[Episode.10-邂逅•C]

───ナースステーションに戻り、足首の傷を治療しながら、八十嶋は先程の出来事を藍那と飛鳥に話していた。


「えーっ!?じゃ、じゃあ崙先生、連れてかれちゃったんですか!?その赤丸?って人に…!」

「れ、霊兵って…妖怪とかお化けの類いじゃないっすよね…?」

「それは分からないけど…少なくとも人の形はしていたから、崙先生を取って食うような事はしないと思って。…悔しいけど、私達じゃ神族に対する最適なケアの答えが出せなかった。それが霊兵と名乗った存在にできるのかは分からないけど…少なくとも積先生の依頼って事は本当みたいだった。あのひとは…関係者以外知らないはずの、積先生の本名を知っていたから。それに、私達に敵対するようなら、院長を縛り上げたりしなかったろうし…口調はぶっきらぼうだったけど、崙先生に酷いことをするようには思えなかった」


それでもまだ霊兵という存在への疑いを晴らせない藍那が、八十嶋に訊ねた。


「…どうしてそう思ったんですか?師長。もしかしたら、いいように誤魔化して言いながら、連れ去ったあとの崙先生に酷いことをするつもりなのかも…」

「それはないと思う。何て言うべきなのか分からないけど…」


八十嶋は暫く考えてから、そうね、と呟いて付け足した。


「崙先生を抱きかかえる手つき。それが…すごく優しく見えたのよ。あの柔らかさは、嘘をついて痛めつけるような奴の仕草じゃないわ」




───俺は、医神として生まれたわけじゃない。

だから、医神として生まれた神族達の何倍も勉強した。

医神達が当たり前みたいに知っていることも、俺は改めて覚える必要があった。


───頑張らないと。頑張らないと。

…頑張らないと。


人体学だけでなく、神族のケアに関わる専門学…神体学に関しても、医神達に遅れを取らないように必死で食らいついた。

講師の医神の授業は、一言一句聞き漏らさないよう机にかじりつくようにして聞いていた。

バーチャル3Dモデルを利用した手術のシミュレーションでも、人体の構造を記憶に刻み付けるように様々な角度から観察した。


…最初は、メスを執ることすら怖かった。

治療のためとはいえ、人のからだを傷つけるのが嫌だった。

それでも。命を救うにはそれしかないから、震える手を抑えるようにして訓練を積んでいった。


───当然。

そんな俺を快く思わない医神達もいた。


───「おいおい、南の島のお人形ちゃん・・・・・・じゃねーか!」

───「大丈夫でちゅか~?手術怖くないでちゅか~?」

───「お人形ちゃんはさっさと島に帰って、島の連中にちやほやされてろよ!ハハハハ!」


───笑われた。貶された。

何度だって、決意を蔑まれた。


当時は今より随分と髪も長かったし、その容姿を含めて茶化されることもあった。


───「お人形ちゃ~ん!かわいいね~!医神でもないのに医者を目指そうって、もしかして恋人探し・・・・~?」

───「夜の相手・・・・に困ってるんなら声かけろよ、いつでも遊んでやるぜ!ギャハハハハ!」


───下卑た笑い声が、いつまでも耳の奥にこびりついたように離れなかった。曲がり角で待ち伏せされて、いきなり抱きつかれたり身体を触られる悪戯も…飽きるほど受けた。


───それでも。

俺は折れず、毎日机に向かった。時間があれば、シミュレーションルームを借りて手術の技術を磨いた。

実地研修では、スタッフ達を決して蔑ろにしないよう気を配った。


いない。もう…いないんだ。

俺をちやほやするような島の人達は───

もう・・何処にもいないんだ・・・・・・・・・


「…だから。頑張らないと。人の命を救える医者にならないと。絶対、絶対に、絶対にだ。俺は───そうしないと、生きる意味なんて、生かされた・・・・・意味なんて、ないから」


