おかえり

 馬車は一路、ヴォルモント公爵管理下の領地へ向かう。王都から半日、西方地域との境目にヴォルモント公爵の治める土地だ。

 近づくにつれてフィアは自分の本分を思い出してゆき、憂鬱になっていく。ヴォルモント公爵の屋敷に着いたときには、彼に父へ進言してもらうことばかり考えていた。


 フィアが遊離騎士団で実際に活動できるかどうかは、父の判断次第だ。無理であれば、騎士団は、空いた穴を埋めるために新たな団員を募集するだろう。

 騎士団を抜けるとなれば、待ち受けているのは父の采配による縁談だ。恐らく相手はヴォルモント公爵ではない。生粋のガルド人であるフランツ・ヴォルモントは、フィアの婚姻相手としては不十分だ、というのが父の考えだ。

 フィア自身も、兄のような存在であるフランツと婚姻するつもりはない。そもそも人間に興味ないでしょう?というのがフィアのフランツに対する認識である。


 屋敷の前で馬車がとまり、フィアは馬車を降りる。秘書官が、「公爵はフィールドワークに出ておられます」と告げてきた。フィアは「分かったわ」と言う。まずは、屋敷の中で着替えをさせてもらおう、と思った。


 幼少期より出入りしていたこともあり、屋敷に入ると見知った顔がいくつもある。侍女や執事から、「フィア様、おかえりなさいませ」と次から次へと声がかけられた。「ただいま」と答えた瞬間に、懐かしさがこみあげてくる。騎士団に入ってからは、ほとんど出入りしていないからだ。


 フィアはかねてより用意されていた自室へ行く。そして私服を脱ぎ、鏡の前で身体を確認してみると、多少薄くなっているものの悪事の痕がいくつも見つかる。朝確認した以上のおびただしい痕が散見していた。

 マーキングのつもり?

 と思いかけるけれど、ゼクスが自分にそんなことをする必要があるとは思えない。首をふるい考えを振り払う。

 とはいえ、首やデコルテに見つかる痕がある限り、自室に用意されていたドレスは着られそうもない。手持ちの服はほとんどないため、騎士団の正装を着て部屋を出た。


 この屋敷界隈にいる間ならば、王都の騎士団の正装であっても、見咎められることはないだろう。使用人の中には王都出身者も多いし、この屋敷はフランツの管理下にある。自由を重んじ、自由を愛する公爵の屋敷である以上、どんな服装であっても、許されるだろうと思う。


 フィアは庭園に出ていき、フランツが帰ってくるまでの間、散策をしてみることにした。

 庭園を散策していると、バラ園に出る。品評会に出すようなバラを育てるというよりも、珍しい品種を育てることこそが公爵の本懐だ。フィアはふと思いついて、温室の虹色のバラを見に行くことにした。フィアが公爵の世話になるということで、父が贈答した一族ゆかりのバラである。

 温室はしっかりと管理されており、さまざまなバラが咲き誇っていた。いずれにしても、王都ではお目にかかれない、変わり種ばかりだ。朝と夜で色が変わるもの、実がなるもの、リキッドの原液となる魔法を宿したものなど、王都では禁じられているものばかり咲き誇っている。


 そして、温室の奥にそれはあった。ガラスケースに入り、刻一刻と色を変えていく虹色のバラだ。フィアがガラスケースに近寄れば、気配を感じたらしく、色の変化によって、合図を送って来た。

 おかえり、だ。その言葉に心が温かくなるのと同時に、手足を縛られたような気分になる。

 もう、騎士団に戻ることは出来ないのかもしれないし、もう二度とゼクスとは会うことはないのだろう。


 あるとすれば、王が西方征伐でこちらに騎士団を遣わした場合だ。王は恐らく王都にかかっている魔法を知っている。あるいは、首謀者の可能性もあるだろう。

 前戦争の記憶は敗北者のみに残り、勝者は一切を忘れるように仕組まれているのだ。ゼクスが総督府総督の息子である以上、後にも先にもフィアとは繋がりえない。

 一夜の過ちは一夜の過ちとして、胸に閉まっておけばいい。

 ゼクスもまた、アリーセとの婚姻の前の火遊びとして片づけることだろう。

 そのとき、身体からはらり、と何かが落ちた気配があった。けれど、床を見ても何も見つけられない。

 フィアは気のせいだ、と思って、温室を後にする。


 フィアが温室から出たところで、

「フィア様、こちらにいらっしゃったのですね」と軽快な声がかかる。見れば栗毛の髪に、同色の瞳を持つ青年がいた。白地に青の装飾を施した、フィアの国の正装をしている。最後に会った頃よりも大分様変わりしていたが、フィアには目星がついた。

