[Episode.11-リメンバー20XX•A]


───その日の早朝、筧親子…飛燕と美鈴は新神戸駅でイグニスを待っていた。


「来ないね…次の新幹線間に合うかなぁ」

「自由席の切符にはしておいたけど、最悪1本遅らせるしかないか」


そんな話をしていると───


───「す、すまない、遅れた…!」


普段のオールバックの髪型をさらにしっかり固め、やや旧型の礼服に身を包んだイグニスが、何故か木笠と共に息を切らしながら現れた。


「だ、大丈夫…?」

「れ、礼服の事、忘れてて…数珠と礼服、朝イチで木笠選手に借りてきた…髪セットも、時間かかるからって、手伝ってもらって………」


中腰になり呼吸を整えながら説明するイグニスの言葉を、同じく横で息を切らす木笠が補足する。


「お、俺が昨日ナゴドで投げる予定ないからって、大阪帰っとってよかったわ…まあ、君の弁当目当て言うたらそうやけど、こないにギリギリで発覚するて…あー怖…」

「す、すまない…魔界は礼服の概念が一般的ではなくて…」

「こ、この人らが、飛龍さんのご遺族…ほな、後任せてええかな…俺名古屋方面の新幹線やから、ホーム逆やねん…」


時間がないことは分かっていても、思わぬ組み合わせについ飛燕が反応する。


「えっ本物の木笠選手?知り合いd」

「その話は今度でいいでしょバカパパ、新幹線来ちゃう!これ乗れなかったら、お葬式会場まで私達も全力ダッシュする羽目になるよ!」


苛立ちを隠せない美鈴の言葉に、飛燕も我に返ってイグニスに声をかける。


「うわぁそうだった!イグニス君、切符はこっちで買ってあるから、ホームまであと少し頑張れる!?」

「りょ、了解…木笠選s」

「俺の事はええから、なんかあったらLINEしてき!早よ行きや、間に合わんなるで!」

「わ、分かった…」


新幹線ホームへと早足に向かう筧親子を、木笠の声に背中を押されたイグニスも最後の力を振り絞るようにして追った。





───駆け込み乗車にならない程度に、大急ぎで新幹線に乗り込んだ3人は…2時間程でもう博多へと到着した。そして…改札口には、迎えの多禄と、もうひとり・・・・・


「あっ、おじいちゃん・・・・・・!」

「親父、迎えに来てくれたのか」

「(あの厳つい男が、飛龍の父親…!)」


3人へ向けて合図の手を振る多禄の横には、足を肩幅に開いて両手を腰の後ろで組んだ姿勢…"休め"の体勢で背筋を伸ばして立っている壮年の男性がいた。彼こそが、筧飛鷹…此処にいる飛燕と、亡き飛龍の父。美鈴から見て祖父に当たる男だ。

飛鷹は姿勢を一切崩さず、静かに飛燕、美鈴を順に眺め…ひときわ険しい視線をイグニスに向けた。


「………ッ」


だが、これで怯むイグニスではない。

自分は魔族という人外の種族であり、彼の息子である飛龍と3年近くを共に過ごし…命を救えなかった愚か者・・・・・・・・・・・。息子を失ったとなれば、恨み辛みをぶつけられる程度は覚悟していた。飛鷹の鋭い視線が、イグニスを頭の天辺から足先まで貫く勢いで突き刺さる。


「ちょ…っ、お…おじいちゃん!そんな睨まなくたって…」

「イヤ、いい。納得するまで値踏みしてくれ。今の俺が示せる誠意は、そのぐらいしかないからな」


イグニスは落ち着いた口調で言うと、他の利用者の邪魔にならないよう通路の端に寄り…飛鷹を睨み返すように真っ直ぐ向かい合った。飛鷹もかなり高身長で、お互いの視線の高さはほぼ同じ。何も知らない者が見れば、それこそどこかの組の構成員同士の諍いにでも見えたろう。

