[Episode.9-消えないmemories•B]


───ティール達が一旦立ち去った後、まずは楢崎の家まで戻ると、楢崎は疲労からか眠気を訴えたので昼寝をさせることにした。そしてイグニスは…その隙を突いて、先程逃げ込んだ近くの公園に改めて足を運び、魔界の"情報屋"とコンタクトを取ろうとしていた。まだ日差しも陰らず蒸し暑かったが、時刻は夕方に差し掛かっていた。


「………こいつ・・・に頼るの本当嫌だな………」


灼熱の環境下で、イグニスが苦々しげに見つめているのは…己の手にある白いUSB端末。しかしいつまでも悩んでいたところで、自分の身が夏の気温にやられるだけだ。イグニスも覚悟を決め、スマホのポートにUSB端末を差し込んだ。

すると───


『はぁーい!皆のアイドル、ノウレッジですよ~♡』


声の高さから成人男性らしい、やたらと陽気な機械音声が公園に響き渡った。しかしスマホの画面には、"SOUND ONLY"の文字だけが表示されている。


「うるっさ…もう初手から疲れる」

『あらぁイグニスちゃん!今日はどういうご用件で?好きな子でもできたんです?任せなさぁい、口説き方のひとつやふた』

「此処の地域、不燃ゴミは何曜日だったかな…」

『アーッ嘘ですジョークジョーク!公園のゴミステーション確認しに行かないで!』

「…相変わらず見えてないのに・・・・・・・感知できるの気持ち悪いな」

『しゅーん…"キモい"より"気持ち悪い"って言われた方が傷つくのなんなんでしょうね…』

「知るか、貴様と話してるとそれだけで気力が減っていくんだ、さっさと本題に移るぞ。俺も早く冷房の効いた部屋に戻りたい」


イグニスは呆れ成分100%で『ノウレッジ』に言い放つ。


『ノウレッジ』は冷鵝のように映像通話ができる相手ではない。USBに収められた電子生命・・・・…分かりやすく言うならばAIの分類になる。しかも1から造られたAIではなく、"彼"は神族・・。その死の間際、自らの思考データをAIとしてUSBに分割保存・・・・した存在だった。

それが何故、今こうしてイグニスの手元にあるのかというと───


久し振り・・・・声を出せた起動したのにつれないですねぇ、私寂しいです』

「喋らせれば余計なこと8割だからだ、下らない話を飛龍に聞かせたくなかったからな。そんなことより、アウセンという神族について知りたい」

『アウセンちゃんですか!なかなかニッチな所を攻めますねぇ、あの子はクールで照れ屋さんですが一度落とせば』

「木笠選手の左腕の握力が気になるな、故障したと言っていたがUSBを握り潰せる程度の握力はまだあるのだろうか」

『アーッやめてッ!分かりました真面目にやりますぅ!何を調べればいいんですか!?』


懇願するような『ノウレッジ』に、イグニスは今度こそ怒りを空中に散らすようにため息をついて返す。


「───優柔不断の役立たず・・・・・・・・・、とはどういう意味だ?事情によっては、連携に支障が出る可能性がある。概要だけでも知っておきたい」

『あー…成程、分かりました、調べておきます』


『ノウレッジ』は回答を濁すが、それでイグニスもすぐ分かった。

何かを知っていて・・・・・・・・隠している・・・・・───と。


しかしイグニスがそこを問い詰めるより早く、『ノウレッジ』が再び声をあげる。


『あっそうそう』

「今度は何!」

『メールが来てますよ。元の差出人は───"南の丸十字"となっt』

「貴様それは早く言え!軍神からだ・・・・・、読み上げろ!」

『はぁーい』


いつの間に自分のメールアドレスを知ったのだろうと一瞬考えはしたが、すぐに"流出犯"…多禄から聞き出した説が濃厚だろうという結論に達した。『ノウレッジ』の方はなんとか誤魔化せた事を安堵しながら、軍神ティールから送られてきたメールを読み上げる。