「アルフレート?」と問えば、すぐさま瞳が輝いて、

「覚えてくださったのですね」と言う。そして、フィアの手を取りひざまずいて、手の甲に口づけをした。

「おかえりなさいませ、フィア様」と言う。こんな風にひざまずかれたのは、数年ぶりだったために、フィアは少々及び腰になってしまう。騎士団では、フィアこそが高貴な身分の方へ、ひざまずく身分であった。


「ずいぶん頼もしくなったのね、見違えた」とフィアは言えば、

「フィア様はお美しくなられた」

 と返って来る。

 アルフレート・ディトリッヒもフィアの国では地位のある身分であり、こうして遣わされたからには、父のお眼鏡に適った者なのだろう。

 アルフレートとは、幼なじみのようなものなので、こんな風にものものしく接せられることは、フィアからすれば違和感を禁じ得ない。

「アル、もう少し気軽に出来ない?」

「いや、変化を見てもらわないと。ひ弱なアルのイメージのままじゃ、オレと縁談があったとしても、フィアは絶対に蹴るだろう?」

 アルフレートの砕けた口調に、フィアは思わず笑みがこぼれる。


「アルも別に、お父様の気まぐれに付き合わなくてもいいのよ?縁談を無理に持ち込んで、私を国に閉じ込めたくて必死なだけだもの」

「フィアとの縁談なら、オレに断る理由がないだろ?昔からそのつもりだ。ただ、フィアはまったくそんなつもりはなかったみたいだけど。国を出ると言って、もう7年になる。騎士団に入ったと聞いているよ」

「そう。中々様になっているでしょう?」

 と騎士団の正装を身につけた身体を指さしてみせるけれど、

「たしかに、似合ってはいるけど。国に帰るならドレスでなければ」と指摘されてしまい、かえってフィアは分が悪くなる。


「あまり、よいデザインのドレスがなくて。それに5年間騎士団にいたのだもの。まだドレスには慣れないの」

 とだけ伝えて、これ以上触れないでもらうことにした。

「ヴォルモント公はどこにいらっしゃるんだ?ご挨拶に伺いたいと思ったが、見かけないんだ」

「フィールドワークよ、彼の趣味」

 フィアが軽く答えれば、裏に何かを勝手に読み取ったのか、

「公爵との縁談の可能性は?」

 とアルフレートが伺ってくる。

「ない。ガルド人だし、そもそも彼は人間に興味ないでしょ」

「なら、オレにも可能性があるんだな」

 とアルフレートが軽口を叩く。

「私はアル好みの淑女じゃないわ。夜遊びが大好き。フィア・リウゼンシュタインの名では、面白いくらいにいろんな噂がある」

 フィアが肩をすくめてみせれば、

「それは仮の姿にすぎないさ」

 と言ってアルフレートは手を差し出す。お手をどうぞ、散策に参りましょう、と冗談めかしながら言うのだ。

「本当の姿よ」と念を押し、アルフレートの手を取った。


 庭園を散策しながら、フィアはアルフレートに探りを入れる。父の機嫌や意向がどうであるのかがフィアにとってはとても気がかりなのだ。

「お父様はこの頃どう?」

「ご機嫌はいいようだ。地下国の反乱が落ち着いていることもあるけれど。フィアが戻ってくるとなれば、ご機嫌なのは当然だと思う」

「遊離騎士団への配属は難しいと思う?」

「かなり難しいと思う。それに、フィアにとって必要な活動だとはオレも思えない。フィアはラヌス様にとって今は亡き奥方の忘れ形見。ご兄弟の中でも最も目をかけていた。ゆくゆくは……」