その横で…彼らよりよっぽど"本職"の多禄も青い顔をして事の次第を見守っている。


「(うわぁ…親族やけん連れてきたばってん、イグニスちゃんのことくらし殴り倒したりせんちゃろうな…)」


無言の圧。飛燕と美鈴も、肝が冷える思いで見守っていたが…やがて、飛鷹は一度小さく唸り───イグニスの頭を軽く叩くようにして撫でた。


「う、ぉ」

「よう肝が座っとー。それでこそ九州男児、儂ん孫・・・や」


飛鷹の表情は僅かに口角が上がった程度の笑みだったが…固唾を飲んで見守っていた美鈴が安堵の息をついた。


「もぉ~やめてよおじいちゃん…おじいちゃんが睨んだら、殆どの人は怖がって固まっちゃうよ…」


それに続いて、飛燕も胸を撫で下ろし…


「あ~怖かった、俺の寿命まで縮んだよ…親父も気が済んだろ、早く葬式会場行こう…」

「そうそう、迎えのバス呼んどーけん、早よ行くばい」


同じく安堵の表情を浮かべた多禄に追い立てられるようにして、一行は葬式会場へと向かった。





───遠方の喪主に代わり、葬式の段取りは多禄…と八虎ハッコ組がその殆どを整えて、飛燕達を準備万端で迎え入れてくれた。


飛龍の遺体は…酷く損傷し、バラバラだったのが信じられないほど整えられ、ほぼ1ヶ月が経とうとしているのに腐敗もしていないようだった。


そして───イグニスは諦めたように納得し…目を瞑った。


葬儀が始まり、坊主が読み上げる経が…理解できない。

それはただ真言の意味が難しい、という意味ではない。

文字通り───理解することができない・・・・・・・・・・・のだ。


「(…覚悟はしていたが、やはり…ダメか・・・)」


分かっていた。

プロ野球ファンの狂信すら奪い去られる・・・・・・なら…より直接的なものであれば尚更だ。

聞こえているのに、唱えられているのに、その真意を誰も理解できない───理解したとしても、その瞬間に剥ぎ取られる・・・・・・。残酷すぎる現状に、今のイグニスはただ歯噛みするしか術がない。

自らを息子同然に扱ってくれた飛龍の葬儀なのに、正しい状態・・・・・で行えない。それが、途方もなく悔しかった。





───飛龍が殺されてから1ヶ月近くが経っていたせいか、イグニスが心配していたような事態…棺に花を添える時は涙こそ流れたが、悲しみで絶叫したり発狂するような事には至らず安堵していた。


「───短い間だったが、世話になった。…お休み、飛龍」


棺で眠る飛龍に最期の別れを告げ…葬儀を終えると、やっとイグニスも心の整理がついた気がした。飛龍の死を受け入れ、悲しみは振り切って…それでも思い出は心にしまったまま、飛龍の思いを受け継いで生きていこうと改めて誓った。


そうして迎えた、精進落とし…葬儀後の会食時に、隣に座っていた美鈴が小声でイグニスに耳打ちする。


「(ねえねえ、楢崎さんは今日はどうしてるの?)」

「小兵は波来祖あっちだ。俺は飛龍に世話になってたから、一応身内扱いで葬儀に来てるが、小兵は飛龍と一切の接点がないからな。参列の義理もないし、連れてきたとしても肩身の狭い思いをするだけだろう」

「ま、まあそっか…楢崎さんは私とギリギリ知り合いってレベルだもんね…」


美鈴は苦笑して話題を変えようとしたが…予想外の事が起こった。


「───楢崎?」


美鈴の逆隣に座っていた飛鷹が、"楢崎"の名を聞いて眉を潜めたのだ。


「えっ…?おじいちゃん、楢崎さんを知ってるの?でも、おじいちゃんは基本海の上にいるのに、いつの間に…」

佐世保ん大学ん後輩・・・・・・・・・や、あまり関わりはなかったばってん、そん名字ん女と結婚したち聞いたばい。ちんちょかけん珍しいから覚えとった」

「ちん…何?」


イグニスが飛鷹の訛りに突っ込む前に、その発言が意味する内容を察する。飛鷹の年齢で、大学の後輩…そして、"楢崎"が結婚相手の名字という発言。つまり飛鷹が知っているのは、楢崎ケンゴではなく───


