一話 血濡れの英雄 ⑧

 頭部と翼はカラス、下半身には骨がむき出しになった四肢を生やしたグリフォンもどき。




 四つん這いになった人の手足、胴体から上には蹄を手として扱う馬の肉体が乗る、上下逆の反転ケンタウロス。




 胃腸を剥き出しにし、破れた翼を生やす蛙まがい。




 ぐるりとあたりを見回して、身体の特徴をはっきりと視認できたのはこれだけ。あとは距離や立ち位置、廃墟が障害になって容姿が捉えづらい個体が殆どだが、表現する言葉すら見つからないほど歪な見た目をしている奴もいる。




 どいつかが鳴き声を上げた。次ぐさえずり、叫び、咆哮。生まれた狂騒に、各々の影はない。地を駆け、建物を伝い、あるいは天を舞って、奴らはひたすらに俺たちを目指し進む。




 対する俺たちは交差点。明滅しない信号と、血を吸った歩道、動かない車に囲まれる、その中央に陣取る。




 遮蔽物が多ければ、対処が難しくなる。ゆえに選んだのが、ここらしい。多数対一なのだから、奇襲を仕掛けた方がいいと俺は反対した。




 が、予測不能な行動を取るディストラルに対して、策を使うのはリスクが大きいと説明された。




「大丈夫よ。わたしこう見えても結構強いから」




 なおも食い下がったが、俺はその一言で己の間違いに気づき、何も言えなくなった。俺は大築の実力をよく知らないのだ。生身の人間より強いのは明らか。二度、奴らを圧倒した戦績。持っている情報はそれだけだ。




 となると俺が口を出すなど余計なお世話だろう。そもそも俺は戦力にもならないのだから。結局、問題が行きつく先は一つだった。俺がこいつを信じられるかどうか。




 邪魔にならないようリュックを降ろす。気分を切り替えるつもりで、自分の頬を叩いた。一応、右手にナイフを握り、準備しておく。




「安心して、あなたのこと、絶対に、わたしが守るから」




 肩にごつごつとした感触が伝わった。生臭い血の匂いもやってくるが、その時は腕を振り払う気になれなかった。血に濡れた兜の裏には包むような笑顔があるのだろう。




「俺の命はお前が預かってるんだ。分かってるよな?」




 口から出せた言葉はそれだけだった。もう少しましなことを言えなかったものか。




「ふふっ、やっぱりあなたって素直じゃないのね」




 俺は舌打ちした。やはりってなんだ。見透かしたような笑いはやめろ。クソっ! これなら何も言わない方がマシだったな…。




 大築はまた小さく笑うと、肩から手を放し、鉄塊を構えて、迎撃の態勢を取った。




 一時期、武道を修めようと、ネットでアップされた動画で見様見真似の練習をしていたことがある。練習相手がいない環境下で、身になったかもわからないものだから、結局は頓挫したが、ある程度の巧拙はわかるようになったと思う。




 大築の構えは様になっていた。隙は見当たらず、重心もしっかり取れている。ただ、俺が見たどの型にも当てはまらなかった。それもそうだ。鉄塊のような鉄塊を使用する武術など見たこともないし、あったとしても一般的であるはずがない。つまり、大築は自分で形を作り出し、磨き上げることで今の構えを生み出したことになる。




 戦闘技術の高さがうかがわれた。何にしろ、オリジナルを作り出すにはその分野に精通してなければならないのだから。




 今、俺に出来ることは何もない。何もしない。それだけが俺に出来ることだ。大築は言葉の通り何が何でも俺を守ろうとするだろう。とすると俺が下手にこの場を動けば、逆に迷惑をかけ、生存率を下げることになる。




―期待はいつも裏切られる。


 過去の俺が警鐘を鳴らす。




 今の状況では、大築に頼る以外に生き延びるすべはない。これは期待じゃない。ディストラルの群れに飛び出せば必ず死ぬ。可能性が一でもあるなら、そっちに賭けた方が良い。それに大築は俺よりも強い。今度は合理性を交えて言い聞かせ、大築を裏切ってしまいそうな自分をなだめた。




 ディストラルが視界の余白を埋めていく。あっという間に逃げ場は塞がれ、百八十度どこを見渡そうとしても、光景は奴らに遮られた。奴らには本来、集団性というものは存在しない。だからこそ奴らは勝手に鳴き、叫び、俺たちを威圧、あるいは誘惑してくる。が、奴らはそのまま好き勝手に飛び掛かるのでなく、待機し、こちらの様子をうかがっていた。まるで何かに操られているように。やはり不自然さは拭えなかった。




