[Episode.10-邂逅•B]

───海水で濡れた服を脱衣所でどうにか脱ぎ、併設されているコインランドリーに服を入れ、借りたタオルを手に2人揃って浴場へと向かう。コインランドリーが脱衣所に併設されているのも、水族館スタッフは服が汚れること前提の職業だからだろう。


まずはかけ湯をして、洗い場に並んで座ると…楢崎は改めて横にいるイグニスを何度も横目で見てしまう。


「…何」

「あっ、すみません…筋肉凄いなと思って」

「あんただって警察官なんだから、ある程度鍛えてるんだろ。羨ましがる程の差があるもんか」


そう言ったイグニスの方も…楢崎を気にして何度も見ていた。

変な気・・・を起こした、というわけではない。楢崎の全身には───明らかに戦闘でついたものではない傷跡が、数え切れないほど刻まれていた。そのうち目立ちやすい四肢の傷はかなり薄くなってはいたが、肩や背中に刻まれた傷跡は酷いもので…深く聞くのは楢崎の悲しみを掘り起こしてしまうと分かっていても、どうしても触れずにはいられなかった。


「…あんた、この傷…」

「ああ、気にしないでください…って、もう泣きゆうやか泣いてるじゃん!早っ、というかなんで君が泣くんですか!」

「だって、ものすごく痛かったんじゃないのか…これ、アンノウンとの戦闘でついたものじゃないだろ…誰にやられたんだ」

「…すみません。見せてしまったからには、一応説明はしないとですね…加害者は母親と故郷の大人達・・・・・・・・・です。虐待育ちなんですよ、自分は」

「実の、母親に…?そんな…」


イグニスの表情が絶望に染まる。イグニスの生みの両親は彼が乳児の頃に亡くなっているものの、引き取られた先々ではしっかり愛情を受けて育ったため、まさか血の繋がった親に虐待されるなどという事が信じられなかった。


「自分の故郷は、祖母の影響から女性優位の村社会でした。だから、子供であろうと男という生命体を許さなかった。虐げてよいもの、と認識されていた自分は、里に住むあらゆる女性に殴られ蹴られ、身を切り刻まれた。…今だから笑い話として言えますが、よく殺されたり去勢されたりせずに此処まで生きてこれたものです。唯一の味方だった祖母がいなかったら、栄養失調で死ぬか、虐待に耐えられず衰弱死していたかもしれませんけどね」


…楢崎自身も不思議だった。思い出すのも苦しかった記憶なのに、イグニスの前では驚くほどスムーズに話せる。動悸や吐き気も落ち着いていて、むしろ目の前で嗚咽を漏らす…どころか、最早泣きじゃくっているイグニスの方が心配になる。


「そんな泣かないでくださいよ、昔の話ですから」

「グスッ…あ、あんた、さ…今日、誕生日だろ…?今日からっでも、遅くない、から…あんた幸せになるべきだ…。痛い思い、とか、苦しい過去っとか、ひっくり返すぐらい、たくさん、笑えるようになれ…」

「…ありがとうございます。でも、君がそんなに泣くことないでしょう?何かあるたび他人の感情を肩代わりしていたら、君の身がもちませんよ」


───そうか。

あの頃は、自分がいくら泣いたって…祖母以外は誰も助けてくれなかった。だけど今、此処には自分の苦しみを聞いて泣いてくれる存在がいる。だから、自分はもう苦しまずに、泣かずにいられるのか。


「…早く体洗って、温泉入りましょう。辛気臭い話を聞かせてすみません」

「…ん」


イグニスもなんとか涙をこらえ、2人は塩水で汚れた身を綺麗に洗い流した。





───夏とはいえ、やや熱い湯温が身に染み渡る。父親関連の話で凍りそうだった楢崎の心は、イグニス達の気遣いを受けて少しずつ温かさに溶かされていくのを感じていた。


イグニスも漸く落ち着きを取り戻し…たはいいものの、今度は楢崎の頭を黙って撫でる始末。なんと声をかけるべきか迷った末の、イグニスなりの気遣いなのだろう。気恥ずかしさはあるものの、今は運良く2人きり。他の客が来るまでは、この気遣いに甘えてもいいか…と、楢崎も諦めたように息をついた。


