[Episode.11-リメンバー20XX•C]

††


-20年前/高知県■■村 ■■集落-


───楢崎ケンゴという男は、古潭の里…高知西部に位置する小さな漁村で生まれた。


男として生まれただけで人権がないこの里で…もうひとつ、ケンゴが倦厭される理由があった。それが…父親と同じような、藤紫の色をした瞳。


この里ではケンゴの祖母・ユカラと同じく、祓魔師として有能な女だけが権力を持っていた。男である、女であっても才能がない、そういった人間は次々と里を追われるか、里の中で憂さ晴らし・・・・・の的になっていた。


───「近寄るな、ゴミ!」

───「変な目の色!気持ち悪い!」

───「お母さんが言ってたぞ!男なんかいなくていいって!」


ケンゴは毎日のように、里にいる同年代の女達に石を投げられた。


───「このグズ!目障りなのよ!」

───「さっさと里を出ていきなさい!」

───「あんたを見るたび背筋がゾワゾワするわ!」


里の大人の女達も、ケンゴを見かけるたびに罵声を浴びせ、時に足蹴にした。


───「あんたなんか、生まなきゃ良かった!」

───「あんたなんか、早く死ねばいいのよ!」


母親でさえ、毎日ケンゴを殴り蹴り、暴言を浴びせ…食事を抜いたり、真冬でも家の外に放り出したりしていた。

姉・ホロは、母親に見つからないように弟に夕飯を分けたり、薄い毛布を貸してやったりはしていた。それも、子供の力では限界があった。


そんな、最悪な環境で。


───「コラァ!あんたいい加減にせられや!」


ケンゴの祖母…ユカラだけが、ケンゴを守ってくれた。


「ユカラばあちゃん…」

「ケンゴ、あんたは悪ぅない。悪いのは、きっと…こんな里を作った、アタシなんよ」


ユカラはケンゴを見かけると、いつも自分ひとりが暮らす古民家にケンゴを連れていき、怪我の手当てをしたり、食事を作ってくれた。母親に殴られた分、ケンゴを抱き締めてくれた。


「ユカラばあちゃん、この写真に写っとる男の人は誰なん?」

「それはね、アタシの旦那。あんたのおじいちゃんや」

「ふうん、兵隊さんだったん?」

「そうよ、おじいちゃんは軍人さんで、アタシは元々蝦夷…北海道の人間。おじいちゃんが蝦夷に来て、アタシと出会って…2人で本土に戻って、この里を開いた。…そのおじいちゃんも、里を追い出されてしもうた。今は連絡も取れんなって、何をしとるかも分からんのよ。…なんで、こんなことになってもうたんやろうねぇ…」


ユカラの言葉を聞きながら、ケンゴは会ったこともない祖父の写真をじっと眺めていた。セピア色で、所々擦れている古い写真だったが…何故か、見ているだけで心が落ち着いた。

古時計の秒針の音。ヤカンが蒸気を噴く音。そして、ユカラが料理のために煮炊きする音。その音を聞いている間だけが、ケンゴにとっての平穏だった。


「どうしたんねケンゴ、もうお腹いっぱいか?それとも味が…」

「ううん…おいしいよ、ばあちゃん。でも…帰ったら、また叩かれる。ゲーしたら、汚いってもっと叩かれる。だから…ゲーしないぐらいしか食べられん」


ユカラはそんなケンゴの言葉を聞くたび、胸を痛めていた。しかし…この里に駐在はおらず、閉ざされたコミュニティにユカラ以外の味方はいない。ケンゴの母親から親権を剥奪しようにも、その手段がなかった。


「…ケンゴ、あんたしばらくうちにいなさい」


ユカラは何度もそう提案した。けれど…


「だめ、見つかった時に叩かれる。それに───ばあちゃんが叩かれるかもしれんがよ」


そんな目に遭っていても、ケンゴは唯一の味方であるユカラを気遣っていた。


───たかだか5歳の子供に、そんなことを言わせるこの里がおかしいことは、ユカラにもよく分かっていた。けれど…女達の狂信は自分に向いている。最悪の事態を避けるには…自分がケンゴの命を守る最後の砦であるためには。ユカラ自身が下手に動くこともできず…この状態を保ち続けるしかなかった。


そして、もうひとつ。


「それに、おれが帰らんかったら、おねえちゃんが叩かれる。おねえちゃんは…時々だけど、おれのこと助けてくれる。だから、ひどい目に遭わせたくない」


ケンゴが折れないもうひとつの理由に、姉・ホロの存在があった。

ホロには、祓魔師の才能なかった。その代わり、ホロは召喚術…動物の守護霊を呼び出す才能が飛び抜けていた。勿論ユカラは天才だと喜んだが…里の女達は"異端だ"として、ホロに対してもいい感情を持っていなかった。だから、ケンゴが見当たらなければ、その矛先はホロに向く。それを、ケンゴはよく知っていたのだ。



