[Episode.6-綺羅星の残影•B]

-7月13日朝/波来祖市・中華料理店『彩虹ツァイホン』-


───電話が鳴る。しかし、家主はテレビの前で凍りついたように固まり、電話の方には見向きもしない。いつまでも止まないコール音に、痺れを切らした家主の娘が小走りに電話に向かう。


「ちょっとパパ、テレビは後にして電話ぐらい出てよ!私そろそろ出ないと遅刻しちゃうんだけど!」


娘は文句を言いつつ、受話器を取る直前に息を整えてから電話に出る。


「はいもしもし、ですが」

───『ああ、カケイさんのお宅ですか。私、福岡県警…JITTE博多支部の阿万里と申します。娘さんでしょうか?お父様はご在宅ですか?』


娘…美鈴は電話の主が福岡県警と聞いて、思い当たることはひとつだった。


「あの…すみません、すぐに代わります」


美鈴は震える声で電話口に告げると、テレビの前から動かない父…飛燕ヒエンのいるリビングに顔を覗かせ、その名を呼ぶ。


「パパ、福岡県警の人───えっ」


そこで、美鈴もテレビの画面を見て目を見開いた。



───『元・フィギュアスケート代表選手 深夜に惨殺』───



報道番組に写っていたのは…紛れもなく、美鈴の叔父である飛龍の顔写真だった。




-同時刻/福岡市早良区・大形薬局-


───筧飛龍の死は、瞬く間に全国ニュースになった。朝早くからネットのトレンドには「#氷龍の死」をはじめ飛龍の死に関する単語が並び、当然飛龍と関係のあった大形親子やイグニスの名を出すユーザーも数多くいた。特にイグニスは飛龍と同居していたこともあり、魔族という事実も相まって根も葉もない噂を流すユーザーも現れ始めていた。


「はぁ~暇やなぁ皆さん、妄想で好き勝手言うんやけん」


イフユはスマホの画面を落とし、乱雑にズボンのポケットに押し込んだ。そして…イフユ達の家でもある薬局で一睡もできず朝を迎えたイグニスは、リビングの椅子の上で膝を抱え、一言も口を聞けずにいた。


「今スマホ見ん方がよかよ、君が傷つくだけばい。何ば言われとってん、君にはアリバイがあるっちゃけん…なんか食べる?」

「………………」

「やったら水だけでも飲みんしゃい、こん時期に水分摂らんかったら脱水症状なるばい」


イフユ自身も、恐らくまだ起きてこないカナワも、飛龍の死には心を痛めているし、まさに食事も喉を通らないショックを受けているから、イグニスが何も口にしたがらない気持ちだけは理解できているつもりだ。それでも…イフユは薬剤師として、親…そしてイグニスの一時的な保護者として、実子のカナワとイグニス2人の健康状態を維持してやる義務がある。なんとか水分だけでも摂らせられないかと、冷蔵庫の方へと向かおうとした時…リビングに置いていた固定電話が鳴った。憔悴していたイグニスは音に驚いて肩を震わせ、イフユは舌打ちをして電話の受話器を取った。


「ハァ…はぁい、大形ですぅ~」

───『あっよかった番号合っとった、俺は福岡県警、JITTE博多支部のベr…あー、阿万里ばい。今大丈夫と?』

「警察…?まさか事情聴取…」

───『違う違う、注意しようて思うて電話したんや』

「注意って、どげなことと?」


電話向こうの阿万里ベルフェは、イフユにも聞こえるほど大きくため息をついた。


───『マスコミばい。大形さん達とイグニスは、被害者と関係が近かった。あんたは分かっとーて思う・・・・・・・・・・・・ばって、奴らどげな手を使っても話ば聞き出そうとするけんさ。数日はあまり外に出らん方がよかばい』

