[Episode.5-博多の一等星•C]

───国道202号線を東進していたイグニスが櫛田神社に近付き、一旦氷の刃を消して立ち止まると…阿万里ベルフェの要請だろうか、応援に来たらしいパトカーのサイレンが直近で止まる。しかしその警察官達が駆けつけるより早く、アンノウンの影が急接近してくる。


「数だけ多く群れた獣ごときに、邪魔をさせるものか!」


そう気合いを入れるイグニスの目の前に現れたのは、耳の長い狐のような、四つ足の黒い獣型アンノウン。大きさこそ通常の狐よりやや大きい程度だが、先述の通り数は1体ではない。アンノウンは次々に姿を現し、合計9体になると…イグニスのみならず、遅れて追いついてきた応援の警察官達へも牙を剥いた。


「ぎゃあ!」


警察官の悲鳴に、イグニスはいち早く反応した。懐から素早く刀の鍔・・・を取り出すと、空中に放って両拳で挟み込む。その両手を左右に勢いよく引くと───その手には柄と刃のついた刀身が顕現されていた。


「伏せてろ!」


警察官に言いながらイグニスが一歩強く踏み込むと、スケートのジャンプを思わせる高さに跳躍し、警察官を襲っていたアンノウンへと斬りかかった。


温羅おんら流剣術・上弦抜刀───《表月夜おもてづくよ》!」


イグニスの刀により横薙ぎに斬り伏せられたアンノウンは、一撃で消散した。素早く獰猛な代わり、1体ごとの防御力は脆いらしい。襲われていた警察官は、多少の裂傷はあれど軽傷のようだった。


「…まずは1体」

「え、あ、ありがt」

「負傷したのか、もういいから下がって手当てしてもらえ」


イグニスは尻餅をついたままの警察官の脇を掴んで持ち上げ、再び氷の刃で滑走してアンノウンから距離を取り、さらに応援に来ていた別の警察官達の方へと押しつけた。


「アンノウンは俺がやる。無駄に標的になって負傷することもないだろう、避難誘導に当たった方がいい」


その間に、別個体のアンノウンがイグニスを狙う。


「チッ…」

───「博多の人間をなめるな」


その声は…多禄の配下、留谷だった。留谷が持ち出したのは───

手榴弾・・・


「えっ?」

「伏せて」


素で驚くイグニスの脇を、留谷がピンを引き抜き投げた手榴弾が飛んでいく。そして…その爆風は、イグニスに襲いかかろうとしていたキュウビアンノウン2体に命中した。


「よし、仕留めた」

「い、今の…イヤ、普通の手榴弾ではないな?」

「ああ、対魔手榴弾・・・・・す。阿万里さんと多禄さんの共同開発で」

「対魔…おい、俺に当てるなよ」

「当然す。なんで避けてくださいね」


見れば…留谷のみならず、多禄の配下らしい黒スーツの男達はキュウビアンノウンを見つけ次第、木刀片手に追い回したり、銃や先程の手榴弾で脅しをかけていた。


「福岡は特別な場所す、アンノウンごとき・・・に怯えて暮らしてちゃ、この街では生き残れないすよ」

「…ルーディス・・・・・め、とんでもない場所に送り込んでくれたな」


ルーディス、とはイグニスの同僚、そして魔界兵団の指揮官の名だ。彼らは魔界監査官───魔族の秩序を守るための組織…今はそんなルーディスの指揮の下、"悪魔を狩る魔族・・・・・・・"でもある。

そんなイグニスが何故、人間界にいるのかは───


「イヤ、訂正する。よくできた人間だな、福岡県民!」


思考を振り切り、イグニスはさらに襲いかかるアンノウンを1体斬り潰す。


「次!」

───「もぉ~、ぼくの見せ場も残しとってよ」


そこで…漸く陣羽織姿の多禄が追いつき、キュウビアンノウンもその姿を視認すると、多禄の殺気に反応したか2体のアンノウンが襲いかかる。


「えっ、自分から死にに来てくれると?いやぁ、ボーナスタイムやなぁ♡」


多禄は得意気に両手で槍をプロペラのように回すと…その勢いのまま槍を振り、襲いかかるアンノウン2体を薙ぎ払った。


「イェーイ2キル♡…って、ぼくの見せ場こんだけ!?地味~!」

「まだ終わっていない、あと3体残ってる」

───「じゃ、それは俺の獲物ばい」


今度は多禄の背後から…ニヤリと笑った阿万里が姿を見せた。その手には、対魔銃・GO-YO銃が握られ…アンノウンに向けて構えた阿万里の周りに、黒い炎がいくらも出現した。


