[Episode.7-混沌ケミストリー•C]

───あれから打線が奮起し、2点を追加して逆転。3-2と僅かに1点をリードしたまま、試合は終盤の8回表を迎えていた。


そして


───『ティーグレス、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、鳴輝に代わりまして───木笠・・。9番、ピッチャー、木笠キガサ。背番号、22』


ウグイス嬢のコールに、球場は今まで一番の爆発的な歓声が上がる。ファンはずっと、彼の登場を、記録更新の瞬間を、その目で見届けようと待っていたのだから…


「出てきた、木笠選手だ!おい小兵」

「ああああああああユ"ッ"キ"ー"!!!!」

「あっダメだこれ聞こえてない、今流れてる木笠選手のテーマ曲、有名なアニメの曲だった気がしたんだが…まあ、後で聞くか」


重々しい、しかし力強いテーマ曲と共にマウンドに上がったのは、険しい表情をした木笠。それは緊張や怒りではなく…気迫・・。必ず勝利を掴み取るという強い意志の表れだった。


木笠がクローザー抑え投手としてマウンドに上がった時、許した失点は常に1点以下・・・。その恐ろしい防御率から、彼についた呼び名は『鋼の不沈艦』。彼がマウンドに現れた時、味方にとっては"希望の盾"となり、相手にとっては"絶望の要塞"になるのだ。


「(ブルペン投球練習場まで聞こえとったで、君ら・・の応援の声…俺もあと2回、きっちり守り抜いて勝たなアカンな)」


マウンドに上がっての投球練習をしながら、木笠は思い出していた。

───博多で行われたあの始球式の日、木笠の登板予定はなかったため、練習にだけ参加してドームを後にしていた。だから木笠がイグニスと直接会ったのは今日が初めてではあるが…博多滞在時にスポーツニュースの項目で目にすることはあったし、例の始球式の映像は後に録画で見ている。まだ16歳ながら、大顰蹙ひんしゅくを買いかけていたチームメイト…小金本をフォローしてくれた胆力には驚かされたし、何よりその時の彼のフォームは───


「(君…あのフォーム、俺を参考にしたやろ・・・・・・・・・?何人のピッチャーの映像を見たんか分かれへんけど、一番印象に残ってくれたんやったら───そいつは嬉しいなァ!)」


木笠が気迫を込めた笑みを見せ、投球直前動作セットポジションを取る。イグニスとは逆の、右投げスタイル。上半身をやや右後方に捻りながら左足を振り上げ、右手は体の奥の限界まで引かれる。左足を振り下ろす勢いに引っ張られるように、最奥部にあった右腕は───熱を孕んだ空気を取り込むように、前方へと振り抜かれる。気合いを込めた第1球は…


「うおっ…」


思わず振ってしまった先頭打者のバットは空を切り、ボールは捕手・弥茂のミットに乾いた音を立てて収まった。


140km/hの速球フォークボール。木笠の決め球であり、打者には徹底的なまでに嫌厭されている"魔球"だった。

初球からの決め球披露に、ファン達は限界を超えて沸いた。まだ1ストライクを取っただけなのに、勝利した時のような盛り上がりを見せた。


そして、スタンドのイグニスは…思い出した・・・・・


「(今の…そうだ、俺があの始球式の前に動画で見た…!投手まとめみたいな動画だったから、個人個人の名前まではよく見てなかったけど…間違いない、俺が投球動作の参考にしたのは、木笠選手だったのか!ぶつかった時は私服だったし、すぐには分からなかった…こんな偶然があるのか)」


