[Episode.6-綺羅星の残影•C]

───多禄とベルフェが引き上げて暫く経った頃…マスコミが立ち去り平穏が戻った大形薬局は、いつも通りの営業を再開していた。そうして夕方に差し掛かった頃、店に置いてある固定電話が鳴った。


「はい、大形薬局です…ああ、朝倉さん?どげんしたと?」


電話を受けているイフユの様子を、カナワとイグニスは店内清掃をしながら窺っている───フレアをどうにかしない限りカナワが単独になるのは危険だと判断され登校は断念した───。

そうしていると…


「あー、常備薬が切れそうなんやな。分かった…持っていくけん、待っとって」


電話をしながら、イフユの視線がイグニスの方へと向けられる。イグニスもその意味をすぐに察し、清掃用具をひとまず片付け始める。


「出張販売もしているのか、あんたらも大変だな」

「イヤ、朝倉の婆さんな腰ば痛めとって、今は歩いて受け取りに来るとが難しかばい。やけん、ひとまず腰が治るまでっち限定で、親父が渡しに行っとーったい。店ば長く不在にはできんけんね」

「成程な。こんな状況でなければ、俺が届けに行ってもよかったんだが」

「イヤ、そうもいかんばい」


イフユは車の鍵を用意しながら、イグニスの言葉を否定した。


「えっ?」

「薬やけんね、やっぱり俺が様子ば聞きながら売らんといかんとよ」

「…それもそうか、ものによっては命に関わるからな」

「すまんね、気持ちだけ受け取るけん…まあ、今回は君も一緒に行くことになるっちゃけど」

「分かっている、護衛だからな。カナワも連れていくんだろう?」

「そうやね。固まって動いとった方が、君もやりやすかろう。ごめんな、昨日倒れたとに無理ばさせて」

「気にしなくていい、もう普通に動けるから…手間をかけてすまない。一刻も早く、あんたらに日常を返せるように努力する」


イグニスは平然と言ってのけるが、それはつまり実弟のフレアを、手段こそ決まってはいないものの排除するということになる。いくら飛龍の仇とはいえ、実弟に銃を向けられても顔色ひとつ変えなかったイグニスを…カナワは心配していた。


「…安全第一ばい。俺らも死ぬ気はなかばってん、きさんが犠牲になったっちゃ意味なかけんな」

「分かってる。俺が先に死んだら、あいつがどう暴走するか読めないしな。あんたらや市民を守る盾がひとつでも減るのはまずい」


相変わらず素っ気なく答えるイグニスに、カナワは痺れを切らしてその肩を掴んで怒鳴る。


「そげん言い方やめれや!きさんは他人の為ん生きとー歯車やなかやろうが!自分の命ば何やて思うとーったい!」

「…そうだな、その通りだ。俺は自分の命の価値が分かってない・・・・・・・・・・・・・・。生まれてすぐに両親を亡くして、赤の他人の善意を繋ぎながら此処まで生かされてきた。だから俺は、その善意に見合う存在にならなければならない。世界にとって有益でなければならない」

「そ、そげん…思い詰めすぎばい…」

「俺達は他者の善意がなければとっくに野垂れ死んでいた事を…フレアは分かっていない。だから…冷鵝が襲撃された時も、飛龍が殺された時も、何度だって思った。他人の子供に、見返りもない善意を与えられる優しいひと達がこんなことになるなら───俺もフレアも、両親と共に死んでおくべきだったんじゃないかって」

「そんっ…」

「生きる意味が分からないから、その裁定を他者に委ねてる。不安定で、情けなくて、格好のつかない生き方だと思う。それでも、歯車でいいんだ。俺が生きていていい理由になるなら」


カナワは息を飲んだ。イグニスは、とっくに───自分の命の価値を見失っていた。罪悪感に潰され、沸き出てくる死にたい気持ち・・・・・・・を、他者のために生きることで圧し殺し、他者の存在で補強して生き長らえている。それはとても危うくて…しかし、イグニスはそうしないと生きてこられなかったんだ、と心の奥に突き刺さってくる。返す言葉が…出てこない。


