[Episode.6-綺羅星の残影•A]

††


-7月12日深夜/福岡市早良区・大形薬局-



───画面に『通話終了』の文字が浮かぶスマホを握りしめ、イグニスは暫く固まっていた。イグニスはジャージのまま、イフユの寝室のベッドに寝かされていたらしかったが…一連の悲鳴にも似た騒ぎ声に、別室で寝ていたカナワも、薬局側で薬の在庫を数えていたイフユも慌てて飛んできていた。


「おいなんね、しゃーしか…夜中やぞ」

「どげんしたイグニス君、具合悪…ちょっと、顔真っ青やなかか、まだ寝とらんといかん」

「───ダメ、だ…飛龍、が」

「親父、これ過呼吸なりかけとらん?おい、落ち着いて息せれしろ、大きく吸って吐くっちゃん」


しかし、イフユは…


「…よかけん、寝ときんしゃい」


飛龍の名を聞いても、冷静に答えるイフユに…イグニスは荒い呼吸の合間に言葉を紡ぐ。


「飛龍、が…っ、襲われてる、のに、寝られる、わけなっ…」

「は!?飛龍さんが、って…なんねそれ、どげんこつ」

「カナワ!」


それでも…イフユは焦らない。慌てない。…動じない。


「なんでっ…俺、戻ら、ないと」

「そげんフラフラん状態で戻って何の役に立てると」

「行かないと…!行かないと、飛龍が、殺される───」

「───分かっとーばい・・・・・・・


イフユは冷静に答えてはいるが…


「(…親父)」


よく見れば、両方の拳を血が出る程強く握りしめているのを、カナワは見逃さなかった。


「…今、なんて」

「ひーくんは分かっとった、こういう日が来るっちゅうことばっていうことが。やけん…ひーくんは何度も俺に言いよった。自分に何かあったら、イグニス君の事を頼むって」


イフユは…飛龍と今まで何度も交わした通話の中で、しつこいぐらい飛龍が繰り返していた言葉を思い出す。



───「俺はあの子と出会うたけん、死のう・・・と思う日がのうなった。あの子がおったけん、生きとっても意味なかって思うことも減った。そげん暇もなかぐらい、毎日が賑やかになったけんさ。あの子は…死んだごと生きとった俺の世界に、篝火・・を灯してくれた存在なんよ。やけん、俺はあの子んためやったら何でもする気でおる。自分に関わったら弟に狙われる、っちあの子は言いよったけど、そげんことで俺が怯むわけなか。迷惑とも思わんし、恨んだりもせん。それでも、俺に何かあったら…あの子を頼めるんは、今まで散々親バカトークに付き合うてくれた、いっちゃんしかおらん。どうか…俺の息子・・・・を、頼む」───



実は…飛龍にフレアの件を聞かされてから、イフユも何度かこっそりと飛龍に進言した事はあった。飛龍自身の命が危ないなら、イグニスを保護するのはやめた方がいいのではないか、と。しかしそのたび、飛龍はすぐ首を振って即答してきたのだ。



───「あの子は、俺が全てに絶望しとった頃と同じ目をしとった。あの頃ん俺が多禄くんやいっちゃん、いろんな人の手ば借りて生かされたごと…傲慢やて思わるーかもしれんばってん、あの子を放っとけんかった。俺の手で、幸せにしたかったとよ。そげん俺の勝手で保護したんやけん…俺が生きとー限り、俺は父親の役目を放棄するような真似やせんばい。いっちゃんは…俺の絶望を見てきたとやろ?やったら、俺はもう充分・・。この先俺に何があっても、あの子を責めたり恨んだりせんでくれんね」───



…イフユにとっても、飛龍は大切な親友だ。その危機と聞いて…本当だったら、今すぐ飛び出して駆けつけたいぐらいだった。それでも、イフユはそうしなかった。体調の優れないイグニスを咎めたように、自分が行ってもなんの役にも立てないのは分かっていたからだ。

