完全な敗北

 ゼクスはフィアに関する唯一のとっかかりであるルインに、フィアが抑制剤で押さえている能力を聞く。

 さすがに口止めされているようで、詳しい内容話せないという。ゼクスがフィアとは抑制剤抜きで手合わせしてみたい、という考えを口にしたところ、

「少し弱めの抑制剤にすれば、それも可能かもしれないよ」とルインは言う。

 チャンスは一度しかなかった。


 出立前夜にはフィア・リウゼンシュタインの送別パーティが行われた。フィアが第二師団の団長になってから、女性団員の応募も増え、騎士団内は活気が出ている。補佐役が多いものの、フィアのように団長クラスを目指す者も増えてきていた。フィアは女性団員に囲まれており、フィアが去る前に一矢報いたいと思っている男性団員たちの入るすき間はない。ただし、特権的にゼクスだけは例外だ。


「フィア」

 と声をかければ、勘のいい女性団員達はフィアの周りから離れ、数分だけ時間を与えられる。

 どんな場面であってもフィアが酒を口にしないことを端から知っていたため、パーティの後、最後の手合わせを願えないか、と声をかけておいた。フィアは探るような目を向けている。手合わせの言葉に裏を読むかどうかは、フィア次第だ、とゼクスは思っていた。

「場所は?」

「訓練室」

 その一言だけで、フィアは了承した。


 フィアが抑制剤を夕食後に口にしていることを、ルインから聞いていたため、その日の抑制剤だけ効果の弱めのものが行きわたるように、ルインに画策してもらった。ルインからは、フィアの能力が仮に暴走した際には、魔法剤を使うように言われる。暴走時に役立つ魔法剤だ、とルインは言うのみで詳しいことについては語らなかった。

 その日パーティの最中、フィアがリキッド状の抑制剤を口にするのを、ゼクスは確認する。


 宴もたけなわになり、団員たちはフィアに声をかけ名残惜しそうにしながらも、それぞれ部屋に戻っていった。フィアの一挙手一投足を伺っている者は少なくない。あわよくば、最後の機会に、フィアと関係を持てないかどうか、と。

 とはいえ、騎士団でゼクスに次ぐ実力者と目されているフィアはそう容易くはないと、皆知っている。それに、体面上は飲むふりをするものの、実際には酒をたしなまないフィアは飲みの場でも、取り崩すことはない。


 乾杯後にグラスを差し替える場面をゼクスは何度も目撃している。わざわざ袖に酒を流して少し減らしてから差し替えているので、以前袖を汚すくらいなら自分に渡せと言ったら、以降は乾杯後に渡してくるようになった。

「お酒は苦手」

 とフィアは言うが、それは恐らく抑制剤との飲み合わせの懸念や、決定的な失敗を避けるための言い訳だ、とゼクスは思う。


 飲みすぎて前後不覚の同僚がいる中、フィアは素面のまま会場を去っていく。まだそれほど遅い時間ではない。いつものフィアならば、このあと人に会いに行くのだろう。いつか言っていた人肌とやらを求めに。


 時間差でゼクスが会場のホールを出ると、既に訓練着に着替えたフィアが腕を組んで待っていた。

「時間を決めていなかったでしょ」と少し咎めるような調子だったので、

「悪い」と言っておく。

 連れ立って訓練施設に向かう時、奇妙な緊張感があり、

「何だか新鮮、いえ、懐かしいのかも」

 とフィアは言った。

 同じことを感じていたらしい。

 入団当初、ゼクスはフィアの実力を疑っていて、訓練室に呼び出したときの話をしていると、気づく。剣を合わせてみて、もしフィアの実力が大したことがなければ、ペアをさっさと解消して欲しい、と言っていたのだ。

「公爵令嬢の世話をさせられるのは、時間の無駄だって言っていた」

「本音だよ。リウゼンシュタインが女だと知って、落胆していたのはたしかだからな。遊びに来たのなら、さっさと撤退していただこうと思った」

「本当に、容赦がない」

 と言ってフィアはくすくすと笑う。

「すぐに、先入観は打ち破られたな。リウゼンシュタインは剣を持つと豹変する」

「リウゼンシュタイン、リウゼンシュタインって、今さら懐かしい呼び名ね」

「フィア」

 そう放り込んでみれば、目を丸くして眉を下げ、はい、と返事をして柔らかく笑う。こうしてみれば愛らしい女性でしかない。

「今、こうしているということは、当時、ゼクス・シュレーベンのお眼鏡には叶ったといえるのかしら」

「さあ、どうだろうな」


 訓練室に着き、ゼクスは控室にて着替えをすませ、フィアの元に戻る。訓練室の隣にある武器保管庫に行けば、お互いに手慣れた武器があるが、あえて訓練用の剣を手にする。防具を身につけ向かい合った。

