散してもらおう」

 と容赦のない言葉を言い放った彼は、フィアのことを同じ土台に乗せていたと思う。立場を気にしなくてよかったからこそ、フィアは彼と混じり気のない感情で剣を交わし合うことが出来た。

「オレは剣術でフィアと同じ土台に乗るのは無理だ。けれど、フィアとは学識の上で十分話し合えると思っている」

 アルフレートが水を向けて来れば、

「なら、「女王の夫」はアルフレートの方がいいわね。テオは「女王の夫」に満足するわけがない」

 フィアは冗談でかわす。


 みんな冗談にしてしまうんだからな、とアルフレートはぼやく。とはいえ、こうして言葉遊びを楽しむ相手がいることは、フィアにとっては救いになっていた。父を失い、安寧に沈んでいた日々が一変した今、アルフレートやビアンカの存在はフィアの心の拠り所となっている。

「いずれにしても、王都の関心が我が国に向いているのはたしかだ。面倒なことにならばければいいが」

 アルフレートの懸念は、現実のものとなった。

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