それに───


「落ち着いてきたと?ハァ…昼も夜も、心配ばっかりかくるかけるっちゃけん」

「…すまない、カナワ。だが、それでも行かないと」

「アホ!きさん昼間あげんことになったとに、無茶したら今度こそ…」

「今行けなかったら死んだって死にきれない!俺が後でどうなったって構うか、急がないt」


───イフユの平手がイグニスの頬を捉え、乾いた音を響かせる。


何が起こったのか、イグニスは叩かれた頬を咄嗟に押さえて固まり…カナワはショックで息を飲んだ。


「(うわぁ…お、俺でもあげん叩かれた事なかとに…)って、そうやなか!なんしよっと親父、こいつはまだ病人d」

「ひーくんはッ!自分の命より君の命を取ったとよ!それを…どげんなったっちゃ構わんとか言いなしゃんな!」

「ちょ、親父もそげん言い方せんでもよかろうもん!こいつだって飛龍さんが心配なんやろうけんさ…大丈夫か?」


カナワのフォローを受けても、イフユは声を震わせて続ける。


「…俺はな、ひーくんに君を頼むっち言われた。やけん俺には、保護者として君を安全に守る義務がある。…そりゃ手合わせしたら、俺なんかより君ん方が強かとは分かっとーばい。ばってんそうやなか、これは…親が子を守りたいっち本能ん話たい。そげん状態の君を、危険な場所に向かわせるわけにはいかん。ひーくんも…同じ事ば言うはずばい」

「───ってる」


イグニスは…消え入りそうな声で呟き、横にいるカナワの袖をきつく握った。カナワは服が伸びる、という言葉を飲み込み、そのままイグニスの背を擦っていた。


「今から行ったって間に合わない事ぐらい、分かってるよ…あいつが目の前にまで来てるんなら、急いだって…生きてる飛龍には、きっともう二度と会えない。飛龍は足が悪いから、あいつから逃げることはできないし、対抗できる程の超能力があるわけでもない…」

「イグニス君…」


イグニスの顔は伏せられていて、表情を読み取ることはできない。それでも…消えそうな声の調子から、込められた感情を聞き取ることはできる。


「俺は、さ…本当の親とは死別してるから、乳飲み子の頃から色々なひとの手を借りて生かされてきた。親代わりだった存在も今までに何人かいる…飛龍もそのひとりだ。…あんたとカナワは、血の繋がってる本当の親子だろ。だから俺が飛龍に会ってからの3年なんか、たった3年だって思うかもしれない。血の繋がりもないくせに、生意気だって思うかもしれない…!」

「イグニス、きさん…」


イグニスは顔を上げ、泣きそうな表情で真っ直ぐイフユを睨み上げた。


「たった3年だ!それでも───飛龍は俺の父親・・だったんだ!せめて、父親の死に目に会いたいって言うのは…それでも許可できないか?あんたカナワに何かあったら…ああそうかって指くわえて見送れるのか!?」


言葉に詰まるイフユに、カナワが大きくため息をつき…イグニスの背を少し強く叩いた。


「ウグッ!」

「おう、きさん縁起でもなか事ば言うてくれようもん?俺がなんやって?ったく…勝手に殺しなしゃんな」

「そ、それはすまn」

「親父ぃ、連れて行こうやぁ・・・・・・・・


カナワの思わぬ"助け船"に、イグニスも思わず目を丸くしてカナワを凝視した。


「カナワ!何言いよっと…」

「俺もさ、親父に何かあったら…学校もスケートも、なんもかんも投げ出して行くと思うばい。親子の絆・・・・は、俺らが一番否定したらいかん事やなかと?」


カナワの苦笑に、イフユはすぐには答えられない。カナワはなおも、呆れたような笑みを溢しながら続ける。


「それに…こいつ、いざとなったら俺ら行動不能にして、ひとりでも行ってしまうやろ?今行かせてやらんと、一生後悔すると思う。イグニスも…俺らも。…ちゅうか!勝手に飛び出して、夜中の道端でだーれにも知られず勝手に死なれでもした方が目覚めの悪かやなかと?…あの偉っそうなイグニスが警戒しとー相手、危険なのは分かっとーよ。ばってんそれは、もう俺らも同じばい。イグニスに関わった奴を嫉妬かなんかで狙うやったら、飛龍さんの次は…間違いなく俺らや。やったら、俺らを護衛してもらうっち形で、ギリギリまで一緒に行ってやればいいっちゃないと?」


イフユは…苦い顔をして、苛立ったように髪を搔きむしり、唸るように息を吐くと───


「~ッ、ああもう、分かったっちゃ!ワガママ息子らぁ・・・・が!…そげん事もあるかて思うて、ノンアルビールしか飲んどらんけん、車で近くまでは連れて行ってやる。ばってん、危険やて思うたら即引き返す!それでよかよな!?」