蝉の鳴き声を聴きながら、湯船に浸かって穏やかな時間を過ごしていると…イグニスが静かに口を開く。


「…小兵」

「はい?」

「…あんたの祖母は、確かもう…」

「…ええ。前にも言いましたが、既に亡くなっています。殺されたんですよ…自分の目の前で。…あっ気にしな、あー泣かないでください!自分がJITTEにいるのはその真相を知るためなんですから、いいんです」

「真相…」


先程、伊良田に会った時に脳内に走ったノイズ。それは…楢崎が今まで覚えた違和感の中で、最も大きなものだった。


「祖母は目の前で殺されたのに、誰に殺されたのか・・・・・・・・が記憶から抜け落ちてるんです。なんとか記憶を辿って思い出そうとしても、頭の中に靄がかかったようになって…ダメなんです。さっき伊良田さんに会った時に、何か思い出しそうになったんですけど…やっぱりそこまでで思考が止まってしまう。どうにか記憶の隅に残っているのは、空に大きく空いた黒い穴・・・───」


その一言を聞いて…イグニスは息を飲み、一旦楢崎の頭から手を引っ込めた。


「…どうかしたんですか?」

「それは、もしかして今から20・・年前・・の出来事か?」


イグニスの答えに、楢崎も目を丸くし…此処が温泉であることも忘れ、イグニスの肩に掴みかかる。


「な…何か知ってるんですか!?」

「お、落ち着け!20年前は俺が生まれる前の話だから、俺も資料として残っている情報しか知らない。それでも、あんたが知りたいことのヒントにぐらいなるかもしれないが…」


イグニスは…伊良田に対して覚えた最後の違和感を懸念する。


「あんたが当時の事を思い出せないのは、辛い記憶に蓋をする人間の防衛反応かもしれないし───神族による記憶操作・・・・・・・・・かもしれない。どちらにせよ、無理に思い出そうとすれば…あんたはきっと、今よりもっと傷つくんじゃないかと思って」

「神族の…?それはどういう…」

「今から20年前に起きた、"地獄門解錠・・・・・"。魔界と人間界が一瞬だけダイレクトに繋がり、空いた大穴からアンノウンが大量に人間界に撒かれた…魔界及び天界・・・・・・最大の失態。あんたの祖母は、恐らくそれに巻き込まれたんだ」


───やっと。

やっと、少しだけ真相に近付いた。

イグニスの言ったことが事実なら…


「じゃあ、祖母を殺したのは───」

「ああ、高確率で悪性魔族・・・・だろう。だが…もしあんたの記憶を封じたのが、人間の防衛反応でなく神族だとしたら、少し辻褄が合わない。何故、祖母が殺されたという辛い記憶そのものではなく、悪性魔族が殺した・・・・・・・・、という部分にロックをかけたのか。神族にとって、それになんのメリットがあるのか。なんにせよ、この記憶は慎重に紐解いた方がいい。俺も…あんたにこれ以上辛い思いはしてほしくない。受け入れられる情報の許容量を探りながら、少しずつ解明していくんだ。俺も可能な限り調べてはみるが、あんたが傷つくような内容なら…」

「構いません、分かったことはなんでも話してください。祖母は…あの里で、自分のただひとりの味方だった。その死の真相が分かるなら、自分はどんな犠牲もダメージも厭わない覚悟です」


楢崎の真っ直ぐな視線に…イグニスも腹をくくったのか、小さく頷いた。


「それもそう、だな。俺も此処まで話した責任がある、あんたの手伝いぐらいはするべきだろう」

「そこまで重く考えないでください、でも…自分の誕生日に、一番ほしいものが貰えました。有力な情報をありがとうございます…勿論、この後の誕生日パーティーも楽しみにしていますけどね」

