[Episode.6-綺羅星の残影•D]

───自らに凭れるようにして倒れ込むイグニスの状態を見て…カナワは言葉を失う。


「───え?イグニスきさ…あ、ぁ」


先程負傷していた腕と、今傷を受けた足。そのどちらの傷も深く、血が噴き出している・・・・・・・・・。医療職志望のカナワには、その意味が…その絶望がすぐに分かった。


「(動脈からの出血・・・・・・・───しかも2ヶ所…!やっぱりさっきの腕も、動脈ば切っとったとか…こげん状態で放置ばしたら、失血で数分持たん…!)」


イグニスの顔色はみるみる悪くなり、普段から高くない体温も急激に下がっていくのが分かる。昨日に続いて、また…イグニスが死ぬかもしれない恐怖を、カナワは身近に感じていた。

しかし…今回の恐怖はそれだけではない。


「兄さん、なんでそんな奴庇ったんだよ…お前のせいで、兄さんは…」


フレアは呆然とした後、恨むように言いながらカナワに大鎌を振り上げる。


だが───カナワも、無策ではなかった・・・・・・・・


「───修羅の国ん男ばナメとーと、痛か目に遭うぞ。処置ん邪魔やッ!!」


カナワが懐から取り出したのは、自衛用に隠し持っていた高電圧のスタンガン・・・・・


「なっ…ぐっうあぁぁぁあッ!!!!」


予想外の反撃に…フレアはスタンガンの一撃をまともに受け、その場に倒れ伏した。決死の電撃は魔族の感覚過敏に加え、負傷の傷にも染みたであろう。

そしてフレアを一時的に無力化すると…カナワは急いでイグニスを仰向けに寝かせた。


「背中ん傷はもう後回しでんよか、落ち着け…止血点・・・…!」


カナワは医療職志望…その過程で、止血点についても学んでいた。

止血点とは大量出血の際に、体の主要な血管の通り道を押さえるポイントのことで、一時的に血流を遮断して失血死を防ぐ止血方法のひとつ。当然、長時間の圧迫は壊死など別のリスクも伴うが、今はそれより大量出血を止めなくては命が危ない。

イグニスの負傷箇所より心臓寄りのポイント…腕は肘の裏を、足は鼠径部を指で強く圧迫して止血を試みる。すると噴き出す血の勢いは弱まったものの、やはりイグニスの顔色はどんどん青白くなっていく。意識は混濁し、呼吸は浅く速くなる。熱されたアスファルトが血溜まりを蒸発させて、周囲には鉄の生臭いにおいが籠る。それでも…カナワは両手を血に染めながら、必死に止血点を押さえ続ける。


「死ぬな…死ぬな、逝かせんよ…!俺がいたらん余計な事ばしたせいで、きさんが死ぬなんて絶対にいけん…!」


イグニスの服に、血とは違う…透明な水の雫が落ちる。カナワが堪えきれなかった涙が、服に染みては蒸発していく。


「きさん、一緒に海に行くって言うたろう?糸島まで行きゃあ、景色が綺麗か海水浴場があるっちゃん。きさんは色白やけん、強めん日焼け止め塗ってやらななぁ…かき氷も好きな味ば奢っちゃるばい。イチゴ味でもなんでん、好きなだけ食べりゃあよか。暑かとが苦手やったら、ポカリも多めに買うていこう…」


イグニスは答えない。呼吸はますます弱くなり…カナワが胸元に耳を当てると、心臓の鼓動も止まりそうな程弱まっている。こうなると、次は心臓マッサージが必要かもしれない…そう判断したカナワは近くに落ちていた数cm程度の石を拾うと、肘の裏の止血点に石をあてがい、自分の腰のベルトを外して腕に巻くと強めに固定した。鼠径部の止血点は、圧迫性は下がるが膝で押さえるしかない。しかしそうすれば両手がどうにか使えるようになるので、最悪の場合でも心臓マッサージにすぐ移行できる。そうして心臓の鼓動と脈拍を気にしながら、鼠径部の止血点を押さえたまま声をかけ続ける。


「…なあ、聞こえとろうが?俺とん約束ば、契約ば破るとか?すらごとゆわんで嘘をつかないで、俺ばひとりにせんでや…きさんがおらんごつなったら、俺は寂しかばい…なんとか答えんしゃいや、なぁ…なぁ…!」