神性限定解除・・・・・・。真名、アンスール・・・・・ベルフェ・・・・。さあ、業火の波に溺れろ!」

『BURNING MODE,FLAME OF ENEMY DELETING』


炎は阿万里ベルフェが銃を撃つと、周囲の炎より一回り大きな黒の光弾が放たれ、黒い炎と共にアンノウンを追尾して残るうち2体を爆散させた。


「さ、ラストは譲るばい。しっかり決めれや!」

「言われなくとも!」


そして、最後に残った1体を…イグニスの刃が真っ二つに切り裂いた。


「───よし、アンノウンは片付いたみたいやな」


一息ついたベルフェを他所に、イグニスは櫛田神社の境内へと歩を進める。


「最後まで気を抜くな、連中を制御している旗艦システムを探し出して破壊しないと、また復活してくるぞ」

「ばってん、そん旗艦システムってどんなんなん?」

「そんなに目立つ機械的なものは見当たらなかったすけど」

「システムとは言うが、それは機械的な外見に限定されない。今回のように、神社に擬装させているなら…」


多禄と留谷の声を背に聞きながら、イグニスは…境内の中、狛犬の石像の下に雑に貼られた、鳥居が描かれている赤黒く禍々しい札を見つけた。夜闇に紛れていた上、通り道側からは死角になっていたため、留谷の位置からは見えなかったのだろう。


「これだ。呪いにも似た魔力を感じる…よりによって、神社にこんなものを配置するなど…」


そう忌々しげに呟くと…イグニスは持っている刀を札に突き立て、込められていた魔力ごと消散させた。


「旗艦制御型は珍しくはあるし、コントロールを奪取する手もあったが…あまり健全な魔力ではなかったのでな、触れるのはやめておいた」

「それがよかね、下手に触って汚染でもされたら…エーン、多禄くん泣いちゃう~」

「なっ、おい!離れろ暑苦しい!」


得意の嘘泣きをしながら縋る多禄を引き剥がすと、イグニスは周囲を見回し、菱川を(一応)探し始めた。


さて、周囲にいると思われていた菱川は…先着したはいいが、逸ってキュウビアンノウンに挑んだ挙げ句吹っ飛ばされでもしたのか、境内近くで仲間の警察官に支えられて座っていた。


「…何をやっている」

「ふへへ、全然平気ばい…もう一度攻撃されたか…♡」

「…まさか本当に、わざとアンノウンに突っ込んだんじゃないだろうな?二度とするな、命知らずめ」

「アンッ♡その責めもよか♡もっと責めて♡ん"も"っ"と"ぉ"♡」

「………帰る。ベルフェ、その危険物はそっちでなんとかしろ」


イグニスはドン引き…というより心から呆れ返り、頭を抱えるようにして櫛田神社を後にした。


しかし


「(…あの旗艦札に残っていた魔力は、あいつ・・・の───)」


誰にも見えなくなったイグニスの顔色は、血の気が引いてなお白さを増していた。





───翌日、イグニスは飛龍の提案通り、飛龍と共にスケートリンクを訪れていた。すると…


「(…やっぱり、か)」


リンクはイグニスが普段使っている早朝と比べ、スケートクラブの子供達や一般客などで賑わっている。そして、リンク外には見学している保護者や───カメラを構えた記者達もちらほらと見えた。実はその影で、"お忍び"で多禄と留谷も来てはいるが…彼らは万一・・を考えて潜伏しているため、今此処でイグニス達に声をかけることはしなかった。