 やがて、奴らのうちの一体が先陣を切るように俺たちに飛び掛かり、飛散した血肉が開戦の合図となった。




 繰り広げられた戦闘は強者が群れる弱者を片手で押し潰すような、圧倒的かつ一方的なものだった。




 大築が鉄塊を振るう度、奴らの肉が抉れ、散り、身体は後方に吹き飛ぶ。




 上空から襲撃されれば、大築も天高く跳躍し、膂力に任せた一撃で翼をもぎ、地に落とす。




 陸から攻めてきた奴には鉄塊を打ち込み、あるいは裏拳や蹴りで対応する。




 衝撃で飛ばせないほどの巨体に対しては、そいつを得物にして振り回してから投げ飛ばし、ついでに他のディストラルを薙ぎ払う。




 陽動作戦を取り、俺と大築の距離を充分に離したとしても無駄だった。




 奴らの牙、爪、尾が迫れば、人間離れした速さで大築が迫り、得物は肉塊となって撒き散らされることになる。飛び道具を扱う奴もいたが、どれもが俺に届く前に、弾き飛ばされた。




 戦闘の余波はこちらにも及んだ。けれど命の危険に晒されることは一度もない。せいぜい視界に映る光景が無残なものになっていくか、飛散する奴らの血肉が俺の肌や服を汚すくらいだった。




 俺の胸中に湧いたのは恐怖と確信だった。大築は全方位からの攻撃を対処しつつ、反撃で致命傷まで負わせた。ディストラルたちの群れが今では有象無象にしか見えない。が、鬼神のような戦いぶりには大築の柔和な笑みは影も残っていない。




 それに大築はおそらく苦戦もしていない。飛んできた奴らの目玉が俺の頬に張りついた時、大築はこちらを一瞥し、気遣う余裕まで見せたのだ。




 助かった安堵よりも化け物じみた戦闘への恐怖が勝り、それが俺にあいつの勝利を確信させていた。




 やがて戦場が静まる。奴らはみな血の海に沈み、倒れ伏している。が、大築はまだ構えを解いていない。行為の理由を示すように倒れたディストラルたちが蠢いた。そりゃそうだ。奴らは異常な生命力を持つ化け物。致命傷の一つや二つ如きでは死ぬはずがなかった。




 大築は一旦下がり、再び構える。大築は余力を残している。対して奴らは既に戦闘で重傷を負った。多少なりとも身体能力は鈍っているはずだ。このまま続けば消化試合にしかならないだろう。




 ふと疑問が浮かんだ。ここまで奴らを圧倒できるのに、なぜ大築は逃走という択を取らない? あいつの実力なら片手間でも対応しきれてもおかしくない。わざわざ戦う敵を増やすようなやり方をする必要はない。




 そこで俺は思い至る。敵を増やす理由に。俺をおとりにして、奴らを引きつける理由に。大築は共同生活を送っている。おそらく、大築の武力を拠点に対する防衛策としているのだろう。ならば大築がいない今、拠点は無防備だ。




 であれば大築は拠点に奴らが流れ込むのを許すわけにはいかない。一体でも多く俺たちの方に誘い込む必要がある。だからこそ奴らにとっては赤子同然でしかない俺をエサに利用した。その狙いを打ち明けず、詭弁で誤魔化した。




 期待はいつも裏切られる。結局、昔得た教訓が正しかったのだ。そりゃそうだよな。ああ、馬鹿らしい。


 俺は大築に背を向け、走り出す。まだ奴らは態勢を整えられておらず、地を這うにとどまっている。今がチャンスだろう。




 奴らの間隙を縫って、俺は包囲網から抜け出した。足音を、耳が拾った。俺を騙して、ディストラルを瀕死にした。計画通りだろ? それでいいじゃないか。何を今更するつもりなんだ。まだお前の役割は終わっていないとでも言うつもりか?




「荒場くん!」




 叫ぶような呼びかけだった。必死さゆえに、揺らぎがあって、弱弱しさが感じられる。それは、あいつの誘いを断った時、立ち去る俺を呼び止めたのと同じ声音だった。




『安心して、あなたのこと、絶対に、わたしが守るから』




 大築の言葉が思い起こされる。鎧の下にあった表情が想像された。俺を守ると誓った時、あいつは陽だまりのような笑顔を浮かべていたのだろう。だが、俺に背を向けた後はどうだったのだろうか。まなじりを決し、覚悟を決めていたのではないだろうか。俺があいつのやりようを疑っている間にも。




 足が止まる。後ろを振り返る。恐ろしくも、強い、血に濡れた背中はどこにもなかった。




 そこにあったのは押し寄せてきたディストラルの群れだった。




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