───いつもいつも、素直になれず憎まれ口ばかり叩いてしまった事を悔やむ。


父のイフユは、飛龍が事故でスケートの世界から去ってから…ほんの数ヵ月で引退を発表した。飛龍が消えた世界で戦うには、イフユの心が耐えられなくなっていた。

それから数年後、イフユは息子のカナワを連れて再びリンクに戻ってきた。世間は"あの大形イフユの息子"だの"期待の2世"だの、好き勝手に煽った。彼らは…イフユの息子、としてしかカナワを見なかった。2世なら父親が跳べたジャンプも簡単に跳べるはず、などと無責任に決めつけた。それが…カナワにとっては一番つらいプレッシャーになった。

周囲の同年代は"父親がトップ選手なんて恵まれてる"と一方的に嫉妬し、カナワに寄り添う者はひとりもいなかった。カナワとしても、実力もない連中と絡むなんて無駄だと強がり、孤立していった。そんな中で、焦りとプレッシャーは益々足枷になり、ジャンプどころかスピンやステップですら転倒する事も多かった。コーチを務める父親の指導には何度も反発し、互いに相談できる友もおらず、どんどん泥沼にはまっていくような状態だった。そして、世間は───


"期待外れ"


そんな身勝手な烙印をカナワに押し付けようとしていた。


そんな時───



───「そこの記者、貴様は随分とスケートには一家言を持っているようだな?さぞご立派な実力のようだから、俺達未熟者に是非に手本をお見せ願いたいものだ。まずは俺も習得に手間取っている3Toトウループ+2Loループを見たい。できるのだろう?シューズを忘れた、なに、受付で貸し出している。さあ、早く見せてくれ?はーやーく、はーやーく………なんだ、できないのか。偉そうな口をきいておいて、とんだ"期待外れ・・・・"だな。最初からできもしないくせに、外野から他者をなじるのはさぞ気分がいいことだろう?───最低、心から軽蔑する」───



博多のリンクに現れ、カナワを詰めていた記者を冷たい言葉と視線で封殺したのが…13歳の新星、イグニスだった。


それからというもの、突然現れた実力者…しかも2歳年下のイグニスに、カナワは何かと突っかかるようになった。助けられた礼を言おう言おうと、毎回それが裏返って嫌味になる。イグニスの方も適当にあしらうものの、カナワが努力しているのは知っていたから、その苦労を否定するような事は決して言わなかった。カナワが2世だと知っても…



───「は?だから何。2世だろうがなんだろうが、氷に乗るのはあんた自身だ。嫌なことがあったから、できない技があるからって、父親が代わりに演技してくれるわけじゃないだろ。氷に乗ることすらできない雑魚・・の声なんて聞かなくていい。あんた自身が見せつけて、黙らせるしかない。2世も何も関係ない、これが大形カナワの実力だと」───



イグニスは父親以外で唯一、カナワをカナワとして・・・・・・扱った。それが…カナワにとって一番嬉しかった。

自分は父親の代わりコピーじゃない、代わりコピーにならなくていい…そう思うだけで、気持ちが楽になった。


だからカナワも、イグニスが魔族と知っても大して問題に思わなかった。むしろ、人間よりずっと自分に寄り添ってくれたじゃないかと妙に納得さえしていた。関わると弟に命を狙われる、と聞いても…その程度・・・・、カナワにはどうでもよかった。イグニスが自分を孤立から救ってくれたように…カナワもまた、イグニスを孤立させまいとした。ただし…イグニスは持ち前の気遣いもあってか、カナワほど極端に孤立することはなかったが。


───カナワはもう、最初にイグニスに対して抱いていた恐怖や嫉妬など一切感じていない。ライバルでありながら、友のような、弟のような、言葉にできない感情だけがそこにあった。