───「君はようやっとーばい、イグニス君」


それは、出発の支度を追えたイフユの声だった。


「君がおらんやったら、ひーくんは今も死んだごとように生きよったて思うばい。俺達ができんやったことば、君はやりとげたんや」

「…でも、飛龍はフレアに殺された」

「ひーくんは…最期、死ぬ前に生きられた・・・・・・・・・。影響やったらカナワだってそうや、同年代に競い合えるライバルがおらんで、重圧に負けてそんまま潰れとったかもしれん。君がこん福岡に与えてきた良か影響は、まだまだこげなとやこんなものじゃなかはずばい」

「…それは」

「カナワの奴、君以外に話せる同年代の友達・・おらんけん、君にばっかりしつこう絡んどーばってん、許してやってほしか」

「おい親父!なんで俺ばディスるっちゃん!」


イフユは最後、悪戯っぽく笑ってカナワの追及を躱し、目一杯カナワとイグニスの背を叩いた。


「ギャッ!?」

「いだッ!?な、なんっ…」

「さ、行くばい!未来ん事は、起きてから考えりゃあよか!」


イフユも内心、死への恐れがないわけではない。それでも…飛龍の最後の言葉を聞いて、腹は決まっていた。

後を任された者として、腰が引けたままではいられない、と。





───イフユが運転する車は、大形薬局がある早良区を抜け、天神にある警固公園近くまで来ていた。時刻は午後の4時頃で、この先にある櫛田神社近辺はちょうど集団山見せの真っ最中だ。大通りは交通規制もあって、その影響か道路は細道に至るまでいつも以上に混雑していた。


「いけんな、ハマってしもうたばい」

「親父、裏道はどげん?あまり遅うなるとようなかろよくないだろ

「うーん…そうするしかなかねぇ、行くか」


後部座席からカナワの助言を受けると、イフユの車は比較的空いている横道に車を向け、速度は出せないもののなんとか再び走り出すことに成功する。


「やれやれ…祭りん時期は博多ん街全体が盛り上がるし、活気づいた空気は好いとーばってん、渋滞は勘弁してほしかね…」


渋滞から遠ざかる車の進路は、市街を外れ川沿いを進んでいく。車も人も少なくなってきた辺りで、同じく後部座席に同乗しているイグニスは窓越しに遠ざかる市街へと視線を向ける。