「フィア・リウゼンシュタインの正体が知りたい」

 とゼクスは告げる。フィアのエメラルドグリーンの瞳に光りが差した。ゼクスは剣を抜き、フィアに向けて構える。

「何を言っているの?」

「フィア、剣を抜け」

 フィアは鞘に収まったままの剣を手に持ったまま、ゼクスの方を見て、言葉の真意を伺っているようだ。

「リウゼンシュタインは本当の名か?」

「どうして今そんなことを聞くの?当たり前でしょ」

 フィアが口元をきつく結んだので、言葉を飲み込んだのが分かった。

「5年も共にいて、本当のことは何一つ教えてくれないんだな」

 フィアの話はゼクスにとっていつも真実を煙に巻いているように思えた。触れようとすれば遠ざかり、こちらが取り澄ましていれば近づいてくる、煙のようだ。

「そんなこと、ない」

「抑制剤は何に作用している?」

 ゼクスの言葉にフィアの顔に絶望の色が広がった。

「ルインね」

 フィアの言葉にゼクスは首を横に振る。

「あいつは悪くない、俺から聞いた。それに、ルインは作用までは話していない」

「だとすれば、試合はやめましょう。これは罠のようなものじゃない」

「俺とは真実を語るまでもなく、手合わせする価値もないか?」

 煽ってみようとすれば、本心が滲んでしまう。フィアの瞳が揺れるのが分かった。


「私だって。あなたがもし、王都の人ではなければ、と思ったけれど」

「なぜ王都の人間ではいけない?」

「騎士団に入ればシュレーベン家の名を聞くことはある。王都の者ではない私でも。お父様は総督府の総督、ゲレオン・シュレーベン様。そして、お母様は王の従妹にあたるカルラ・ルッセンハイム様。あなたは調べるまでもなく、王都の人。私が触れては、触れあってはいけない人」

 苛立ちが募る。自身では変えようもない出自に関しては、ゼクスにとっては最も触れられたくないことだ。

「それだけが理由か?」

 と問えばフィアは頷いた。身分を理由にされるのは、ゼクスが最も毛嫌いしていることだ。

「退屈な身の上をご理解いただいて、ありがとう。フィア・リウゼンシュタイン。では、再び問わせてもらう。リウゼンシュタインは本当の名か?」

 ゼクスの問いにフィアは口をつぐむ。そして急に自分の肩を抱き、「どうして」と呟いた。


 彼女の白金の髪や白い肌が発光してくる。フィアの肩までのウェーブ髪は、光りを放ちながらまるで光の筋のように、どんどん伸びていき、フィアの肩から腰までを覆ってしまった。フィアはゼクスの視線を受けて、

「見てはダメ」と言う。


 神話の名残のある西方地域の出身?


 幼少時代、母や乳母が話していた昔話がゼクスの頭をかすめる。しかし、決定的な何かが思い出されるわけではなかった。そして、仮にどんな秘密があろうと、彼女はここを去ろうとしているのだ。

「フィア、剣を抜いてくれ。そうすればここでのことは全て不問だ。口外するつもりはない」

 フィアは首を横に振る。

「それはダメ。今はフェアな闘いが出来る状態じゃない。ゼクス、あなたを傷つけてしまうかもしれない」

「それでいい」

 そう言い、ゼクスがフィアに向けて剣を振るえば、臨戦態勢ではなかったにもかかわらず、しっかりと剣を受けてくる。フィアのエメラルドグリーンの瞳に、鋭い光が入り、ゼクスは自身の血が湧き立つのを感じた。


 ――――そう、その目だ。


 フィアが受けた剣を振るえば、こちらには重い反動が返って来る。この頃フィアと剣を交わすことはなかったが、予想外に重い返しが来て、数歩分後ろに押し返されてしまう。 


 ゾクゾクっとゼクスは自身の身震いを感じた。剣を返して一撃喰らわそうとすれば、それもまた簡単に薙いで払われてしまう。一撃の重みに、鞘を持つ手が痺れるほどだ。抑制剤の作用を少し弱めただけでも、この力だとすれば、抑制剤を使わないフィアはどんな力を持っているのだろうか、と思った。