利用客達はまさか、"かつての一等星"筧飛龍が再びスケートリンクに姿を見せるとは思っておらず…興奮に歓声をあげるだけでなく、スマホのカメラを向ける者も少なからずいる。


「おい!見世物じゃ…」

「構わんよイグニス、こうなるんは想定内やけん」

「だが…」

「こげな俺にも興味持ってくれとる人が、まだおるっち事ばい。大丈夫やけん」


イグニスの胸中は複雑だったが、飛龍本人がいいと言っているならこれ以上の口出しはできない。リンクのほぼ全てと言っていいほどの視線を受けながら…飛龍はイグニスの背を叩いた。


「うおっ…」

「行きんしゃい、見よってあげるけん」


飛龍が屈託のない笑顔をイグニスに向けると、イグニスも諦めたようにため息をつき…ブレードカバーを外してリンクの氷に乗る。その時…


───「えーっ!ほ、ほんなこつ飛龍さんが来とーやん!」

「………うるさいのが来た」


イグニスが頭を抱えて視線を向けた先には、大形親子…そのうちカナワが目を輝かせながら、飛龍の元へと小走りに向かうところだった。


「あ、あの…今日はなしてなんでリンクに…?あっ、言うとが嫌やったら答えんでもよかです!」

「まあ、ただの気まぐればい。あの事故からずっと…俺の時間は止まっとった。そろそろ、未来・・に目を向ける頃合いやて思うたけんね」

「未来…?」


カナワが首を傾げると、飛龍の視線はイグニスへと向く。


「そげんえずかこわい顔せんで、いっちゃん・・・・・達は俺が呼んだっちゃん」

「は?いっちゃん?」

「イフユやけん"いっちゃん"。言うたことなかったかな…まあよか、やっぱり昔馴染みがおった方が安心できるけんね」


飛龍の言葉で…カナワも、そこに追いついてきたイフユいっちゃんも、察した。


「…変わらんね、ひーくん・・・・は。いつも進むことば恐れず、未来を見据えとった…その未来が、今はイグニス君なんやな」

「…フン、それだけ気にかけてもろうとーとに、本気ば出さんなんて、不義理にも程があるやろ」

「カナワ!」


イフユがカナワを一喝する間に…イグニスは何も答えず、人が少ないスペースへと加速していく。


「(───飛龍が、見てるんだ)」


その胸元に光っているのは、雪の結晶を象ったクリスタルのペンダントトップ。それに気づいたのは、飛龍だった。


「ん?いっちゃん、あの子いっつもあれつけとーと?首の…」

「あー、そういえばそうやな。どうかしたんか?」

「いや…あれ、あの子の誕生日に俺があげたやつなんよ」

「相当気に入っとーっちゃろ、俺が見よー時はいっつもつけとーけんね…へぇ~、父親仕草が板についてきたんやなかか?ひーくん♡」

「茶化しなさんなや、もう…」


飛龍とイフユの会話を他所に、イグニスは加速を続け、跳び上がる───寸前、進行方向の先で小学校低学年ぐらいの女子が転倒したのを確認し、氷を激しく削りながら急停止した。


「おっ、と…危なかった」

───「すみませーん!」


転倒した女子のコーチらしき女性が慌てて駆け寄ろうとするのを、イグニスは片手をあげて制しながら女子の元へと滑りながら近寄る。


「おい、立てるか」

「ご、ごめんなさ…」

「別に取って食うわけじゃない、どこか痛めたのか聞きたいだけだ。いつまでも氷の上に座っていると冷えすぎる」


女子は最初こそ高身長のイグニスに怯えていたが、イグニスが手を差し出したことで、その警戒も少しは和らいだらしい。


「…手首、痛い」

「受け身に失敗したか…一度コーチか医者に見てもらった方がいい、折れてはいないと思うが」


そしてイグニスはそのまま、女子の(痛がっていない方の)手を引いてコーチの元まで連れていってやると…


「すみません、ジャンプ跳ぼうとしてましたよね…」

「混んでいる時間なのは分かっている、この程度で文句を言うのはお門違いだろう。そんなことより、手首を捻挫しているかもしれない。痛みが酷いなら整形外科に連れていった方がいい、薬で済むようなら…ちょうどそこに、大形薬局の店長様がいるしな」