『えっと───"本日・・17・・時半・・より、姫路城下・好古園貸し切りにて、市松の処遇を決める会議を行う"…』

「…は?」

『あれ、今何時でしたっけ…?』

「今日の17時半って…嘘だろ、さっき別れたばっかりなのに、いつ決まったんだ!?」


イグニスは慌てて立ち上がり、スマホに接続していた『ノウレッジ』…USBを引っこ抜いた。


『ア"ンッ!』


『ノウレッジ』は独立したAIのため、機器接続を介さなくとも自動で思考が継続される。対話する必要がある時のみ、スピーカーを内蔵する機器との接続が必須になるだけだ。


「此処から姫路ってどのぐらいかかる?黙って出てきたし、帰るの遅くなるって小兵にLINEしておかないと…SUGOCAの残高あったか…?ああもう、急すぎる!」


苛立った独り言を漏らしながら、イグニスは三ノ宮駅へと急いだ。




-好古園・潮音斎-


本来は観光地として整備されている、姫路城下にある庭園。その一角を多禄が口と財を使って貸し切り、営業時間が終わった17時から本格的な動きを見せていた。前述の通り、この場所は今は観光地として営業している施設。故に影響は少しでも短い方がいい、というのが多禄の言い分だった。ここで───今から、市松の処分を決める会議が開かれる。


潮音斎───瓦作りの建物の一室で、市松は膝を抱えて会議の開始を待っていた。それを横目に、現場入りして準備を進めている多禄に…背が高く筋肉質な黒髪の霊兵おとこが気さくに声をかける。


「多禄~、やっぱりいきなり声かけられても無理って奴が多いらしいぞ。ソヨギ病院の厨房・・・・・を抜けられないし、平八郎ヘイハチロウ消防隊・・・の仕事中。瑞庵ズイアンお前の命令・・・・・遺体の保存・・・・・を任されてるから動けないと言ってるようだが、お前何殺したんだ?人の命を奪うのは俺達の法度だろ?」


一貫して明るく話す霊兵おとこに、資料を捲っていた多禄は鋭い睨みをもって低い声で返す。


「ニュース見とらんとか、こんアホ!半月前に魔族に殺害された被害者んご遺体ばい!瑞庵がエンバーミングまで終わらせたばってん、葬儀でくるまでまだ日があるけん、誰かが保存状態ん見とらないけんっちゃん!」

「そんな怒るなよ、怖いぞ?」

「てか、ぼくに話しかけなしゃんな玄晴クロハル!しゃあしかけんあっち行け、シッシッ!」

「酷いな~!だが嫌われ者は大人しく退散しよう!」


多禄に追い払われた霊兵おとこ…玄晴は笑顔のまま多禄に背を向けたが、そんな玄晴の影に隠れていた霊兵おとこがひとり───普段は美しい顔立ちの彼は、多禄を恐ろしい形相で睨んでいた。


「───玄晴様にこれ以上失礼を働いたら貴様を殺すぞ」

「…伝心デンシンは相変わらず玄晴の金魚のフンか」

「あ"?」

「おーえずか、付き合うてられんっちゃ」


端正な顔を歪めて般若の形相を見せる霊兵おとこ…伝心を適当にあしらった多禄は、この緊張した空気にも構わず縁側で弁当を食べている赤髪の霊兵おとこに、呆れた様子で歩み寄る。


「暢気なもんやね、錦寿キンジュ

「あ、お疲れ様です多禄さん・・・・!すみません、今これ撮影中・・・なんで」

「は?撮影ぃ?」

「前に言ったじゃないですか、僕は今、撮り鉄・乗り鉄・駅弁食べ鉄の三鉄系配信者やってるって!これ姫路駅で買ったたこめし弁当なんですよ、うーん、おいしい!最高ですよこれは!」


赤毛という派手な出で立ちに反して、敬語で話す霊兵おとこ…錦寿。彼は弁当を食べ終わると、その空箱をビニール袋に戻して片付け、目の前に固定していたスマホの録画を停止してから、改めて多禄に声をかける。


「そういえば、赤丸アカマルさんも来てませんね。市松君の処分と聞けば、虎之助君・・・・の次に駆け付けそうなものなのに」

───「赤丸には、私が直々に別の指示を出したからな。タイミング的に、少し悪いことをしたとは思っている」


そう多禄の背後から話した声は…彼らの雇い主・・・、軍神ティールそのひとだった。

その姿を見るや、多禄はそれまでの不満げな表情を一瞬で消し飛ばし、満面の笑みをティールに向けた。


「いや~んオジキ♡いつからおったと?」

「相変わらず変わり身が早いな…今来たところだ。イグニスにも連絡を入れておいたから、じきに到着するだろう。まったく…急な話だから、彼からも短いながら怒りの滲んだ返信が来ていたぞ。『いきなり言うな』、とね」