「…イフユ」

「…叩いて、ごめんな。痛かったろう?俺は…君を死なせたくなかっただけなんや、ごめんな…」


イフユはイグニスの頭を撫でたかと思うと、そのままイグニスの頭を抱え込むようにして抱きしめた。


「…いい。自棄になって勝手言ったのは俺だ…なんであんたが泣いてるんだ」

「君だけは…君やカナワんごたーみたいな未来の星だけは、守らんといかん。ひーくんはきっと…そう言いたかったんやて思う」


イフユの腕がカナワの方にも伸びるが、カナワは身を捩って逃れる。


「お、俺はよか!ええ年こいて恥ずかしか、行くんやったら早よ行くぞ!もしかしたら間に合うかもしれんちゃろ…最期の、言葉に」


カナワにとっても、飛龍は憧れの相手であり、付き合いの長い親戚のような存在だ。その死を悟って、平気なはずはない。それでも…憔悴しているイグニスの前では、"年上の兄貴分"として気丈であろうとなんとか堪えていた。その強がりに、実の父親が気づかないわけがない。


「…そうやな、行こう。…よかね、何があったっちゃ、どげん結果になっとってん、覚悟はしときんしゃい」


イフユはイグニスから離れると…隙を突くようにしてカナワの頭を少し乱暴に撫で、車を停めてある店舗裏手のガレージへと向かった。


「だーっ、このバカ親父…チッ、おい行けるか?肩ば貸してやろうか?」

「…大丈夫」

だいじょばんやろ大丈夫じゃないだろ、そげんフラフラで!おとなしゅう俺に掴まれ、もう…世話ん焼くる弟分・・やなぁ」

「…すまない」

「よかばってん、今度アイス奢れや」

「対価取るのかよ…」

「きさんが貸し借り気にするけんやろ!それでチャラにするばい」


カナワは少しでもイグニスの気を軽くしてやろうと軽口を叩きながら、その肩を支えつつイフユの後を追った。




-同時刻/福岡市内某所-


───そんなイグニス達より先に、飛龍の危機を知り彼の元へと向かっている人物がいた。


「チィッ、盗聴器仕掛けとってよかったばい」


それは、万一に備えてカフェ内に盗聴機器を仕掛けていた多禄と…


「はい検挙…て言いたかばって・・・、今だけは見逃すばい」


その多禄から即連絡を受けた阿万里ベルフェだった。


2人は合流すると横並びになり、小型インカムを通じてカフェの音声を傍受しながら、飛龍の元へと走っていた。

緊急走行ができるはずの阿万里ベルフェがパトカーで近づかないのは…かつて魔界監査官と合同で仕事をした時に、保管されていた資料を読んでフレアの狂暴性を知っているからだ。最悪パトカーを破壊されたり、バディを組んだ同乗者にまで被害が出かねない。何より、阿万里ベルフェは神族で、いざとなれば翼を顕現させて高速滑空で接近できる。署内の自転車も、残念ながら予備を含めて出払っていたのだから致し方ない。


「あれっ多禄、戦闘モードならんでよかと?」

「合戦換装は認識阻害レベルば上げないかんけんさ、現場着いて…戦闘に移行するようなら換装するばい」

「あー、認識阻害も使いすぎて効果薄くなっても困るけんね」


2人の話の内容は他愛もなく、声の調子も軽かったが…その表情に笑みはない。自分達であっても間に合わない、という可能性が高いことを…理解しているから。


「(クソッ…飛龍くん、どげんかして間に合うてくれんか)」


多禄もまた、警護に当たらせていた自身の配下数名と連絡が取れていない。彼らは人間とはいえ、対魔装備を持たせていた。それが簡単に突破されたとなれば…


「(恐らく、警護させとった部下もやられとーばい。ぼくの警備体制自体に問題はなかったはずや…ばってんフレアは待っとったんだ、こん博多で、最もイグニスに近い関係にあった飛龍くんを殺せる時を…契約印を与えられた飛龍くんと、主となるイグニス自身の距離が長時間離れるこの瞬間を!クソッ、なして今日に限って、ぼくが飛龍くんの側を離れた!)」


イグニスの契約印…つまり魔族の所有印は、元々その名の通り上級魔族が印を押した相手を奴隷のように・・・・・・扱い、己のモノであると周囲に知らしめる誇示の証。しかしイグニスの場合は、それを警戒の意味・・・・・で使用していた。