「…あぁ、薬局も開けん方が良さそうやなあ」

───『雪崩んごとマスゴミが流れ込んで来るやろうね。特に息子さん…カナワ君やったか、あの子もイグニスと同じく未成年やったよね?未成年をマスゴミのオモチャになんかさせたらいけん。学校も休ませた方がよか、通学中でん関係のう囲って来るやろう』

「…マスゴミ・・って言うてしもうとーばい、阿万里さん」


イフユが苦笑すると、今度は阿万里ベルフェが舌打ちした。


───『ゴミやろ、毎度毎度ほんなこつ本当にしろしか鬱陶しい…未だに現場まで来てウロウロされて邪魔なんや。犯人は魔族のイグニスですか~とかリテラシーの欠片もなか質問してくるし…最悪や』

「そんな、イグニス君はそげなこと…」

───『分かっとーばい。多禄が店内に盗聴器仕込んどったけん、俺らは犯人…フレアと飛龍さんのやり取りばリアルタイムで聞いとーけん、イグニスが犯人やなか事は知っとーよ。イグニスには落ち着いたら、犯人…フレアについて改めて話ば聞くかもしれんばって、イグニスを犯人扱いして事情聴取する気はなか。安心してくれ…すまんな、手間ばかくるかけるばって、未成年の2人を守っちゃってほしか』

「…うん、任せんしゃい」


イフユが答えるのとほぼ同時に…漸くカナワが制服姿でリビングに姿を見せた。


「カナワ、JITTEの阿万里さんが、マスコミが落ち着くまで外に出ん方がよかって」

「はぁ?あいつらのせいで高校にも行けんとか!?しろしか鬱陶しい~!今日は山笠ん集団山見せもあるっちゃろ!?そっちに取材行けや!」


イフユは苛立ったように通学カバンをリビングの床に放り投げ…しかし、憔悴しきったイグニスの様子を見て、怒りをどうにか飲み込んだ。


「まあ…コイツばひとりで放っとくわけにもいかんしな、ショックで何ばするか分からんし。下の薬局も閉めるとか?」

「そうやね、今日は開けられんちゃろうな…」


イフユは受話器向こうの阿万里に一声かけて電話を切ろうとしたが…今度は、1階の薬局のシャッターを乱暴に叩く音と何かを叫ぶ複数人の声が聞こえてきた。防音構造ではないとはいえ、2階の居住スペースにまで聞き取れるほど響いてくるのは尋常ではない。


「すまん阿万里さん、マスコミが来たごたー…薬局のシャッターが壊さるーかもしれん」

───『了解、応援寄越すばい。絶対応対したらいけん』

「…分かっとーよ。すまんね」

───『今回の事件は悪魔絡みやけんJITTE預かりやし、それに伴う治安維持も俺らの仕事ばい。気にしなしゃんな』


そして電話を切ったイフユは、改めてカナワとイグニスに向き直る。


「2人共、今絶対に1階に降りたらいかんぞ。…一応薬局の様子ば見てくる、窓のガラスば割られて入られて、医薬品や患者さんの情報やら盗まれたらいかんけんさ」

「無理しなしゃんなや、親父…」

「分かっとー分かっとー…やれやれ」


イフユは大きなため息をつきながら、面倒そうに1階へと向かった。その背を目で追っていたイグニスは、リビングのテーブルに伏せられていた写真立てに気がついた。それを起こそうと手を伸ばすと…


「あーそれ…」

「えっ」

「いや、何でもなか」

「…すまない、起こさない方がいいならもう触らない」

「よかよ別に…今更ばい」


カナワの言い方は気になったが、流れ的に写真立てを無視もできなくなり、イグニスが改めて写真立てを起こすと…幼少期のカナワと、今より少し若いイフユ、そして…母親らしい女性が写っていた。彼女は少しぽっちゃり気味で、笑顔が優しそうな女性だった。