「ま、まあいい。あんたが知ってるのは恐らく小兵…ケンゴの父親の方だろう。だが大学の後輩って…あんた海上自衛官だろ?小兵の父親は…あー、認めたくないが医者だぞ?」


イグニスの疑問に、飛鷹より先に美鈴がその肩を叩いて答える。


「おじいちゃんは船医・・なんだ。正しくは医官、って言うんだったかな」

「成程、そういうことか…確かに医官は乗船必須だな、滅多に船を降りられないはずだ」


イグニスは納得し、改めて美鈴越しに飛鷹に声をかける。


「だが結婚で名字が変わったってことは、楢崎って姓は小兵の母方だったんだな。あんた、そいつの旧姓…結婚する前の名字は覚えてるか?」

「もちろん覚えとーよ───佐陀・・や」


やっぱり───そうイグニスは確信し、予想外の情報が得られた事に僅かではあるが喜びを感じていた。だが…そこで新たな疑問が浮かぶ。


「(今のあいつは、結婚前の旧姓に戻っている…つまり、何かしらの理由で離婚したということか?)」


院長である佐陀がナスターや八十嶋達を迫害している事は、楢崎からも聞いていた。そして、楢崎の身体には母親から虐待された傷痕がいくつも残ってしまっていた。さすがに飛鷹も2人の離婚の理由までは知らないだろうが…どちらもできた人間ではない事は確かだし、どちらか一方が悪いようには現時点では思えなかった。


「(俺にとっては他人でしかないし、情報が増えたと言っても又聞きで断片的。勝手な憶測と偏見だけで結論は出せないな…とはいえ、こんな両親から生まれたなんて知ったら、小兵が絶望するのも理解はできる。やれやれだ)」


イグニスが難しい顔をしているのに、美鈴が心配して声をかける。


「えっと…大丈夫?イグニス君」

「おっと…ああ、問題ない」


得られた情報は、佐陀が飛鷹と同じ佐世保の大学に通っていたということ。これがそのうち、何か有力な情報に化ければいいのだが…




───同時刻/ナゴヤドーム・選手専用飲食スペース


木笠は小金本の分の弁当と共に、無事にナゴヤドームに辿り着き、練習を終えて試合前の食事にありついていた。


「なんやねん弁当の中身寄っとるやん、雑やなぁユッキーは」

「しゃーないやん、あの子イグニス君葬式行く当日やのに直前で礼服ない言い出したんや。大慌てで俺のやつ引っ張り出して、着付けたってから頭もセットしたって…思ったより出るのがギリギリなったから駅までダッシュしたんや。魔界に礼服の概念一般浸透してないねんて」

「あー、文化の違いか…そら盲点やったな、あの子は無事に新幹線乗れたん?」

「ご遺族の方と一緒に行く言うてたから、駅で会うてその人らに任せたわ。せやから大丈夫やと思うけどな…おっこれうまいわ」


木笠は小金本に今朝の"大騒動"を語りながら、イグニスの作った弁当のおかずに舌鼓を打った。

当然、各球場には選手用の食堂もあり、今までは木笠達もそこで食事をしていたのだが…弁当持ち込みの日は、さすがに食堂の一角を占領するのは気が引けた。

それに…


───「あれあれ~?木笠先輩どうしたんですか~?」

───「なんか最近、ずっと小金本先輩と2人きりでお昼食べてません?」

───「もしかして、秘密の関係ですか~!?」


…木笠がため息をつきながら振り返ると、そこにはチームメイトの中継ぎ投手達───香那田カナダ新良武アラブ土居津ドイツの3人が悪戯っぽく笑いながら立っていた。

試合開始から投げる先発と、勝ち試合をしっかり締める抑え…その間を繋ぐ役割を担う投手陣、それが中継ぎと呼ばれる存在。試合によっては先発が9回まで通して投げる"完投"を成し遂げたり、または先発が終盤まで投げて直接抑えに交代するなどの例外はあるが、中継ぎが試合に必要不可欠な存在であるのは変わりない。


彼らは通称"お騒がせ中継ぎトリオ"と呼ばれており…チームメイトに色恋の気配がすると間髪入れず飛び付いてくるほどの噂好き。今回はそんな3人が───よりによって2人が食べていた弁当に目を付けてしまった。