───「あーしは、姉ちゃんだから耐えられる。でもケンゴは、まだ5歳の子供なんだ。ユカラばあちゃん、お願い。あーしはいいから、ケンゴを助けて!」───



そう言って弟を庇うホロも、まだ10歳の少女だった。この姉弟を、どうにか救う方法はないのか。ユカラは毎日のように悩み、考えていた。





───そして、ケンゴが8歳の誕生日を迎えた、あの夜。


ユカラは空を見上げて言葉を飲んだ。


「なんよ、これ…」


空の天蓋を丸くくり抜いたようにぽっかり空いた、黒く大きな天の穴。そこからよくないもの・・・・・・が漏れ出ている事を悟ったユカラは、身動きを取りやすい広場へと急いだ。


広場には…先客がいた。


───「なんッスか?お出迎えと思ったら、しなびたババア1匹なんて。しけてるッスねぇ」


吐き捨てるように言ったのは…黒翼を携えたリッパー・・・・。その横には、さらに大きな…しかし朽ちたような黒翼を携えた、少し癖のあるブロンドの長髪・・・・・・・・・・・・・に、目尻の下がった優しげな顔立ち・・・・・・・の男も立っていた。男は満面の笑みを浮かべているが…そこに友好的な気は感じられない。しかし、殺気もない・・・・・。不気味に思っていると…天の穴から次々と、広場に向かって小型の悪魔…今で言うアンノウンが降り立ってきた。それだけではなく、アンノウンは穴から沸いては、方々に飛び去る個体もいた。


「なんよ、こいつら…!」


この出来事は、アンノウンがまだ一般的に認知される前の話。閉ざされた里にいたユカラにも見覚えはなく…しかし否定しようのない悪意だけははっきりと感じ取れた。

そのユカラが目を向けたのは、アンノウンでも、リッパー達でもなく───天の穴。


「降りてきてしまったものを押し返すのは無理か…これ以上数を増やさせないように、あの穴を塞ぐしか…!」


里に戻り、他の女達を呼びに行く暇はない。ユカラは周囲の下級アンノウンを一喝で消散させつつ数珠を天に掲げ、邪気封印の呪文を唱え始めるが、リッパー達やアンノウンがそれを黙って見過ごす筈もない。襲い来るアンノウンに対し、ユカラは手持ちの符で最小限の対応をしつつ、天の穴を塞ぐ詠唱を続けていた。


「破邪ァ!」


ユカラの気功が、アンノウンの間を抜け、天の穴に向かって飛んでいく。天の穴はユカラの気を受け、光り輝き…徐々にその直径を縮めていく。

しかし


「ぐっ───!」


ユカラが気を放った一瞬の硬直時に、朽ちた黒翼の男が大剣でユカラを袈裟薙ぎにした。笑顔のまま、殺気もないまま。


「隙を…突かれたか…っ」


ユカラはその場に倒れ伏し、体と同時に斬られた数珠の玉が周囲に散らばった。


その時


「ユカラばあちゃん…?」


広場に、ケンゴが姿を見せた。


───誕生日だと言うのに、やはり母親に虐待されていたケンゴ。今日という今日はとユカラも頭に血が上り、母親からケンゴを奪い取るように避難させ、自らの古民家で夕飯を食べさせていた。その最中での、この異常。窓から空を見上げ、異常を知ったユカラは、ケンゴに家から出ないよう忠告していたが…ケンゴもまた、嫌な予感を察知してここまで走ってきていた。


「ケンゴ…あんたどうして…」

「ユカラばあちゃん…ユカラばあちゃんどうしたん!?」


ケンゴは周りには一切目をやらず、倒れたユカラに一直線に走り寄った。


「ばあちゃん!ばあちゃん!うぅ…うわああああああああん…」


瀕死のユカラに縋って泣き出したケンゴを…リッパーは鬱陶しげに見下ろした。


「うるっさいッスねぇ…このガキも此処で殺しといた方が良さそうッス」


泣きじゃくるケンゴにリッパーが大鎌を構えた時…その横にいた、朽ちた大きな黒翼を携えた男が急に笑い出した。


「ふ、ふふ。あはははは。ふふっはははははは!」

「…あーあ、こっちもこっちで面倒くさいッスねぇ…またバグった・・・・か。ったく、なんでボクがこんな失敗作・・・の面倒まで見なきゃなんないんスか。強くなければボクが直々に処分してたところッス…ほら、行くッスよ。一番厄介な奴は殺したわけだし」


