[Episode.9-消えないmemories•A]

††


-■■■■年前/天界・???-


───昔の、ほんとうに昔のこと。


「トートーメー、トートーメー。ウンジューあなたは テーシチナ大切な ワラバー子供ワッターガ私達の ウグヮン願いを チチクィミソーレー聞いてください


島の一番高いところにある祭壇の前で、開けた場所を囲むように松明が燃えている。そこにいるのは…祭壇に座る自分を、目の前で両手を擦るように合わせて拝む、高齢の女性。その後ろに、島に暮らす島民が同じように自分を拝んでいる。

トートーメー、とは神族じぶんに手を合わせて拝む時の言葉。自分を祀り、また大切に思ってくれているのがはっきりと分かる。

だから、自分も島民を愛した。島民も自分を愛し、大切に育ててくれていた。時々は祭壇のある聖域ウタキから出て、島民の生活圏まで降りていって、一緒に踊ったり歌ったりもした。


中でも、島民の長であった高齢の女性は特別自分を気にかけてくれていた。たくさんの贈り物…食べ物や装飾品。そして、時々優しく頭を撫でてくれた。


「■■■■。テーシチナ大切な ワラバー子供よガンジューニ健康に スダテー育ちなさい

ニフェーデービルありがとうシークヮー・・・・・おばあ!」


大好きだった。

彼女と話す時は、自然と笑顔でいられた。


───大好き、だったんだ。


島の人々は、自分の預言を必要としていた。健康に関して。作物の豊凶について。天災の予兆に関して。自身の良縁について。自分も快くそれに応え、その後は決まって贈り物の量がいつもより多くなっていた。美味しいもの、綺麗なもの。島の人々はなんであっても、喜んで贈ってくれていた。


…ある時。それをとても申し訳なく思って、高齢の女性に言った。


「シークヮーおばあ、もう贈り物はいりゆーねーんどー必要ないよわんが好きでやってることだから、もっと気軽に来てくれたらしむさーいいよ


それを聞いた女性は…何故か少し悲しそうに、けれどすぐに優しく微笑んだ。


───やめて。

───やめて、やめて、やめろ。

───やめろ!!!!


───これ以上は、ここから先は!

───二度と・・・思い出したくない・・・・・・・・





───それからしばらくして…高齢の女性は祭壇に訪れなくなった。預言を求める島の人々の通いはあったけれど、その数も次第に減っていった。


寂しいな。単純にそう思って、ウタキから島の生活圏へ降りていった。


───あ。

───ああああ。


───ああああああああああああ!!!!


ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


なんてことを言ったのか、などと後悔したって、遅すぎた。

───何もかも、遅すぎたんだ!


こんな自分に、もう生きる資格なんて、神族・・を名乗る資格なんてない。

いいや───そんなもの、最初からなかったんだ・・・・・・・・・・


「シークヮーおばあ、みんな…ああ…ああああああああ!ごめん、ごめんなさい…ごめんなさい………!」


───三日三晩、泣き通した。流した涙は大きな雫になって、島の空中に次々と浮かんだ。

そして───


は島を後にした。

───"預言の神子"の役目を捨て、罪滅ぼし・・・・をするために。




───その日の波来祖南署は、いつにも増して空気が重かった。


遠野から電話を受けた後、楢崎は遠野の言葉の真偽を確かめるべく波来祖南署に駆け込んでいた。その結果は───真。分かってはいた、それでも…改めて現実にショックを受け、署内で真っ青になり動けなくなってしまっていた。


それで…ひとりにはできないと署まで同行してきたイグニスが、楢崎の様子があまりに痛々しいので、署長の古岡シェーデルに直接話をしに来ていた。


「数日間、楢崎に休養を…か」

「人手が足りないのは分かっている。だがあんな状態で、まともに警察官の仕事ができるとは思えない。しかもJITTEは、アンノウンや悪魔との戦闘も仕事に含まれてる…たとえ戦闘になったところで、何もできず死ぬだろ、あんなボロボロじゃ」