そもそも魔界監査官は、すなわち魔界の警察機関、法機関に相当する。一線を越える魔族…"悪魔"にとって、魔界監査官は同胞を処罰する天敵であり恐怖の対象。そんな魔界監査官であるイグニスの所有・・する飛龍に少しでも手など出せば───どうなるか分かったものではない。故にアンノウンや他の魔族は、恐ろしくて飛龍を襲おうなど考えもしなかった。


───しかし、実弟のフレアだけは違った。

イグニスの魔力による警告は、逆を言えばイグニスの居場所を知らせる道標。それを感知したフレアは…自らより信頼を受ける存在を一方的に憎み、魔界監査官の監視を出し抜いて、人間界に潜み息を殺して機会を窺っていた。

フレアには、唯一の才能…暗殺を含めた・・・・・・"殺戮者マーダー"の才能があった。

実はイグニスは気配感知が不得手で、飛龍の周辺…自身の契約印の警戒円内にフレアの気配が入ったことで、漸くその接近に気がつけていた。だからこそ…イグニスはいつ、何処から来るかも分からないフレアの存在を警戒し続け、フレアの接近より自身が早く駆けつけられるように生活していた。しかし、大形薬局のある早良区は、博多区の2つ西の区。しかも今回は、薬を買ってすぐに戻るような短期間の離脱ではない。


最悪の条件が、揃ってしまったのだ。


歯噛みしながら走る多禄の横で、ベルフェは舌打ちの後で肩の無線を掴んで叫ぶ。


「…っJITTE博多支部!応答せれ!アンノウン…イヤ、悪性魔族・・・・───通称"悪魔・・"の出現が予測される!"烏天狗"阿万里スルト、先行臨場する!後続のメンバーは周囲の重点警邏、最大限の警戒をもって当たれ!ただし、かなりの攻撃性及び加害性が予測される、命の危険を感じたら全てを打ち捨て即刻離脱せよッ!!」


そんな2人の前に…呑気にも、コンビニ前で自転車に乗って駄弁っている若者達数名が視界に入る。ベルフェはすかさず、走りながらJITTEの刻印が入った警察手帳を取り出して、そのまま若者達へと走り寄る。


「おいJITTEや、こん先で危険な悪魔が出とーばい!駄弁っとる場合やなか…って、多禄!?」

「ちょっとチャリ貸して、あとで返すけんさ」

「お、おいちょっ…えぇ…!?」


多禄は若者ひとりから自転車を半ば強奪し、有無を言わさず走り去っていった。ベルフェは再び舌打ちし…


「~ッ、あーもう!追いかけるけんもう1台貸して!」

「え、待っ…」

「警察組織への協力ばい!」

───「ド…ドロボー!お巡りさ~ん!」

───「アホ、あれがお巡りさんやろうが」

───「あっそっか…え?あれ?」


混乱する若者達を背に、ベルフェも多禄を追って現場へと急いだ。




-同時刻/カフェ&バー『Dragon』-


───銃を手にした飛龍も、その銃口をすぐにドアの方には向けず…ズボンのベルト背面に挟み、まずは両手を上げて侵入者を待ち構えていた。


このカフェ&バーに入り浸っていたベルフェが、酒を飲みながら話していたのを思い出す。



───「俺らJITTEは、アンノウンや悪性魔族に対しては即発砲が認められとる…ばって、相手が人型やったらそうもいかんばい。理性はあるか、話はできるか、説得はどげんか…まあ、人型への発砲ちゅう体裁の面もあって、対応は慎重にならんといかんばい。稀に、魔族であってもイグニスんごと話の通じる奴もおるけんね。ま…イグニスに関しては、対面した時点で敵性も悪性もなか事ばすーぐ分かるっちゃけど。あれは本当のレアケースちゅう事ば忘れたらいかんばい」───



「…説得、か」


飛龍の心臓は爆発しそうな程に高鳴っている。あのイグニスがあれ程警戒し、恐れる相手…それでも、イグニスの実弟であるならば、説得の余地が、会話する機会が僅かでもあるならば。


「(…なんも考えんで発砲するとは、アンノウンとなんも変わらん…一方的な暴力や。なんとかきっかけば作って、会話を試みる。それで俺が隙だらけと判断されて瞬殺さるーごたったらされるようなら…それはもう、俺の読みば甘かったちゅう事ばい)」