リッパーが男の腕を掴んで立ち去ろうとした時


───「待てよ」


先程まで泣き喚いていたケンゴが…リッパー達の方を睨んで立ち上がった。その手には、ユカラがばら蒔いた数珠の玉をいくらか握って。


「なんッスか?クソガキ。オシメは家に帰って───」

「ユカラばあちゃんに何しゆうがかしてるんだ。答えろや」


ケンゴの周囲に、赤紫色の空気が渦巻く。握った数珠の玉が、赤く光った───


「ユカラばあちゃんを返せ、この悪魔ァ!」


ケンゴの瞳が…鮮やかな紫に輝き、その虹彩には躑躅つつじ色のリングが浮かぶ。同時に、持っていた数珠の玉をリッパー達に向かって投げつけると…決して命中とは言えない方角に飛んでいった玉が、急に軌道を変えて・・・・・・・・リッパーと男に当たった。


「痛…ッ!」


玉が当たった箇所は赤黒く脈打ち、焼け焦げたような黒煙を発していた。それは、紛れもなく魔族に対する呪い・・であり、紫色に不気味に光るケンゴの瞳は───ものの軌道を変える魔眼・・・・・・・・・・・。父親から遺伝した超能力の気質と、ユカラの強力な祓魔師の能力が染み付いた数珠に触れたことによる特殊覚醒。対魔能力を宿した超能力…"対魔付与サイコキネシス・・・・・・・・・・・"の発露だった。


「チィ、ボクに傷を…!やっぱりこのガキ、ここで殺し───」

───「いいや、そうはさせん」


リッパーの言葉を遮るように、リッパー達に向けて竹林の影から銃弾が放たれた。その銃弾もまた、対魔性能を付与してある特殊仕様。


「…"狙撃手スナイパーアウセン"か…チッ!」


リッパーは自身の黒翼を翻すように回転すると、男共々その場から霧のように消えてしまった。


「逃がしたか…」

アウセン様・・・・・、今はこちらを!」


そして、竹林から心配そうな表情でケンゴに走り寄ってきたのは…ウィラーダだった。


「っだ、誰…?」

「大丈夫、あなたの敵ではありません。落ち着いて。…ですが、魔眼とサイコキネシス…こんなに幼い年齢で、それだけの異能を背負うのはリスクが高すぎます。最悪、制御不能になって…あなたが壊れてしまう」


ウィラーダがケンゴを諭していると…地面に倒れているユカラが声を発した。


「………誰、か。誰か、そこに…いるのか…?」

「おばあ様!」

「ユカラばあちゃん!」


ウィラーダとケンゴは同時にユカラの側に膝をついた。


「私はウィラーダ。天界よりの御使い、神族です」

「神族…神様・・、かい…。そうだろうね、アタシは…もうダメだ」

「そんな…おばあ様…」

「神様、この声が届くのなら…ケンゴを、ケンゴの事を、頼みます。この子には、逃げ場がないんです。この子を遺して…アタシは………」


最期の時にも、ユカラは目に涙を溜め、自分の事よりケンゴの事を案じていた。


「…承りました。この子の身柄に関しては、人間界でできる限りの善処を致します」

「ああ…そうかい…。それなら、アタシに…思い残すことは…ないねぇ………」

「おばあ様!」

「ユカラばあちゃん!…ユカラばあちゃん?ねえ、起きて!起きてやぁ!」


ケンゴは再び、もう動かなくなったユカラの肩を揺すりながら泣き出した。しかし…


「うっ…!うぅ…ぅあ…!」


ケンゴは頭を押さえ、その場に踞った。強力なサイコキネシスを使った反動が、一気に襲ってきたらしい。


「ケンゴ様!」

「まずいぞ、やはり負担が大きすぎるんだ」


そこでアウセンが漸く竹林から姿を現し、ウィラーダに声をかけた。


「ウィラーダ、その子供に記憶封印の術をかけろ・・・・・・・・・・

「えっ…」

「この一連の出来事と、魔眼とサイコキネシスに関する記憶をロックするんだ。早く!今はその負荷に耐えられないが、成長してからなら物理的な負担は大きく減る!」

「分かりました…ケンゴ様、失礼します」


ウィラーダは…息も苦しそうなケンゴの背に手を回し、抱きしめるように身を寄せた。そして───足元に桃色の陣を展開すると、柔らかな風が吹き…ケンゴはその場で眠りについた。