───ああ。

救わないと。救わないと。救わないと。


───技術も知識も、手に入った。

たくさんの命を救えるようになった。


でも


俺は───俺を一生許せない。

いくら救っても、繋いでも。


俺が奪ってしまったもの・・・・・・・・・は、そんなもんじゃ足りないんだ。

俺が死ぬまで救い続けたって───絶対、足りないんだ。




───病院から距離を取り、人目につかない廃墟にナスターを連れ込んでから数時間が経った。ナスターを寝かせたベッドはボロボロだったが、ないよりはマシだ。

最初こそ、口元から"虚無の穢れ"とやらが止めどなく溢れていたが…病室から拝借してきたタオルで拭っているうちに多少は落ち着いてきた。すると今度は涙を流し始めたので、やはりタオルで目元を抑えていると暫くしたのち収まった。

医学に関しては素人の我でも、極度の疲労と衰弱状態にあるのは一目で判断できた。ひとまず、喧騒から距離を置かせて休養させねば…と考えていると


「………っ、…ぅ………」


弱々しい声を漏らし、ナスターがうっすらと目を開けた。

面識すらまともにない相手に直接触れられるのは不快だろうと、これも病室から拝借した手袋を片手にはめ、まだ朦朧としているナスターの首筋に触れた。


「っ………!」

「………まだ神力循環が微弱だな。動かず寝ているがよい」

「………っ、だ…れ………?」

「我が名は赤丸。神族フュッテ・ウダーチャから、貴殿の守護を依頼された霊兵だ。霊兵に対しては思うこともあるだろうが、今は自身の休養を第一に考えられよ」


ぐったりと横たわっていたナスターの目が、僅かに見開かれる。


「フュッテ…?そうだ、フュッテは何処に…!」


上体を起こそうとしたナスターを、無理矢理ベッドに押し戻す。


「ぅ………!」

「寝ていろ。貴殿はまだ、まともに動ける状態ではない」

「だって…!」

「落ち着け、経緯は必ず話すと約束しよう。まずは貴殿自身の体力回復に努める事だ。あと一歩で衰弱死していた事実、ゆめゆめ忘れるな」


ナスターはそこで、先程までの自分が置かれていた状況を思い出したか、自分の身を抱くようにして我から目を逸らした。


「ああ…そういえば。爛れていた胸の傷は、神族フュッテ・ウダーチャから事前に渡されていた簡易符術で治してある。上の服は…我では補修が叶わず、この廃墟から似たようなもの・・・・・・・を適当に拝借しておいた」

「え…!」

「安心めされよ、必要以上に貴殿に触れる事はしておらぬ」

「そ、れはそう、だろうけど…そういうことじゃなくて………」

「ふむ…何か別の懸念があると見える。気になる事があるなら、遠慮なく申されよ」


答えを寄越さず黙ったままのナスターに、仕方なくファストフードのハンバーガーの包みを押し付けた。


「え…?」

「神族に三大欲求はないとは聞いているが…多少でも体力の足しになるなら食事は摂った方がよい。吐き気がなく、上体が起こせるならの話ではあるが」


ついでとばかりに、テイクアウトの温かいコーンスープの入ったカップも、ナスターが寝ているベッドのサイドボードへと押しやる。

ナスターはゆっくり上体を起こし、ハンバーガーの包みを暫く見つめてから…改めて我の方を見つめてきた。


「…そうだった。助けてくれたんだよな、そのお礼がまだだった。…ありがとう、赤丸」


まだ疲れが色濃く残った様子で…それでも、ナスターは笑顔を作って礼を言ってきた。


「…我は契約に従ったまでだ。礼など不要」

「契約だからでもいい、礼ぐらい言わせてくれ。それに…俺が目覚めるまでの看病もしてくれてたんだろ。符術の緊急治療だって、やってくれなかったら…俺はそのまま死んでたと思う」