「どうしたと?酔った?」

「…イヤ、そうじゃない。大丈夫だ」

「酔うたなら早よ言えや、俺ん服・・・が汚るーけん」


心配を素直にできず小言を挟むカナワに、イフユは運転しながらため息をつく。


「そげん言い方したらいけんカナワ、着のみ着のまま連れてきたんやけん…むしろカナワんサイズやったら小さかかもしれんけん、すまんねイグニス君」

「はぁ~!?そげん差はなかばい!」

「イグニス君、身長いくつね」

「…188、だったか」

「うおっデッカ…確かに俺ん服じゃ短いかもしれん…」


あまりの衝撃にカナワは怒りを忘れ、逆に悄気しょげてしまう。


「…飛龍が、1ヶ月ごとに測ってたから覚えてた。そんなに短期間で変わらないだろうに」

「…ひーくんにとって、君と過ごした3年は、16年の親子生活ば圧縮したようなもんやった。親は子ん成長ば何より楽しみにして、何より喜ぶもんやけんさ」

「そうそう、親父も俺ん身長が1cm伸びるだけでしつこかぐらいに祝うてきたな」

「親って全体的にそういうものなのかもな…あんたは何cmなんだ、身長」

「しゃあしかね…179しかなかばい」

「十分高いからそう悄気るな。半鬼魔族は2mを越す者もいたらしいから、俺はこれでもまだ低い方だ。別にこんなことで勝ち負けというか、マウントを取るつもりはない」

「ヒエッえずかこわい…2mとか、俺なんて潰しゃれようごたる潰されそうだ…」

「半鬼魔族は仁義の種族だ、無意味な暴力に訴えることはない…フレアみたいな例外を除いてな」


イグニスの最後の言葉に恨みがましい思いが込められているのを察したイフユは、敢えて笑い飛ばす。


「ハハッ、よう分かるばい。確かに君は仁義の種族やね、自分の事より他人の為…ばってん忘れたらいけん、君に何かあったらおじさんもカナワも泣くけんね」

「ケッ、泣くかどうかはともかく、寝覚めが悪うなるとは事実や。きさんが自分ば雑に扱うとは、飛龍さんの命懸けの気遣いば無駄にするってことやけんな。覚えとけや」

「…そうだな、俺は今、あんたらを守るために此処にいる。ただの義務や恩返しじゃなく…俺が守りたいと思ったから。俺とあんたらに血の繋がりはないけれど、家族・・と同じぐらい大切だと思ってる。そんな家族を悲しませるのは…ダメだよな」


イグニスの言葉を聞いたイフユが、急に嗚咽を漏らす。


「か、家族…聞いたかカナワ、弟がでけたぞ…」

「おい前、前見れ!」


イフユのハンドル操作が揺らいだ気がして、カナワは慌ててイフユを咎めるが…


「───イフユ、今すぐ車を止めろ!」


カナワの横から、急にイグニスが叫ぶ。その意味を2人が察するより先に…車に衝撃が加わり、体が一瞬宙に浮いた気がした。この衝撃は、単なる事故ではない───


「まずいッ、フレアか…!こんな時に…」


イグニスは咄嗟にシートベルトを外し、カナワを庇うように覆い被さる。いきなりのことに、カナワは思わず息を飲む。


「(ちっ…近ッ!胸板ん圧強か、こんバカ…!)」


しかし追加の衝撃が来ないことを確認すると、イグニスは謎に心拍数を上げているカナワの事など露知らず、そのシートベルトを外すと腕を掴んで車外へと引っ張り出した。


「イフユ、あんたも!」

───「2人は先に逃げれ、車体に足が挟まって抜けんっちゃ…!」

「そんな…」


外に出て見れば、車のフロントは壁にぶつかったかのように潰れ、大鎌による大きな裂傷まで刻まれている。衝撃波で攻撃されたのか…

改めて確認すると、周囲にいた数台の車はクラクションを鳴らす間もなく、危険を察知して散り散りに姿を消していた。


───「大丈夫や、こんまま死んだフリ・・・・・しとりゃ、多少は時間ば稼げるやろう…行け!カナワだけでん助けてくれ」

「親父…」

「…承知した、必ず」

「イグニス、きさん…!」

「フレアは気配による生死の確認に疎い。イフユの言う通り、死んだフリが通用しているうちは、イフユは"死んだ"と判断されて標的にならなくて済む筈だ。なら、自由に動ける俺達は逆に此処から離れた方がいい。足が挟まって本当に動けないイフユを巻き添えにしてしまう」


そう言うと、イグニスはカナワの腕を引っ張りながら車から距離を取り、上空を見上げる。そこには───


───「あーあ、いるのバレちゃったか。限界まで気配を消して近づいたつもりだったのに、ちょっと派手にりすぎちゃったかな?───久し振り、兄さん」

「───フレア」


イグニスは、怒りを圧し殺した低い声でその名を口にした。

漆黒の翼を広げて遥か上空に浮かんでいるのは、黒髪に黒コートの青年。言葉とは裏腹に、翼だけでなく両腕を広げて楽しそうに答えたその姿は、笑顔に合わず見開いた赤の瞳が妖しく光っている。

イグニスを"兄さん"と呼んだその姿こそ───フレア・サルヴァトーレ。魔界監査官達が"殺戮者マーダー"と定義した、彼の双子の弟だった。


「あいつが、飛龍さんを…!」

「カナワ」


イグニスはフレアを睨み上げながら、首にかけている雪の結晶を模したペンダントトップを外し…カナワの手に押しつけた。言うまでもなく、それは飛龍から贈られた誕生日プレゼント…イグニスが持つ物の中でもスケート靴と並ぶ程に大切なものだ。