「眠ってしまわれましたね…」

「それでいい。ウィラーダ、記憶の封印期間は?」

「ひとまず、成人してからということで、今から20年」

「成程。この子が思い出そうとしなければ、20年経った時点でもう一度強めの封印術をかける。この事を知らないまま一生を過ごす事になるかもしれないが」

「ですが、本人が真相を知りたいと強く願えば…封印期間より前に、術に綻びができるかもしれません。そうなった場合は…」

そのまま封印を解く・・・・・・・・・。知りたいのであれば当然、本人に知る権利がある。いきなり情報が氾濫しては混乱するだろうから、そこのフォローは必要だがな」


そう言うと、アウセンは…天の穴、があった夜空を見上げた。今は穴は閉じ、月と星が光を放つばかりだった。


「"地獄門"は、そこの祓魔師の尽力で塞がれた。問題は、既にこの世界に散らばった悪魔とアンノウン共の処理だ」

「うう…"地獄門"から散り散りに沸いてましたからね…もう何がどこにどれだけいるのか把握が追いつきません…」

「俺達も、人間界に溶け込み掃討していくしかないだろうな。先にこちら人間界に来ているシェーデルにも、最悪の場合を想定した対アンノウン組織の設立を提案してはいる。警察上層部との協議になるとは言っていたが…」

「ええ…この子に関しても、保護できる場所がないかシェーデル様に相談してみます。保護先と、資金援助者。それさえ目処がつけば、この子の退避も叶いましょう」


そして、ウィラーダはケンゴを一旦ユカラの横に寝かせた。


「ケンゴ様…もう少しだけの辛抱を。事実を全てねじ曲げてしまえば、封印術も矛盾が生じて効果を弱めてしまいます。私達が直接関与できるのはここまでです…あとは、あなた達のケアに尽力致します。…お許しを」


そうして…ウィラーダとアウセンは翼を顕現し、その場から飛び去った。


───後にホロが里を抜け出したのはこの直後。



───「ごめん、ケンゴ。あーし、都会に…波来祖に行く。今はあーしひとりで行くけど…ほんとにごめん、ケンゴ。あーしが頑張って、ケンゴの事も迎えに行けるように準備するから。だから…あと少し、あと少しだけ…頑張って」───



ホロはそう言って…生前のユカラからこっそり貰っていた小銭をかき集め、泣きながら夜の間に里を抜け出した。

シェーデルはウィラーダからケンゴとその姉・ホロについての情報を聞いており、波来祖に逃げてきたホロにも保護に適した家庭を紹介していた。その準備の都合上、ケンゴとホロの保護先は別々の家庭となったが───『あしながの兵隊さん』の資金援助もあり、それから約4年後にケンゴの波来祖での保護が叶った。その際に、ケンゴを保護したのがホクヤの家族だった。



††


-現在-


───全部全部、思い出した。

ウィラーダ(と、姿の確認はできなかったが声の感じからアウセン)は、あの日楢崎と会っていて、一緒に祖母ユカラを看取っていた。


「───イグニスの言った通りだ。ユカラばあちゃんは、悪魔・・に殺されたんだ。そうだ…なんで今まで、忘れてたんだ!」

「楢崎、思い出したのか…」


ティールは"地獄門解錠"の際、昏睡スリープ状態で生死の境にいた。なので当時の詳細に通じてはいないが、概要は連絡を受けた際にウィラーダとアウセンに聞いていた。

だが、思い出したのであれば───神族達の危惧はそこではない・・・・・・


「楢崎、目を見せなさい」

「ダメ…ダメだ、きっと…見たものを曲げてしまう《・・・・・・・・・・・》!」

「いいから、大丈夫だから楢崎」


嫌がる楢崎の手を退け、ティールは楢崎の瞳を真正面、至近距離から覗き込んだ。


楢崎の視界に映っているのは…少し心配そうに、しかし真っ直ぐに自らを見据えるティールの顔。その瞳は鷹のように鋭く、しかし柔らかい優しさも併せ持つ金色をしていた。


「───綺麗な、琥珀色ですね…」


少し落ち着きを取り戻した楢崎の言葉に、ティールは思わず苦笑した。その楢崎の瞳からは…躑躅色のリングは消えていた。


「君の方こそ。夜明け前の空のような、綺麗な紫色だ」

「…この目が、綺麗…?」

「ああ、私はそう思うぞ。魔眼と超能力に関しては、私達神族と少し訓練して、制御方法を身につけてもらう必要があるが…私は君を恐れない。だから安心していい。私は決して、君を邪険には扱わないと誓おう」


ティールの言葉を聞くと…楢崎は安堵したように気を失った。


「おっと」


その身をうまく抱き留めると、ティールはすかさず立ち上がった。


「とあれば、こんな場所にもう用はない。空気が淀んで吐き気がする。さっさと立ち去った方が彼のためだろう」


楢崎を抱え直したティールは、朱色の翼を顕現させ…夕暮れを迎えた大空へと舞い上がった。

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the MYTH @renka_myth

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