「えっ、手作り弁当…まさか、木笠先輩にも遅めの春が~!?」

「うわめんどいのに見つかった…なんやお前ら、フラフラせんと早よ飯食い行けや、中継ぎは俺以上に出番来る確率高いんやから」

「あれっ、よく見たら小金本先輩も同じようなお弁当…」

「やかましいわ、飯食うとる所ジロジロ見てへんで早よ食堂行けや」


小金本は苛立ったように3人を睨み上げるが、そのうち1人…富山出身で色白の土居津が、木笠と小金本の弁当箱の上に貼られていた付箋に目ざとく気づいた。そこには印刷で"体に気をつけて"と書かれており…一言添えたいが字が綺麗ではないからと気を遣ったイグニスが、100円ショップで買っていたポイント付箋だった───メニューについて付箋の余白に一言書き込んで返すためという目的も兼ねているため、ご丁寧にも弁当箱にはボールペンが一緒に添えられている。


「えーっ、小金本先輩にも春が!?誰誰っ、どんな子なんですか!?可愛い!?おっぱい大きい!?」

「やかましい言うてるやろ、しつこいで」


小金本の声がいっそう苛立ったのを察すると、木笠が諦めたように小金本を宥める。


「アカン小金本、変に誤魔化したらスッポンより食い下がるだけやでこいつら…あのなぁお前ら、小金本はまだしも俺みたいなおっさんに、今更こないに世話焼いてくれる女の子なんかおるわけないやろ。おったとしても詐欺か金目当てか美人局や」

「うわ死んだ目で…俺が聞いてても悲しなるさかいやめろやユッキー…」


木笠の"捨て身"に、小金本の怒りは一旦収まったようだが、当の3人はまだ納得しきってはいない。仕方なく、木笠は傍らにあったスマホを操作し…


「これ作ってくれたんは男の子や。こないだバケモンに襲われたから試合行かれへんって言うた日あったやろ?その時に助けてくれた子や…ほら」


木笠が3人にスマホの画面を向けると…そこには先日の楢崎の誕生日パーティーで、料理を仕込んでいるイグニスが映っていた。それで、3人も一旦は大人しくなる。が…糸目で色黒、沖縄出身の新良武が唖然と驚く。


「あいやーまくとぅ本当!?くぬこの美らさるっ子ゎ綺麗な子は、有名やるスケート選手やさやだよねー!?」

「何々なんや、何言うとるか分からん!」

「あいや、ごめん。ウチナーグチ抑えろって監督に言われてるのに…えー、この子も有名なスケート選手だったなって。やしがだけど、この子福岡の子だはず…どうしてこの子が今、木笠先輩のお弁当作ってるわけさ?拐ってきた?」

「拐うかい!例のヘルツ君の案件以外にも、用事あって大阪に来とる言うてたけど、詳しゅうは俺も知らんのや。料理人目指しとる言うてたから、その手伝いみたいなもんや…ほら説明したやろ、早よ食堂行かんかい!飯食う時間のうなるで!」