「…家族写真」

「恥ずかしかけん、あまりじっくり見るな」


カナワは誤魔化すように言ったが…イグニスがカナワと知り合ってから3年間、今まで一度も彼女の姿を見たことはなかったし、カナワもイフユも母親について話していたことはなかった。しかも彼らが客としてカフェに来た時、飛龍もそういう話を2人に一切振らなかった。カナワの外見年齢から見ると、恐らくこの写真は10年近く昔のものだろう。それを考えると、付き合いとして飛龍は知っていてもおかしくないだろうに…

その違和感が導いた結論は、恐らく───


「…あんたの母親は」

「…ハァ、隠すようなことでもなかけん、退屈しのぎに話しちゃるばい」


カナワは少し呆れたようにため息をついてから、言葉を続ける。


「きさんは知らんやろうが、10年前、山陰・豊岡豪雨っち大雨災害があったんや。山陰・豊岡っち名前にはなっとーばってん、九州も多雨地域やけん被害は出た。こん薬局も、数cmだけとはいえ床上浸水した」

「まさか、その水害で…」

「───それならまだマシばい・・・・・・・・・・

「…え」


カナワはイフユが降りていった方角を睨み、徐々に声に怒りを込める。


「豪雨ん被害は浸水程度で済んだ。今でも、店内ん壁にうっすら水の跡が残っとー場所もあるったい。親父も俺も…オカンも、水が引いた店内ば掃除しとった。そこに…あいつら・・・・が来たっちゃん」

「あいつら…?」

マスゴミ・・・・ばい。気ぃ弱かオカンに、あいつらは聞き続けた。"店舗が浸水してどげん気持ちですか"ってな…あいつらはオカンから、"ばり悲しか"っち言葉ば引き出したかったっちゃろう。他ん家がマスゴミば門前払いしとーけん、押しん弱かオカンに何度も何度も聞きに来た。望まれた答えば返しても、今度は違う局や雑誌が来る。それで、オカンは───夜中に家ば飛び出して、海に消えた・・・・・


海に消えた…その意味を、イグニスもすぐに察した。


「…そう、か」

「やけん、未だに海は苦手や。特別嫌いとまでは言わんばってん、好きには…なれん」

「あんたはマスコミを恨んでいるのか」

「分からん、あいつらを恨んだって、オカンは帰ってこん。ばってん嫌いなのは確かばい」

「だから俺が倒れた時も、取材陣から俺を庇おうとしたのか」


イグニスの言葉に、カナワは驚いて目を見開く。


「は!?きさん、聞こえて…」

「気を失う直前、最後に聞こえたのがあんたの声だ。見世物じゃないから撮るな、って言ってたろう」

「げ、幻聴やろ…俺は別に…」

「情けないよな。ああいう状態・・・・・・にならないように、子供の頃から精神力を安定させる訓練だってしてたのに。カッとなって…結局、飛龍や周りに迷惑かけて。俺が倒れなければ、飛龍だって───」