「んー…まあ、ティールからの増援・・・・・・・・・もある程度は機能してるし。いいよ」

「軽すぎても逆に心配なんだが…休養が明けたら職がない、なんて事にはならないだろうな?」

「ならない。JITTEは文字通り終身雇用・・・・だ。怪我をしようが病気で休もうが、JITTEを辞めることはできない。戦闘要員として、死ぬまで・・・・アンノウンや悪性魔族と対峙する。それが、JITTEとしての役割。最高階級特進と、高給の代償だ」

「…死ぬまで、だと。死んだら代わりはいるってか。…分かった、あいつは俺が連れて帰る。休養中は好きにさせてもらう・・・・・・・・・から」

「壊すんじゃないぞ」


終始淡々と答えていた古岡に背を向け…イグニスは聞こえるかどうかの音量で舌打ちをした。


「(壊すな、ってなんだよ。普通は無理をさせるな・・・・・・・、とかじゃないのか。この古岡って神族、人間なんか所詮は使い捨てだって言うつもりか?そうだとしたら、七大老の連中と何も変わらないじゃないか)」


そうしてイグニスが楢崎の待つ署の詰所に戻ると…いつの間にか楢崎の周囲に同僚らしい数人の男達が集まっていた。


「楢崎、大丈夫か?そんなんじゃ仕事にもならんだろ」


楢崎の様子を見かねて心配そうに声をかけていたのは、外回りから報告に立ち寄っていた明乃宙アケノソラ兄弟…双子の兄・一希イツキだった。


「…すみません、役立たずで」

「何があったのかは聞いてないけど、疲労もあるんだろう。こっちの事は気にせず、休暇を…ん?君は…」


自分のデスクから身動きひとつしなくなった楢崎の肩越しに、一希がやっとイグニスの姿を視認する。


「イグニスという。その小兵の付き添いだ、勝手に職場に踏み入ってすまない。機密文書などには触れていないから許してほしい…あんた、小兵の同僚か」

「小兵って…上手いこと言ってるんだか、なあ楢崎?…あっダメだ、軽口に反応する余裕もないみたい。俺は明乃宙一希。所属は違うけど、まあ同僚みたいなものだよ」

「此処の署長に、数日間の休養許可を得てきた。人手不足の現場には負担をかけるが、必要なら俺に呼び出しをかけてくれ。博多にいた時はJITTE博多支部と連携していたから、所属を一旦波来祖本部に変更するなりしてくれたらいい。戦闘要員にはなれるはずだ」

「でも確か君、テレビで…そうだ、フィギュアスケートの選手じゃなかった?なんでJITTEと連携を…」

「俺が魔族ということは知っているか?俺は魔界監査官…魔界の警察官のようなものだな。早い話が尻拭い…同郷の無法者の後始末だ。だから気にしなくていい、魔族…魔界の住人というだけで連中と同列に見られては俺も困るというだけだ」


イグニスが一希に説明していると…一希の横で様子を窺っていた、双子の弟・夏輝ナツキがイグニスに走り寄ってきた。


「うわーっやっぱそうじゃん本物!サインくれサイン!」

「えっ?ちょ…サイン?」

「夏輝ッ!!」


兄の一希に一喝され、夏輝は飛び上がって悄気てしまう。しかも大声に驚いたのはイグニスも同じで、むしろ夏輝以上に驚いて肩を震わせる程だった。


「ううっ、そこまで怒鳴らなくても…」

「す、すまん…つい大声を出してしまった、驚かせてしまったな」

「いや、いい…あんた、サイン書く事自体はいいんだが、今まで書いたことがないからどう書けばいいか考える時間がほしい。今は小兵を休ませたいし、またの機会でいいか?」

「エーン…もう検討してくれるだけで優しさが沁みるぜ…ありがとな…」


イグニスは夏輝の肩を軽く叩くと、石の置物のように動かなくなっている楢崎の脇を支え、なんとかして引っ張り立たせた。


「ほら、帰るぞ。休んでいいって許可出てるんだから」

「………すみません」

「謝る必要ないし、あるとしたら俺より同僚達にだろう。いいから休める間は休んで、なるべく早く復帰したらいい。身体より精神の傷の方が厄介だし、回復が半端じゃ余計に同僚達を不安にさせるからな…俺も似たようなこと何度かやってるから、愚かな先駆者の小言だ」