木笠は呆れたように3人を手で追い払うような仕草を見せるが、3人のうち最後のひとり…愛媛出身の赤毛、香那田が木笠に耳打ちする。


「(木笠先輩、男の子に走ったわけじゃないんですね?)」

「どついたろか?」

「ヒエ~ッ真顔キレ声怖い!退散~!」


3人がそそくさと食堂に消えるのを睨みながら、木笠はやっと安堵のため息をついた。


「ハァ~、これやからあいつらに見つかるの嫌やったんや…せやからわざわざ人の多い食堂避けとったのに、油断した」

「ごちそうさん」

「早っ!俺が話しとる間に!?」

「ユッキーも早よ食うた方がええで」

「だーっ、分かっとるわ!」


小金本が付箋に感想を書き留め、空の弁当箱を木笠に押しやる間に、木笠も急いで弁当を平らげるが───


その様子を弥茂が苦い顔で遠巻きに眺めているのには、木笠も小金本も気づいていなかった。





───試合開始直前となり、小金本は改めてドームの電光掲示板に示された相手のスタメンを確認し…投手の欄を見て小さく唸った。


「うわマジか…今日の先発あいつかい」


記されていた名前は───選手登録名・降矢フリヤ海老造エビゾウ

東海カイザースの先発投手を務める、小金本と同年にプロ入りした"腐れ縁"の男。底抜けに明るく、他人ともすぐに打ち解けることができる…いわゆる"陽キャ"だ。

チームは違えど同い年ということもあり、降矢は何かと小金本にちょっかいをかけてきた。それを適当にあしらっていた小金本が、降矢と絡むようになる決定打になったのは、小金本がこちらも同期の広島メープルズに入団した瀬良間セラマと揉めかけた際に、降矢が間に入って事なきを得たという事があった。そのコミュニケーション能力の高さに、両者は暴力事件扱いを免れ選手生命を救われた形になり…特に小金本は降矢のちょっかいに強く出られなくなったという経緯がある。

ただし、勝負となれば話は別。いくら仲が良かろうと、投打の勝負においては、お互いに手抜きも忖度もしない。特に彼らがプロ入りしてすぐの頃は、ちょうど木笠の八百長疑い騒動が球界をざわつかせていた。八百長を疑われるような言動はどの選手も避けていたし、降矢も小金本も全力勝負を楽しんでいたかった。だからこそ、彼らは試合とプライベートはハッキリと分けていた。


「やっぱり苦手意識抜けへんか?小金本」

「シゲさんか…俺栄太・・との対戦成績悪いねん…あいつ、俺が嫌がるコースのクセよう見抜いとる…克服せなアカンのやけどな」


栄太エイタ、とは…登録名ではなく、降矢の本名。

米田ヨネダ栄太…彼はプロ入り当初こそ本名で登録していたが、不景気やアンノウンの過激化による、プロ野球観戦をはじめとした観光・旅行などの支出落ち込みを懸念した彼が、いつしか名古屋の代名詞である"エビフリャー"をモチーフにした登録名を使うようになっていた。ふざけているように思われがちだが、少しでも明るい世の中を取り戻したいと、地元愛知の観光業界を後押ししたいという彼の思いは、球団にも愛知県民にもしっかりと伝わっていた。

それでも…彼の本名を忘れられないようにと、小金本は敢えて本名の"栄太"呼びを徹底していた。


そうして小金本が苦い顔をする間に、始球式が始まろうとしていた。東海カイザースのユニフォームを着てグラウンドに現れたのは…濃い青の長髪を高い位置で結わえた、中性的な長身の青年。

彼の名は、海神ワダツミ音府ネップ。名古屋を中心に活躍する、アイスダンス───フィギュアスケートの親戚でジャンプがない代わりにスケーティング技術を厳しく見られる───のペアの片割れ。しかし、普段から愛想を振り撒くタイプではないのか、会釈もそこそこに真っ直ぐにマウンドに向かっていく。

その様子を、グラウンド端で投球練習をしながら見守っているのが───金髪をポニーテールの位置から三つ編みにし、うなじ下辺りで赤いリボンで結わえている、体格のいい派手な男。彼こそが…小金本の"腐れ縁"、降矢海老造だった。


「ほー、今日の1番打者はコガ・・か。5番から打順戻ったんだな」


降矢の言う通り、始球式の打席に立ったのは、打順が1番に戻った小金本。始球式はセレモニーなので、極論を言うと打者は構えてただ立っているだけでもいい。それでも…小金本の脳裏には、イグニスの球をホームランにしてしまった、あの始球式がちらついていた。


「(始球式はどないな球でも軽くバット振るんが暗黙のルールみたいなもんや…せやけど球がええとこ来たら、いっそ振らずに見逃がす選択肢も考えとかなアカンか)」


小金本が考えるうちに、海神が投球動作に入る。プロ投手の完璧なトレース…とはいかないが、イグニスと同じように本気で投げようとしている。


そして


「うおっ───」


海神の投球は───勢い良く小金本の頭部・・へと向かい、ヘルメットにボールが当たった鈍い音がグラウンドに響いた。ヘルメットは勢いで弾け飛び、グラウンドに乾いた音と共に落下した。そして小金本はそのまま仰け反るように倒れていき…尻餅をついて額の辺りを片手で抑えていた。