イグニス声は涙声になりかけたが…その先の言葉を飲み込むと、自身の両手で頬を思いっきり叩いた。


「うわびっくりした」

「ダメだダメだ、そういうのはやめだ!俺が過去をゴチャゴチャ振り返って、それで何かが解決するわけじゃない!もうウジウジ悩んだりしない、もう…弱音は吐かない」


しかし、そんなイグニスの様子を見ていたカナワは呆れたようにため息をつく。


「はぁ?違うやろ」

「…え?」

「悩んだり弱音ば吐くんなよかのはいい。一人で抱え込むとがいけんっちゃ。そげな状況になった時、まずは誰かに相談せれ。…よか?」

「相談って、誰に…」

「っかぁ~、目ん前にこげん頼りになるおに~さんがおるとに、無視するとかよ!」

「頼りに、なる…か?」

「ちょっ、疑問符ばつけなしゃんな!俺の方が2歳も年上なんやぞ!」


急に兄貴風を吹かせてきたカナワを見て…イグニスも思わず苦笑を漏らす。今までのような呆れ半分ではなく、安心したように…眉を下げ、目を細めて。


「───ははっ…そうだな」


初めて見るイグニスの"笑顔"に、カナワはつい目を丸くして固まる。


「おっ…おお…きさん、そげな顔もできたとやな…」

「…何、俺がしかめっ面しかできないとでも?」

「そ、そげなこつ言うとらんやろ…(ほんなこつ親父がおらんでよかったばい)」


イフユが見たら確実に限界オタク仕草をしていたな、とカナワは心の中で安堵しつつ、首を振って気を取り直す。


「あーもう、湿っぽか話ばしてしもうたばい!」

「…じゃあ今度、行ってみるか。海」

「は?俺ん話ば聞いとったと?」


カナワは眉を潜めるが、イグニスの声色に嫌味がないのは分かっている。


「勿論ちゃんと聞いていた。だからこそだ」

「…男2人で海ば行って何すると?ナンパ?」


カナワが冗談半分に茶化すと、そこでイグニスは少し言葉を濁す。


「…魚を追いかけたり、カニを探したり、砂で要塞を作ったり…?」

「海のイメージガバガバやなかか」

「…俺も海には詳しくないんだ。魔界の海は人間界ほど綺麗ではないし、飛龍から離れる時間は最小限にしていたから、人間界の海すらまともに見たことはない。それでも、やることは何だっていいと思う。イルカボートに浮かんで、変な色のアイスを齧って、夜は手持ち花火でもして───そうして、悲しい思い出を上塗りできたら、あんたも海への苦手意識が減るんじゃないか」


カナワは…言葉を失い、ただ数回瞬きをしていた。そして…


「…バカタレ、俺らがきさんを保護しとー立場なんに、なして逆に気ば遣われとーっちゃん!」

「イダッ!?」


照れ隠しにイグニス背中を力一杯叩くと、イグニスは一瞬呼吸が止まったらしく、机に突っ伏して咳き込んだ。


「ゲッホゲホ、おい!いきなり何をする!」

「きさんはいっつも、自分より他人の事ば優先して考えとーよな。ばってん、自分ば大事にできん奴が他人を助けらるー訳なかぞ。他人に手ば差し伸べるんは、自分ば守るーれる余裕ができてからや。きさんに何かあったら…それこそ飛龍さんにどんだけ恨まるーか分からんばい」

「…っ、すまない」


話が最初に戻り、イグニスは再び気落ちしてしまうが…カナワは冷蔵庫に歩み寄り、中からプリンを取り出してイグニスの前に置いた。


「…え」

「博多あまおうイチゴプリン。嫌がらせにきさんの目ん前で食うてやろうて思うとったばってん、しょ~んなかけんしかたがないからきさんにやるばい」

「でも」

「生きろ!それが、飛龍さんがきさんに向けた最期の願いや。なんか腹に入れな、こん季節は倒るーぞ」


イグニスは少し迷っていたが、出されたものは食べきる主義だ。しかも飛龍のおかげで好物となったイチゴ味ともなれば断る理由もなく、再びカナワの方を一度だけ見やってからプリンに手を合わせる。


「…いただきます」


一方カナワは…格好をつけたものの、そのイチゴプリンは元々贈答用の高級プリン(を自分で食べようと買っておいたもの)。多少は惜しさもあったが、また買えばいいかと思いながらイグニスの様子を眺めていた。すると───プリンを口に運んでいたイグニスの瞳から、大粒の涙がテーブルに落ちた。


「───あれ…?」


イグニスは呆然と落ちた涙を眺め、プリンを掬っていたスプーンを止めて固まっている。その間にも、涙は次々にテーブルに落ち、水滴は水溜まりのようにテーブルを濡らす面積を増やしていく。それに気づいたカナワは、黙ってタオルを探し始めた。