そしてそのまま楢崎に肩を貸しながら、イグニスは波来祖南署を後にした。



††


───我は、弓なり。


そういう話をしたこともあった。


戦の世は終わった。用済みになり、"起きたこと"の一部と化して放られ…時代の波に消えてゆく。それが、正しい在り方なのかもしれない。

だが…我らは再び必要とされた。どのような経緯、どのような理由であっても。名を呼ばれ、土蔵の片隅から拾い上げられたならば、その役目を全うしよう。


そんな輝かしい未来を、信じていた。


───けれど・・・


慢心していたのかもしれない。油断していたのかもしれない。

やってはいけないこと・・・・・・・・・・を、俺はやってしまった。

不要になった弓みたいに、打ち捨てられないように。

そうやってしがみついた場所で、俺はまた───


謹慎を命じられた、庭園の一室。

本来ならば、即刻登用契約を切られてもおかしくない。


───これは、殿によるせめてもの温情。

俺に今後下されるであろう処分を案じ、唇を噛み締めて俯いていた。



††


───楢崎を支えながら、イグニスはどうにか楢崎のアパートの近くまで帰ってきた。しかし…


「(…嫌な感じがする。これは…殺意・・!)」


直後、イグニスは楢崎の肩を掴み、地面に突っ伏した。その直後…先程まで楢崎達が立っていた頭の辺りを真空波が通過し、延長線上にあった電柱に鋭い裂傷が刻まれた。完全に背後…死角からの攻撃で、イグニスが伏せなければ2人揃って頭と胴が泣き別れになっていただろう。

そのままイグニスは真空波の飛んできた方向、背後を睨み…懐から日本刀の鍔を取り出し、空中に放る。その鍔が再びイグニスの手元に戻る頃には、鍔から柄と刀身が青く鈍い光を伴って顕現していた。


「最悪だ、後をつけられてたのか…ここまで気づかなかったなんて、俺も緊張感が欠けてたな」


イグニスは自身の索敵能力の低さに舌打ちする。真空波の出所のさらに向こうからは市民の悲鳴が上がり、深緑色の体色をしたカマキリのような、鋭い鎌を両肘から生やした昆虫型(と言いつつ手足は4本しかないようだ)アンノウンが、ゆっくりとした足取りでイグニスの方へと向かってきていた。


「あんた今戦える精神状態じゃないだろ、物陰に隠れてろ」

「…すみません」


今の楢崎は休養扱い、故にJITTEの銃は携帯していない。イグニスの言葉に倣い、楢崎はひとまず体勢を低く保ったまま電柱の影へと姿を隠した。そして…様子を窺いながら、どうにか公園のフェンス向こうへと避難した。


すると───


『ゲッシシシシ、魔族のくせに人間を庇うとはとんだ愚か者だな』


カマキリ…マンティスアンノウンが、言葉を喋った・・・・・・


「(まさか、こいつも…?)フン…人間の言葉を真似て、知性でも得たつもりか?」

『んん~?よく見たらお前、監査官サマじゃねえか!こんなところでお散歩かぁ?同族殺しの監査官サマ!』

「同族だと?冗談はふざけた口調だけにしろ。貴様らアンノウン…悪性魔族は反逆者、魔界の面汚しだ」

『なぁ~に言ってんだよ監査官サマぁ』


マンティスアンノウンは、刀の切っ先を突きつけながら険しい顔で己を睨むイグニスを複眼に映しながら…動かないはずの顔筋をニヤリと歪めた。


『"魔界の王・・・・"は好きにやれ・・・・・って言ってるぜ?人間を襲ったって、食ったって、犯したっていいってな!それを、忌々しい天界の軍神共と同じように、俺達を制裁してるのが監査官サマだろう?反逆者は、魔界の面汚しはお前の方じゃねえのか?』

「俺は魔界監査官ルーディスの命で人間界にいる。魔界監査官は公平のため、"魔界の王"の意思とは関係なく行動する。たとえ"魔界の王"と真逆の方針をルーディスが打ち出すなら、俺はそれに従うだけだ」

