[Episode.4-繋げ、生命のwave•D]


───数日後・海水浴場。


「あっ、お巡りさん!こっちこっち~!」


体操服姿の美鈴は楢崎を見つけるなり、砂浜に集まっている生徒達の集団の方へと手招きした。


「元気そうですね…まあ、君には何度か会っている気がしますが」

「エヘヘ、そうかもね…まあ、これからも色々よろしく」


とはいえ、5月の海沿いはまだ肌寒い。晴れていれば多少は違ったろうが…


「…生憎の天気ですね」

「うーん、まあ…まだ降ってはいないからセーフかな?」

「感電の危険性があるとかで、雷が鳴ったら一発中止でしたっけ」

「それが心配なんだよね…あっ、ていうか敬語…」

「いいんです、今は自分もクラスメイトだと思ってください」

「りょ、了解」


敬礼をして返す美鈴を微笑ましく思いつつ、楢崎が生徒達の集団の方へと視線をやると…少ししか経っていないのに、もう懐かしく思える顔ぶれが見える。


「おっ、センパイも来たんだ?おつおつ~!」

「うわ~久し振りだなぁケンゴ!今日は一緒にのんびりできるといいな!」


ご機嫌に楢崎を迎えるタマキと市松の様子に、楢崎も会釈をして返すが…どうしても頭の隅に引っ掛かる。

此処に、櫛本カイナの姿がないことが───


その思いを今は振り払おうと視線を堤防の方へとやると…意外な人物が楢崎の視界に飛び込んできた。


「あれ、ホクヤ兄・・・・…?」


堤防の上で、海を眺める男が2人。その片方は、Tシャツと短パンのラフな格好で、茶の短髪と褐色の肌が白い砂浜に映えている。そして、もう片方の"青年"は…どうやら釣りをしているらしく、褐色肌に銀の短髪、燃えるような赤い目をしていた。しかし…楢崎と目が合うと、何故か眉を潜めてそっぽを向いてしまった。


「(あれ、あのひと…何処かで会ったような・・・・・・・・・・───)」


楢崎の思考に再び靄がかかるが…ホクヤと呼ばれた男の方が、楢崎に気がつくとにこやかに笑ってから、堤防から降りて小走りで楢崎の元へとやって来た。


「おーおー、ケンゴやか。おまさん、今日はどういてこがぁなところにおるがじゃ?警察官の仕事があるじゃろう」

「その警察官の仕事でして…今回はイレギュラーではありますが、生徒達に混じっての護衛ですね。ホクヤ兄こそ、今日は非番ですか?」

「なるほどのう、そういう事かえ。ワシも似たようなもんじゃあ、最近は海の事故やら熱中症やら多いきのう。建前上は非番っちゅう事にはなっちょるが、本部からの指示で海難事故の見張りを命じられちょる。決して…副業いうがやないぜよ?」


沖河オキカワホクヤの本来の職業は救急救命士。そもそも公務員の副業は本来禁止されているが…アンノウン出現に関連して整備された各条例の認める範囲によっては、副業に値する業務も一部ではあるが認可が下りているらしい。


「ホクヤ兄がいるなら心強いです。救命に関しては、やはり専門家が一番ですから」

「…げに変わらんのう、ケンゴ。ワシの家に下宿しちょった学生の頃と、ちっとも」

「え?」

「その、キラキラしちゅう目じゃ。ワシはそがぁに立派な人間やないきに」

「…ホクヤ兄は、自分にとっては兄か、父親のような存在でしたから」


───楢崎には、実の父親の記憶がない。そして…母の、生まれた里の記憶は、忌むべき悪夢でしかない。中学生になり、その悪夢から抜け出した先が、ホクヤの家での生活だった。名目上は下宿だが、実際のところホクヤの家族による保護である。彼は元々楢崎と程近い地域の出身でもあり、人命重視の優秀さからも警察によって楢崎の保護家庭に推薦されていた。