「それも契約のうちだ。守護しろと言われたのだから、可能な限り回復行為をするべきであろう。対象が死亡しては元も子もない」

「ううっ…」


ナスターは悄気て顔を伏せたが…急に我の方に向き直り、何故かこちらを凝視してきた。


「待って、あんた腕が傷だらけじゃ…顔にも傷が…!」

「気にめされるな、これらは全て古傷。我が生きた証・・・・として、主に敢えて残すよう頼み込んだだけのこと」


我の古傷を見て身を乗り出したナスターを咎め、長いため息をつく。


「やれやれ…貴殿は傷と見れば節操なしか」

「だって…」

「少しは己の身も省みられよ。治療をしようという医者が心身満身創痍では、患者も安心して治療を任せられまい」

「うっ………」

「貴殿は暫く休まねばならぬ。今まで全力で走り続けて、貴殿の心身こそ傷だらけのはずだ。休息は逃げではない、次の戦に再び全力で挑むための用意なのだ」


ナスターは暫く呆けていたが…手に持っているハンバーガーの包みを開け、一口齧りながら小さく笑った。今度こそ、作り物でない…心からの安堵の笑みだった。


「そうだな、ありがとう。赤丸、優しいんだな。ちょっと不器用だけど、何事にも真摯なの伝わってくるし」

「…正論を述べたまでのこと、契約は滞りなく遂行されるべきだ」

「俺…あんたのこと、嫌いじゃないさぁ」


───思わず、苦笑いが漏れる。この我に、嫌いではない…などと。


「…汁物が冷めるぞ」

「…へへ、そうだな。ありがとう」


ナスターは震える手でまだ温かいスープのカップを頬に寄せ、幸せそうに笑っていた。





───手袋をした方の手を差し出し、ナスターに握らせる。目を覚ましてからさらに数時間、もう夜が深くなる頃合いには…ナスターの握力もしっかりと我の手を握り返せる程度には回復していた。


「…にしても、なんで手袋?そんなに俺に直接触るの嫌か?」

「逆だ、面識もろくにない相手に触れられては不快だろうと思ってな…まあ、握力は戻ってきている。及第点だ」

「合格?じゃあ、すぐ病院に戻r」

「ならぬ、絶対安静を解除するだけだ。貴殿はもっと自分の状態を省みよ」

「うう………けど、フュッテも行方が分からないってモモが言ってたし、病院の人手が…」


言い淀むナスターを見ながら…改めて息を整える。


「そのフュッテの話だ。あまり良い話ではないからな…貴殿の精神が、耐えられる・・・・・まで待っていた」

「………え?」


ナスターの表情が、その枕詞の時点で凍る。その間に…懐から、錆びついたようなカードを取り出し、ナスターの眼前に置いた。


「───これ、フュッテの神紋札…なんっ、なんでここにあるんだよ、なんでこんなにボロボロなんだよ!」

「フュッテ・ウダーチャ…あの者は、貴殿に降りかかるはずの不幸、不運、厄災…その全てを自身の能力で操作し、薄氷の如し塩梅で避けていた。貴殿ら神族が揃ってあの病院で働き始めてから…数十年、ずっとな」

「…そんな」


ナスターは震える指で、ボロボロのカード…神紋札に触れた。


「そんなの…耐えられるはずない。運の操作なんて、概念干渉だ。そんなこと何十年もやっていたら、不運の揺り戻し・・・・が…」

「そうだ。あの者は揺り戻し・・・・に自身の生命力を削って対応し、影から貴殿を守り続けてきていた。中央の砂時計の紋様を見るがいい。上の赤い砂は幸運値・・・、下の青い砂は消費された幸運値の残りかす…揺り戻しで受けた不運の許容値・・・・・・だ。あの者は…この砂が下に落ちきり、自らの命火が消える前に、貴殿を代わりに守護する者を探していた───それが我だ」