「イグニスちゃんには後で謝っとくけん大丈夫ばい♡」

「アハハ、多禄さんのくねくねムーヴ見るのも久し振りですね。きも」

「おい最後ディスりなしゃんな!」


錦寿は笑顔のまま自然に多禄を咎め、改めてティールに向き直る。


「で、主君・・。そのイグニスって魔族は信用できるんですか?信用できないなら…」


錦寿はやはり笑顔のまま───服の袖に隠した暗器・・を光らせる。しかしそれを見落とすティールではなく、呆れたようにため息をついて首を振った。


「やめなさい、あの子は信用していい。あの子は私と似て嘘が下手なタイプだ、私達を欺く事はできない。今日のあの子は客人として迎え入れるのだ、危害を加える事は私が許さない。よろしいか」

「分っかりました、主君がそう仰るなら!まあ多禄さんが3年間見てきた相手ですし、警戒する必要ありませんでしたね!」

「むしろ、君とは駅の弁当繋がりで仲良くできるのではないかな?あの子は食べるのが好きなようだったから」

「そうなんですか?うーん、あげられそうな駅弁残ってたかなぁ…ちょっと保存庫見てきます」


錦寿がそう言いながら席を外すと、多禄は…今度は真面目な顔でティールと向き合う。


「───実際、どうするつもりで?主殿あるじどの

「あまり厳しい制裁を下したくはないのが本音だ。協力してくれている霊兵には限り・・もあるし、普段の市松はよく働いてくれている。貴殿・・は心苦しい立場かもしれないが、市松とも旧友・・の間柄だろう?あまり邪険にしていると、市松も傷つくのではないか?」

「…心得ております」

「あまり思い詰めない方がいい。何にしても、後はイグニスが到着してからだ。被害者のあの子がどういう処遇を望むのか…それが一番だろう」

「…御意、貴殿の心のままに」


多禄は深々とティールに頭を下げると───すぐに上半身を起こし、ティールに背を向け軽い足取りで建物奥へと向かう。


「さぁーて、イグニスちゃん来るんやったら、茶菓子んひとつでも用意しちゃらんといけんなぁ。オジキ、何かあったらすぐ呼びんしゃいね♡ぼくは茶菓子の用意しとーけん♡」

「ああ、それがいい。頼んだ」


ティールが多禄を見送っていた頃…




───ちょうどイグニスも姫路駅に到着し、バスで姫路城方面へと向かっていた。


「(バスあって助かった…この暑さでダッシュは死ぬ…昼間で人も多いから滑走も使いづらいし、翼出して飛ぶにしても疲労状態じゃ魔力が安定せずに即墜落しそうだし…)」

「お兄さん大丈夫?顔色悪いで」

「問題ない…気にしなくて大丈夫だ…」


同乗していた老婆にまで心配される始末とあってはイグニスも情けないと思うばかりだったが、熱中症でひっくり返るよりは自他共にまだマシだと己に言い聞かせていた。


「疲れとーやったら飴ちゃんあげるわい、ほら」

「アタックオブキャンディ、有効範囲広すぎるだろ…」


イグニスがツッコミを優先したため断る間もなく、その手には老婆が押し付けた飴の個包装が握られることになった。


「まあ、ありがたく受け取っておくとしよう…実際ちょっと疲れてるしな…」


イグニスはナスターの符術で回復したとはいえ、つい先程アンノウンとの戦闘で大怪我を負ったばかり。しかも憧れであった軍神と直接顔も合わせ、この後は霊兵達のひしめく中に自ら足を踏み入れようというのだ。気を休める手段は多くあって困ることはない。


「…パイン味」


受け取った飴を口に入れた所で、バスはちょうど姫路城前のバス停に到着した。下車した時点で時刻は17時20分…まだ間に合う。イグニスは運転手への会釈も程々に、メールに記載された場所へと急いだ。




───好古園の入口には、出迎えらしい霊兵が2人立っていた。本来の営業時間は既に終了している筈の施設だが、今日は入口の門がまだ開いている。


霊兵のひとりがイグニスを視認した時…


───「おーーーーい!!!!こーんにーちはーーーーッ!!!!」

「うわっ何々、うるさっ…なんだあいつ…!」


道路を挟んだ対岸から絶叫とも呼ぶべき挨拶をし、大きな音が苦手なイグニスは驚いてその場で飛び上がった。


───「あれぇ?返事がないぞぉ?こぉーんにぃーt」

「分かったもう聞こえてる!すぐそっちに行くからもう叫ぶな、うるさいし近所迷惑!」

───「酷いぞ~!」

「あいつ何なんだ本当…初手からもう疲れた…」


既に疲労困憊状態となったイグニスだが、此処で引き返すわけにもいかず、仕方なく信号を渡って霊兵の待つ元へと合流した。

先程大声を張り上げた霊兵は、黒髪に赤のエクステを数本入れた体格のいい男。身長は188cmあるイグニスより少し高いかもしれない程で、向かい合うだけで威圧感が凄まじい。それが半減しているのは、この霊兵が終始フレンドリーな態度だからだろう。