優しい兄貴分だったホクヤへの憧れは、楢崎にとって唯一の光でもあった。


その時…


ええおいしかまさんうるさいぞ。魚が逃げる」

「おお、騒がしかったかや…まっことすまん」


堤防から"青年"の面倒そうな声が飛んでくると、ホクヤは(ほんの僅かに)声量を落とす。


「(知り合いなんですか、ホクヤ兄)」

「(いんや、さっき会ったばあじゃ。釣果はあるようなが)」


ホクヤが言うのとほぼ同時に、"青年"の脇のクーラーボックスが小刻みに揺れた。


「(さっきは鯛を釣っちょった、えいのう)」

「(やれやれ、随分と楽しんでるじゃないですか)」


そんな楢崎達を見ながら、"青年"は何故か相変わらずムッツリと不機嫌そうだったが、ホクヤに代わり楢崎が"青年"に呼び掛けた。


「騒がしくてすみません。ですが、高校生達も研修に来ていますし、完全に静かにするのは難しいかと…」

「…いい、暫くしたら撤収する」


"青年"は釣竿の先から楢崎の方へと視線を向けた。その諦めのような、面倒そうな仕草に、楢崎はそろそろ疑問を抱いていた。


「あの、自分が何か…?前に何処かでお会いしました?その際に何か失礼を働いていたなら…」

「そういうわけやあらんじゃない


"青年"の言葉は、崙と同じ琉球訛り。波来祖は琉球とはかなり距離があるし、偶然にしては…と、楢崎は質問を重ねる。


「あの、命駆崙メイカルロンという名に聞き覚えは…」

ナスター・・・・のことか」

「はい?」

「命駆崙、天界名ナスター・・・・ウダーチャ・・・・・。医者を勤めている神族だろう」

「は、初耳ですが…ええ、恐らくそうです…」


まだ混乱した様子の楢崎を見ながら、"青年"はため息をつく。


「楢崎、だったか。こんな所でやーお前と会うつもりはなかったやしがけれど、会った以上は仕方がないさ…確かに、ナスターはやーお前が無茶をしないよう見張っておけとはあびとーやしが言っていたけど

「ウッ…なんですかそれ…」

「気に入られているんじゃないか」

「それは…」


楢崎が返す言葉に詰まった時───高校生達の方から悲鳴が聞こえてきた。


───「キャーーーーッ!!」

「っ!」


楢崎達が悲鳴のした方を見ると…海の方から巨大なタコのような未確認生物アンノウンが砂浜に上陸しようとしていた。動きは遅いが、なにぶん大きい。脚を広げた状態だと、その幅は10mに届くほど。


「っ、この野郎!」


そこで、市松が何処からか槍を顕現させ応戦するが…斬っても深い傷にならず、ダメージになっているかすら分からない。


「何だよぅこいつ、ブヨブヨしてて弾かれる!」


巨大タコ───オクトパスアンノウンの狙いが、敵意を向けた市松へと向く。息を吸うように膨らんだかと思うと…アンノウンは上空に向け、吸い込んだ大量の海水を噴き出した。それらの水は空中で広がり、まるで雨のように市松の頭上に降り注ぐ。


「うわっ───」


すると───"青年"が釣竿を堤防に置き、巻いていたハチマキの目元を少し上げながら小さく唸った。


まずいな・・・・

「えっ?」

「擬似的とはいえ、雨が降った・・・・・。雨が降っている間の市松は───強い・・


"青年"の言葉が終わると同時に、砂浜に片膝をついていた市松から…湯気のようなものが立ち上る。そして───黒い光・・・を纏うと、瞬時にその服装を紫と白基調の陣羽織へと替えた。その服装は、楢崎にも見覚えがあった。