そんな存在が今、目の前で命火を消そうとしている事実が…何よりつらかった。


「逝くなち言いよーやろうが…!頼むけん…死なんでよぉ………」

「に…兄さんから…離れろ…!」

「せっからしかァッ!!!!やったらきさんが処置ばせれや!イグニスばこげん傷つけたんなきさんやろうが!もう一発食らわされたかとか、こん悪魔・・ッ!!」


フレアはまだ全身の痺れが取れず身動きできずにいたが、危険な存在には変わりない。それでも今のカナワは、フレアに殺される恐怖よりイグニスを失う恐怖の方が勝っていた。


「脈拍ば触れんくなってきた…あぁ、嫌や、嫌や………!」


最後の手段、心臓マッサージに移行するしか…そうカナワが覚悟を決めた時、無情にもフレアが再び動きを取り戻していく。


「散々、説教してくれたよね…!お前も、あの男みたいに…ぐちゃぐちゃにして、殺してあげるよ…!」

殺しゃあよか・・・・・・ッ!!ただし、イグニスん状態が安定してからにせれ!こいつだけは…死なせたくなか…!」


恐る恐る鼠径部の止血点から手を離すと、なんとか噴き出すような出血は止まっている。心臓の動きが弱まっているせいでもあるだろうが、もしその鼓動が止まってしまったら、今度は心臓マッサージで血流を再開させなくてはならない。そうなれば逃げるどころか、心臓の拍動再開までこの場を離れることはできなくなる。イグニスが命の危機から脱するのが先か、自分がフレアに殺されるのが先か…賭けるまでもない。


「きさんは死なせん…俺が助けちゃるけん、待ってろ」


カナワは歯噛みし、最悪を想定してイグニスの胸の上で両手を重ねる。

その背後で、まだ体に麻痺を残したフレアが大鎌を振り上げる───


しかし


その大鎌がカナワを捉えることはなく、振り上げた体勢のままフレアは動きを止めさせられて・・・・・・・いた。


「なん…で………っ」

───「はーい、御愁傷様♡」

───「残念やったな、きさんは此処で終わりや」


フレアの背後には…陣羽織姿の多禄と、警察官の制服姿のベルフェが揃って立っていた。よく見れば、フレアの全身は黒い炎の鎖・・・・・が絡み、その鎖の先はベルフェの握られた右手に集約されている。


「あんたら…」

「よう頑張ったね、あとはぼくらに任せんしゃい」

「うわ出血えぐ、よう生きとーな…ほんなこつ生きとー?」


多禄とベルフェの加勢に、カナワは半分安堵したものの、残り半分はまだ焦りを残していた。


「出血は止めたっちゃけど、心臓ん鼓動が弱っとー!血ば流しすぎとーけん、こんままだったら…!なぁ、魔族に輸血はできんとか!?」

「でくるにはでくるやろう…ばって、懸念もあってな」


ベルフェは表情を曇らせる。


「あんた薬剤師志望やったな?なら血液型ん話は分かるやろう…魔界ん魔族は、ABO式は人間と同じばって、全員がRh・・ん判定になるっちゃん。やけんイグニスは、確かA型んRh-っちことになるはずや。Rh-はRh+ん比べてばり少なかっちこと、あんたなら分かるやろう。いくらセンターん在庫があるち言ったっちゃ…」

「───そげんこと、あると?」


カナワはイグニスの胸の上で、両手の拳を握る。


「運が悪か…近隣ん在庫で足るかどうか、追加ん在庫ば他県から待っとー余裕は」

俺と同じばい・・・・・・!」

「えっ?」


カナワの意外な答えに、思わずベルフェも頓狂な声で返す。


「俺も親父もA型んRh-や!少なか血液型やけんち親父に言われて、献血でくる年齢になってから可能な限り献血しとーったい!ばってん足らんなら、今の俺ん血ば抜きゃあよか!俺は…イグニスが守ってくれたけん、怪我もしとらん。献血ん基準は満たしとーはずや!やったら今度は…俺がイグニスば助くる番やろう」

「…はは、執念が生んだ偶然やなあ」


ベルフェは思わず苦笑するが…カナワの表情は晴れない。


「…ばってん、心臓ん鼓動が弱ったままじゃ意味がなか…途中で傷が開いても終わりや」

「そりゃ大丈夫やろう。魔族は新陳代謝ちゅうか回復が早かけん、傷はもう閉じとーはずや…あんたん執念が勝ったな」

「えっ…」


驚いたカナワがイグニスの腕の傷を確認すると…あれだけ深く斬られていた傷は、信じられないことにもうカサブタになっていた。慌てて首筋に触れて脈拍を測ると、少しずつ触れ方が強く、しっかりと触れるようになってきているのが分かる。


「あ、ぁ…助かる、と…?」

「造血機能だけはすぐには戻らん。多少ん輸血は必要やろうが、大丈夫やろう。元々魔族ん生命力が強かともあるばって…あんたが声ばかけ続けたけん、イグニスん方もあんたん為に生きなって踏みとどまったんやなかか?」