「えっ、おいこれは…」

「持っててくれ、壊されたり落としたりしたくない。大事なものだから」

「…遺品なんかにしとうなかぞ」

「当たり前だ、あんたにやるわけじゃない。俺が飛んだら・・・・、すぐに物陰に隠れてくれ…俺に関わったばかりに誰かが不幸になるなんてこと、これで終わりにするから。───いってくる、兄貴・・


そして、イグニスは大きく息を吸い…


「───両翼展開・・・・


空気中の分子を魔力で凝集し、氷の翼を顕現させると…冷気を残して大きく羽ばたき、上空へと舞い上がる。ひとり残されたカナワは…


「…兄貴、か。あいつ、ほんなこつ魔族か?白か翼なんて───まるで天使・・やなかか」


苦笑混じりに呟くと、イグニスが舞い上がる隙をついて、言われた通りフレアの死角へと身を隠す。大切な弟分・・に何か手助けしてやりたいが、まずは足手まといにならないのが重要なことぐらい、カナワも十分分かっている。


「(…こげんところで死になしゃんなや)」


カナワは建物の影から上空の様子を窺いながら、借り受けたペンダントトップを胸元近くで握りしめた。


───そして、フレアの目の前まで飛翔したイグニスは…


「これ以上の蛮行は許さん、狙うなら俺を狙え」

「やっと僕を正面から見てくれたね、兄さん。もう人間ザコなんかと絡むのやめて、これからは僕と一緒に遊ぼうよ」

「…だったらどうして、飛龍を殺した」


イグニスの怒りを圧し殺した静かな問いに、フレアは首を傾げる。


「えっ?」

「冷鵝の時もそうだ。俺の気を引きたいなら、何故俺じゃなく俺の周囲の者を狙う?俺が大切に思っている者を傷つけ、殺して…それで俺がどう思うか分からないのか」

「そんなの、纏わりついてくる弱い奴がいなくなってホッとするんじゃないの?僕達魔族と比べて、人間なんてゴミみたいな弱さじゃん。口だけで何もできないし、関わる価値もないよ」


───イグニスはすぐに、訊ねたことを後悔した。

見返りを一切求めず、献身的に介抱してくれただけでなく、快く居候させてくれた飛龍。薬剤師として時に優しく、時に厳しくサポートしてくれたイフユ。口うるさいが、何かと自分を気にかけ心配してくれたカナワ。自分が魔族だと知っても、何も変わらず接してくれた博多の人々…彼らと関わって、無駄だったなんて思ったことはない。彼らが弱いだけの存在だなんて、考えたこともない。


───フレアこいつにはもう、何を言っても平行線だ。


拳を握りしめるイグニスに…フレアは妙にニヤニヤと笑いながら問いを返してくる。


「そういえば兄さん、ネーヴェが言ってたんだけど…兄さん、ネーヴェの誘い・・蹴ったんだって?───どうして断ったの・・・・・・・・?」


フレアの言葉で───イグニスはその真意を察してしまう。最悪だ、信じられない…それが最初の反応だった。

イグニスは、魔界監査官になったことで知った。半鬼魔族の里が、何によって滅ぼされたのか。それこそが…ネーヴェ率いる淫魔を中心とした魔界兵団。ネーヴェは、イグニスの実の両親の仇でもある。

そんなネーヴェと、フレアが───


「───ッ」


込み上げる吐き気をどうにか堪え、再びフレアを睨む。フレアがこの事実を知っているのかいないのか…もうイグニスにとってはどうでもよかった。


「…もういい。もう…いい」


消え入るように呟いて、懐から刀の鍔を取り出し、体の左側の腰辺りに構える。そして…魔力で編み出した柄を握りしめ、空中で魔力の刃を抜刀する。


「…兄さん、どうして」

「種族の違いなんかどうでもいい。フィジカルが弱くたっていい。俺は…全てを投げ出して死にかけていた所を、人間達に助けられて生かされた。魔族という余所者であっても、構わずに受け入れてくれた。だから俺は、命ある限り人間と共に歩むと決めた。人間の本当の強さは、力だけでは測れない。人間には…俺を此処まで生かして付き添ってきた、呆れる程の諦めの悪さ───心の強さがある」