イグニスと同じく長身の木笠の投球スタイルが、一番体に馴染んだ結果ではあった。それでも、偶然が起こした今日の奇跡に、イグニスは思わず苦笑を漏らした。


しかし、その時…木笠が2球目を投げる前に、捕手・弥茂がタイムを宣言し、小走りにマウンドに向かった。


「ん…なんだ?まだ代わったばかりだろ…」


イグニスは横の楢崎が今や使い物にならないのでタイムの理由を聞くこともできず、眉を潜めて眺めていたが…弥茂はマウンドに着くなり、木笠の胸辺りをミットで突いた。


「(なぁーに初球から決め球披露かましてんねん焦るわ!球速差に目ぇ慣れたらどないすんねんこのドアホ!)」

「(そない怒らんといてやシゲさん、ファンサービスファンサービス)」


木笠は弥茂の小言をへらへらとかわしていたが、弥茂はまたもミットで木笠の胸を数回突いた。


「(そーいうのは大大大遅刻かまさんとキッチリ準備してきた奴が言えんねんどの口が偉そう言えるんやアァン?2軍行きたいんか?)」

「(こわ…ごめんてぇ…)」

「(いちびらんと調子に乗らず、今後は俺のリードに従え。ええな)」


それだけを告げると、弥茂は極大のため息を残して守備位置へと戻っていった。


「(そら、大遅刻かましたんは俺の落ち度や…けどな)」


木笠の闘志は、余計に燃え盛る。


「(俺の役目は、相手の追撃を全て叩き落として、完全勝利を呼び込む事や。『鋼の不沈艦』の二つ名、この試合見とる全員の脳裏に改めて焼き付けたる。さっきのは───遊びは終わりや・・・・・・・ってお気持ち表明やで、シゲさん!)」


試合を全力で楽しむ・・・木笠が放った、2球目───


激しい音を立てて直球がミットに収まった瞬間。スタンドが、球場が、一瞬にして静まり返る。そして───悲鳴、絶叫、それに等しい大歓声。イグニスが4回転コンビネーションジャンプを決めた時、それの何倍にもなる声の爆弾。


160・・・km/h。


バックスクリーンの球速を知らせる電光掲示板が、驚異的な記録を映していた。


「嘘、嘘ッ!ユッキー現役最速、此処で出すん!?」

「痛い痛い、その細いバットで叩くのはやめろ!」


楢崎は興奮のあまり、カンフーバットでイグニスを"滅多打ち"にして半泣きになっている。イグニスも野球に詳しくないなりに、その速度が並の投手では出せない事ぐらいは理解できた。


「(…参考なんて、烏滸おこがましかったな。本当の木笠選手は、俺が真似て再現なんか、一瞬だってできやしない。今の1球はきっと、『鋼の不沈艦』…その名に相応しい、相手にとって悪夢のような1球だったはずだ)」


相手の監督・阿倍野アベノ晴明ハルカスは、苦い顔でグラウンドを見つめた。このまま木笠に勝利を献上してなるものかと、華々しい記録を達成させてなるものかと、策を講じようとした。

しかし…今日の木笠は気合いが違う。炎のような勢いで打者を次々にねじ伏せ───1本のヒットも許さず、自らの記録と共に勝利をもぎ取っていった。





───木笠の記録達成セレモニーも、ヒーローインタビューも終わり、応援歌の斉唱がいつまでも続く甲子園。その余韻を惜しみながら…イグニスは感極まって号泣している楢崎に声をかける。


「おい小兵、そろそろ行くぞ」

「え"?行ぐっで何処に…」

「まだ泣いてる…俺は今からが仕事・・。そこの酔っ払いをどうするかは知らないが、あんたは俺に同行する資格・・がある」


楢崎の視線は、未だ応援歌の斉唱に混ざっているホロに向くが…


「いえ、放置で大丈夫です…ホロ姉いつもこんな感じなので、落ち着いたら勝手に帰るでしょうけど…資格?」

「まあその仕事の前に、俺は木笠選手に呼び出されてるから行かないとだが」

「そういえばそうでしたね行きましょうお疲れ様ホロ姉」

「判断はっや、そこまで焦る必要はないと思うぞ…。木笠選手の方も、多分記録達成に関するインタビューとかで忙しいだろうし、すぐには来られないだろ。…まあ、いち観戦者の所にわざわざ来るかどうかも怪しいけどな」


プロの選手がファンの要望全てにいちいち応えるほど暇ではないことぐらい、イグニスにも分かっている。だから、試合前の口約束など社交辞令かもしれないと、半分程度しか期待していなかった。しかし…


