[閑話•水面下]

††


-???/波来祖南署地下・防衛課-


「ほう…珍しいのう、こんな所に来るとは」


スプートニクは悠然と、しかし目は笑わないまま静かに"訪問者"を見据えていた。


「不死に関する新しい見解でも持ってきてくれたんか?───なあ、ナスター・・・・

「…いや、今日の用はそういう事やあらんさ」


訪問者…ナスターもまた険しく、しかし少し疲れたような表情でスプートニクに歩み寄り…懐から2つの小さなジッパー袋を取り出し、スプートニクに手渡した。


DNA・・・鑑定・・を頼みたい。あくまで個人的な頼みやしがだけど…シェーデルの許可は事前に取ってきた。秘密裏に頼むさ」

「これは…毛髪?」


スプートニクは受け取った2つのサンプル…2本の毛髪を改めて見やった。


「…一応聞いとくぞ。あくまで個人的とは言うとったが、この鑑定は何のためのものなら・・・・・・・・・?」

「それは…まだ言えんやしが、誰を守るべきか・・・・・・・誰を疑うべきか・・・・・・・はハッキリするはず。頼む、嫌な予感がするどー。俺は…もう・・誰も失いたくないんだ」


ナスターは真っ直ぐ、スプートニクを見据えていた。その深い海のような青の瞳の奥を見て…スプートニクは苦笑を漏らした。


「それが聞ければ十分じゃ。私利私欲でなく、誰かを守る為とあらば、それは医者の本分じゃけえ俺も協力するに吝かじゃあない。勿論、秘密裏にっちゅう要望はそのままにな。相変わらず真面目で…真っ直ぐな奴じゃなぁ、ナスター。…このサンプルのDNA鑑定っちゅう事は、2つのサンプルはそれぞれ別人のもので、基本的にはその関係性を調べればええんじゃな?」

「うん…よろしく頼む」

「了解。結果が出たら連絡したるわ」

「分かった。待ってるから」


踵を返したナスターに…スプートニクは少し語調を弱めて声をかけた。


「…あまり気負いすぎるな。そして…人の心配をするあまり、自分の身を滅ぼすような真似もすなよナスター、いや───預言の神子・・・・・よ」


ナスターはそれには答えず、黙って防衛課を後にした。





───スプートニクと別れ、ホスピタルに戻ったナスターを、看護師の藍那が呼び止めた。


「あ、崙先生!久しぶりの外出なんだから、もっとのんびりしてきてもよかったんですよ」

「そんなわけにいかないさ、用事が済んだらすぐ戻るって言ったろ。俺が此処にいる意味は…ひとりでも多く、1秒でも早く患者を救うこと。それだけやさ」

「先生は…っ!」


藍那は泣きそうになりながら、一度飲み込んだ言葉を繋いだ。


「先生はすごい医師です。でも、先生本人が壊れちゃったら意味ないんですよ!もっと自分を労って、無理しないで…」

「その間に重症患者が運ばれてきたら?命に関わったらどうする?俺は、もう・・………目の前で誰かの命が消えるのなんて、見たくないさ」

「だからって、もし先生が死んじゃったらどうするんですか!そんなの…私は嫌です!今だって、いつもより顔色が悪いし…疲れてるんですよ、自分じゃ気づかないだけで…お願い、お願いします…ほんの少しでいいから休んでください。その間の業務は、私達でもちゃんとこなせますから。先生の式神…『ちみゆるちゃん・・・・・・・』だっていますし、なんとかできます」


いつになく食い下がる藍那の様子に、ナスターもやれやれとため息をついた。


「藍那達を信頼してない訳やあらん。さっきもあびとーやしが言ったけど、命を救う事こそ俺が此処で生きる意味…いや、生かされている・・・・・・・意味やさ。それ以外の生き方を知らないし、選ぶつもりもない…命を救えない俺に、生きている意味なんて、生きていい理由なんてなくなる。それだけのことやさ」

「でもっ…」


藍那が反論しかけた時───ナスターの視界が、不愉快に回転した。人間で言うところの目眩だ。


「………!?っう………」

「先生!」


あまりにも急な変調に、ナスターも咄嗟の対応が遅れ…その場に膝をついた。


「先生、先生!しっかりして下さい!」

「…っ、く………」


藍那は半泣きでナスターの肩を掴むが、ナスターの視界は床が海面のように波打つばかり。


「ダメです先生、休んでください!」

「大丈夫大丈夫、ちょっとふらついただけやさ…」

───「崙先生」

「!」


ナスターが反論する前に…2人の元に院長・佐陀が現れた。その時───藍那は気づかなかったが、ナスターは反射的に佐陀を睨んだ。しかしそれも一瞬のことで、ナスターはすぐに苦笑を浮かべ、佐陀に対してなんでもないという風に答えた。