「───じゃあ、フュッテは…」




───あの者は、最期まで不敵に笑っていた。


「───頼んだぜ、不死の兵隊さん・・・・・・・


色褪せて錆びたような、ボロボロの神紋札を震える手で差し出しながら…それでも弱気な顔は見せなかった。


「頼むわ。ナスターのこと…守ってやってくれ。あいつ、助けてなんて絶対自分から言わねえから…手遅れになっちまう」

「…契約の代償は?」

俺の命だ・・・・。といっても勿論、残りは少ないが…あんたの稼働神力の足しにはなるだろ」

「───」


思わず、言葉を失う。いくら死の間際とはいえ、迷いもせず己の命を差し出すとは。


「…そのナスターとやら。己の命を捧げてでも守る価値があると?」

「ああ…あいつ、真っ直ぐでいいやつなんだ。…真っ直ぐすぎて、愚かなぐらいにな。だから…もう一度。あいつを心から笑えるようにしてやってくれねえか」

「…承った」


そう告げて神紋札を受け取ると、神紋札はいよいよ色を失っていく。同時に…フュッテの身体も光る砂へと変わっていく。


「さあ、最期に賭けさせてくれよ。このクソッタレな状況をブッ壊せる、あんたの…あんたらの強さに。それが叶うんなら───俺はここまででも悔いはねえさ」

「最後の最期に、間に合った・・・・・というわけか───ああ、後は任されよ。貴殿は安心して眠るがいい」

「…軍神の兵隊さんが看取り人とはな。だがまあ…人知れず消えるより、マシか───イヤ、最高だ・・・。"未来"は…あんたらに託すわ」


それきり───フュッテは笑ったまま、光る砂へと変わり、空気中へと霧散していった。


静まり返った部屋の中…ただ黙って、しかし強い決意を持って、大きく頷いた。


「───"運命の調律者"、フュッテ・ウダーチャ。その覚悟たるや、敬服に値する。貴殿の命を懸けた願い、必ずや果たして見せよう───契約は、ここに成った。我に与えられた命は…神族ナスター・ウダーチャの守護。只今より、その命を執行する」




───そのあとは、神族ナスターの波長を探り…済んでのところで駆けつけた、という流れ。

話を終えると…ナスターはボロボロの神紋札を握りしめ、嗚咽を漏らして俯いた。


「…ごめん、フュッテ…俺、何も知らないで…ごめん………」


言葉は、あえてかけない。我の他者の心を察する能力は皆無に近い。ならば…余計な口出しをせずに黙っている方が懸命だ。

だが…ただずっと待っているのも居心地が悪い。悩んだ結果…自身が着ている陣羽織をナスターの肩にかけてやった。


「………え…ダメだって、いくら夏でも夜は寒いだろ…あんたが具合悪くなるさ…」

「なに、野宿には慣れている。やれやれ…数時間前に死にかけておいて、もう他者の心配か。これではあの者が死後も心配するはずだ」

「………フュッテ…」

「伝えたはずだ。貴殿が自分から助けを求める事は決してない、故に手遅れになる。だからこそ、真っ直ぐで愚かな貴殿を守って欲しい。それが…あの者の最期の願いだと。あの者は全て、見通していたというわけだな」

「───っ…!」


声を殺して泣き出したナスターを、今度こそ黙って見守っていた。何も言えない代わりに、その横に腰を下ろして。


───不意に、少し遠くで低い破裂音が響いた。何事かとガラスの割れた窓まで近寄って外を覗くと…


「…花火、か」


花火の音に隠れるように泣いていたナスターだったが…やがて顔を上げ、窓の隙間から見える花火を見つめていた。


「…綺麗だな、花火」

「金属と火薬の化学反応、だったか。この時代・・・・の花火職人とやら、結構な仕事をするようだな」

「もう…情緒も何もない」


ナスターは涙を拭って苦笑し…窓の側にいる我の横まで歩み寄ると、花火を見上げて呟いた。


「フュッテ…俺、フュッテの分まで生きるから。今まで…本当にありがとう」


その横顔は、もう弱々しいものではなくなっていた。




───主のいなくなった、倉庫兼住み込み部屋。


少し錆びかけたパイプ椅子に腰掛け、淹れたてのインスタントコーヒーに…レシピの通り・・・・・・スルメパウダーを振り入れて一口飲んだ。


「…はぁ、やっぱり不味い…。あのひと、よくもこんな冒涜的なレシピばかり生み出して逝った・・・ものね」


分かっていた。八十嶋は…フュッテが帰らない理由を知っていたから。

カップを置き、静かに目を閉じて…呟いた。


「───本当に、バカなひと」

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