「これでも、本気ではないのか」

 ゼクスが一振りすれば、フィアは眉を寄せて仕方なしに返す。

「ゼクス、やめて!相性が悪すぎる」

「まだ決着はついていないだろ」

 会話の合間に、剣を次から次へと繰り出していっても、フィアはしっかりと剣を受けていた。

 ただフィアの様子がおかしく、一振りする度に、胸の辺りをおさえるのだ。そして、ゼクス自身も自分の中に違和感を覚える。フツフツと胸の辺りに燻ぶるものがあり、行き場を探しているのを感じていた。感じたことのないエネルギーの流れを感じる。剣を振るうと、その力が伝わるのか、フィアも目を見開いた。


「やっぱり」

 とフィアは落胆の声をあげる。

 ゼクスにはその訳が分からない。剣を交わせば、フィアの剣に呼応している感覚がある。

 こんな感覚は初めてだった。剣を振るうたびにゼクスはビリビリッと電気のような痺れを感じ、剣を伝ってそれがフィアにも伝わるようだ。フィアはぶつかった力を剣で薙ぐ。勢いを殺した力は、床にぶつかりヒビが入った。目には見えない物理的な力以外のものが確実に作用している。

「魔法か?」とゼクスは言った。


 リキッドを使わずに魔法を使える者は、王都にはいないと言われている。

 胸の辺りに溜まっていく感覚を剣に乗せれば、受けるフィアが小さな息を洩らした。そして、フィアの皮膚や髪が光りはじめる。フィアの発する圧倒的な力と、そして自分の中から徐々に生まれていく力に、身体じゅうの皮膚が粟立った。

 骨の髄、あるいはもっと深くから生成されていく力は、蛇行しながら上ってきて、出口を探しているようだ。


「ゼクス。瞳の色が……黄金に」

 とゼクスの瞳を見て、フィアが息を飲むのが分かった。

 力を剣に乗せれば、電撃のような痺れが腕から剣先までを駆け抜ける。受けたフィアの剣先に稲妻が走る。

 皮膚にビリビリと痺れが感じられるほど、部屋全体に強い力が溜まっていくのを感じた。壁や床が所々剥がれていく。フィアは、喘ぐように言う。

「力が溜まりすぎている。このままじゃ危ない、どうにかしないと」

 たしかに、動くたびに身体が痺れるほどのエネルギー感じられるのだ。


 そのとき、フィアの視線がゼクスのベルトのホルダーに向かう。フィアはゼクスの懐に入り込み、ホルダーからリキッドを抜き取った。

「これは?」

「魔法のリキッドらしい。もし、能力が暴走したならば使えと、ルインが」

 フィアは眉を寄せる。

「二人で仕組んでいたのね、最低」

 と言いながら、フィアはリキッドのビンの蓋を開けた。

 互いに目が合いフィアの顔には躊躇いの色が浮かんだが、すぐにリキッドを全て口に含む。そしてフィアは、ゼクスの訓練着の襟を強く引き、強引に唇を重ねてきた。

 口の中に液体が注がれる感覚を感じ、ゼクスは何が起こっているのかを理解する。


 フィアの伸びた髪は元の長さに戻っていき、ゼクスも自身の中の強い力の高まりが収まっていくのを感じた。唇が離れ、フィアの身体が離れる感覚があったので、その身体をもう一度抱き寄せる。

「悪かった、フィア」

「過ぎたことは、仕方ないわ。でもこうして力が暴走してしまったからには、私の記憶は恐らく消える。そういう風に魔法がかかっているから」

「どうせ消えてしまうなら」

 フィアの頬に手を当て、ゼクスはその瞳に問う。フィアの瞳の中で、迷いの光が揺れているのが見えた。拒絶ではない、それだけで十分だ。顔を寄せ、唇を奪った。


 その先のことは、正確には把握していない。夢の渦の中にいたような気分だった。翌朝、部屋にあったサイズ違いの訓練着と、フィアのカフスが夢の残滓だ。


 寝台に残された痕跡を見たとき、人の噂はあてにならない、と知る。

 事の最初で、彼女は泣いていた。

 涙の痕と、そして――――。


「放蕩な麗しき団長様」

「後朝待たずのリウゼンシュタイン」


 そんなもの、本当にいたのか?


 いずれにしても、敗けた、とゼクスは思った。

 全て忘れ去られてしまうとしても、求めてしまった自分は、敗北者だ、と思う。

 カフスを渡したとき、フィアが表情を変えた意味を、問うことはない。

 ただ、フィアが去ったとしても、退屈な日々を繰りかえし、想像の範囲内にある退屈な人生をなぞるつもりはなかった。

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