不意にイグニスの視線を受け、イフユは驚き半分ニヤニヤ半分という不気味な表情になる。その脇腹に肘鉄砲を撃ち込むのは、息子であるカナワのいつもの役割だ。


「あ、ありがとうございます…」

「大事ないといいな、じゃあ」


イグニスは相変わらず無愛想に、さっさと先程の加速位置へと滑り戻っていくが…イグニスの背を見送る女子の目は、痛みすら忘れて憧れに輝いていた。

その一連の様子に、飛龍は感心していた。


「はぁ~…何今の、紳士?」

「たまーにやっとーよ、男女関係なくな。あーいうの見とーと、確かにあの子が魔族やけん何?って思うわ…優しい子っちゃんね、ひーくんの息子・・は」

「なんね親父、俺が優しゅうなかって言いたかと?」

「どげんした急に…そげんこつ誰も言っとらんやろ、勝手に深読みばして卑屈になりなさんなや」


察しの通り、カナワはイグニスをライバル視している。プロスケーター2世としてちやほやされていた所に、イグニスは流星のように現れた。しかも、形式上はあの筧飛龍の後継者おしえごと来れば、情報に貪欲な記者達が飛びつかないはずはなかった。もちろん、だからと言ってカナワが注目されなくなったわけではない。それでも…イグニスが本気を出していない・・・・・・・・・事ぐらい、カナワには分かっていた。


だから───


仕切り直し、イグニスが氷上で加速を図る。今度こそ、視界の先には誰もいない。一瞬目を瞑ったイグニスが、その両目を開いた時


「(此処に飛龍がいる。なら───この心を曇らせる迷いは、もう何もない!)」


イグニスの踏み切りに、カナワは息を飲む。


「え…前向き・・・───」


フィギュアスケートのジャンプで、進行方向に対して前向き・・・に跳ぶジャンプは…1種類だけ。


最高難度・・・・のジャンプ、アクセルジャンプ。

跳び上がるタイミングが難しいのに加え、他のジャンプより半回転多く回るため、助走や踏み切りにより勢いが必要になる。

それを───イグニスは跳び、空中でぶれることなく3回転半した後…ぐらつくことなく着氷した。その着氷も今までと違い、力みのない落ち着いたものだった。


「3回転…半………」


3回転は今までSサルコウにすら苦戦してたくせに…と、カナワの中に嫌な感情が芽生える。しかし…


「(降りられた…3Aアクセル…!)」


一番驚いていたのは、跳んだイグニス本人だった。そして、カナワもまたその苛立ちを内に秘めるタイプではない。ジャンプを跳び終えて飛龍達の元へと滑り戻ってきたイグニスに、カナワは食ってかかる。