「あんたが納得してるなら、俺が余計な口出しをするまでもないな。あと…ひとつだけ、いいか」

「なんでしょう?」


楢崎が聞き返すと…イグニスは顔を真っ赤にしてぐったりしている。


「………のぼせてきた…」

「すみません湯船で話し込みすぎましたね!上がりましょう!立てますか!?」


今度は楢崎がイグニスの腕を引き、脱衣所に戻る番だった。





───温泉から上がり、イグニスの様子も落ち着いた頃合いに、2人は改めて水族館に戻った。時刻は、ちょうどその日最後のイルカショーが始まる頃。2人が再びショーを見に立ち寄ると…今度はイルカ達も、先程よりは伊良田の指示を聞くようになっていた。


ショーが終わり、人が減った会場で、2人は安堵した様子で話し合っていた。


「今回のイルカショーは段違いに良かったな」

「ええ、最初のグダグダが嘘のようでした。まあ、まだ少し安定感は足りませんでしたが、それもじきに落ち着くでしょう」

「芸は一朝一夕で会得できるわけじゃないからな。まだまだこれからだ」


イグニスは風呂上がりの一杯に買ったストロベリーミルクソーダを飲み干すと、空になったカップを持て余しながら、今は何もいないショーのプールを眺めていた。


そこに…


───「どうでした?少しは見られるものになっていたでしょうか?」


2人の背後から、伊良田の声がかかった。


「おっ…あんた、仕事はもういいのか」

「今日のイルカショーは終わりましたから、もう急ぐ仕事はありません。改めて、お礼とご挨拶をと思いまして」

「よく見えましたね、最後のショーも結構お客さんいましたけど」

「そちらの魔族の方の気配を覚えていましたので、失礼ながら魔力を目標にさせていただきました」

「イグニスだ、イグニス・サルヴァトーレ。察知されるような魔力放出はしてないと思っていたが…人の事は言えなかったか。市松の時もそうだし、気を付けないとな」


イグニスが少し呆れたように答えると…伊良田はそうだ、と呟いた。


「私も、恩人の方に本名・・をお伝えしないのは不義理ですね。伊良田あい、というのは…この水族館の館長様の聞き間違いによる誤登録のようなものなのです。なにぶんご高齢で、何度言い直しても覚えてはいただけず…私の本名はウィラーダ・・・・・。ウィラーダ・アヌと申します。お気軽に、ウィラーダとお呼びくだされば嬉しいです」



───「あーーーー?ああ、伊良田あいちゃんね、それでぇ?」

───「いえっ、ですから私はウィラーダ・アヌと申しまして…」

───「はいはい、伊良田あいちゃんね、分かりましたよ」

───「うええええん…お耳が遠い…」



「あー…年寄りは一度間違って覚えると、それを頑なに曲げないからな…」

「もう修正は諦めました…ところで、あなたのお名前もお聞きしても?」


伊良田…ウィラーダの視線が楢崎に向き、楢崎もええ、と答えてから続ける。


「楢崎ケンゴと言います。名乗るのが遅れてすみません」


───その時、イグニスは見逃さなかった。


「(小兵の名前を聞いた瞬間…ウィラーダの顔が引きつった・・・・・?)」

「えっ…どうかしましたか?」

「あっ、いえ!申し訳ありません、ちょっと…水槽のバルブを閉めてないかもと思い出しまして、確認に戻りますね」


ウィラーダは分かりやすく、慌てて楢崎達の前から小走りに立ち去ってしまった。その背を…イグニスは黙って見送った。


「(他人の名前を聞いた途端に青ざめるなんて、何かしらの後ろ暗い理由がないと不自然だ。だとしたら、やはり…小兵とウィラーダには何かしらの接点がある。まさか、小兵の祖母の死に関わっている…なんて、さすがに考えすぎだろうか)」