「いえ、絶対に来ますよ」


楢崎は、はっきりと言い切った。


「絶対、か」

「ええ。木笠投手は、昔からファンには滅法甘いんです。だから、ファンと会うと約束したら絶対に会いに来ます。彼は…ファンへの裏切りを誰より嫌う人ですから」


楢崎の最後の言葉には、何か含みがありそうだったが…今は追及する暇はない。


「そうか、だったら尚更早めに着いておかないとな。俺達がすっぽかしたと思われてもよくない」

「そうですね…でも、仕事?の方はいいんですか?」

「ああ、というか…どのみち相手は大して変わらない・・・・・・・・・・・

「…えっ?」

「俺の"仕事"は、甲子園の"怪物モンスター"…魔族ヘルツに対する報告業務。それに関して、甲子園をホームとする大阪ティーグレスのキャプテン、弥茂ヒロノブ選手にチーム本部を通して聞き取りアポを依頼してある。急な話だったが、試合開始直前にOKの返事が来ていた。忙しいだろうに、無理を言ってしまったな…だが木笠選手にも話が聞けるなら、報告の信憑性も上がるだろう。まあ…既に俺がヘルツ本人に会ってしまった以上、聞き取り内容も簡素化するだろうが」


イグニスは荷物をまとめ、スタンドを後にし…それに楢崎も追従する。


「ちょっ、じゃあ木笠投手の呼び出しがなくても、君は弥茂捕手とは対談する予定があったと…」

「急な仕事でな。まったく…何が"近くにいるならついでに話聞いてきてくれ"だ。ルーディスの奴、スポーツ選手を遊び半分の娯楽か何かだと思ってないか?魔界も人間界も変わらない、命を燃やす覚悟でやってるのに。失礼だろ」

「う"るるるるっ」

「威嚇をするな威嚇を、本当は俺ひとりでやる仕事なんだ。だが、あんたJITTEなんだろ。だったら魔族についての聞き取りに同席する資格はある、って言ったんだ。嫌なら帰る?さっきも言ったが、これは魔界監査官である"俺の"仕事なんだ。あんたはいてもいいが、別にいなくてもいいんだぞ」

「すみませんでした是非JITTEとして同席させてください自分からお願いします」

「急に早口で喋るじゃん…通路のど真ん中でシャッキリ立ち止まるな、人も多いんだから危ないぞ。急ぐんだから、早くついてこいって」

「グギッ…わ、分かりました…」


楢崎は逸るあまりの"奇行"を控え、甲子園を出ていく他の観客達の間を縫うようにしてイグニスの背を追う。しかし…


「(速い…見失うぜよ…!)」

───「もう、こっち!」


イグニスは遅れかけた楢崎の腕を掴むと、そのまま引っ張りながら球場外へと出た。すし詰め状態から解放された2人は、一息ついてから木笠と衝突した所…今はもう片付けられてしまったが、弁当を売っていたテントがあった場所へと急いだ。





───木笠が合流したのは、それから30分以上が過ぎ、ファンも殆ど帰った頃だった。しかもやってきたのは木笠ひとりではなく、イグニスが対談する予定の弥茂と、何故か小金本と鳴輝までが連れだって現れた。木笠は目に見えて萎れており、対して弥茂はまだ怒りを収められない様子だった。


「試合後ミーティングでめっっっっちゃ絞られた………」

「当ったり前やろ自分の記録達成かかった試合で大遅刻して投球も自分勝手して!監督はまぁめでたい日やからって言うとったけどアレ明らかにキレるの我慢しとったぞ!ほんま次やったら2軍降格やからな肝に銘じとけやアホユッキー!」