「なんで…今まで3Aアクセルなんて跳べんやったやろ!なんでいきなり…!」

「…不安要素がなかったから、だと思う。何も気にせず、ただ氷に身を任せることができた。俺の精神力が強ければ…もっと早く跳べたかもしれないが」

「不安要素ってなんね…」

「飛龍が此処にいるから。俺が知らない間に、飛龍が誰かに害されることはない。だから、何も心配することなく跳べた」

「──────」


カナワは思い知る。イグニスは本気を出していなかったのではなく…出したくても出せなかっただけなのだと。そして…


「俺のせいで…ジャンプもまともに跳べんぐらい不安にさせとったんやな、すまん」

「違う、これは俺が勝手に…」

「ははっ、相思相愛やなぁひーくん!よかねぇ、親子愛♡」

「おい茶化すな!」


その時


───「なんだ、あの子余裕で3Aアクセル跳べるんじゃん…筧飛龍とかいう終わった・・・・人間のせいで、それが足枷になって跳べなかったってこと?」

───「ジャンプ習得の遅れは、選手としては致命的すぎる。惜しいよな、強化選手にだってなれたかもしれないのに。余計なもの・・・・・のせいで」


記者達の方から、そんな心ない言葉が聞こえてきた。彼らの腕章には、関東中心に出版しているらしい週刊誌の名前が刻まれていた。


───「ちょっと!そんな言い方ないと思うんですけど!?あの子は飛龍さんの夢を引き継いで頑張ってるのに、その飛龍さんをバカにするような事言うのは最低ですよ!」


その記者達の肩を掴んで怒声をあげているのは、眼鏡をかけた若い男。関東の記者達は眼鏡の男を鬱陶しそうに睨んでいたが───


記者達の言葉は、当然…飛龍本人のみならず、イグニスや大形親子、周囲にいた利用客にまで聞こえていた。


───逆鱗に触れた・・・・・・


ただしそれは、飛龍本人の、ではない。飛龍本人は…


「…言われた通りや。俺があの子ん足枷になっとったなんて、ほんなこつ悪かことばしよった。もっと早う、俺が此処に来れとりゃ───」


ただ悲しそうに、諦めたように、笑いながら言うだけだった。


「そげんこと言わんでくれんね飛龍さん!おいお前ら、今何ば言うたんや!」

「やめんしゃいカナワ…くらしたかとは殴りたいのは俺も一緒や」


怒りを噛み殺したようなイフユの横で、今にも記者達に殴りかかる勢いのカナワの肩を───イグニスが骨を折る勢いで掴んだ。


「痛った!?おい何ば───」


振り向いた先にあったイグニスの表情を見て、カナワは恐怖で息を飲んだ。この世の怒りを全て詰めたかのような、まさに鬼の如く恐ろしい顔をした"怒"が…そこにいた。


「おい…3Sサルコウ

「えっ、な、なん」

「跳べるよな」

「あっ、は…い………」


カナワはイグニスに指示されたまま、それでも憧れの飛龍がそこにいるのだと思い直し…氷上で勢いをつける。


「(こん流れでしくじれん…冷静に、冷静に───)」


大形カナワは、元々スケーター2世としての才能はあった。しかし長くライバルに恵まれず実力を出しきれない時期が続き、3回転を早期に習得はできていたものの、焦りからか転倒が多い選手だった。

そんな時に流星のように現れたのが、イグニス・サルヴァトーレというライバルだった。相変わらず焦りで転倒は多かったが、その回数は格段に減っていた。やっと張り合えるライバルができて、折れかけていた向上心が再び沸き上がってきていた。

だから───


「(あいつは証明するつもりなんや…龍の子の世代・・・・・・は、ちゃんと育っとーって。やったら…!)」


カナワの足が八の字になった瞬間、勢いをつけて跳び上がる。冷静に3回転した体が、静かに着氷


「(───まだや・・・!)」


着氷した軸足が、再び氷を蹴って宙へと舞う。そして再び3回転し、今度こそブレードが氷の上を削ってチェック着氷完了姿勢をとる。


「(やった…3Sサルコウ+3Toトウループ…!)」


自分でも驚きつつも、しかし喜びが勝り自信に満ちた笑みを浮かべるカナワ。 その姿に、父親兼コーチのイフユも…


「3+3のコンビネーションジャンプ…あいつ、こん土壇場で…転倒せんで決めた…」

「カナワ君…あの子も卑屈んなる必要なかぐらい、すごかやんかすごいじゃん


かつての時代を築いた2人は、並んでカナワの"偉業"を称賛していた。



今度はイグニスが、飛龍の手を引いてリンクの方へと引き寄せる。


「えっ?おいイグニス待ちんしゃい、俺はスケートシューズ履いとらん───」

「バランスだけ取って」


イグニスの怒りを圧し殺したような声に、飛龍もそれ以上の追及ができず…引っ張られるままにリンク内へと足を踏み入れた。すると…


「(───は?ただの靴が…氷上を滑っとる・・・・・・・?)」


飛龍が驚くのも無理はない。今の飛龍は…氷上に降り立つ瞬間に、イグニスの魔術が編み出した氷の刃───『冷刃フレド・スパーダ』が靴裏に装着された状態。しかも今回の場合、1本刃ではぐらつくだろうと靴裏の左右で2本ずつ刃を展開させているため、確かに体のバランスさえ取っていれば転倒はしづらいし、元々氷上を駆っていた飛龍にとっては少しすれば慣れたものだった。