カナワの瞳から…大粒の涙が溢れ、イグニスの胸の上に落ちる。しかしカナワはそれには構わず、徐々に熱を取り戻していくイグニスの額をそっと撫でてやった。


「よかったなぁ、助かるって。死なんでよかった…ほんなこつよかった」


そしてカナワの視線は、動きを拘束されたままのフレアへと向けられる。


「…そいつはどうなると?」

「"天獄"ちゅうて、悪事ば為した魔族や神族・・・が送らるー場所に転送するばい。人間で言うと刑務所やな」


"天獄"…その言葉を聞いて、フレアの表情が恐怖からか一気に青くなる。


「刑務所…そげん所があるとか」

「"天獄"は魔界監査官預かりとは比べ物にならんくらい、厳しか監視と重か罰則が待っとー。そん管轄は、絶対中立ん鬼種獄卒・・・・。今度こそ裏切りやら誘惑は効かんけん、絶対に出てこられんばい。…大切な人ば殺されて、すぐに納得はできんちゃろう。ばって、"天獄"送りん手続きば先に進めとったんな、他でもなかイグニスばい」

「…え」


カナワは未だ意識を取り戻さないイグニスへと視線を落とす。


「"天獄"へん移送手続きば受理されたんな今朝ん話や。イグニスは…分かっとったんやろう。いくら相手が憎うてん、恨みや憎しみで相手ば殺したら、やっとーことは飛龍さんば殺したフレアと変わらんくなる。やけん…怒りはらかきば堪えて、"天獄"に裁定を委ねたんや。…悲しかろうに、よう冷静に判断ば下したばい。イグニスもちゃんと、魔界監査官なんやな」


そして…苦笑を浮かべていたベルフェの表情が、深呼吸の後に険しく引き締まる。


「───JITTE博多支部より連絡、"天獄"への移送を1名行いたい、どうぞ」

───『はぁい、了解♡報告書にあった人殺しちゃん・・・・・・やな♡う~ん、今からどう虐めたろうか・・・・・・楽しみやわぁ♡』


…何処から漏れてくるのか、聞こえてきた相手の男の声は底抜けに明るい割に、言っていることは物騒極まりない。多禄の同類か…とカナワが思ううちに、フレアの姿は炎の鎖ごとカナワの目の前から消えていた。


「…これで、もうあんたらはフレアん襲撃に怯えんでよか。イグニスも…やっと落ち着くるやろう」

「そ、そういえばあんたら、なして此処が分かったと?助けてくれたんな感謝するばってん…」

「ああ…イフユさんがな。車内にイグニスんスマホが残っとって、そこから多禄に連絡してきたんや」

「そ、そうや親父…!足が挟まって車から出られんって…!」


カナワが慌ててイフユが取り残されていた車の方を見ると…いつの間にか移動していた多禄が、足を引き摺りながら歩くイフユに肩を貸しながらこちらに向かってきていた。


「親父…」

「俺は大したことなか。車ん背もたれば後ろに移動したら、なんとか抜けられたけんさ。クラッシュ症候群になる兆候もなか、安心せれ…それより、イグニス君はどげんしたんや!?出血が酷かぞ!」