ミーティングが終わってもまだ小言を言い足りないらしく、弥茂は相当苛立っている。それを見た小金本が、戸惑うイグニスと楢崎の様子に気がついてフォローを入れる。


「まあまあシゲさん、試合は勝ったんやしその辺にしといたり…待っとるファンの子ぉら目ぇ丸うしとるやんか」

小鉢・・は甘いねん!ここいらで厳しゅう言うとかんとアカン!」

「だぁから"金本"の部分圧縮すな!誰や小鉢!」

「すみません騒がしくて…」

「「「鳴輝ィ!!!!」」」

「ヒエーッ!」


鳴輝に対するツッコミが重なった時、漸く3人とも我に返り、落ち着きを取り戻した。呆然としたままのイグニスと楢崎に改めて声をかけたのは、キャプテンの弥茂だった。


「すまんすまん、身内の恥ずかしい所見せてもうたな。ユッキーから話は聞いとるよ、ぶつかったんやって?ごめんなぁ、怪我なかったか?」

「いや、俺より木笠選手の方が…俺のせいで投球に影響があったらと思うと、気が気でなくて」

「俺は大丈夫やから、心配せんでええよ。さっきもちゃんと抑えられとったやろ?弁当、すまんかったな」

「ああ、そこまでシェイクされてなかったから大丈夫。選手弁当、どれも美味かった。御馳走様」


イグニスは手を合わせると、次に小金本と鳴輝の方に目をやった。


「あんた達は、なんで此処に…?」

「ああ…ユッキーが銀髪の子ぉにぶつかったって言うとったから、もしかしてと思うてな。やっぱり君やったんか…久しぶりやね。改めて礼が言いたくてな」

「お、俺は銀髪の指揮者・・・・・・について聞きたくて…!同じ銀髪なら、何か知ってるかなって…」


鳴輝は恐る恐るイグニスに問うが、思い当たる事がない・・・・・・・・・。指揮者?とイグニスが首を傾げていると、弥茂が言葉を続ける。


「一応聞くんやけど…魔界監査官、言うんは君の事で合うとる?メールには此処で待っとるって書いとったけど」

「へ?魔界…何?この子もそういう・・・・…」

「ユッキーは黙っとって」

「クーン…」


イグニスが小さく頷くと、弥茂はああ、と呟いて続ける。


「場所変えよか。俺ら全員、なんや君に話あるみたいやし。後ろの子ぉは…」

「ああ、言い忘れてた…俺は魔界監査官のイグニス・サルヴァトーレ。後ろで唸ってる猛犬はJITTEの警察官、小兵…じゃない、楢崎だ。弥茂選手、あんたと話す予定だった"怪物モンスター"については、JITTEにも一応知っておいてもらった方がいいんじゃないかと思ってな。一緒に試合を見てたんだが、追い返さずに連れてきた。勿論、聞かれることに問題があるなら帰らせるが…」


イグニスの言葉を聞いて、楢崎の唸り声が止む。その様子を見た木笠は苦笑しながら首を振った。


「ええよええよ、一緒に来たら。そんな泣きそうな目で見られたら帰れなんて言えんわ、なぁシゲさん?」

「まあ…1回説明しとけば、お互い誤解や思い込みもなくなるやろしな。行きつけの居酒屋で個室予約しとるさかい、行こか」


弥茂が歩き出すのを追う前に、小金本がイグニスと楢崎を見返る。


「ん?確か君、福岡の始球式で16歳って…ほな君未成年やん?まあ…ソフトドリンクあるし大丈夫か」

「う"るるるるっ」

「こっちは成人済みだ、未成年は俺だけ。おい小兵、いちいち唸るなやかましい」

「すまん、いらんこと言うたな………」

「気にしなくていい、早く行こう」


唸る楢崎の背を叩き、イグニスは小金本と共に弥茂の後を追った。





───居酒屋『おろし』は、大阪ティーグレスの選手行きつけ且つ、お気に入りにしている選手も多い。

この店は主に選手達のプライバシー保護のため、わずかなカウンター席以外は完全個室となっている。ただしトラブルや違法行為を防止するため、安全カメラで常に監視が行われている───さすがに音声は記録されていない、とのこと。だから、映像で記録されることになんの負い目もない普通の選手達は、身の安全が保証されたこの店をよく利用している、と店主がいつかの雑誌インタビューに答えていたらしい。


そして…

今は選手とファンの関係ではなく、あくまで彼らは魔界監査官の業務に対する情報提供者…のはずが。


「飲み物何にするん?未成年の飲酒はダメ絶対!成人しとっても、お酒苦手やったらソフトドリンク頼んだらええからね」

「つまみどうする?俺が最初適当に頼んで、それつまむ感じでええか?アレルギーとか食えんもんあったら今のうち言うてや」


木笠と小金本はこの集まりの意味をもう忘れたのかと言わんばかりに、試合後とは思えない元気でドリンクと軽食の注文を取っている。それは当然のように、仕事として合流しているイグニスと楢崎に対しても同様の態度で。


「俺は大丈…あっこれ気になるな、あとこれとこれも」

「いや頼むかよ!自分は、その…お構いなく…」


一瞬で空気に馴染んだイグニスとは違い、憧れの選手達に囲まれて精神的に窒息しそうな楢崎は、なんとか絞り出した声で木笠に伝えるが…普段は優しそうな木笠のタレ目がつり上がる。


「アカン!夜や言うても水分摂らな熱中症と脱水症状まっしぐらやで!もう分かった、勝手に俺と一緒のウーロン茶頼んどいたる。支払いの事は気にせんでええからな、どうせシゲさんが払うんやし」