「えぇ…自分、何か変なこと言ったでしょうか…」

「分かりやすい言い訳だ、あの神族…あんたについて、間違いなく何か知ってるぞ」

「えっ…」

「だが、今は情報が足りてなさすぎる。今すぐ奴を取っ捕まえて詰めたとしても、恐らく適当にはぐらかされて逃げられるだろうな。だから俺達は、まだ何も知らないフリをして、関連する情報を集めてから改めて問い質した方がいい。本当に俺達の勘違いであれば、神族という折角の情報源と険悪になるだけだ。リスクが高すぎる」


イグニスの言葉を聞くうち、焦っている様子だった楢崎の表情は徐々に落ち着きを取り戻し、最後は仕方ないと言うように小さく唸って項垂れた。その肩を、イグニスが少し強めに叩く。


「イッダ!?な、何するがよ!」

「ハハッ訛ったな、どうせすぐには解決できないんだ、今の事はひとまず頭の隅にでも置いておけ。さっきも言ったが、情報が足りない状態で悩んだって何も進まない。難しい話はまた明日から考えればいいだろ、今日はとことん楽なことだけ考えてればいい、誕生日にまでしかめっ面することないからな」


イグニスはニヤリと笑うが…楢崎は逆に罪悪感を覚えた。誕生日だからと、ここまで気遣われていいものかと。

誕生日なんて───幼少期には、お前など生まれなければよかったと母親や里の女達に言われ続ける日で、その呪いは成人してからも心の底に残って消えず…自分に生まれた意味は、生きている価値は、果たしてあるのかと自問自答するための日だったのに。


「…自分は、誕生日を祝われる資格があるような人間ではないですよ。学生時代は、ホクヤ兄やエイジ達が祝ってくれてましたけど…心の奥底では、生まれなければよかったと、どうしても思ってしまって」

「卑屈になるな、祝われる資格?これからそうなればいい・・・・・・・・・・・んだよ。真っ当に生きてれば、あんたがいてよかったって、生まれてくれててよかったって、そう言ってくれる奴は絶対出てくる。木笠選手も言ってただろ、あんたの投球を見てやる気を取り戻したって。俺にとっても、あんたは俺が関西に来て初めての友人・・だ。あんたに会ってからまだ数日しか経ってないけど…毎日が楽しい。俺はあんたに会えてよかったって、心から思ってるよ」


───ずるい。


「(そがな笑顔で言われたら…なんちゃあなんにも言えんやないか)」


楢崎は…イグニスの柔らかい笑みに、何も言い返せなかった。

存在を肯定された事が嬉しかったのに、素直に伝えることはできなかった。

だから、代わりに…


「…ありがとう、ございます」

「今度はあんたが涙目だな。せっかくだ、売店で何か買って帰るか。形の残る、思い出になりそうな物をな。さ、行くぞ。そろそろ帰って、木笠選手達の勝利試合を中継でじっくり見守らないと」

「…年下にお金出させるなんて、心が痛むんですけど」

「誕生日プレゼント買うのに年上も年下もあるか、こんな日ぐらい素直に甘えてろ。あんたそういうの下手そうだしな」

「き、君に言われたくないんですけど!あっ…ちょ、待って!」

「ほらほら早く来ないと、誕生日プレゼントを女児向けゆめかわキラキラペンセットにしてやるぞ」

「ムッキーッ!通路が空いてるからって滑走は卑怯ですよ!待ちなさーい!」


楢崎にとっては、誕生日を祝ってくれた事こそが何よりの宝物。だから、プレゼントはなんでもよかったのだが…そんなことは言えるはずがなく、照れ隠しにイグニスを追いかけて売店へと向かった。





───その日の夜試合ナイター。大阪ティーグレスは4-2で見事に勝利を収め、木笠は上機嫌でイグニス達を迎え入れた。そこには小金本も同席しており、夜中近いゆえに大声は出せないものの、小規模な楢崎の誕生日パーティーが催された。