イグニスに手を引かれ、リンクの中央まで来た飛龍は…


「(ああ───懐かしか。こん感覚、もう二度と味わえん思うとった。もう舞うことはできんばってん…)」


感極まって目を潤ませる飛龍に…小雨のような音を立てた拍手が送られる。転倒した女子のいたスケートクラブの生徒やコーチ、一般客達、そして…記者達に噛みついた眼鏡の男も。


───「感動ばありがとうね、飛龍さん」

───「あんたん滑りには、勇気ば沢山もろうたばい」

───「お帰り・・・、『破天荒な氷龍』」

───「あなたは終わったわけじゃない、次の世代…氷龍の子・・・・を育てる段階に移行しただけですよ」


「みんな…もう演技もできん俺なんかに、そげん優しかこつ───」

「今の拍手は、自分はまだ飛龍のファンだっていう証じゃないか?あんたがリンクを去ってから何年も経って、氷に乗っただけで、これだけ拍手が起こったんだ。あんたは…終わってなんかない。次の世代を…俺を・・、育ててくれるんだろう?」


やっと飛龍を見返ったイグニスは、珍しく苦笑を浮かべていたが…飛龍はゾッとした。その顔色は───今まで見たことがない程に青白かったから。


「ちょ、イグニス…もう上がろう、顔色悪かばい」

「…大丈夫」

「大丈夫やなか、震えとーやん!無理しなさんな!」

「………………」


飛龍の指摘通り、イグニスの状態は急激に悪化していくのが目に見えて明らかだった。その異変には、少し離れていたカナワとイフユも気づいた程。


「おーいイグニス君、大丈夫か?冷えすぎたんか?」


イグニスはイフユの言葉には答えず、飛龍をリンクの外へ引っ張っていくと…飛龍をイフユに任せ、先程の記者達の方へとふらつきながらも再び氷上を滑って接近する。そして…リンクの段差越しに、再び表情を険しくしながら低い声で問いかける。


「見ただろう」

「え、あ…」

「見たよな、なぁ。氷に乗っただけなのに、もう演技はできないのに、あれだけの拍手を送られる飛龍の姿。見たよな」

「それ、は…」


恐怖で竦み上がる記者達に、イグニスはなおも唸るように畳み掛ける。


「二度と飛龍が終わっただとか足枷だとか余計だとか言うな。次にそんな暴言を吐いたら───俺は一生許さない!」


それだけ言うと、イグニスは…記者達の元を離れながら続けて宣告する。


「…貴様らと同じ週刊誌の人間がいるリンクで、俺はもう3回転を跳ばない。見せてやる価値もない」

「ええっ、それじゃ他の人も君のジャンプを見られなくなるんじゃ…」


イグニスに声をかけたのは…先程の記者達に噛みついた眼鏡の男。イグニスは、その男に見覚えがあった。


「…あんたは、確か」

「あ、覚えててくれたんだ。前に取材させてもらった『majika』の園田だよ、久しぶり…って大丈夫?真っ青じゃん、一旦着替えてきなよ。話は後でいいからさ」


男…園田の言葉に、イグニスは小さく頷きリンクから上がった。

しかし


「───寒い・・…」


震える声で小さく呟くと───イグニスは先にリンクから上がっていた飛龍の足元に倒れ込んでしまった。


「…え」

「おい、どげんした!?」


呆然と立ち竦む飛龍、慌てて駆け寄るイフユ。そして…


「っ撮るな!見世物やなかぞ!」


カナワもすぐにリンクから上がり、シューズにブレードカバーをつけるや否や、自分の上着を掴んでイグニスの元へと早足に向かった。


「いきなりどげんしたんね…冷たっ!?え、嘘…うそうそうそ、嘘や、なんで急に…いや、嫌や、死ぬな!死ぬなやぁ………」


意識を失い、ぐったりと横たわるイグニスに…カナワは自分の上着を被せて必死に縋る。イグニスの急変に立ち竦んでいた飛龍も、我に返ると力なく膝をつき、倒れたままだったイグニスを抱き起こし、冷えていくその身を両腕で包み込んだ。