「お前が隊長・・の言ってた魔族のイグニスで合ってるか?遠路はるばるお疲れ様だなぁ!俺は甲斐カイ玄晴クロハル、よろしくな!」


元気のよすぎる霊兵…玄晴が満面の笑顔で手を差し出すが、イグニスは握手を少し迷った。というのも…


「…あんた、初めて見る気がしないんだが」

「ん?ああ、もしかしたら数日前に甲子園の始球式・・・に出たから、その試合を見てたんじゃないか?」

「それか…!」


当時のイグニスは選手弁当に舌鼓を打つのに忙しく、始球式を務めたのが誰であるかすらまともに見ていなかった。しかし玄晴が自己紹介する大声だけはイグニスの耳に届いていたらしく、記憶の片隅に残っていたのだろう。


引っ掛かっていた疑問が解けたことで、警戒する必要はないかと思い直し、イグニスは改めて玄晴の握手に応じた。しかし…


「ギャッ痛い!そんな全力で握るな!」

「お?すまんすまん、そんなに力入れたつもりはなかったんだがなぁ」

「やれやれ、ゴリラか…」


イグニスが玄晴の手を離した瞬間


「───っうわ!」


玄晴の横にいた麗人の霊兵おとこがイグニスの首筋にクナイを向け、イグニスは慌てて氷の刃を靴裏に生み出して数歩分後ろに退いた。その行動に、玄晴が珍しく笑みを消した顔で麗人の霊兵おとこを咎める。


伝心デンシンッ!!隊長の客だ、無礼は許さんぞ」

「…申し訳ありません、玄晴様。お許しを」

「謝るのは俺じゃなくてイグニスにだろう?」

「………すまなかった」


麗人の霊兵おとこ…伝心の玄晴への態度より、自分に対しての謝罪が随分と渋々だったのが気にはなったが、此処でトラブルを起こした所でイグニスには何のメリットもない。


「俺からも謝罪する、すまなかったな。こいつは上田ウエダ伝心、俺の…部下、じゃないな…相棒みたいななんか、アレだ!」

「説明が雑だな!…別に構わない、敵視されるのは慣れてる。俺は魔族だからな、受け入れてくれる人間も多いが、嫌悪感を持つ者も少なくないんだ。会う者全員に好かれるなんて思ってないからな」


イグニスは伝心へのフォローのつもりで言ったが、玄晴はその言葉を受けてさらにイグニスの方をフォローする。


「そう言うな、種族で嫌悪されるなら俺達も同列だ。俺達霊兵は、本来は此処にいてはならない存在。気落ちする事はない、俺達はもう仲間みたいなものだろう?うわーっはっは!」

「仲間…って、いきなり肩を組むな!俺はいいが、後ろの奴が刺してきそうだ!」

「安心しろ、そんなことになる前に俺が殴るから!」

「暴力ゴリラ怖い…」


背後の伝心に警戒しながら、玄晴に肩を組まれて連れて行かれた先に───


板張りの広い部屋では多禄をはじめ、軍神ティールの他…イグニスにとっては初顔合わせとなる霊兵が何人か控えていた。その中央、霊兵達に囲まれるように…市松が青ざめた顔で正座していた。その時、険しい顔をしていた多禄がイグニスと目が合うと、途端に満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。


「あら~よう来たねぇイグニスちゃん♡急な話でごめんなぁ~」

「ちゃん付けヤメロ、というかあんたの都合かよ」

「イグニスちゃん、そいつ男の子と触れ合いたい・・・・・・・・・・とかいう理由で特撮ヒーロー俳優・・・・・・・・んなった邪な奴やけん、気ばつけな危なかよ」

「あっ印象操作やめろよな!確かに俺は男の子が好きだが、嫌がる男の子を無理矢理触ったりはしないぞ!ヒーローショーでハイタッチしたり、親御さんに頼まれて高い高いしたりする程度だ!男の子達の笑顔のためには、YesボーイNoタッチを守らなくてはな!」

「(じゃあこのガッチリ組まれた肩はなんなんだ?あと俺はもう男の子・・・って年齢ではないだろ、せめて"の"を取れ)」


イグニスがもうツッコミを入れるのも諦めていると…玄晴はイグニスを解放し、ティールと霊兵達は市松を中心に挟み込むような形で2列になって正座し、向かい合った。取り残されたイグニスは、慌てて一番近くにいた玄晴の横に滑り込んで正座した。