「なん…なんで、こんなの変だ…俺は大丈夫、大丈夫なのに」

だいじょばん大丈夫じゃないやろ、泣くる時に泣いとけ…ほら」


カナワは敢えてイグニスと視線を合わさないようにして、探し出したタオルを顔に押し付けた。

強い悲しみに面した際に、直後はショックのあまり涙さえ出ない、というのはままあることだ。しかし…後から沸き出てきた悲しみさえ圧し殺してしまっては、いずれ心が壊れてしまう。だからカナワは、今のイグニスを咎めるような事はしてはならないと直感的に悟っていた。

イグニスは素直にタオルを顔に押し当てていたが、声をあげて泣くようなことはなく、微かに嗚咽が漏れる程度に留まっていた。カナワ自身も、イグニスにつられたのか今更悲しみが沸き出てきて、慌ててキッチンの蛇口を捻り、出てきた水を手で受けて顔に浴びせかけた。


「あー、暑か!水でん浴びなかなわんなぁ、もう…!」


カナワが涙声を誤魔化すように声を張ると…騒がしかった階下が急に静まり返った事に気がついた。


「…あん?なんかぁ、あいつら急に…」

「襲撃…じゃないな、敵意も殺意も感じない」


すると…薬局のシャッターが開く音が聞こえてきた。イフユは先程、今日は薬局は開けないと言っていたのに…


「は?親父何しとーと?ちょっ…俺見てくる、きさんは此処おれよ」

「イヤ、待て…この気配は」


イグニスがカナワを呼び止めた直後…イフユが戻ってきた。

その背後に、多禄とベルフェを連れて・・・・・・・・・・・


「あんたら、飛龍さんの現場んおった…」

「どーもぉ、皆の愛すべき多禄くんばい♡」

「昨日ん今日でバタバタして悪かね、一応、確認に来たとよ」


相変わらず軽い多禄に比べ、今日のベルフェはさすがに真面目な声色で、表情を暗くしている。


「確認…?」

「飛龍殺害の犯人、フレア・サルヴァトーレの声と姿ばい。俺も魔界で資料ば見た事はあるばって…肉親イグニスに確認してもろうた方が確実やろう」

「…分かった。俺も幼少期に別れて以来会ってはいないから、役に立てるかは分からないが…可能な限り手を貸そう」

「すまんな、殺害の瞬間とかショッキングな所は見せんし聞かせんけん、それは安心しんしゃい。俺も、子供にそげなこつしとーなか」


ベルフェはノートパソコンを取り出しながら、カナワの方に視線をやる。


「すまんが、君は少し外してくれんね?」

「待ってくれベルフェ、可能ならこいつとイフユにも聞かせてやってほしい」


すかさずイグニスの制止を受け、ベルフェは呆れたように息をつく。


「おいおい、これは遊びやなかぞ?捜査ん一環…」

「フレアが次に目を付けるならこの親子だ!せめて声だけでも聞いて知っていれば、最悪の事態は避けられるかもしれない!次にそんなことになったら…俺はもう、耐えられない」


ベルフェが悩むように低く唸ると…多禄からイグニスの言葉を押すように助け船が出る。


「一理あるばい、こげんタイプは自分の存在ばアピールする事が多かけん、何かアクションする前に声ば張り上げるかもしれん。それを聞き取れれば、初撃を躱す事ぐらいはできるっちゃなかと?」