「…なんで、何が起きたと…?なんでイグニスがこげなことになっとーと…?」

「理由は分からんっちゃけど、とにかく体を温めんと!こんまま体温が下がったら───心臓が止まる・・・・・・

「ヒッ…!」


カナワは引きつった声をあげ、慌ててイグニスに抱きついた。イフユと飛龍も、自分の上着を被せた上からイグニスの体を擦っていた。場内はざわめきに包まれ、啜り泣きまで聞こえてきている。

そこに…


───「その穂先閃かせたるは、疾病平癒の願いなり」


手に槍を携えた、陣羽織姿の多禄がイグニス達の元へと駆けつけた。槍の穂をイグニスに向けた多禄の詠唱を受け、イグニスの体温低下はそれ以上悪化することはなくなったようだ。


「多禄くん…」

過冷却・・・。魔力放出と感情制御のバランスが崩れたせいで、体が冷えすぎたっちゃろう。粗熱取れとらん料理を冷蔵庫ん中に入れたら、内部温度は上がるし余計な電力も使うことになる…言うたら分かりやすかとね?」

「イグニスはどうなってしまうん!?この子に何かあったら、俺は…!」

「…ダメ元やったけど、『疾病平癒』が一応効果あったみたいや。ただ、ぼくの『疾病平癒』は精神的な不調への特効やけん、すぐに回復もできんばってん…これ以上体温が落ちて死ぬようなことにはならん思うばい。普段はこげんキレるような事もせんやったとに…あん記者クソ、物理的に消すか」


最後の多禄の不穏な言葉には耳を傾ける余裕もなく、飛龍はイグニスを力の限り抱きしめた。


「よかった………ッ、ほんなこつ…俺のせいで、こげんなるまで無理させてしもうて…もしこの子に何かあったら、俺はもう生きていけんばい………」

「もう大丈夫たいね?そのうち起きて、またいつもんごと、憎まれ口叩くるごと叩くようになるよな?」


カナワの半泣きの問いに、多禄も一応は安堵のため息をつく。


「…暫くは絶対安静やね、最低でも丸1日は休ませないかん。夜警に出るて言うたっちゃ、無理矢理にでも布団に縛り付けといて。下手したら、次こそ死ぬけん」

「分かった、分かった………」


飛龍は嗚咽を漏らし、強くイグニスを抱きしめていた。そこに…


───「あの、大丈夫ですか!?」

「君は…」

「前にイグニス君を取材した『majika』の園田です、でも今はそんなことどうでもよくて…」


駆け寄ってきた園田が差し出したのは、夏には似つかわしくないアイテム…携帯カイロが数個。


「スケートリンクは冷えるので、手先を温めようと持ってきてたんです。よかったら使ってください、役に立てばいいんですけど」

「イヤ、助かる。ありがとうな、見ての通り…暫くイグニス君の取材はできんばってん」

「いえ、彼の健康が第一ですよ!インタビューなんて彼が元気になってから、また機会を伺えばいいだけのことです。今回の出張は山笠の取材も兼ねてますし、そっちメインに記事作りますから。本当に…お大事にしてください。何か手伝えることがあったら、また声かけてくださいね」


そこまで言うと、園田は一礼してその場を後にした。そして、ざわめく場内に「イグニス君は大丈夫ですから」と声をかけ、留谷と共にその混乱を鎮めようと努めていた。


「へぇ…いるんやねぇ、あげんあんな善人も。珍しか、ぼくには眩しかばい」


多禄は思わず苦笑し、次にその視線を飛龍へと向けた。


「(───自棄やけを起こしかけた者が、また自棄やけを起こしかけた者を救う、か。守るものができた人間と云うのは…いやはや、いつの時代も強くなれるものだな)」

「…多禄くん?」

「いや、ひとまず此処を出た方がよか。イグニスを安静にできる場所に寝かせんといかんばい」

「…それもそうやね」


多禄の指示に従い、飛龍達はスケートリンクを後にした。

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