「集まったのは私とイグニスを含めて7名か。まあ、急な召集だったからな。奇数の方が多数決も取りやすいだろう───では早速だが始めるぞ、貸し切りとはいえ長居はしない方がいいだろうからな」


ティールの言葉を聞いて…イグニスは不審に思って部屋を見渡す。

自分とティール、玄晴と伝心、多禄と…初顔合わせになる、オールバック赤毛の霊兵おとこ


「(軍神が数え間違えたのか?部屋には6人しか・・・…)」

───「気配察知雑魚すぎでござる。お前が座っている場所の真後ろ、ずーっと拙者がいたでござるよ」

「うわっ、わぁッ!!?」


唐突に背後から声をかけられ、イグニスは反射的に玄晴にしがみついてしまう。その反応に玄晴は何故か恍惚の笑みを浮かべ、イグニスとは逆側の玄晴の隣に座る伝心は恐ろしい形相でイグニスを睨んでいる。

そこにいたのは───やや身長の低い霊兵おとこ。なのだが…何故かその身体の輪郭を視認しづらく、かろうじて目元の一部だけが浮かんでいるようにしか見えず、イグニスでなくとも驚いて悲鳴をあげてもおかしくはなかった。


「ううっ…いきなり声をかけるな、一瞬息が止まった…」

「チビったでござるか?」

「チビるかバカタレ、下品だぞ!なんなんだあんた、そもそも何を着てる!?」


会議を始めて早々の騒動に、ティールが少し苛立ったように息をつく。


「悪ふざけはそこまでだ、『ソナエ』。味方を驚かせてどうする…すまないイグニス、彼は忍の霊兵・・・・で、光学迷彩装束・・・・・・を用いて任務を行っている。君が気づかなかったのも無理はない。『備』、会議の間ぐらい私達に顔は見せるように」


ティールの指示に、霊兵…『備』は渋々頭巾をずらし、首から上を露にした。背に比例して顔は幼く、短めの白髪をうなじ付近で無理矢理にまとめていた。


「忍…それで気配がほとんどなかったのか…」

「いつまで玄晴様にしがみついているんだ貴様…」


伝心の指摘にイグニスも我に返り、玄晴の服をしっかりと掴んでいた事に気がつき、慌ててその両手を離す。


「す、すまなかった…つい驚いて」

「ん、もういいのか?俺は全然大歓迎だったんだがなぁ」

「『備』、きさん次にいたらん余計なことしたらくらす殴るけん覚悟しとけよ」


多禄はいつになく苛立っているが、ティールが呆れた様子で手を数回叩いて場を仕切り直す。


「遊びは此処まで!相変わらず貴殿らはまとまりがないな、お互い忙しい身なのだからさっさと進めるぞ!───今回の発端、市松の暴走については全員知っているな?」


低い声で発されたティールの言葉に、緩んでいた空気が一気に刺々しい緊張感を帯びる。中央に座っている市松は顔を伏せ、膝の上で両手の拳を強く握り込んだ。


「…ぼくは、いつかはこうなるて思うとったばい。やけん危なかって言うたとに【否】」

「僕も多禄さんと同じ意見ですね、今度は被害者が人間になるかもしれませんよ?そうなれば、市松自身が登用解雇されて終わり、という単純な話にはなりません。登用霊兵そのもの、果ては主君に対する人間達の信頼すら危ぶまれます【否】」

「フン、雨が降ったら暴走だなんて危険要素を持った霊兵を、これ以上登用し続ける長所があるんでござるか?夕立や台風、雨が降る要素は多くある。その度に、今回のような問題を考えながら運用するんでござるか?拙者は反対でござる【否】」

「…成程、多禄と錦寿、『備』の3名は否認派か。貴殿はどうだ、玄晴?」


ティールはあくまで冷静に、全員の意見が出きるまで己の考えを口にしない姿勢らしい。玄晴は…少し悩んで、横にいるイグニスの背を思いっきり叩いた。


「い"っ、たぁッ!!なん…っ」

「まずはお前の意見が聞きたい。結局は、被害者であるお前がどう思っているかにかかっているのだからな。お前が許せないと言うならば、この場にいる誰もがそれを尊重するだろう。だがお前が許すと言うならば、この場にいる誰にもそれを否定する資格はない。勿論、今後同じ条件下で人間が襲われるリスクについては別勘定だがなぁ」