「そ、そうなんや!早よ病院に連れて行かな…」


イフユがふらつきながらもカナワ達に近寄った時───イグニスの胸に置かれていたカナワの手首を、イグニスの手が弱々しく掴んだ。


「───ぃ、き…無事、か?」

「───ぁ…」


うっすらと開けられたイグニスの目に最初に映りこんだのは…自らに覆い被さり、大粒の涙を溢して嗚咽を漏らすカナワの顔だった。


「っばかばか、ばかたれっ!なして…こげん時まで自分より先に俺ば心配するったい!ほんなこつばかたれや、きさんはぁ…!」

「…フレア、どうした…」

「あ、あいつはっ、俺がスタ、スタンガンでっ」

「は?スタンガン…何…?」


泣き通すカナワに代わり、それに答えたのはベルフェ。


「状況から見るに、カナワがスタンガンで動きば止めとったんごたー。人間なんに、ガッツあるよな」

「…無茶をさせたな。俺が守るって言ったのに…本当、格好つかない…」

「格好つかん…っばかたれ、きさんは俺ば庇って、こげん状態になったんやろ…それで十分、きさんは俺んヒーローや…」

「…あんたが声をあげたのは、俺の負傷を心配してだろ…このぐらい当然だ」

「それできさんが死んだら、俺は一生引きずっとったばい!こん、ばかたれっ!ばか…わぁぁぁぁ………」


カナワはついにイグニスに縋って号泣しだしてしまい、イグニスは諦めたようにため息をついた。


「…気持ち悪い…」

「おいおい冷たかね、カナワはお前ん命ば救うた恩人たい」

「違う、本当に吐き気…視界がぐらぐらする…」


すると、多禄がすかさず近くの自販機に飛び付くように走り寄り、飲み物を買って戻ってきた。


「はいポカリ♡典型的な脱水と貧血ん症状やね、ぼくを使い走るとか、こん借りはどげんして返してもらおかな♡」

「…最悪だ、多禄に借りを作るとか、何を対価に要求されるか…」

「んも~冗談ばい♡人命救助に対価はいらん。救急車呼んどーけん、おとなしゅう減った血液輸血してもろうてきんしゃい」


多禄の言葉通り、救急車のサイレンが近づくのと同時に…少し遠くから、人々の熱狂する声が聞こえてくる。


「…あの声は」


イグニスの言葉に、すぐ側に膝をついて屈んだイフユが苦笑混じりに答える。


「山笠ん集団山見せん掛け声やな。今年は無理かもしれんばってん…また来年、一緒に見に行こう。イグニス君…カナワんこと守ってくれて、ありがとうな…ほんなこつ、ありがとう」


そしてイフユは泣き笑いのような表情を浮かべ、イグニスと泣きじゃくるカナワの頭を掻き回すようにぐしゃぐしゃと撫でた。


「…別に、大したことできなかったし…」

「何ば言いよーと、十分ばい。カナワも無事やし、イグニス君もなんとか助かった…大勝利や。ばってん、こげん大怪我させてごめんなぁ…痛かったっちゃんね、人間ん医療がどこまで通じるんか分からんばってん、しっかり治してもらいんしゃい、な?」


イフユの言い方は本当の息子に向けるような優しさで…イグニスはつい、照れからかそっぽを向いてしまう。そしてイフユの実の息子であるカナワは、未だにイグニスにしがみついて泣きじゃくっている。今のイフユにとっては…どちらも大切な息子同然だ。