「いや無理やろ…はぁ、仕方なかね…逃亡中ん犯人に狙われとーやったら、自衛っち目的で同席はさせてもよか。どげんすると?後は本人達の判断に任せるばい」


ベルフェの問いかけに、カナワとイフユは…少し間を置いてから小さく頷いた。


「分かった、途中で気分悪うなったりしたら外してよかけん」

「待った、そういえばさっきまで表にいた連中はどうしたんだ?どうせマスコミとか訳の分からん記者だろうが…」


イグニスの言葉を聞くと…多禄がニヤリと笑みを浮かべた。


「ぼくの『人心掌握』で操作して・・・・散らせたばい♡まー、ちょ…っと出力ば強うしたけん、何人か心壊れとーのおるかもしれんばってん、自業自得やね♡」

「あんたの人心掌握って、早い話が洗脳・・だろう…大丈夫なのかそれ」

「他人に迷惑かくる連中なんて知ら~ん」

「おい…!まさかとは思うが、その中に園田はいなかったろうな」

「おらんおらん、あの子はまだ常識のあるけん、こげなタイミングで押し掛けては来んやろ」

「…それなら、いい」


イグニスはそう答えながら、心の底に澱のような嫌な気持ちが溜まるのを感じていた。記者達も人間ではある…が、飛龍に対する暴言や、カナワの話を聞いた後では、彼らを心底から心配することはできなかった。そんな自分の身勝手さに、ひとりで嫌気がさしていた。すると…


「はん、ざまあ味噌漬けばい。他人の不幸ば食い物にしとーけん、こげな目に遭うとよ」


心の底から怨嗟を吐き出すように、カナワが嘲笑うような調子で呟いた。それで、イグニスも…人間の中には救いようのない、どうしようもない人間もいるのだと己に言い聞かせた。


「…まあ、いい。ああいう連中にまで情けをかけてたらキリがないしな」

「そげなことやね…よし、準備できたばい。多禄の盗聴音声と盗撮動画を同期させたけん、ほぼ再現ドラマ状態で見られる筈や」

「…字面だけ聞いたら最悪の組み合わせだな、盗聴と盗撮って…」

「まぁまぁ、固いこと言わんと♡───飛龍くん殺害の証拠映像んなるんやけんさ」


多禄の声が低くなり、イグニスだけでなくカナワも背筋を凍らせた。その様子にベルフェは長いため息をついてから、ノートパソコンをテーブルの上に置いて全画面再生モードを起動した。


「殺さるー所は見せんけんね」

「わ…分かっとーよ…」


怯えるカナワとイグニスの肩を、背後からイフユが軽く手を置いて支える。


───映像は、飛龍が店内のテーブルを拭き上げ清掃している所から始まった。映像の隅に記されている時刻は…イグニスが電話をかける数分前。


「そんな雑用、後で俺がやったのに…」

「静かにせれ、聞こえん」


カナワがイグニスを咎めた直後…飛龍は店舗の出入口に目をやり、少し悲しそうに呟いた。


───『やっぱり、あの子がおらんと寂しかね…いかんな、俺が依存してどうするったい』


飛龍はひとり苦笑を漏らすが…それきり、その視線は再び出入口へと向けられ、暫く動きを止めていた。その時…飛龍のポケットからスマホの着信音が鳴った。その相手は、言わずもがなイグニスだ。


───『ああ…噂をすれば、やな。よかった、無事で』


着信相手を確認した飛龍は、心から安堵したように呟くと、改めて電話に出た。


───『もしもし?よかった、目ば覚めたんやね…どげんしたと?』


しかし…その電話の内容は知っての通り。映像からははっきりとは聞き取れないものの、電話口の向こうでイグニスが半ば叫ぶように警告しているのが聞こえてくる。


そして───店舗の出入口のドアを乱暴に叩く音が聞こえ始めた。木製のドアが、想定外の圧力に悲鳴を上げているのが分かる。飛龍がイグニスとの通話を切った直後…ドアは大鎌によって壊され、何者かが店内に数歩踏み込んできた。

最後に会ったのは幼少期…しかし、イグニスにはすぐに分かった。夜闇のような黒髪、獲物を狙うような赤い瞳。常に苛立ったような声色と喋り方。


「…フレアだ、間違いない」

「やったらもうよか、止め…」

「待ってくれ、もう少し…見よってもよか?」


動画を止めようとしていたベルフェを…カナワが制する。しかし、この先に待つのは残酷な描写だ。未成年にそんなものを見せるつもりは毛頭ないベルフェは、一旦は手を止めたものの、すぐに停止できるように準備はしていた。ちょうど映像は、飛龍がフレアを挑発するように説教している所だった。