「オ"ォ"イ"コラァ!」

「冗談や、俺ら年長者3人が適当に割り勘で払うさかい。鳴輝も今日は出さんでええから」

「す、すみません、ゴチになるっす…」

「ええよ、今日は俺がマウンド行くまで踏ん張ってくれたしな。皆も、それぞれお疲れ様や」


やはり居酒屋と言うべきか、ドリンクはタッチパネルで注文してすぐに店員が持ってきてくれた。それに反応したのは、最も出入口に近い席にいた鳴輝。


「あ、せめて配るのは俺がやるっす!えーっと、生ビール頼んだの誰っすか?」

「俺や。なんや鳴輝、お前メロンソーダて」

「だってぇ…ビール苦いから苦手で…」

「ええやんシゲさん、好きなもん飲んだら。あー、イグニス君と楢崎君やったかな。そっちウーロン茶回ったか?ほな、まずは乾杯しようや───前置きはいらん。今日も1日お疲れさん、乾杯!」


木笠が乾杯の音頭を取ると、ちょうど頼んだ料理が次々に運ばれてきた。その大半が、先程イグニスが頼んだもので…注文した小金本も改めて苦笑した。


「よう食えるなぁ…イヤ、ええねん。育ち盛りはようさん食わなアカンし、君は現役のフィギュアスケート選手やったよな。アスリートは食うてナンボやから、おかわりいるならまた頼んだるから言いや」

「ああ。頼んだものはちゃんと食べきるから、それは安心してほしい」

「まあ、もし無理になったら言いや。俺らも試合終わって腹減っとるしな。ほな、いただきます」


小金本に倣い、一同は手を合わせて食前の挨拶を済ませ、まずは和やかに食事会がスタートした。しかし…数分も経たず、弥茂がその柔らかい空気に刃を入れる。


「…のんびり座談会、といきたい所やけど。未成年の子ぉもおるから、あんまり遅う帰したらアカンやろ」

「別に、毎回気を遣わなくていい。魔界では12歳が成人年齢だし、俺は仕事で来てるんd」

「アカン!ここは日ノ本ヒノモト人間界、成人は20歳や!君らになんかあってからやと遅いねん!」


弥茂の一喝に、イグニスもそれ以上の反論を諦めざるを得なかった…"君ら・・"という言い回しで、とうに成人している楢崎も含まれていることには、もう楢崎も指摘するのを諦めた。


「はぁ…早速やけど、ヘルツ君のことやったな。最初に言うとくけど───ヘルツ君は俺ら大阪チームにとって大切な存在や。もし手出しする言うなら、それなりに考えがあるで」


弥茂の一言で、場の空気が一気に緊張したものへと変わる。


「…ああ、分かってる。俺も魔界監査官も、ヘルツ本人をどうこうするつもりはない。ただ…魔界で合成され・・・・、生み出された直後のヘルツは、まさに無差別殺戮兵器…魔界一の"怪物モンスター"と呼ぶに相応しい危険な存在だったと聞く。だが、その危険性を魔界が制御できず人間界に放り出されたヘルツは、何故か甲子園に居つくようになり…魔族よりフィジカルが弱いはずの人間は殺傷対象どころか友好的態度を示すようになった。その結果、今や甲子園の・・・・"怪物・・"として愛着まで持たれる存在になっている。その安定した関係が、今後も続けられるのか…と、魔界監査官の本部は危惧しているらしい。…今話したのは、魔界監査官が保管していたファイルの内容で、俺が生まれる前の出来事だ。だから…今のヘルツを知るあんた達の言葉で、俺に教えてほしい。ヘルツが本当に危険な存在ではないと言えるのは、こういう背景があるからだ、と」

「…そうやな」


イグニスの言葉を聞いていた木笠が、ウーロン茶を一気に飲み干すと…静かに語りだす。


「20年前ぐらいからやな。ヘルツは───この大阪周辺で、次々に人を殺しとった・・・・・・・らしい」

「え…?」


初手から顔を青くするイグニスを見ても、木笠の声色は変わらない。


「せやけどな、それは黙認されとったんや・・・・・・・・・。いくら犯人が人間やのーてもでなくても、そないに被害人数多かったら報道も黙っとらんの分かるやろ?報道せんかったんやない───できんかったんや・・・・・・・・。その騒動で"被害者"とされとったんは───暴力団関係者やヤクの売人やらの真っ黒・・・な連中ばっかやった。そんだけ取り逃がし・・・・・が多いんがバレたら、警察も立場がないやろうしな。多少はそういう圧力もかかっとったんやと思う」