 アルフレートの語る言葉は、ある意味恐ろしいことだ。フィアと腹違いの兄や姉が聞いたら、どんな謀略にかけられるか分かったものではない。

「そんなの、お義母様をはじめ、お兄様、お姉さまがお許しになるとは思えないわ」

「仕方ないだろ、力が目覚ましいのがフィアなんだ。ラヌス様は前戦争を経て、よりそう感じておられる様子だよ。統率するには、力は必要だ」

「お父様の言う力は、破壊的な力でしょう?」

「圧倒的な力、魔法力。フィアはラヌス様の期待を受けている。ガルドで騎士団に甘んじていることは、許されないだろうね」

「でも、恐らく王都にはいるでしょう?力を持つ者たちが。今はまだ眠っているようだけれど」


 フィアの言葉に、アルフレートは唇の前に人差し指を置いて諫める。

「それを口にしてはいけない。ヴォルモント公の領地は、王都の息がかかってはいないとはいえ、ここはまだ、我らの国ではないんだ。誰が聞いているとも分からない」

「分かっているわ。いずれにしても、私の今後はお父様の意向に関わっているのね。傀儡のようなもの」

「そんなことはない。フィアは存在するだけで、幸福をもたらすんだ」

 アルフレートの言葉はフィアを慰めるには足りない。アルフレートの思う前提条件がフィアの思うものとは異なるからだろう、と想像するからだ。

「屋敷に戻りましょう」

「そういえば、ビアンカも迎えに来ると言っていた」

 アルフレートの言葉に、本当に?嬉しい、と言ってフィアが喜ぶと、オレと会ったときよりも喜んでいるような気がするな、とアルフレートはぼやく。


 アルフレート・ディトリッヒ、ビアンカ・オイラー、そしてテオドール・フェルンバッハは母国でのフィアの幼なじみたちだ。

 父に仕える家の者たちで、幼少の頃から共に育ってきている。ビアンカとは気の合う女友達で公国立のスクールに共に入学し、更に王立騎士団に入る際の準備も、手伝ってもらっていた。


 ビアンカは魔法で一時的にフィアの能力を抑えてくれていたのだ。王立騎士団所属になってからは、ルインに抑制剤の作成を頼めるようになったが、それ以前はビアンカに定期的に魔法をかけに来てもらっていたのだ。スクールを卒業できたのは、ビアンカのおかげと言っていい。

「フィアの好きなようにするのが一番」がビアンカの言い分だ。彼女自身もいくつもの婚約の話を蹴りながら、スクール時代の伝を利用してガルドへの行商の仕事をしている。


 屋敷に戻るとヴォルモント公爵がちょうど馬車から降りたつところに居合わせたので、フィアは公爵に習った指笛で挨拶をする。

 挨拶のほかには、国の者にも、そしてガルドの者にも聞かれたくないことがあるときに使っていた。指笛により、公爵はフィアを見つけにこやかに笑う。

「おいたが過ぎたね、フィア」

 そして、近づいてくると頬に口づけをした。隣にいたアルフレートが息を飲むのが分かる。フィアも構わず口づけをする。挨拶以上のなにものでもないが、アルフレートのような純粋培養の貴族からすれば、はしたない行為だろう。

「どこまで聞いているの?」

「噂はほとんど。初心な王子様なら婚約破棄するような奔放な噂だね。とても興味深かったよ」

 アルフレートに当てつけたようだ。とはいえ、それはフィアにとっては援護射撃なので、フォローはしない。

「定期的にガルド人にはお願いしなければ、いけないでしょ?じゃなければ化けの皮がはがれてしまう。それは、フランツが教えてくれたことよ」


 フィアの国の者は魔力を持っている。一般的なガルド人ならばその力の存在に勘づくことはないが、王都の人間は例外だ。記憶を失っている者はともかく、権力の近くにいる人間は、恐らく魔力に気づいてしまう。身を隠そうとするならば、抑制魔法を必要とするし、同時にガルド人との「交流」によるエナジーを補給が必要だ。王都ではフィアの国には豊富にあるエネルギーが得にくく、欲しければ人の中からもらうほかない。


 さもなければ――――化けの皮が剝がれる。

 しかし、

「本当にお相手は」

 指笛で公爵は問う。


 ――――ガルド人とだけかい?