「何それ、弱い雑魚が兄さんに取り入ってるだけじゃん。兄さん騙されてるんだよ、店で僕に説教してきた男も、きっと兄さんを利用して」


───フレアの台詞を遮るように、イグニスの刀がフレアの眼前ギリギリに突き出され、冷気を伴った風圧にフレアは思わず目を瞑る。


「───分かってた・・・・・。飛龍は俺を居候させることで、自分の寂しさと悲しみを和らげてたんだって。けど、飛龍は俺を利用してたとしても…それだけじゃなく、俺を家族のように扱ってくれた。俺だって…飛龍と暮らすことで、育ての親であるジェンを殺した罪悪感を塗り潰そうとしてた。お互いがお互いに利用して…依存してた。だが、そこにお互い打算はなかった。ただ共に過ごすだけで、血の繋がりなんかなくたって…家族の真似事はできたんだ。だから…その逆・・・、血が繋がっているからって、何があっても家族として認められるわけじゃない。飛龍を侮辱し、殺した貴様を───俺は家族とは認めない」


沸き上がる怒り…それでも、心の奥底はちゃんと冷静だ。昨日のように、感情に任せて暴発するような下手は打たない。


「…僕よりあの男の方が大切だったって言いたいの?実の弟の僕より!」

「───もう、貴様を弟とは思わない。貴様は俺の行く先を邪魔ばかりして、俺が大切にしてきたものを全て否定した。貴様は俺にとって、最早ただの障害。俺はこの血の繋がりを否定し、心から軽蔑する。今後一生、貴様と歩を揃える事はない」

「なんで、なんで…!なんでだよ、兄さんッ!!」

「二度と兄と呼ぶなッ!!」

「"刈り取る一掃スィーパーリーパー"ッ!!」


フレアが魔力で大鎌を顕現させ、イグニスに向けて振りかざすのを、イグニスも刀で弾いて応戦する。


「(それでいい、俺だけを狙え…恐らくもう、フレアの頭にカナワ達の事はないはずだ。単純で助かった)」


イグニスの言葉は確かに本心ではあるが、攻撃対象を自分へと向ける挑発の意味合いも込めていた。しかしフレアの大鎌は、以前まで見ていた形状ではなく…自身の背丈ほどの直径を持つ柄に、半弧を描くような刃が点対称に1対。大鎌を2つ組み合わせたようなその武器は、フレアの背後で日光を受けて刃を鈍く光らせていた。

2人の武器の金属がぶつかり合う鈍い音が、上空で何度も響き渡る。だが…武器のサイズもリーチも、フレアの方が上回っている。怒りに任せて全力で大鎌を振るうフレアの勢いに、昨日からの回復が万全でない事も加わったイグニスは徐々に押され始める。


「(まずい、息が上がってきた…だが俺が攻撃の手を緩めれば、その隙にカナワ達の事を思い出しかねない…虚勢でもなんとか押し返さないと)」


仕切り直そうと一旦距離を取り、刃の切っ先を突きつけたイグニスの、青白い氷の翼が一層大きく広がる。対して大鎌を構えたフレアの、ボロ布のような黒の翼も風を受けて不気味に揺らめく。2人の視線が鋭く交差した次の瞬間───刀と大鎌の刃が高い金属音を立ててぶつかり合った。