「20年前…JITTEが発足して間もない頃でしょうか、ちょうどアンノウンが急増した時期と───、っ!」


相槌を打っていた楢崎の頭の隅に、火花が散ったような痛みが走る。楢崎も当然、大阪チームのファンとして、ヘルツの存在は知っていた。しかし、その過去については詳しくはない。だから木笠が今話している内容は、JITTEにいながら今まで聞いたことがない。

しかも木笠が語った時期は、同じく楢崎の祖母が殺害された頃とも重なる。何かのヒントになりそうで、やはり記憶には靄がかかったまま───


「…話の腰を折ってすみません、続きを」

「ええよ。びっくりするわな、いきなりこんな話聞いたら」

「えっ何ユッキー、なんでそんなん知ってるん怖…」

「まあ…こないな話普段はせーへんし、小金本も知らんわな。俺高校の時にうっかり治安悪いとこ通ってもーて…多分やけど、お薬・・の取引っぽいの偶然見てしもうてな。バレて追っかけられたんやけど…いつの間にかおらんくなっとったんや。ほんで、足音が途絶えた辺りには赤~いシミが残っとったらしいねん…当時の噂でお掃除された・・・・・・言われとったんがホンマなんやなって、その時に実感したんよ」

「なんそれ怖………」


震え上がる小金本を横目で苦笑しながら、木笠はなおも続ける。


「せやから…当時あの辺に住んどった市民は、ヘルツ君の事は知っとって黙っとったんや・・・・・・・・・・・・。事実、聞いた中で一般市民の被害者はおらん・・・・・・・・・・・・。無差別、言うんは俺らの認識だとちょっとちゃうねんな。…まあ、このままずっと隠し通せるとは思うとらんかったよ。悪人とはいえ、殺人があった可能性を見て見んふりしとった俺らも同罪や。それでも俺らは、ヘルツ君が魔族やって知った上で、甲子園の名誉スタッフに命じたんや。俺らを悪と断じるんやったら、君の…魔界監査官とやらの信念に則って裁いてくれたらええ。ただ…できるならシーズンオフまで待ってくれんかな」



───それでも、木笠は知っている。


ヘルツが大阪に居つくようになってすぐの頃、シーズンオフの甲子園のスタンドに連れていってやった時の様子を。


「…うん、やっぱり居心地ええね、この街は。好き勝手に造られて、なんも持ってなかったウチに、大阪ティーグレスの応援を通して…"楽しい"って気持ちと、一緒になって熱くなれる事を教えてくれた」


ヘルツはスタンドを小走りで進み、普段はファンでひしめき合うコンクリートの階段を昇っていく。見た目以上に長い階段を昇りきり、球場の最外縁にある看板のほぼ真下まで到達すると…改めてグラウンドを振り返った。


「此処が一番よう見えるんよね。お高いボックス席の方が、空調もあるしバッターボックスは近いんやけど…球場の熱狂とボールが飛んでくるハラハラを味わえる、こっちの方がウチは好きや」


風が吹き、ヘルツのカラフルなツインテールのアタッチメントが大きく揺れる。普段はハイテンションでやかましいヘルツだが…カラの球場を眺める視線は、"怪物モンスター"などという肩書きが嘘のように優しかった。


「せやから、今度はウチが守ったる。この街と、そこに住む人達を。この大阪を…もう誰も泣かんでええ街にしたいねん」


そう言ったヘルツの笑顔は、無邪気な子供のようで───



「───裁かない。今は、まだ」


イグニスの呟くような言葉に、同席している全員がイグニスに視線を集める。


「言ったはずだ、これはヘルツ本人をどうこうするための聴取じゃない。元を正せば魔界がヘルツを造って、手に負えず放棄したのが始まりだ。俺達がやっているのは、当時の魔界の尻拭い・・・。ヘルツが人間達と友好関係を継続できると判断し、人的被害を出さずに大人しくしているなら…あんた達の監視を条件に、現状維持で構わない。ただ…悪人であっても、殺してしまったら殺した方が悪くなる。恐らく証拠不十分になるだろうから、過去の案件を掘り下げてまで糾弾はしないが…以降は、殺すのだけはやめるよう伝えてくれ。最近の報告がない以上、もうやってはいないと思うが…念のためだ。現状維持で問題なし───ルーディス、俺の上司にはそう報告しておく。あんた達に関しても、罪もない・・・・一般人に対して俺達が動くことはない。心配することは何もないから」