いっそ、ドアの鍵を開けて歓迎するぐらいの余裕が持てればよかったか…などと、諦観の笑みを溢す。その間にも、ドアは確実に砕かれていくのが音で分かる。


「(こん建物、元々は多禄くんのもんなんに…はらかかれて怒られてしまうなぁ)」


そう思った直後───木製のドアから聞こえる音が、叩くような乾いた音から、破壊されていく・・・・・・・鈍い音へと変化する。目の前にあるドアはついにひび割れ、バラバラになりながらゆっくりと店内へと倒れるように崩れ───


街灯の光を背に受けた、ひとりの人影がドアのすぐ外に立っていた。夜間、それに逆光で見辛いが…耳下辺りまでの黒髪に黒いコートを着ている青年であることだけはどうにか分かった。その手には…身の丈程の長さの、真っ黒い大鎌を携えて。


「…いらっしゃい、フレア君…で合うとーかな?席ん予約は受けとーよ」


飛龍は警戒は解かないまま、まずは即刻斬りかかってこないのを確認すると、フレアと思われる相手に声をかける。

その答えは───


「───へえ、今から自分を殺そうとしてる相手を歓迎するつもり?怯えて命乞いでもしてくるかと思ってたけど、肝だけは据わってるんだ」


イグニスより背は少し低いらしく、それに伴ってか声もイグニスより僅かに高い。初めて聞いたフレアの声色は…意外にも落ち着いていて、愉快に笑っているような調子にさえ聞こえた。

それでも…フレアの答えを聞いて、飛龍には分かってしまった。フレアの中では、自分を殺すのは確定事項なのだと。


「(…タダで殺されてやるつもりはなか、何か…でくるできることはなかろうか)」


自分の死は、確実に多禄やベルフェにも伝わる。その際に、何か捜査の役に立てるようなものを遺せないか…などと考えてはみるが、そもそも相手はもう目の前にいて、一触即発の状態。下手に動けばどうなるか分からない…故にとりあえず会話を続け、少しでもフレアの考えを言葉にさせられないか勝負に出る事にした。

…負けが確定している上、賭けているのは自分の命。分かりきったあんまりな結果に、こんな状況でも思わず苦笑が漏れた。


「…何笑ってるの?怖くて気でも狂った?」

「いや、負け戦やなぁっち思うただけばい」


飛龍は苦笑しながら、何もできず負けてやる気などさらさらなかった。一言でも多く、フレアの言葉を引き出せ。可能な限り、その真意を探れ。そうすれば、きっと───


「(…多禄くんの事ばい、どうせ何処かに盗聴器・・・ば仕掛けとーやろ。俺の最期の足掻き…頼む、何かに役立ててくれ)」


飛龍の思惑をよそに、フレアの視線が、両手を上げたままの飛龍の左手へと移る。掌を向けていて分かりづらいが…魔族のフレアには、その手の甲にイグニスの契約印が刻まれているのが、残されている気配ではっきりと読み取れた。


「…その契約印、兄さんのでしょ。なんでお前みたいなただの人間が、そこまで兄さんに気に入られたの?どんな手で兄さんを誑かしたの?」

「誑かしたって…特別な事ばなんもやっとらんよ。あの子が俺の店ん前で倒れとって、介抱ついでに居候させただけばい」

「そうやって、馬鹿正直な・・・・・兄さんに恩を売ったんだ。偽善者」

「偽善者でんなんとでん言やあよか、結果としてあの子は助かったんや、それで十分やなか?そもそもあの状況で、あの子を店先に放置する選択肢はなかった。いくらあの子が氷属性やと言ったっちゃ、あげんあんな寒さでは凍えて死んでしもうていたやろうけんね」

「ふーん…それでただの人間のくせに、兄さんにとっての"特別な存在"…"家族"に成り代わったんだ?そこは僕の場所だったのに」

「───君は」


飛龍は…フレアを睨みながら語調を強める。


「やったら君は、あの子に何ば与えた・・・・・?」

「はぁ?」

「さっきから聞いとって、誑かしたとか恩ば売ったとか偽善者とか、俺の行動が計算ずくんごとみたいな言い方ばしとーばってん…俺があの子からの見返りが欲しゅうてやったて、本気で思うとーとか?与えられたかけんいから与えた…君はそう言いたかとか?」