「…飛龍、なんで拳銃なんか…」

「ぼくが護身用にっち言うて隠しとったっちゃん。ばってん…遺体の近くに落ちとった拳銃は、弾薬が減っとらんやった。最期まで、撃たんやったんやな」

「───撃てばよかったのに」


イグニスが呟いた言葉の冷たさに、カナワは驚くよりイグニスの精神状態を心配し…それを察したイフユが、イグニスの頭を背後から軽く抱いた。


「…今は、そげなこつ考えんでよか。ひーくんはきっと、魔族相手じゃ撃っても勝てんって分かっとったっちゃん」


そこで…激昂したフレアの攻撃が、飛龍の肩に掠って赤い筋を刻んだ。それでも飛龍は、フレアへの挑発を緩めない。カナワはそんな飛龍の言動を、怯えながらも食い入るように見つめていた。飛龍が遺した最期のメッセージを、決して見落とさないように。そして、フレアが再び大鎌を振り上げ、飛龍が目を瞑った───


しかし、その切っ先が捉えていたのは…飛龍ではなく床だった。


「2回目も…外した?」

「え…飛龍は足が悪い、あんなに大きな鎌の攻撃を避けるなんて…」


イグニスとカナワは呆然と画面を見ていたが…フレアの様子がおかしいのに気がついた。息が上がり、暗く見にくいが頬が紅潮している。そこで…飛龍がニヤリと笑った。


───『やっぱりな・・・・・

「「あっ───」」


そこで、イグニスとカナワも飛龍の真意・・に気づいた。しかし…


───『何笑ってるんだよ…殺すぞ…!』

───『殺すとは確定なんやろ?今更やなかか。ただ…恨みや嫉妬で俺ば殺したら、あの子が君に笑いかける事ば絶対になくなるばい。永遠にな』

───『黙れ、兄さんは…僕のモノだ…!』


フレアの殺気が膨れ上がり、持っている大鎌が鈍い赤色に発光する。同時にベルフェは慌てて映像を止めようとするが…焦ったせいか、操作していたマウスが手から滑って床に落ち、遠くへと転がっていった。


「ゲェッ!やば…」

「画面閉じろ!」


咄嗟に叫んだイフユの言葉に、マウスを追いかけるベルフェに代わり、せめて画像は見せまいと多禄が急いでノートパソコンを閉じる。その時…


───『後は頼む』


囁くように、飛龍の最期の言葉が聞こえた。飛龍は多禄が盗聴器や隠しカメラを仕込んでいる事に気がついていた。だから…自分の犠牲が逃れられないなら、せめて何かを遺そうと最期まで足掻いていた。


そして


今度こそ、大鎌が肉を裂く鈍い音が響き、飛龍は小さく呻き声を上げ…それきり飛龍の声は途絶えた。ただ残酷に、フレアが飛龍を解体・・する音だけが───


「やだっ、やだぁあ!もうやめれやぁ…!」

「ぁ、あぁ、飛龍………っ」

「聞くな!聞いたらいけん…っ」


イフユは2人の頭を守るように抱きかかえ、ベルフェがマウスを拾って戻るのを必死に待った。そしてベルフェが漸く映像を止める直前…


───『調子に乗るなよ、人間のクセに、弱いクセに…』


吐き捨てるようなフレアの言葉が、最後に残されていた。

映像を止めたベルフェが、慌ててカナワ達を振り返って尋ねる。


「悪い、こげな所まで聞かせるつもりはなかったんや…大丈夫か?」


カナワとイグニスだけでなく、イフユも真っ青だったが…それでもカナワとイグニスの心には、飛龍からの命を懸けた最期のメッセージがしっかりと届いていた。


「飛龍さん…届いたけんね、俺ら、ちゃんと受け取ったけんね…」

「あんたの最期の抵抗、無駄になんてしない…絶対にだ」


涙を堪えた2人の表情には、強い決意が宿っていた。


その時…イグニスのスマホから誰かの声が聞こえてきた。それは、この場にいる全員が知った声…冷鵝だった。


「冷鵝?どうかしたのか、今いるのはリンクじゃ…」

───『どうしたもこうしたもあるかよ、フレアが魔界監査官の監視処分から逃げ出したって聞いて、詳細を調べてたんだよ!"天獄・・"程じゃないにしろ、魔界監査官の監視だって簡単に脱走できるような脆さじゃねえ。どうやって監視を出し抜いたのか、おかしいと思ったんだ…案の定・・・だったぜ』