『ゲッシシシシ、"魔界の王"に睨まれても構わねえってか!大きく出たな、でもそれはここまでだぁ…ここで俺に食われっちまうからなぁ!』


マンティスアンノウンは両腕を頭上から振りかぶり、腕を素早く交差させると、鋭い鎌が両肘から分離しブーメランのようにイグニスの方へと飛び出した。


「甘い!」


それを、みすみす食らうイグニスではない。靴底に氷の刃を生み出して滑走し、飛んでくる鎌を相次いで刀で弾くと、その軌道を横目に気にしながらアンノウンの懐に潜り込み、改めて眼前のマンティスアンノウンに向き合


『───ざぁんねん』

「っ!」


マンティスアンノウンの肩から…もう1対の腕が生えていた。同じく肘には鋭い鎌がついており、先程と同じように頭上に振り上げられていた。その対応が…遅れた。


「───っつぁ!」


はじききれない…正面から鎌の斬撃を食らい、イグニスは苦悶の表情を浮かべてよろめいた。


『ゲッシシシシ!昆虫の脚は6本、忘れたのかぁ?』

「う、ぐっ…!後から生えてくるとは…迂闊…!」


どうにか頭部への打撃は避けられたものの、両肩に刻まれた裂傷は浅くない。武器が刀である以上、それを支える腕や肩に傷を受けては十分な立ち回りはできない。かといって氷魔術を使うにしても、ある程度の集中力は必要になる。


『ゲッシシシシ、どうした監査官サマ、すでにボロボロじゃねぇか?そんな状態で、俺と戦って、まぁさか勝とうってかぁ?ギャシェシェシェシェ!無ゥ理無理ィ!』

「黙れ、うるさい…この程度で…」


言葉とは裏腹に、イグニスの体力は立っているだけでも目に見えて減っていく。痛みが酷い上に、出血を止める手だてもないせいだ。イグニスは人間より痛みを強く感じる魔族ゆえに、苦痛も人間のそれよりはるかに強い。歯を噛みしめ、滑走で一旦後退しながら反撃の手を探る。しかしマンティスアンノウンは余裕綽々で、小躍りするようにイグニスの前へと進み出る。痛みで滑走を止めたイグニスの目の前で、マンティスアンノウンの腕が再び大きく振り上がる───


『じゃあな、監査官サマ』


───『CHASE MODE,ENEMY DELETING』

『何ッ!?』


機械的な音声が響き、直後にマンティスアンノウンに光弾が撃ち込まれ、その勢いのままに横っ飛びに吹き飛んだ。


『ギェハァアァ!?な、何が…』

「俺だ」


そこには───褐色肌に銀の短髪、燃えるような赤い目の男。弓と銃の名手アウセンが現れた。楢崎が海で出会った時のようなラフな服装ではなく、黒のインナーに丈の短い白の軍服調の上着、そして腰には迷彩カラーの上着を斜めに結んでいた。


「アンノウン出現の報を聞いて、応援に来た。無事か?」


アウセンの言葉は冷静で、敵意はない。それでも…イグニスは何故か、アウセンが歩み寄った分後退していく。その様子は、戦闘をフェンス向こうから見守っている楢崎の目にも入るが…嫌悪より、恐れのように映っていた。


「…情けないな、助けられてばかりだ」

「気にしなくてしむさーいいよ、俺が来たのはついで・・・だからよー」

ついで・・・…?」

『グギギギ…貴様らぁ、何を余裕ぶってる…!』


そこで、床に叩き伏せられていたマンティスアンノウンがよろめきながら起き上がった。しかし───


『数が増えたところdギェヒィイィ!』


アンノウンは再びアウセンの持つ小型銃に撃たれて地に伏した。そのままアウセンは同型の小銃を両手に持ち、二の句を次がせない勢いでマンティスアンノウンを連続で撃ち続ける。


『痛、イダッ、ギェ、ヒィィ!』

「楢崎!動けるか?周囲を警戒しつつそのニイニイ兄さんを物陰に!」

「わ、分かりました…すみません、こっちへ」


アウセンの指示で、楢崎は少しふらつきながらもイグニスに肩を貸し…先程自らが身を隠した公園のフェンス向こうへと隠れた。


マンティスアンノウンは…アウセンの姿を改めて確認すると、それでも再び嫌な笑みを浮かべた。


『───軍神の犬、優柔不断の役立たず・・・・・・・・・


───それで、アウセンの顔色がわずかに変わった。構えていた2挺の小銃を消滅させ、GO-YO銃と同型の大型銃を顕現させた。その銃口をマンティスアンノウンの頭部に突きつけると…