「痛ったいなもう…それについてだが」


イグニスは叩かれた背中を擦りながら、冷静さを取り戻して話し出す。


「あくまで俺の見解だが、市松が次に暴走したとしても人間を襲う可能性は低いと思っている」

「ほう、それは何故?」

「市松が現れる直前、俺達の前にはアンノウンがいた。俺が殴られたのはそのアンノウンを倒した直後…つまり敵性勢力がその場にいない状態だった。そして俺の側には木笠選手…人間がいたにも関わらず、俺の防御が間に合わない程の速度で、迷わず俺だけを殴った。その後は吹っ飛んだ俺より木笠選手の方が近くにいた筈なのに、市松のターゲットは変わらず、さらに俺を攻撃しようとした。人間である木笠選手に市松の槍が向いたというのは、彼が俺を庇おうとして間に入ったからだ。その時、市松は何かに制御されるように攻撃の手を止めていた。これらのことから推測すると───」


イグニスの視線が、縮こまっている市松を真っ直ぐに見据える。


「まず市松はアンノウンの気配を察知して、俺達がいる場所に向かっていた。しかし到着直前になってその反応が消えたことで、市松の敵認定が同じ魔性反応を持つ俺・・・・・・・・・・に自動的に切り替わった。理性のない状態では、同じ魔性反応である俺とアンノウンの区別ができず、俺を敵認定して殺そうとした」

「…酷かね。イグニスちゃんと同じように無抵抗の魔族が他におったら、やっぱり同じことが起こるんやなかとか?」


多禄は眉を潜めるが、イグニスはゆるく首を振る。


「それは否定できないが、まずは人間への攻撃性についても見解を述べさせてくれ。話の続きになるが、人間である木笠選手に対しては、俺より明らかに距離が近いタイミングがあったにも関わらず、一切攻撃をしなかった。人間である彼まで無差別に敵認定していたなら、彼が俺を庇った時にまとめて貫くこともできた筈。それが強制的に手を止める事になったのなら…理性のない状態であっても、"人間は絶対に攻撃してはならない"ということが霊兵の深層レベルで刻まれているんじゃないか?少なくとも、目に入った動性生命体を無差別に攻撃していたわけではない、と俺は結論づけた。どうだろうか、軍神?あんたは俺の見解を聞いてどう判断する?俺が何を言おうと、霊兵である市松への最終的な判断は雇い主であるあんたが下すことになる。それに対して、俺が異を唱える資格はないからな」

「…確かに、私の結論は最終決定になる。だからこそ」


ティールの視線が、再び玄晴へと移る。その仕草を受けて、玄晴は今度こそ大きく頷いた。


「そうだな、彼は襲われながらも冷静に分析していた。一通り聞いたが、彼が嘘をついている様子も故意に虚偽を混ぜている様子もない。筋も通っているし、信頼できる意見だと判断する。故に、俺は彼の訴えを支持しようと思う。勝つための駒・・・・・・を、わざわざ減らすリスクも取りたくないだろう?此処は市松に、もう一度好機チャンスを与えてみようじゃないか【可】」

「…玄晴様がそう仰るのなら、私も異はありませぬ【可】」

「…だと。あとはあんた次第だ、軍神【可】」


【否】3名、【可】3名。ティールがふむ、と呟いた時…多禄が静かに手を上げた。


「…口を挟む無礼お許しを、主殿。イグニスちゃん、市松の暴走が使える・・・言いよったんなどげなこと?」

「…ああでも言わないと、あんたが市松を個人的に消しそうだったからな。使いどころはあるとは思うが…あの時は咄嗟に言っただけだ」

「…ぼくとしたことが、イグニスちゃんに一杯食わしゃるーとはな。ま、今回はぼくの負けばい」

「うわっはっは、お前は俺と同じ・・・・勝利者の側だったようだな!あの多禄が折れるとは、恐れ入ったぞ!」

「い"っ、痛い、痛い!バカッ、何度もっ、背中を叩くんじゃない!」

「くらすぞ脳天バカが…」


多禄が低く呟くのを尻目に、イグニスが半泣きで訴えるのを、ティールは今度は苦笑混じりに見ていた。しかし…


「ぐ、軍神…あんたが裁定を下す前に、最後にひとつ…」

「ん、どうした?」

「市松を…一発殴らせてくれ・・・・・・・・。俺だってただ殴られっぱなしで、此処でこうしてわざわざ市松を庇うような説明までしてやって、全てを許して大人しく帰るほど聖人じゃない。俺からも一発だけ制裁を加えて…それで本当に帳消しにする。俺が望むのはそれだけだ」