「何や、どげんこつ?」


イグニスに凭れるように割り込んできたベルフェを見て、冷鵝はああ、と相槌を打ってから続ける。


───『あんたも知ってる筈だ…ネーヴェ・・・・だよ。あの女がこの最悪のタイミングを見計らって、魔界監査官の権限でフレアを解き放ちやがったんだ!お陰で今のルーディスは、リアル血反吐を吐く勢いで対応に追われてる。監視処分の対象を逃がすとはどうなってるんだ、ってな』


ネーヴェ───その名を聞いたイグニスは、息を飲んで凍りついた。そんなイグニスの横にいたカナワが感じ取ったのは、恐れではなく


───怒り・・


「あの女、どこまで───」

「ど、どげんしたとイグニス…」

「ネーヴェ…この女は、俺の育ての親…ジェンに焼死刑・・・を言い渡した魔界監査官だ」

「えっ…はぁ!?そこまで執着されとーって…きさん、その女に何したと?」

「…何も。ジェンは罪を犯していた。死刑が下されるのは妥当な事だった。判決自体に関しての逆恨みはない」


イグニスの答えにカナワは納得しきれず、それを察した冷鵝が口添える。


───『イグニスが何もしなかったから・・・・・・・・・、だよ。ネーヴェは淫魔・・…あー、人間に分かりやすく言うなら"お水のドスケベ魔族"って感じか。そんなんに誘われて、イグニスがホイホイついていくと思うか?』

「それは、確かに興味すらなさそう…って、イヤそもそも未成年やろ!」

───『魔界では12歳で成人なんだよ。まあそれはそれとして…つまり、ネーヴェはイグニスに誘いをかけたけど即答レベルで蹴られて、淫魔としてのプライドを傷つけられた腹いせに、こうやって陰湿な粘着を続けてるってわけだ』


あまりの事にドン引きしすぎて言葉も出ないカナワの代わりに、イフユが心底から嫌そうに声を絞り出す。


「そん気もなか未成年に粘着する女…情けなか」

───『あー、まあ親の立場から考えたら嫌悪感マシマシだろうな。自分の息子がそんなんに引っかけられそうになるとか』

「確かに不安ばい、カナワはホイホイついてくやろうけんね」

「コラァ!ついてかんわぁアホ!」

「確かに、甘い言葉につられて引っかかりそうではあるな」

「オイィ!イグニスきさんまでそげなこつ言うとか!俺きさんの事ば庇ってやろうとしたとに!?」


憤慨するカナワを他所に、ベルフェが仕切り直すように手を叩く。


「冗談はさておき、ネーヴェ…魔界監査官の裏切り者が絡んどーやったら話が厄介や。ルーディスがそげん状態やったら、魔界からのサポートは期待できんっち事になるばい。フレアに関しては、俺らだけで手ば打たないかん」

「ぼくも人数ば増やして巡回に当たるばい…博多ん街は、ぼくら博多ん民が守るったい」


多禄の言葉を受け、イグニスも小さく頷く。


「魔界の手助けがなくたって関係ない。イフユもカナワも死なせない。大事な存在・・・・・は、二度と殺させない。今度こそ…俺が守るから」


イグニスの決意を聞いて、イフユは急に涙を流して口元を覆い…カナワは照れ臭さからかそっぽを向いた。しかし、その心の中では…


「(大事な存在…フン、そげなこつ…お互い様・・・・や)」


決して口には出さない、イグニスへの信頼と友情を内に秘めていた。

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