「救急車には俺が同乗するけんさ、一応足も診てもらいたか。怪我しとらんごたーけん、カナワんことば頼んだっちゃよか?」

「了解、安全に家まで送り届くるばい。現場ん後処理は俺らがやるけん、安心して病院行きゃあよかよ」

「車ん修理もぼくん知り合いに頼んじゃるけん、心配せんでよかけんね」

「…うん、ありがとうな。カナワ、俺は早めに帰るけん、大人しゅう待っとってな」


カナワは父の言葉など半分も聞いていないようだったが、救急車が到着すると搬送の邪魔にならないように素早くイグニスを解放した。


そして───




-7月15日早朝/福岡市博多区・大博通り歩道-


───なんとイグニスは輸血を受けると即日回復し、医師に頼み込んで中1日で退院してきていた。


この日の早朝は言うまでもなく、博多祇園山笠の総仕上げ…『追い山』。山笠の通過するルートは、早朝にも関わらず大通りも狭い道も人で埋め尽くされる勢いだった。

イグニスはカナワとイフユと共に、山笠を見物するため、山笠の通過ルートでもある大通り・大博通りを歩いていた。


「凄いな…これだけの人間、何処から出てきたんだ…朝の4時だぞ」

「観光客も大勢おるけんね、祭りんフィナーレば一目見ようち思いは皆同じばい。桟敷席んチケット取れとったらよかったっちゃけど、毎年争奪戦やけんな…」

「イグニス君、繰り返すばってん体調はどげんね?無理はしたらいかんばい」

「大丈夫。痛みもないし、貧血の影響もない」


イグニスはそう答えながら、なんとかいい見物場所を確保しようと人の波を縫うように移動していた…が


「うぅ…ああもう、こっちのが早い・・・・・・・!」


人混みから一旦距離を取ると氷の翼を顕現させ、素早く上空へと舞い上がった。当然近くにいた人間は驚き、イグニスの姿を目で追うが…


「(目立ちすぎてもよくないな、山笠のき手達の気を散らせてもいけないし…)」


結局、イグニスは櫛田神社の清道が見えるビルの屋上に着地し、翼を格納した。


「(…一応、上空からのアンノウン警戒という名目上の言い訳はできるが、不法侵入と言われたらすぐに退散しよう)」


そして、そんなイグニスに置いていかれたカナワとイフユは…


「あいつ…ズル………」

「あっはっは、自由やなぁ」


呆け半分怒り半分のカナワの肩を叩きながら、イフユは諦めたように笑っていた。


そんな見物客達を守るため、JITTE博多支部の面々も現場に到着し、周囲を警戒していた。もう数年に渡ってこの街を見守ってきた阿万里にしても、この街で育ってきた菱川にしても、アンノウンによって祭りの締めにけち・・をつけられてはたまらない。そういう思いで、毎年の山笠の成功を見守ってきていた。それはもちろん、今年も同じ。『追い山』が無事に終わるまで、JITTE博多支部だけでなく…多禄率いる八虎組の面々も、密かに周囲の巡回警備を続けていた。しかし───その一団の中に、何故か多禄の姿はない。


───時刻は深夜4時半を回り、博多の街は静寂を忘れていた。間も無く始まる櫛田入りに向けて、山笠のき手や付近の整理を担当する者は夜通しの者もいるほどだ。


そして、人々の思惑が入り混ざる───午前4時59分。太鼓の音と共に、男衆達が鬨の声をあげ、一番山笠が櫛田神社を目指し駆け始める。オイサ、オイサ、オイサ───男衆の掛け声が、まだ薄ら明るい博多の街にこだまする。そんな山笠のほぼ真上近くにいるイグニスが受けたのは…鬨の声が熱狂という形を持って押し寄せる"思いの波"。焼けるような圧に押されながらも…イグニスは上空からスマホを構え、彼らの勇姿を映像に納める。これは…昨日イグニスを見舞いに来た園田もまた『追い山』の取材に精を出しており、上空からの撮影がその助けになりはしないかと思ってのことだった。


「(園田は関西から取材に来てるらしいから、ドローンを飛ばすなんて事もできないだろう…せめて少しぐらい、あのカイロ代ぐらいの恩は返さないと)」


そうイグニスが思ううち、櫛田入りを果たした一番山笠のき手達が、手拍子に合わせて桟敷席にいる見物客と共に博多祝いめでたを歌い上げる声が櫛田神社の境内に響く。その歌は…かつて飛龍が時折歌っていたもので、耳にしていたイグニスも自然と歌えるようになっていた。

魔族の歌声には、種族によって様々な付加効果があるというが…今や生き残りがたった2人となった半鬼魔族の歌声には、どんな効果があるのか知る者は殆どいなくなった。熱狂に酔いしれる見物客の声に、細々と絡むようなイグニスひとりの歌声は───人々の思いを乗せ、高揚と感動を上乗せする。


指揮者ディレットーレ』───マイナスの感情をプラスへと変え、人々の心を癒す調律の歌声。それは今、人々の抱える倦怠感やストレスを、祭りをさらに盛り上げる気迫へと変えていった。


「───さあ、魅せて・・・くれ。あんた達が…飛龍が愛した、博多の夏の華を。山笠という、受け継がれてきた思いの辿り着く先を」


櫛田神社を飛び出した一番山笠に続き、二番山笠、三番山笠と、数分おきに山笠が櫛田神社に飛び込んでくる。そして彼らもまた、まだ朝焼けの余韻を残した早朝の空の下、後を追うように博多の街へと駆け出していく。オイサ、オイサ、オイサ───男衆の掛け声は、イグニスの耳にも心地よく響いてくる。風に静かに揺れるイグニスの白銀の髪と対照的に、街の人々の熱狂が渦巻く。その姿を…イグニスは静かに笑って見下ろしていた。


しかし───そんなイグニスの表情が、笑みを消し、呆れ…驚きへと変わる。その視線は、次いで現れた四番山笠のしょうめんにある、山笠の全体指揮を取る"台上がり"と呼ばれる者が座る場所。

そこに…


「はぁあっ!?なんっ…多禄・・!?あいつ、何やって…」


眼鏡こそ外しているが、間違いない。台上がりを務めていたのは、水法被を着て締め込み姿となり、赤手拭てのごいを頭に巻いた多禄だった。

多禄は上空からイグニスが見ていることなど露知らず、『鉄砲赤い指揮棒』を前後に振ってき手達を叱咤激励している。


───「オイサ、オイサ、オイサ!」

「あいつ、いつの間に…ああ、でもあいつだって、長年博多の街に暮らして、人々の生活を守ってきてるんだ。祭りに参加する資格は…いやでもあいつ、どう考えてもダメな職業だろ!誤魔化すにしろ、どんなコネ使ったんだか…」