球場は悲鳴とざわめき、ブーイングまでが巻き起こる。緊急事態発生に、主審が駆け寄るより早く…


「っコガッ!!!!」


降矢はグローブを投げ捨てるように外すと、投球練習スペースから弾き出されるように走り出し、小金本の脇へと滑り込むようにしゃがんだ。


「コガ大丈夫か!?当たったの頭だろ…救急車!」


しかし、当の小金本は…


「…いらんいらん、当たったんはヘルメットのツバ・・・・・・・・や…。ヘルメットが弾け飛ぶ時に一瞬頭に押し付けられたさかい、ちょい痛むけどな…球は直接当たってへんから大丈夫や」

「そ、そう………驚かせんでや、寿命縮んだわ………」


降矢はそのまま脱力し、小金本の肩に頭を押し付けるようにして息を吐いたが…小金本がマウンドに目をやると、投げた本人───海神は何が起こったのか理解しきれていない様子で、青ざめたまま小金本の方を見つめて硬直してしまっていた。

その時、降矢が落ち着きを取り戻したのか…マウンド上の海神を振り返って睨んだ。


「おいお前、どこ投げとるんだ!」

「やめえや、素人にコントロール求めてどないすんねん…こんなん事故や、事故」


今にもマウンドに駆け寄りかねない降矢の服を掴んで咎めながら、小金本はゆっくりと立ち上がり…ゆっくりと海神の方へと歩み寄る。乱闘か…と集まりかけた両チームの選手達に両手を向けて首を振り、攻撃の意思はないことを示しながら。

そして、未だ真っ青な海神の前まで行くと…


「次から気ぃつけや」


落ち着いた声色で自らより背の高い海神に告げ、軽く肩を叩いて硬直を解いてやった。海神は頭を下げる事も、謝罪の一言を発する事すらなかったが…小金本もあの始球式で、頭が真っ白になった経験がある。場馴れしていないゲストに、適切かつ迅速な行動を求めるのは酷だとも理解していた。だから、小金本は…


「歩けるか?俺は気にしとらんさかい、深呼吸しいや。動けるようなったら裏に戻り」

「───申し訳ない」


海神の消え入るような声の謝罪を聞くと、小金本も苦笑しながらその背を軽く数回叩いた。そしてそのまま海神に付き添い、グラウンドから退場するまで隣を歩いてやった。海神はグラウンドを去る際、少し遠慮がちに一礼していった。そして…


「トラブルはあったけど、改めて勝負や。手加減なんかしたら許さんで、栄太」

「…当たりみゃーだ、ボコボコに畳んでやるから覚悟しやしろ


バッターボックス近くで様子を窺っていた降矢は、元気そうな小金本の態度を確認してから、その肩を軽くグローブで叩いてから改めてマウンドに向かった。それと入れ替わりに…小金本の元にはコーチとトレーナー数人がすっ飛んできた。


「小金本、ほんまに大丈夫なんか?試合出られるか?」

「直接頭には当たっとらん言うとったけど、首とか痛めとるかもしれんから今日の試合終わったらぜっっっっっっっっ対に病院行って診察受けろ、ええな?日曜でもやっとる病院教えたるから」

「試合中でもおかしい思うたらすぐに言うんやで、俺らが様子おかしい思うても即交代させて病院連れてくからな」

「分かった分かった、そない大勢で来んでもええやん…」


コーチ達の矢継ぎ早な物言いに気圧されながらも、小金本は大丈夫だと言うようにため息をつく。


「どっちにせよ俺の状態は白黒ハッキリさせとかな、始球式出た子もどっちのファンもモヤモヤするやろ。診察受けて問題ない言われたってしっかり言うて、安心させたらんとな。そこは俺もプロや、体が資本なんは分かっとるよ」

「それやったらええけど…」

「大丈夫やって、ほら試合開始時間押してるんやから、もう行くで」


小金本はコーチ達を宥め、ベンチに戻らせると、改めてバッターボックスへと向かった。

大阪ティーグレスにとってはアウェー敵地のナゴヤドームで、デイゲームが始まる。

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