イグニスがこんな言い方をするのは───彼自身もそう・・だから。自身の師であり、殺人罪の判決が下ったジェンを…焼死刑に処し、殺した・・・から。

もしイグニスが、悪人を殺したヘルツを許さないというなら…その断罪はイグニス自身にも降りかかる。


魔界監査官は、罪人を裁くのも仕事のひとつ。

罪人が死ぬのは仕方ない・・・・・・・・・・・───そう思わないと、イグニスの心の方が砕けてしまうから。


すると…イグニスが苦い顔をしているのを見かねたらしい鳴輝が、うずら卵の入った小皿を手に、イグニスと壁の間に無理矢理入り込む形で座った。


「ちょっ…何、狭いだろ…」

「難しい話は終わった?じゃ、もう暗い顔すんのやめてさ、これ食ってみなよ!味染みてて美味いぜ?」

「え、その…」


鳴輝はたじろぐイグニスに構わず肩を組み、変わらず笑顔で語りかける。


「ごめんごめん、君がいなかったらこの中で俺が一番年下だろ?警察屋さん・・・・・は背ぇ低いけど年上だし。だから、なんか…後輩・・に暗い顔されてると放っておけないんだよ」

「ちょっと、今しれっと自分の身長バカにしました!?」

「あはは、警察屋さんが怒った~!逮捕されるっす~!」

「もしかして、メロンソーダの炭酸で酔ってます?まったく…こんなことで手錠出しませんよ、警察官は短気じゃ務まらないんですから」


楢崎を一通りからかった鳴輝は、イグニスと肩を組んだまま声を潜める。


「(で、結局アレ・・は何だったんだよ?この店なら情報漏れる心配ないし、こっそり教えてくれよ、な?)」

「(アレ、って…?)」

君そっくりな・・・・・・銀髪の指揮者だよ、あれだけハッキリ見えてた・・・・のに、とぼける気かよ?」

「だから、なんの話だ・・・・・?目につくような変なものは何もいなかった、そうだろ小兵?」

「小…ええはいそうですねもう訂正も面倒です、自分も特に気になるものはいなかったと記憶していますが…」

「えぇ~絶対なんかいたって…シゲさんも見たっすよね?…あれっシゲさん?」


鳴輝の声にイグニスと楢崎も視線をあげると、先程まで同席していた弥茂の姿が消えていた。その視線に気づいた小金本が、あぁ、とイグニスを見ながら答える。


「シゲさんタバコ・・・行っとる。子ども・・・おる席や吸われへんって」

「子………ッ!?オイ、誰が子どもだ!未成年だとか何とか、変な気遣いはするなって言っ…笑うな小兵!」

「そない怒らんといてや、言うたの俺やのうてシゲさんやで。そもそもが店内禁煙やし、シゲさんなりの冗談やろ」

「だからっ、子ども扱いするな!」

「俺らの年齢やと、君はギリギリ子どもで通用してまうからなぁ。鳴輝もそっち側」

「キィーッ!俺はもう成人っすー!」


憤慨するイグニスと鳴輝を小金本がからかい混じりに宥めるうち、イグニスの背後には木笠が忍び寄っており…


「なぁに、おっさんの俺から見たらどっちも子どもや!」


イグニスの横にいた鳴輝をも巻き添えに、イグニスの背後で膝をついた木笠が一気に2人を抱え込んだ。


「わっ、ちょ…何すンだ!あんた酔ってるのか!?」

「俺はウーロン茶しか飲んどらんよ、ワハハハ」

「ぐぎゅ…苦しいっす………」


イグニスは文句を言うものの、木笠は年齢的に飛龍とほぼ同年代。それを自覚した途端…複雑な思いになり、反抗する気力もなくなってしまった。


「おうユッキー、若い子からエネルギー吸うたるなや」

「誰が蚊の妖怪や!チューチュー吸わんわ!」

「チューやて、セクハラか」

「するかぁアホ!」


普段の小鉢呼びのお返しとばかりに煽る小金本に、木笠も冗談交じりにツッコミを返す…そんなおふざけの合間を縫って、楢崎もまた密かに席を外していた。

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