イグニスの申し出にティールは少し驚いたようだったが、それより先に他の霊兵達がニヤリと笑い、勝手に盛り上がり始めてしまう。彼らは単に、市松が嫌いで誰かに殴られるのを見たい、というわけではない。ただ血気盛んで、殴り合いの喧嘩を見るのが好きという荒々しい性分なだけ。制裁のための一発限定とはいえ、他人の拳が見られるとなれば、彼らの血が滾らないわけがなかった。市松の行為を立場上【可】とした玄晴ですら、両手を叩いて煽る有り様だ。

そして…その判断を、今まで黙って聞いていた市松も受け入れた。


「…分かった、悪かったのは俺なんだし、心置きなくやってくれ」

「よしきた、歯ぁ食いしばっておくんだな」


イグニスは腕捲りをしながら大股に市松の前まで歩み寄り、そこで…顔を上げた市松と改めて顔を合わせた。正気の市松の赤い瞳が、覚悟を決めて睨むようにイグニスを見上げていた。拳を握り、振り上げたイグニスに対して…


「───ごめんなぁ」


───頬を打つ、乾いた音・・・・が部屋に反響する。


平手打ち・・・・

イグニスは直前で拳を解き、掌で市松の頬を打っていた。


「痛…ッ!」


痛覚の鈍い霊兵である市松も、さすがの痛みに少し顔を歪めるが…それは叩いた側のイグニスも同様で、打った掌を払うようにして半泣きになっていた。


「平手打ち、か。それでいいんだな?イグニス」

「相手を殴ったら、殴られた側は勿論、殴った側も痛い・・・・・・・んだよ…グーで殴って手に怪我でもしたら、木笠選手に朝食を作る約束が反故になってしまう。グーでも平手パーでも、制裁は制裁だろ。ケジメはつけたんだから、俺はこれで文字通りの手打ちにしたい」

「成程、君の気持ちはよく分かった」


ティールは頷き…次に未だ打たれた頬を擦る市松に目をやった。


「市松、何か申し開きはあるか?」


その視線に怒りや軽蔑はなく、ただ静かに市松の答えを待っている。市松は…


「…俺、暴走してた時の事はあまり覚えてなくて。アンノウンの反応を追ってたら、眠くなるような感じで意識が抜けていって…気がついたら、目の前でイグニスが血を流して倒れてて、それを庇うように立ち塞がる人間に睨まれてた。怖かった…睨まれた事がじゃない、俺がアンノウン以外の、敵ですらない相手を殺しそうになったって事がだ!そんなの、もう殿の手足を名乗る資格ないじゃん…。混乱して、何をどうしたらいいのかも分からなくて…逃げた。なのに!イグニスは…病院で目覚めた時、俺を責めるどころか、多禄から俺を庇うような事まで言ってた」

「(ん?あれ?聞かれてた…?)」


イグニスは思わず口を挟みかけたが、済んでのところで言葉を飲み込んだ。


「…俺、あの場から逃げた後、怖くて怖くて、ずっと考えてた。あのまま死んだらどうしようって、想像するだけで震えが止まらなくなった。だから…気配消してこっそり多禄を追って、病院でイグニスが生きてるのを確認して、心の底からホッとした。ホッとしすぎて、涙が止まんなかった。そのまま病室に行って謝りたかったけど、多禄の怒りようを見て…病室が戦場になりそうだったから諦めた。…今、ケジメだって一発殴られはしたけどさ、俺だってこれで全部終わりだとは思ってない。ちょっと怪我させたってレベルじゃない、急所の頭を狙って…殺しかけたんだ。ただ謝って、1回殴り返されて終わりには…俺がしたくないんだよ」