「そうに決まってる、お前は───」

「命がかかっとー時に、見返り目当てで動くわけなかろうが!」


この状況でまさか自分が怒鳴られるとは思っていなかったのか、フレアは肩を跳ねさせて驚いた。


「君の言い分やったら、俺があの子…イグニスの"特別な存在"になりたかったけん助けた、っち言いたかとやろ。やったら君は?君はイグニスの"特別な存在"になるために、何をイグニスにしてやったと?俺の行動が見返り目当てやなかって信じられんなら、君自身もイグニスに愛されるために、何か与えとー筈っちゃんね?他人の行動は無償やて認めんのに、自分だけは無償で愛情ば受け取るーれるなんて、そん理屈は通らんちゃろう!」

「うるさい!僕は兄さんの実の弟だ、無償で愛されて当然だろ!なのに兄さんは…一度だって僕を誉めてくれなかった!他の奴らとばっかり楽しそうに話して、僕には邪魔をするなって怒ってばっかりだった!兄さんの横は僕の居場所なのに!僕には兄さんしかいないのに!だから兄さんを僕から取り上げる奴らさえ殺せば、兄さんには僕しかいなくなる!そうしたら、きっと───」

「君は勘違いばしとーね」


凶器の大鎌を構え、怒りに任せて捲し立てるフレアを前にしても、飛龍は冷静さを失わずに答える。


「確かに、完全に与えるとが一方通行ん関係は長続きせん。ばってん、全てん気遣いが見返り重視ちゅうわけでもなか。お互いに気遣いば与えて与えられて、少しずつ関係は育っていくったい。自分はなんもせんのに与えらるー事ば待っとーだけでは、誰も手ば差し伸べてはくれん。相手が兄やとしたっちゃだとしてもそりゃそれは同じや。甘かっちゃん、君ん理屈は」

「うるさいんだよ!」


逆上したフレアが店内に踏み込み、飛龍を切り裂こうと大鎌を振り下ろす。飛龍はその大振りな動きに合わせて咄嗟に後ろに下がったため、肩に軽く掠りはしたが致命傷は避けられた。


「痛…ッ、自分に都合の悪か言葉には耳ば塞いで、自分だけは間違うとらんって正当化ば続くるとか?」

「うるさい、うるさいうるさい!」

しゃあしかうるさいとしか言えんなら、論理では俺に勝てんって言うとーようなもんやぞ」


飛龍にも分かっている。フレアを追い込み、逆上させれば、自分の命火の残りカウントが一気に減っていくということを。しかしフレアの言い分によると、イグニスと仲良くしている者は全員殺すつもりらしい。自分が逃げられる可能性が完全にないのならば、どのみち殺されるのであれば…可能な限り、フレア自身の歪んだ認識を修正する。エゴや綺麗事だと言われようと構わない、抵抗の爪痕を残す。そうでなければ───フレアはこの先永遠に、誰にも愛されることなく生涯を終えるかもしれないのだから。


「(…すまんな、多禄くん。俺に、この子は撃てん。この子は…誰に愛されることもなかった、孤独な子やったけんさ)」


怒り狂ったフレアが再び大鎌を振り上げ、飛龍は諦観の笑みを浮かべて目を閉じた───


「(───すまん、イグニス。君の弟を救うことは、俺には)」




-7月13日未明/カフェ&バー『Dragon』前-


───近くのコインパーキングに車を停め、イグニスと大形親子は飛龍の元へと急いでいた。そして…辿り着いたカフェの前には、既に多禄とベルフェが到着していた。


───沈痛な面持ちで、店の前に規制線を張りながら・・・・・・・・・・・・・


「───飛龍?」


イグニスの声は弱々しく、遅れて向かってくる多数のパトカーのサイレンにかき消されそうな声量だったが、多禄もベルフェもイグニスの到着に気づきながら…敢えて声をかけなかった。


「おいベルフェ、何やってる…そこは飛龍のカフェだぞ、明日も開店の準備が」

「イグニス、俺らは仕事で来とーばい」

「入れろよ、俺は飛龍と一緒に住んでたんだ。此処は俺の家でもあるんだ」

「いかん。事件現場・・・・には入れられん、たとえ家族やったとしたっちゃな」

「退けって!」


駆け出して強行突破を試みるイグニスの肩を、多禄が掴んで咎める。


「見らん方がよか。いや…見せられん。バラバラ死体・・・・・・や、未成年には…見せとうなか」

「───ッ」


多禄の真顔での答えに…イグニスは息を飲み、その場に硬直した。多禄の言葉が聞こえたのか、その背後でカナワが小さく悲鳴を上げ、カナワを支えていたイフユも事態を察して俯いた。