「…ああ、院長」

「院長からも言ってください。いくらEDEN所属だからって、倒れるまで勤務するなんて無茶だって!数時間でもいいから、私の休憩時間を削ってもいいから…崙先生にお休みをあげてください!このままじゃ、先生が………」


佐陀は藍那の言葉を聞いてか聞かずか、ナスターの方へと顔を向けた。


「でしたらちょうどいい。私からも、崙先生には少しお話がありましたので」

「…あの、お話の後でも構わないので、先生にお休みを………」

「ええ、ええ。考えておきますとも。こんな状態で現場に立たれても、スタッフにも患者にも迷惑でしかありませんし」

「………っ」


正論、正論だ。悔しいが、何も言い返せない。未だ波打つ視界を振り払うように、眉間を押さえて目を瞑る。


「院長室で話しましょう。ついてきて下さい」

「先生大丈夫ですか?院長室まで私が支えます」

「あー…いいから、現場戻りな…」

「そんなフラフラで、院長室までひとりで歩かせられません!頭でも打ったらどうするんですか!」

「…悪いな、あとで缶コーヒーでもおごってやるさ…」


ナスターもついに藍那の勢いに折れ、脇を支えられながら歩き出したが…この不調の原因がただの疲労ではない・・・・・・・・・事は、ナスター本人が一番分かっていた。


分かっていたから───藍那には万が一にも、その原因・・を知られたくはなかった。





───院長室に連れてこられたナスターは、渋る藍那をなんとか先に現場に戻らせた。…缶コーヒーが買えるだけの小銭を渡して。


「…で、話って何?佐陀院長」


ナスターの目眩は未だひどく、院長室の本棚に背を預け、どうにか立っていられるかどうか。院長室に来てから背を向けたままだった佐陀が───いきなり振り返り、ナスターに向けて片手を翳した。


「っ!?」


その勢いに合わせて、佐陀のデスクの上にあったバインダーがナスターの頬ギリギリをかすめ、本棚に当たって床に落ちた。勿論…佐陀はバインダーに指一本触れていない・・・・・・・・・


「痛…っ、今のは…!」

「…あなたが何かをコソコソと嗅ぎ回っているのは知っています」


自らの頬を擦り、傷の程度を確かめるナスターに対し…再び佐陀は手を伸ばし、胸ぐらを掴み上げようとした。


「っ、何しやがる!やめ…ぐっ…!」


ナスターも慌てて振り払うが、目眩でまともに立っていられず、その場に膝をついた。

佐陀はそのままさらにナスターとの距離を詰め、顎を掴んで自分と至近距離で向き合わせた。


「何をする、はこちらの台詞です。身体も心も、再起不能になるまで破壊・・されたくなければ…これ以上余計なことをしないでください。あなたの過去・・、みんなに暴露してもいいんですよ」

「…チッ」


空いた佐陀の手が、ナスターの肩を本棚に強く押しつけた。床の冷たさが、下半身から体に伝わってくる。ひどい目眩と肩を掴まれた事で、本棚と床に押しつけられて身動きも取れず反抗すらできない。せめてとナスターの視線は鋭く佐陀を睨んではいたが…己の無力さに唇を噛んだ。