「───その通りだ・・・・・


冷たく一言だけ言い放つと、マンティスアンノウンの頭を撃ち抜いて消散させた。


───軍神の犬、優柔不断の役立たず。

───その通りだ。

そのやりとりが、妙に2人の頭に引っかかった。


アウセンが持っていた銃を消し、改めてイグニスの方へと歩み寄る。相変わらずイグニスはアウセンが1歩近寄るたび1歩下がるようにしてその歩みを拒絶していたが…ある程度の距離を保ったままアウセンが立ち止まり、懐から空色の符を取り出してイグニスの方に翳した。


「…あんた、何をする気だ…」

「───マブヤーマブヤー御霊よ御霊よウーティクーヨー追ってくるがいい


アウセンが静かに唱えた後、符に息を吹きかけるような動作をすると…空色の符は光の粒になり、イグニスの周囲をつむじ風のように取り囲んだ。そして───酷く負傷していたイグニスの身体はたちどころに傷が治り、体力もある程度回復していた。見たことのない術式に、イグニスは感謝より先にまず自身の両手を見つめて息を飲んだ。


「…これは…」

「ナスターの事は覚えているか?前回病院に立ち寄った時、治癒術式を編み込んだ符をいくらか渡されてたんだ。簡易術式だが、中程度の怪我ぐらいまでなら大体を一瞬で治せるらしい。見たところ、お前は魔族のようだが…ナスターの言った通り効いてよかった。俺達の故郷の言い伝えで、怪我やショックでマブイを落としたままにしておくと、心身が弱ったり人格が変わったりしてしまう…というのがある。早めに治癒して損はないはずだ」

「………」


イグニスは何か言いたそうに唇を噛んでいたが…


「………とつ」

「うん?」

「また、借りがひとつ…。あの医神・・には、もう頭が上がらないな」


イグニスは悄気ているようだったが…アウセンは珍しく微笑んでイグニスに告げる。


「…あいつを医神、と呼んでくれるのか。あいつにとっては、それで十分貸し借りの相殺になる。気にすることはない…怪我をする機会が多いようなら、この符はお前に預けておこう。万一を考え、治療手段はあった方がいいだろう」

「…悔しいな、すぐ怪我をすると思われてるとは…イヤ、否定はできないか。俺以外に使う機会もあるかもしれないし、素直に受け取っておこう」

「ああ。だが無理はするなよ、重傷に至ればこの符では追いつかないだろうとも言っていたからな…そして、ここからが本題・・だ」


アウセンが言うと同時に───その頭上には昼間だというのに赤い星が輝いた。イヤ…それは星ではなかった・・・・・・・。この光景を…楢崎は知っている。


「…来る、伏せてイグニス!」

「えっ、は?何がk」


"赤い星"は徐々に強く輝きながら接近し───アウセンの真横に、熱風と土煙と共に着地してきた。

その正体は…軍神ティール。あの夜以来の再会に、楢崎はまだ慣れず目を丸くしていた。


「…おいティール、派手な登場はいいが周囲への影響も考えろ」

「すまないアウセン、久々に風を感じたくてね」

「風どころか周囲には衝撃波が放たれるんじゃないか?」

「クーン」


ティールは一瞬だけ悄気たような表情を見せたが、すぐにイグニスの方に向き直ると───口元を真一文字に結び、その場で両手両膝をついて頭を下げた。


「君が被害者のイグニス、で合っているだろうか。私の契約霊兵が、大変な大怪我を負わせてしまい申し訳なかった。この通り、心からお詫びする」


ティールは頭を地につけた状態で身動きひとつしなくなるが…イグニスはそれ以上に混乱し、硬直していた。


「ヒェ…ア、オ………本物の軍神が、俺に頭を下げてる………」


そして混乱したイグニスも、何故かティールの目の前で同じく土下座の姿勢を取り始めた。


「お…俺の方こそ、あんたに会えて光栄だ…俺の剣術は、あんたの流派を元にしている。多禄から話は聞いていたし、博多での滑走前は痛覚を一時遮断して助けてもらったから…いつか会って直接礼を言いたいとは思っていた」