巨大な円月輪のように大鎌を扱うフレア。その回転に僅かでも掠れば…


「つ…ッ!」


今のイグニスの頬のように、いとも簡単に傷がつく。

フレアの鎌は両刃になっている。刃のどこに当たっても、負傷は免れない。


「あっはは、兄さん痛い?痛いよねぇ。魔族は欲望を全身で浴びるために全ての感覚が鋭い・・・・・・・・。それは痛覚も同じ…泣いて喚いてもいいんだよぉ?」

「…この程度、飛龍が受けた痛みに比べたら!」


イグニスもまた、フレアに対し勢いよく突きを繰り出す。しかし、極度の疲労と頬の傷の痛みが集中力を削ぐ。思っている方向とは僅かにずれ、フレアに掠りはするものの、どれも決定打にはなり得ない。


「やっぱり痛いんじゃん、無理しないでいいんだよ?だって───今からもっと痛いことするんだからさぁ!」


フレアは興奮で痛みを誤魔化しながら、ニヤリと笑い…大鎌を振るう速度をさらに上げていく。対してイグニスは、フレアの猛攻を捌ききるのも苦しくなっていき…


「うぐっ…!」


肩から脇腹にかけて、やや深い一撃を受けてしまう。


「さあ兄さん、もっともっと痛くしてあげるからね!」

「…っ、なめるな…!」


それでもイグニスは、反撃の手を緩めることはしない。剣筋はなお素早く、鋭くフレアを狙う。しかしその殆どは大鎌に弾かれ、刃の大きな大鎌はさらにイグニスに切り傷を刻む。


「あはっ、あはは!兄さん、カッコ悪いねぇ!ボロボロだよ、血だらけだよ!そろそろダメージ受けすぎてキツいんじゃないの?」

「フン…貴様も無傷ってわけじゃない、虚勢も程々にしたらどうだ…」


そう強がるものの、イグニスの動きは目に見えて鈍り始める。累積したダメージは確実にイグニスの体力を奪い、昨日の疲労がさらに体に重くのしかかってくる。それをイグニス自身も不服ながら察し、フレアの大鎌の一撃を刀で弾くと同時に、少しふらつくようにしてフレアと距離を取った。


「あっはは、兄さん大丈夫?無理したら死んじゃうよ?」


それなりにダメージは負っているはずのフレアは、その痛みなどないかのように恍惚の表情を浮かべてイグニスを嘲笑った。


その様子を…地上のカナワは青ざめながら窺っていた。遠目であっても、イグニスの状態は明らかにボロボロでまずいのが分かる。先程は服を汚すな、などと言いはしたが…今のイグニスを見て、服の状態などもうどうでもよかった。可能なら…イグニスを抱きかかえ、全力で逃げてやりたかった。


「(無理ばしなしゃんなや…これ以上は死んでしまうばい…!)」


そんなカナワの思いとは裏腹に───


「ぐ、あっ…!」


フレアの攻撃がイグニスの腕を捉え、血が噴き出すのが地上からでも確認できた。


カナワは───


「もうよか、逃げれイグニスッ!!それ以上攻撃されたら死んでしまおうもん!」

「っバカ、なんで…!」


イグニスの忠告を聞ききれず…思わず叫んでしまった。


それで…


「…あいつ、兄さんと一緒にいた生意気な人間…」

「(最悪だ、フレアの意識がカナワに…!)」


フレアの殺気が、地上のカナワへと向けられる。もう、イグニスが自分へと注意を引こうとしても手遅れだ。カナワも、フレアの殺意を孕んだ視線が自分に向いたことに気づく。


「うっ…あ………(ほんなこつバカや、イグニスは俺達ば守ろうと、あげんボロボロになるまで戦うとったとに…台無しにしてしもうた)」

「兄さんと仲良くしちゃってさ…ムカつくから殺すしかないよね」

「やめろフレア!貴様の相手は俺───」


フレアはもうイグニスの言葉には耳を貸さず、カナワ目掛けて急降下していく。

イグニスは…


「(───カナワ達は俺が守るって決めたんだ。死なせないって誓ったんだ。だから…)」


全てを懸けた全力で急降下し、フレアを追い越すと───

フレアの大鎌からカナワを庇い、その一撃を背と足に受けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る