だが…佐陀はナスターに対して"切り札・・・"を持っている。たとえ全身が動かせたとしても、別の理由でも・・・・・・此処で佐陀に危害を加える事は不可能だった。

大人しく事が終わるのを待つか、と諦めて目を瞑ろうとした時───院長室に近づく足音があった。


───「い~んちょ~~~~、外来の患者さんが院長の診察じゃないと嫌だってごねてるんですけどぉ~~~~、ちょ~っと来てくれませんかね~~~~」


気だるげに声を張り上げているのは、どうやら積らしい。眉をしかめた佐陀の都合など知ってか知らずか、積は院長室の扉を何度もノックして佐陀を急かした。


───「早く~、俺別の患者診てる途中なんっすよ~~~~、このままじゃ診察室が大乱闘ナントカブラザーズになっちまいますって~」

「…これで助かったと思わないことです」


佐陀は低くナスターに言い捨てて立ち上がり、しきりに急かす積に声を向けた。


「今行きますから」


そのまま佐陀は足早に院長室を後にし…扉の音が無機質に響くと、一難去ってひとまず安堵したナスターだけが残された。


───助かった。しかし…今のような攻防は必ずまた起きる。終わりの見えない睨み合いは、余計に精神を追い詰めていく。


「………ッ、クソッ!」


弱々しく、背後の棚に拳をぶつける。佐陀本人を殴れない・・・・苛立ちが募り、情けなくて…涙すら滲んできた。

その時…再び院長室の扉が開いた。


「っ!」


咄嗟にナスターは両手でガードの姿勢を取るが…そこに現れたのは、佐陀ではなかった。


「おいおい、俺だ俺。大丈夫かよ」

「───フュッテ・・・・…」

「病院にいる時は積って呼べっつったろ。…ったく、ひでぇ顔だ」


苛立ち、そして今にも泣き出しそうなナスターの姿に…積は一瞬だけ強く歯噛みした。しかし、次の瞬間にはいつものヘラヘラ笑いに表情を戻し、未だ怒りに肩を震わせるナスターの目の前にしゃがみ込んだ。


運良く・・・間に合ったみてーだな。無茶しやがって」


"積"…フュッテはナスターの乱された服を軽く直してやりながら、ナスターの頭を軽く叩くようにして撫でてやった。


「誰にも知られずに死ぬ気かっつーの」

「…あいつを一発殴るまで死ねないさ」

「お、やっと憎まれ口が出たな。その意気だ」


次いでフュッテはナスターを立たせようとするが…疲労がひどく、真っ青な顔色を見て一旦それを断念した。


「…さっきの、ごねてる患者って」

「あぁ~、あんなん嘘っぱちだ。藍那の嬢ちゃんに、院長が着いたら『あまりにも来るのが遅いから怒って帰った』って伝えろって言ってある」

「…お前、恐れ知らずだな」


呆れたようなナスターの言葉に、フュッテは一度鼻で笑ってから…表情を険しくした。


「藍那の嬢ちゃんに聞いたぞ。お前、倒れかけたってな。滅多に疲労しない神族がそこまで追い詰められるなんざ稀だ。…お前が倒れかけた原因は、過度のストレス。今回の事がなくても、院長に継続的なパワハラを受けてるだろ。神族が人間の悪意に正面から晒されるのは毒にも程がある。このままだと───マジで死ぬぞ」

「っそれ、藍那には…」

「言ってねーよ、これ以上あの嬢ちゃんに心配かけられっか。だが誤魔化すのも限界がある。…俺が言った『別の患者』ってのはお前の事だ、ナスター。別室に連れてってやるから少し休め。そんな真っ青な顔で診察されちゃ、患者の方が不安にならぁ」


フュッテがナスターに肩を貸そうと腕を回した時…


「…超能力・・・

「あん?」

「さっき…院長が触れてもいないのに、デスクの上にあったファイルが俺の方に飛んできた…やしがだけど院長から神性の兆しはない、人間だ。あの力…超能力としか思えない」

「…成程な」


そこでフュッテは、ナスターの頬にできた、すでに治りかけている切り傷に気がついた。

佐陀は超能力者…それが事実だとしたら、人間でありながら神族を牽制するには確かに有効かもしれない。超能力は未知の領域で、サイコキネシスのような物理的に対抗できない現象は、たとえ神族であっても咄嗟の対応は難しい。ましてナスターは戦闘が得意な神族ではなく、唯一平均より高水準の防御術を突破されてしまえば対抗策はほぼないに等しい。さらに脅威は佐陀だけではなく、アンノウンや上級悪魔の存在まで噂に出ている。


───これは、まずい。

フュッテは内心焦っていた。今回は…今回までは運良く・・・助けられたが、そのタイミングの良さはフュッテ自身の神性…『運命力の操作・・・・・・』によるところが大きい。概念への干渉ゆえ非常に強力かつ防がれる術もそうそうない代わり、休みなく多用すれば幸運と不運のバランスが浄化しきれず、当然揺り戻し・・・・…つまり、幸運を操作した本人に降りかかる不運の概念・・・・・は途方もない事になる。そして…フュッテはこうして運命力の操作でどうにかナスターを守り続けてきたが、残された猶予は幾らもない。最悪、フュッテ自身は運悪く・・・死を迎える可能性もある。そう考えると…


「(…早いとこ見つけねーとな、俺の代わりにあの院長を牽制できそうな"見張り役"を…)」

「…フュッテ…?」

「ん、ああ…何でもねーよ。休む部屋、霊安室でいいか?」

「ちょ、いいわけあるか!」

「冗談。第七処置室空けてっから、そこでしばらく休んでろ」


フュッテは誤魔化すように言いながら、ナスターに肩を貸し院長室を後にした。

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