そこまで言うと、市松は立ち上がり…イグニスの前まで歩み寄ると、陣羽織の間から───500円硬貨程の琥珀色の宝石・・・・・・を取り出し、イグニスに差し出した。


「これ、持っててくれ」


しかしその行為に、今度は他の霊兵達がざわめき始める。それでも、市松は差し出した手を引っ込めない。


「これは…」

「握って名を念じれば、俺を呼び出せる・・・・・・・。まあ、名前知ってる霊兵だったら誰でも呼び出せるんだけどさ」

「そうじゃない、これは───軍神の神力・・・・・を込めた、神宝石じんほうせきじゃないのか?魔族の俺が触った瞬間、朽ちて砕けたり…」

「それはない。魔族への反応は、神力の主である私からの信頼度に準ずる。悪しき企みを持つ魔族が触れたとなれば、防衛反応で君の言う通り砕け散るだろうが───」


ティールはイグニスの背後まで歩み寄ると…今度は義手ではない、左手でイグニスの頭を撫でた。その左手は、爛れることなくイグニスの柔らかい銀髪に絡んでいた。


「わっ、ちょ…」

「この通り、私はもう君を悪と思ってもいない。安心して受け取るといい」

「…分かったけど、いちいち撫でるのやめないか?」

「触れて問題ない、という証明に最も適していると思ったのだが…手を握ったり頬に触れたりされる方が嫌だろう?」

「………これでいい」


イグニスは諦めたように言うと…漸く市松が差し出していた宝石を受け取った。宝石は僅かに温かく、イグニスの冷気を受けても冷える兆しはない。


友の呼び声・・・・・には答えろよ、約束だぞ」

「───俺の事、友って…」


驚き、半泣きになる市松に…イグニスはニヤリと笑って返す。


「無視したら、今度こそ絶交だからな」

「あ…ありがとよぉ…グスッ」

「話はまとまったようだな。市松は元より遊撃に近い役割を任せていた。今回の被害者であるイグニスの臨時護衛を務めるという事で双方納得しているならば───私から特に処罰を科すことはしない。だが、今回のみの寛大な処置であることは肝に銘じてもらいたい。次はないぞ、市松」

「分かってる、もう…こんな恐ろしい思いはしたくない。改めて…ごめんな、イグニス。痛かったよな…」

「あ~痛かった。だからもう二度とするな、それでこの話は終わりだ。悪いと思ってるなら、その分しっかり呼び出して働かせるからな」

「…うん、分かった。任せてくれよ」


市松が笑い返すと…


「ウワァァァァンイグニスちゃん~!」

「おわっなんだ多禄、いきなり抱きつくな!あとちゃん付けやめろって何度言ったら…」

「うわっはっは、俺も撫でてやろう!」

「うわっなんだなんだ、なんなんだもう!」

「キ°ーッきさんは来なしゃんなシッシッ!」

「酷いな~!」


多禄と玄晴までもがイグニスの元に駆け寄ってもみくちゃになり、伝心は般若の表情で歯噛みしていた。錦寿はそんな伝心の様子には構わず、何処からか弁当を取り出し、眼前の騒動を肴に食べ始めた。


「若いですね~」

「…話が終わったなら、拙者は一足先に失礼するでござるよ。茶番に付き合う気は皆無にござる」


『備』が静かに姿を消し、重々しい雰囲気が消えた頃───


別の霊兵・・・・が、楢崎のアパートに迫っていた。




───ちょうどその頃、楢崎も長い昼寝から目覚め、いつの間にか薄暗くなっていることに気づいて慌てて跳ね起きていた。


「うわっ、寝すぎた!…あれ、イグニス?」


一緒に帰宅した筈なのに、部屋を見渡してもイグニスの姿が見えないことに不安を覚えた楢崎だったが、LINEの通知を見て胸を撫で下ろす。



イグニス:軍神によばれて姫路にいく

イグニス:市松の話で

イグニス:夕飯かってかえるから!

イグニス:ねてろ



「姫路…まあ、ティールさんが一緒なら大丈夫でしょう」


市松の処遇は楢崎も気になるところではあったが、あの時病床でイグニスがした話を聞く限り、市松に対して厳しい処分を望むとは思えなかった。

それよりも…


「…はぁ、散々やな。まさか、オレ・・の親父が………はぁ」


楢崎は考えるのすら嫌になり、再び布団の上に仰向けに倒れ込む。


「JITTEの仕事まで休む羽目になって…オレ、生きる意味あるがか…?」


両手を投げ出した先に…手に当たったのは、"お藤"が落としていった琥珀色の宝石。大麻樹脂かと疑った楢崎により、ほんの少し削られてはいるが…その温かさと鈍い光は今も変わらず、薄暗くなる楢崎の部屋でぼんやり輝いていた。


「これ…結局なんやったんやろう」


寝転んだまま手を伸ばし、ほんのりと熱を放つ宝石を頭上に掲げる。傾いた日差しを受けた宝石は、内部で炎が燃えているような揺らめきを見せていた。


「…次に会うた時、削ったこと謝らんとな」


そんな楢崎を───

窓の外、遥か遠くから眺める霊兵がいた。


───「俺の神宝石・・・・・、こないな所にあったんか。あの時落として拾われとったんやな…やらかしたわぁ。ま…どっかなくしたとかよりマシか。総大将にバレんうちに、はよ返してもらわなアカンけど…」


しかし…霊兵は踵を返し、小さく笑った。


「今日はええわ、また今度…ゆっくり話そか、楢崎ケンゴ・・・・・君♡」


霊兵───お藤・・は、彼に名乗っていない筈の楢崎のフルネームを呟き、暮れていく空へと消えていった。

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