「誕生日、おめでとさ~ん!…やっぱクラッカー鳴らさな、誕生日って感じがせーへんからな。まだ10時半やし、1回ぐらい勘弁やで」

「しっかし、なんとか今日勝ててよかったわ。ユッキーが最終回ツーアウトからソロホームラン打たれた時はヒヤッとしたで」

「やかましいわ、今日4タコ4打席連続凡退の小鉢には言われたないねん、ええとこなし」

「なんやと~!?」

「まあまあ、結果として勝ったんだからいいだろ。こんな日に喧嘩しない」


30越えたいい大人が、子供のように互いの揚げ足を取って額を突き合わせ、挙句の果てに呆れた未成年に諌められるという、なかなか情けない構図が出来上がっている。


「試合は勝敗が発生するものですが…勝ってくださってありがとうございます。最高のプレゼントでした」

「惜しむらくは、現地で観戦するべきだったな。試合開始直前じゃ、さすがにチケットも完売…前回のようにはうまくいかなかった」

「あーそれ多分、前回ギリギリで取れたんは転売されとったチケットの無効化再販分やったんやないかな?うちの球団も転売チケット対策に本腰入れる言うてたから。まず東京ジビエーズが転売チケットにガチギレて、今後は本格的に監視する言うててな。うちもそれを真似たって感じや、東京ジビエーズはそもそも規則に厳しいからな、怒らせたら怖いで~」


木笠は明るく話すが、その目は笑っていない。試合を見る気のない…野球に興味すらないであろう転売者にチケットを買い占められ、本当に試合を見たいファンが正規の値段と手順でチケットを買えないなど、ファンを第一に考えている木笠は悲しく思うし、そんな状況を作り出す転売者を許す筈がない。


「ま、その甲斐あって最近は転売チケットも減ってきたらしいで。せやから絶対見たい日は予め買うとかんと、基本的には当日までに完売御礼や。ありがたい事なんやけどな」

「それもそうか、来年は早めにチケットを確保しておくべきだな。小兵、有給は残しておけよ…JITTEに有給制度があるかは知らないが」

「周りの準備が手厚い…こんな時期から来年の話をしたら鬼が笑いますよ」

「ハハッ(笑)」

「…すみません、イグニスは"半鬼・・"魔族でしたね…阿万里の報告書に書いてあったのを今思い出しました。無理に笑わせる意図はなかったのですが…」

「ええやん、お笑いの才能あるで」

「少なくともユッキーよりはな」

「あ"?やるんか小鉢」

「はいはいもう、料理が冷めるからそこまで」


イグニスが再び額を突き合わせた木笠と小金本を引き離すと…何かに気づいた木笠が小金本を片手で押しやりながら、苛立ちを引っ込めてイグニスの方に向き直る。


「そうや、飛龍さんのお葬式の日取りって決まったん?今月や言うてたやろ」

「ああ…8日の日曜日になった。やっぱり休日の方がいいだろうって」

「8日…ちょお待ってな」


木笠はスマホを確認すると…諦めたような笑みを浮かべた。


「はいアウトー!8日は東海カイザース戦やからナゴド名古屋やんけ!福岡とは近いどころか逆方向やったし、おまけに日曜日やからデイゲーム…お葬式って午前中からお昼やろし、完全アカンわ。お香典だけ言付かってもろうてええかな、準備だけはしとったから後で持って帰ってや」