イグニスはひとりで呆れたように突っ込みを繰り返し…それでも、多禄が台上がりを交代するまで、その姿を見守っていた。


「…にしても、いつになく楽しそうだな、あいつ。なんか…少しだけ、嫉妬しそうだ」


まだ事故に遭っておらず若かった頃の飛龍も、今の店とは別の場所ではあるが博多区に暮らしていた。だからきっと、かつてはこうして山笠をき…博多の街を疾走したのだろう。

実は、博多区の飛龍の店に住み込みで働いていたイグニスも、紹介次第では山笠のき手になれなくもない。山笠のき手の中には、他の国から来たと思われる男性の姿も時折見られる。博多に住み、博多を愛する男達に、国境など関係ないのだろう。であればきっと…魔族のイグニスであっても、やる気さえあれば受け入れてもらうことはできるはずだ。


「───いいな、俺も…来年こそは出られないか、聞いてみようかな」

───「俺が紹介してやろうか?」

「ッ!!!!?」


不意に至近距離で聞こえた声に、思わず息を止めて肩を震わせる。その声の正体は…同じく翼でビルの屋上に飛んできたらしい、ベルフェだった。


「あっはは、ばりたまがってめっちゃ驚いていろうもんいるじゃないか

「こっ、こんな場所で他に誰か来るなんて思うか!」

「いや、すまんすまん。独り言ば聞いてしもうたけんね…ながれに入りたかと?」


ベルフェの声色は明るく、表情も朗らかではあるが…その質問にふざけた調子は一切ない。


「…それは、その…でも」

「魔族やけんち遠慮しとーと?」

「………………」

「アホやなぁ、お前は名実共に、もう博多ん男・・・・ばい。そん身体にはもう、間違いなく博多ん血がかよっとーやろ。何を遠慮する必要があると?…やる気があるとやったら、知り合いんながれん男に口利きしちゃるばい」


ベルフェの申し出に…イグニスは目頭が熱くなるのを誤魔化すように苦笑した。


「…半分ぐらいは、博多じゃなく早良の血じゃないのか」

「博多ん病院で輸血したんやけん、博多ん血でよかよか。細かか事は気にしなしゃんなや」


ベルフェの満面の笑顔の奥から、顔を出した太陽が後光のように照りつける。その顔を見て


───イグニスは、表情を険しくする・・・・・・・・


「ベルフェ」

「なんね」

「あんた知ってるよな。この山笠が、どうして行われているのか・・・・・・・・・・・・


イグニスの質問の意味を…ベルフェは少し驚き、そして…今まさに櫛田入りを果たした七番山笠を見下ろして、小さく息をついた。


「…そうやな。山笠は、博多ん街の大切な───神事・・ばい」


神事

───■事


「…そうやな。山笠は、博多ん街の大切な───■事・・ばい」

「───やっぱり…そうなる・・・・よな。人々は…奪い取られてる・・・・・・・事にも気付かない」


イグニスが悲しげに呟くと…ベルフェもその意味を察して苦笑を漏らした。


「…いけんな。俺達がほんなこつ取り戻さないかんのは、これ・・なんに」

「…取り戻せると思うか?」

「思う、やなか。やらないかんっちゃ、俺らが…な」

「…分かってる。俺が…俺達が、本当の意味で人間達を守るんだ」


ベルフェとイグニスは、朝の日差しを受けながら、互いの拳を合わせて誓った。


その時…イグニスのスマホが震えた。


「お、なんね」

「…ルーディスからだ」


その通知の内容を見たイグニスは…一気に青ざめる。


「…どげんした?」

「───辞令・・波来祖はらいそで、"偽物フェイカー"・平故ピングーの姿を確認。その監視に当たれ…と」

「うわ急やなぁ、山笠んながれに入るち話ばしとーとに…まあ、博多ん住んどったら資格はあるけん、関西への出張やち事にすればよかやろう」

「…それは、そうだが」

「博多には3年住んどったけんね、別れが惜しかろう?ばって、いつでん帰ってくりゃあよか。殺害現場ん店は…難しかろうけど、あの薬剤師ん家やったら、いつでも迎え入れてくれるやろう」