「いやいやなんで君が土下座してるのかね、君に詫びるべきなのは私の方で」

「いやいや軍神を見下ろしたままでいられるわけないだろう」


互いに地に頭を擦り付けている状態を見ながら、アウセンがため息を吐く。


「…なんだ、このコントは」

「2人とも…此処、道路の端ですよ。めっちゃ通行人に見られてるけどいいんですか」


楢崎の言葉で2人は我に返り、ゆっくりと立ち上がった。そして今度は、ティールはイグニスに対して優しい眼差しを向けた。


「君は私を目標にしてくれていたのだな、よき後継者・・・に会えて私も嬉しい」

「そんな、別に…えっ、ちょ」


ティールはそのまま右手・・をイグニスの頭に伸ばし、軽く…イヤ、少し雑に撫でてやった。


「お…おい、恥ずかしいからやめてくれ…!それに、俺に触ったらあんたの手が…!」

「ん?ああ、爛れの事を気にしているなら問題ない。この右腕は、肘から先が神力で編んだ義手・・だからな。まあ、君相手なら直接触っても爛れることはないと思うがね。私が再起動してから間はないが、君については多禄から報告は受けていたよ。そしてあの時に多禄を通じて君を"視て"、報告に嘘はないと確信が持てた。魔族でありながら、真っ直ぐな心を持ったいい子だ…とね」


憧れでもあった軍神ティールに、頭を撫でられながら誉められるという状況に…イグニスは顔を真っ赤にして固まってしまう。その様子を見ながら…楢崎も少し元気を取り戻し、イグニスの肩を軽く叩いた。


「素直に誉められておけばいいんですよ、君はさっきも自分を庇ってくれた。無理はよくないですが、ありがとうございました」


楢崎もついでのようにイグニスの背を叩き始めたが…何故か、アウセンはティールの方を見ながら歯噛みしていた。

2人に撫で回されているイグニスは…


「オ、オ…そ、そうだ!あの市松とかいう俺を殴ったバーサーカーはどうなるんだ!?まさか、もう登用契約を切られて…」

「…多禄もそれ・・を進言してきたよ。だが同時に、君の考えも伝えてくれた。故に現状は保留、追って霊兵を集めた話し合いの場を設けるつもりだ。同じ事が二度と起こらないようにね」

「(…多禄が言ってた裁判会議、か)」


イグニスは多禄の言葉を思い出し…一呼吸置いてから続ける。


「その話し合いとやら、俺も同席していいだろうか。場違いなのは分かっているが、あいつに殴られた当事者である俺なら、発言権はゼロではないはずだろ」

「それは構わないが、大丈夫かね?"彼ら"の圧は強いぞ、くれぐれも潰されないようにしてくれ」

「分かってる。気を遣わせてすまない…日取りが分かったら教えてほしい」


イグニスが市松に殺されかけたのは事実。それでもイグニスは…立ち去る前の市松の怯えた顔が脳裏に焼きついて、簡単に市松を恨むことはできなかった。



††


───最後の、最期に。

───ほんとうに、運良く・・・


「───頼んだぜ、不死の兵隊さん・・・・・・・


手渡されたのは、色褪せて錆びたような、ボロボロのカード。

中央には砂時計のような紋様があり…上にあった赤い砂は落ちきり、下に青い砂が溜まっている状態になっている。


「さあ、最期に賭けさせてくれよ。このクソッタレな状況をブッ壊せる、あんたの…あんたらの強さに。それが叶うんなら───俺はここまででも悔いはねえさ」


静まり返った部屋の中…ただ黙って、しかし強い決意を持って、大きく頷いた。


「───ああ、後は任されよ。貴殿は安心して眠るがいい」

「…軍神の兵隊さんが看取り人とはな。だがまあ…人知れず消えるより、マシか───」


───朽ちていく。崩れていく。

赤茶けた灰になって、空気中に溶けて逝く。

小窓から射し込む日光が、灰を煌めかせる。


「───"運命の調律者"、フュッテ・ウダーチャ。その覚悟たるや、敬服に値する。貴殿の命を懸けた願い、必ずや果たして見せよう」


背を向け、その場を後にする。

消え逝く灰の、最期の一欠片を見送る前に。

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