「わ、分かった…気を遣わせてすまない」

「ええねんええねん、おっさんが勝手にやっとることなんやから」


イグニスと木笠のやりとりを…楢崎は黙って眺めていた。2人が親密に話していることに嫉妬しているわけではない。考えていたのは…


「(自分だけでは手詰まりだった、祖母…ユカラばあちゃんの死の真相について、イグニスのお陰でやっと手がかりが見えてきた。自分も…そろそろ覚悟を決めなくては)」

「おいどうした小兵、怖い顔して。苦手な料理でもあったか?」

「…いえ、大丈夫です。どの料理も美味しいですよ、自分のためにありがとうございます」


楢崎はイグニスの不安を解消するため、一瞬思考を切り替えたが…


「(8日、イグニスは一旦九州に帰省する。機会は…そこ・・しかない、か)」


3人に悟られないよう、ある決心を固めていた。





───暫くして。


「(あーあ、寝てもうた。こないに暑い日に、1日歩き回って疲れとったんやろうな)」


誕生日パーティーも終わり、日付が変わりそうな時間。小金本は声を潜め…ソファーに座ったまま、寄り添うようにして寝息を立てるイグニスと楢崎を温かく見守っていた。その横に、タオルケットを持ち出してきた木笠が戻ってきた。


「(お、戻ったか。どないする?起こす?)」

「(ええて、寝かせといたって。途中で起きてきたら、ソファー組み替えてベッドにするわ。改造できるヤツ買うといてよかった~)」

「(このまま泊めたるんやな?まあ明日も試合あるから俺らも朝早く起きるし、その時起こしたらええか)」

「(小金本はどないするん?布団の予備はあるし泊まってもええけど)」

「(イヤ、俺は近いし帰るわ。この子と違うて、この時間出歩いて補導言うトシでもないしな)」


それだけ言うと、小金本は…


「───おやすみ、ええ夢見るんやで」


静かに告げながらイグニスと楢崎の頭を軽く撫で、自分の手荷物を持って玄関に向かった。2人にタオルケットをかけた木笠もその背を追い、小金本と挨拶を交わしてから、戸締まりをしてリビングに戻った。そして…


「お疲れ様。ゆっくり休んでな」


木笠も2人に優しく声をかけ、リビングの電気を消そうとした時


「───っ!」


穏やかに眠る2人の姿が…一瞬歪んでぼやけた・・・・・・・・・

しかし、その異常はすぐに治まり…木笠は安堵したように息を飲むと、改めてリビングの電気を消し、自室のベッドへと向かった。


「(───天罰・・、か。それでも、なんとか誤魔化さな…俺にはもう、後がない・・・・。せめて今シーズン、優勝するまでは…もってくれ、頼む)」


木笠は…祈るような気持ちで、ベッドに倒れ込んだ。




───楢崎、楢崎。

ひとり、彼の名前を頭の中で反芻する。


私は───この名前を知っていた・・・・・


夜も更けた頃、私は誰もいなくなった水族館のイルカプールのステージに立ち、今日のことを思い返していた。

イルカ達さえいなくなったプールの水面は、風に揺れて月の光を反射するばかり。


…ああ、今日は満月か。


少し遠くから、花火の音が聞こえてくる。残念ながらこの水族館は海に面していて、街で上がっている花火を見ることはできないけど。


───満月。透き通るような夜空。そして…花火。

日が沈んでもなお熱を孕んだ海風が、顔に当たって空へと消える。


楢崎。その名は…20年ほど前、"地獄門解錠"に関わった子の名。


私達が───記憶を封じた・・・・・・子の名だ。


どうして忘れていたんだろう。あの目の色で思い出せたはずなのに。その記憶の封印が…もうじき解けてしまう・・・・・・・・・・というのに。


「ああ…なんてこと。アウセン様にお伝えしなくては。でないと…あの子は、あの人は…とてもつらい記憶を思い出してしまうことになる…!」


プールの水面が、風に揺られて大きく月の光を歪ませた。




───同時刻。1隻の大型船舶が、長い航海を終えて漸く佐世保港に停泊した。

闇夜を照らす明かりを受け、港に降り立ったのは…


「───久し振りん祖国や。息子ん葬儀んために、ここまで急いで戻ることになるとは思わんじゃったなかったが…間に合うてよかった」


彼はもうじき定年を迎える海上自衛官。精悍な顔立ちは老いてなお凛々しく、白髪を恥じることなく軍帽を被り直し、まっすぐ背筋を伸ばして船を後にした。


彼こそが、カケイ飛鷹ヒヨウ───飛龍と飛燕の父親だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る