「…そう、だな」


そこで、イグニスは…飛龍の弟、飛燕が波来祖にいるという話を飛龍がしていたのを思い出す。


「…飛龍の葬儀は、やっぱりこっちでやるんだよな」

「そうやね、大まかな段取りは多禄が整えるやろう。それに…飛龍さんの親父さん・・・・も、そろそろ戻ってくるらしいしな」

「…え」

「海上自衛官やけん遠洋に出とー事が多かばって、今年で定年やけん佐世保に着くって多禄が言いよったばい。…事件ん遺体は解剖せなーならんけん、どげんしてん葬儀までにひまんいる時間が要る。そん間に、お前も気持ちん整理ばつけんしゃい。お前は…飛龍さんの一人息子・・・・なんやけん」

「…分かった。あの人の息子を名乗るなら、相応しい振る舞いをしないとな」


ちょうどその時、櫛田神社に"飾り山笠"の八番山笠が姿を見せた。この八番山笠だけは仕様が特殊な為か、他の山笠とは走行ルートが異なる。それを確認すると、イグニスは苦笑しながらベルフェに告げる。


「…カナワ達の所に戻る。櫛田入りの写真は撮れたし、園田への義理立ては十分だろう。この先は…少しでも長く、カナワ達といたいからな」

「…いつ博多ば発つと?」

「まだ数日はこっちにいる。最後に…フィギュアの大会が博多であるから、それ滑ってからにしたくて」

「そうか、やったら悔いんなかごと滑りんしゃい。お前ん存在ば見せつけて、堂々と波来祖ん向かえばよか」

「ああ、そうする。…飛龍の葬儀に出るから、その時はまた博多に戻ってくる」


そして…イグニスはビルから飛び降り・・・・、再び氷の翼を顕現させて滑空しながら、カナワ達のいる付近で人の少ない地点に降り立った。カナワ達もそれに気付くと、イグニスの降り立った地点に駆け足で寄ってきた。


「こら~!きさんだけこすかズルいぞ!」

「悪いな、園田のためだ」

すらごと言いなしゃんなや、きさんが見たかったけんやろ!」

「半分は本当だ」

「ぐぬぬ…」


カナワは歯噛みして拳を震わせていたが…諦めたようにその力を解くと、ポケットからあるもの・・・・を取り出して見せた。


「これ、退院したら返そうて思うとった。大事なもんなんやけん、きさんが持っとらないけんやろ」


それは…フレアに相対する前にイグニスがカナワに預けた、あの雪の結晶を模したペンダントトップだった。


「…ちゃんと持っててくれたんだな。よかった、壊れてない」

「壊しとったら、きさんと飛龍さんに呪われそうやけんな…ほら、つけちゃるけん、動きなしゃんなや」


そうしてカナワの手によって、イグニスの胸元にペンダントが戻された。ペンダントトップは朝の光を受け、少し紅色を映して光っていた。それにカナワが思わず目を奪われていると…


「…カナワ、イフユ。上司から波来祖への辞令が出て、暫く博多を離れることになった。飛龍の葬儀には出るが、また波来祖に向かうことになると思う。…短い間だったが、世話になった。この恩は必ず、博多に戻って返すから」

「…そうか、また急な話やな。ばってん、来週ん大会には出るとやろ?恩だとか、そげなこつは気にせんでよかk」

「当たり前や!きさんは…もう博多ん男・・・・ばい、きさんの帰る場所は、こん博多ん街なんやけんな」


そう言ったカナワの表情があまりに真摯だったものだから、思わずイグニスも苦笑を漏らす。


「な、何がおかしかっちゃん!」

「いや、あんたをバカにしたわけじゃない」


その時…ちょうど大博通りに、あの多禄のいる四番山笠が姿を見せた。既に台上がりは交代していたが、多禄らしく目立つ位置に陣取って山笠をいている。


「あの山笠をいてる流、多禄が混ざってるぞ」

「は?あん人そげんところにおると?」


オイサ、オイサ、オイサ───男衆は変わらず、威勢のよい掛け声で大通りを走り抜けていく。その中でも多禄の声が一段と通って聞こえるのは、きっと気のせいではない。


「…ひとつだけ、博多にいるうちに言ってみたい言葉がある」


イグニスは…祭りの熱狂に髪を揺らしながら、笑顔でカナワ達の方を振り返る。


「───山笠のあるけん博多たい・・・・・・・・・・・、だな」


その言葉は、まるで夢のように…朝焼けが照らす博多の街の熱中へと溶けていった。

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