 フィアは焦って公爵の目を見る。公爵はウィンクをして、さあ中へどうぞ、フィア、アルフレートと言うのだ。



 公爵は鉱物を探しに出かけていたらしく、大量の鉱物を従者が運び込んでいく。フィアとアルフレートは晩餐の席に招待され、騎士団の話を聞かせてくれと言われた。

 フィアは仲間たちの話をしていくが、アルフレートはその話にはあまりいい顔をしない。

 隙あらば、先の話をしてくる。国に帰った際の、フィアの住まいや身の振り方だ。出来れば国に帰りたくないフィアからすれば、あまり面白くはない。公爵は双方の思惑をすっかり見抜いているようで、冷やかすように話をしてくる。

「アルフレートはフィアとの婚約を待ち望んでいるようだ。しかし、ライバルがいるようだね。テオドールに、そして」

 言葉を区切ったので、アルフレートは公爵ですか?と問うけれど、公爵は首を横に振るのみだ。

 フィアはギクッと背筋が冷える思いがした。公爵は人間の心の機微には疎いが、生物の微々たる変化には敏感なのだ。

「熱心な刻印があるようだ。それは、フィアの皮膚なのかあるいは、その下か」

 比喩的な言葉にアルフレートは首をかしげるが、フィアは気が気ではない。せめて、父の差し金であるアルフレートがいなくなってから、触れて欲しいところだ。

「アルには貞淑な令嬢がお似合いよ」

「オレは気弱でひ弱なアルのイメージなんだろう?」

「品がいいとも言える」

 と公爵が言い添える。そして、

「騎士団を出たんだ、ワインでもどうだい?領地内で面白い木の実でワインが作れたんだ」

 とフィアに勧めてくるのだった。


 少しだけいただくわ、アルもどう?と言い、フィアはアルフレートの関心を逸らすことに余念がない。

「酔っぱらっていたら、フィアを護れない。ラヌス様からすれば、そんな者はフィアの騎士にはふさわしくないだろ?」

 騎士団にいた自分が、騎士に守られるようになるなんて、皮肉なものだ、とフィアは思う。

「それなりに、腕は立つつもりだけれど」

 とフィアが言えば、あからさまにアルフレートは落胆するのだ。アルフレートは武門の者ではない。どちらかと言えば世事に長け、学問を修めることを得意としていた。アルフレートの父親は国の宰相である。彼も恐らく父の後を継ぐのだろう。

「テオならば、いいのか?」

「テオは、絶対にない」

 テオドールはフィアの国では軍事を司っている家系の者である。魔法学も修めており、恐らく正面から闘ってテオドールに敵う者は、ほとんどいない。


 そしてテオドールは野心家だ。テオドールが出世のためにフィアとの婚姻を選ぶことはあっても、それ以外の理由で、望むことはまずないだろう、とフィアは思う。

 幼少期より、フィアが女であることを散々指摘したのは、テオドールだった。

「女だから、その力にも限界がある」

 とテオドールはフィアに常々言って来ていたのだ。いずれは、夫を迎えその者に国を治めさせるのが良い、と。

 フィアはテオドールの思い通りにはされたくない思い、国を出ることを望んだ。テオドールと婚姻を結べば、屈したことなる。父はフィアを籠の中の鳥にしたいのだ。そのための監視役が夫なのだろうから。


「じゃあ、誰が?」

「いないってこと。私は騎士団に戻りたいの」

「騎士団にいるかのように聞こえる。気をつけたほうがいい」と公爵は言う。

「気のせいよ」

 ふさわしい婚姻相手は、騎士団にだっていない。ただ、心が初めて揺さぶられる出会いがあっただけだ。


 晩餐の席は冷や汗をかく場面も多かったけれど、昔馴染みの二人と話をするのは、フィアにとって寛ぎのひとときである。

 久々に口にしたワインは身体に沁みるようだった。フィアはその日早くに床につく。

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