店の出入口のドアは破壊され、その残骸に飛び散っているおびただしい量の血が、街灯に照らされてうっすらと見える。イグニスだって…とっくに分かっている。

それでも


「…信じない。この目で確認するまで」

「お、おいやめれイグニス!そげなもん見たら、一生のトラウマになるったい!親父も止め…」

「そうしないとッ!…何処かに逃げて生き延びてるって、心の何処かで永遠に期待してしまうから」


イグニスの様子を見ていた多禄は…大きくため息をつき、イグニスの肩から手を離して規制線を越え、店内へと向かう。


「ハァ…現場保存が鉄則ばってん、ごめんなベルフェ、ちょっとだけパーツ・・・ば動かすばい」


そして───ドアの残骸の上に、肘から上が繋がっていない・・・・・・・・・・・・左腕が放り投げられた。当然、そこにあった契約印は…当事者死亡につき、既に消えている。


───それで、信じるしかなかった。


「───ぁ、あぁ………」


イグニスは…よろめきながら規制線を越えて、無造作に置かれた左腕パーツへと近寄り…崩れ落ちるように膝をつくと、とうに熱を失ったその手を両手でしっかりと握り返した。


「───待たせてごめん、飛龍…ひとりにして、ごめん…ごめんなさい………ごめんな………」


イグニスの声は次第に上擦り、震えた調子の涙声になる。その時…現場に到着したパトカーのヘッドライトが、方向転換する際に一瞬だけ、店内をはっきりと照らした。


───多禄の言う通り、飛龍だったもの・・・・・は既に人としてのかたちを失っており…辛うじて原形の残る頭部は、閉じきれずに尽きたらしい虚ろな瞳がヘッドライトを反射した。


「…あぁ、ハァ…ウッ、ぐ…どうして、ここまで酷い事が───」


胃から込み上げるモノを必死に飲み込み、ただ縋るように左腕パーツの手を握りしめる。ショックのあまり、涙すら出ない。再び闇に戻った店内は、血と肉…そして汚臭が混ざった臭いで満たされている。


「───犯人、探さないと」


イグニスは…静かに呟くと、握りしめていた左腕をそっとドアの上に置いた。そしてゆっくりと立ち上がると、店に背を向けカナワ達の元へと戻ってきた。


「イ、イグニスきさん…」

「───許さない。俺はもう、二度と許さない」


そう低い声で呟いたイグニスの表情を見て…イフユは歯噛みした。

イグニスの瞳は光の失われた、深海のような暗い色をしていた。


「(君の心はまた…あの暗い絶望の海に沈んでしもうたんやな、イグニス君)」


イフユは、初めて飛龍がイグニスを介抱したあの夜、飛龍に呼ばれてイグニスに会っていたから…知っている。あの時も、イグニスの瞳は深い悲しみに曇っていた。育ての親を失ったからだということは、後から飛龍に聞いていたから…今回もまた、親しい相手を失ったことでイグニスの瞳からは光が失せ…心に傷を負ってしまったのだと察した。


勿論…カナワも、そしてイフユも、飛龍の死を聞かされて平常心でいるわけではない。それでも…今日の昼にはまだ生きていた親友が殺されたという、現実離れした状況に感情が追いついていなかった。きっとこれから、飛龍の死が大々的に報道されるたびに、現実として受け入れるたびに…逃げられない"事実"として、じわじわと自分達を悲しみの底に突き落とすのだろうと、イフユにも分かっていた。


───それでも、今は。


「…今日は俺らと帰ろう、イグニス君。暫くうちにおったらよかばい」

「…それは」

「フン、魔族のきさんの側におって、今更何がえずか怖いって言うったい?遠慮やら気遣いやら、そげなとは要らんばい。…大人しゅう俺らと居れ。勝手に暴走するとは一番許さんけん」


カナワは…悲しみと悔しさを圧し殺し、イグニスの背を叩いて車を停めた方向へと押しやる。そして…立ち去る間際、3人を見送る多禄に振り向き、力なく告げる。


「…それで、よかやろ」

「そうやね…頼むばい」


祭りの最中の街に似つかわしくないパトカーのサイレンが、無情にも重なって鳴り響いていた。

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