「あれは、お藤と一緒の───」

「お藤?やーお前、あの霊兵・・にも会って…」

「その話は後です、市松を援護しないと!」

「イヤ、ダメだ・・・


"青年"は楢崎を睨み、市松の元へ走り寄ろうとするのを咎める。


「なんで…」

「今はまだ、ダメだ。危険なんだよ・・・・・・


焦る楢崎はそれでも市松の方を心配そうに見ていたが…市松は槍を支えに立ち上がり、青いオーラ・・・・・を纏って再びアンノウンに槍を構える。その瞳に───生気はない・・・・・。感情を消し、ただ倒すべき敵としてアンノウンを睨んでいた。


「市松…?」

「───我が請願・・・・雨露に消ゆ・・・・・


その恨むような声・・・・・・は、普段の明朗な市松の声とは別人のようで…一切の迷いなく、アンノウンに向かって突撃していく。また穂先を同じように弾かれるだけなのでは…と思ったが、今度は違った。市松が纏っている青いオーラがアンノウンの脚の一部に絡むと、オーラが触れた箇所が凍ったように見え…そこに槍の一撃を叩き込み、まず脚1本の粉砕に成功した。


「す、すごい…でも、市松に何が…」

「───呪い・・だ」

「え………呪い、って」


"青年"はそれきり黙って、市松の挙動を見守っていたが…市松が2本目の脚を破壊した直後


「───あれ?俺何やってたんだっけ…?」


急に市松はいつもの調子に戻り、それを見たアンノウンが残っている脚で市松を弾き飛ばした。


「いってぇ!うわぁ最悪、殿とお揃いの羽織が砂まみれ───」


砂まみれ、で済めば良かった・・・・・・・・


アンノウンは2本も脚を破壊された怒りを…溜め込んだ墨を市松に噴き付けて晴らしてきた。


「うげぇーーーーッ!!」

「い、市松!?」


その時…"青年"はハチマキの目元をもう一度上げ、堤防の上で片膝をついてアンノウンを睨んだ。


「離れていろ。少し…派手にやる」

「え?あ、そうか…あなたは…!」


そこで、楢崎は改めて気がついた。神族である崙の本名まで知っているなら、この"青年"もまた神族なのだと。"青年"が掲げたのは、釣り人が釣りをするための許可証を入れてあるパスケース。その中から…やはり神族の証である、あのカードが取り出された。

さらに前方に手を翳すと、JITTEが用いている銃が空中に顕現した。


「武器を顕現…でも、1挺じゃ…!」

「慌てるな」


"青年"が取り出したカードを挿し込み、アンノウンに対して構えると…"青年"の周囲に、同じ銃が何挺も顕現した。その銃口は、同じくアンノウンを狙っている。


「ミッション開始。真名解除、アウセン・・・・フリーデン・・・・・。目標を排除する」

『CHASE MODE,ENEMY DELETING』


アウセン───その名は、水嶋が協力者だと言っていた相手と同じ。銃を自由顕現できたのも、自身が関わっているからこそだろう。そう楢崎が思考する間に、アウセンの従える銃の銃口が光を放ち、オクトパスアンノウンに光弾を撃ち込む。光弾の軌道は直線的で、それでいて相手の急所を追尾するように、一定滞空秒ごとに目標を自動修正しながら飛んでいく。だが、それでもオクトパスアンノウンは倒れない。


「ダメです!効いてはいるけど…致命傷にはなっていません!」

「甘い!なーもう一丁!」


アウセンの号令で、銃は再び光弾を撃ち出す。オクトパスアンノウンの動きはさらに鈍るが、アウセンは攻撃の手を緩めない。


なーもう一丁!まだだ、なーもう一丁!」


オクトパスアンノウンの標的が、アウセンへと変わる。だが…アウセンは余裕を崩さない。自身が構えていた1挺は…最初の一撃以降、ずっと神力を溜めていたのだ。


「───ンジチャービラ消え失せろ


アウセンの放った特大の光弾が、弱ったオクトパスアンノウンの墨弾より速くその身を穿った。オクトパスアンノウンは爆発し…消えた。


「やれやれ…もう釣りどころじゃないな」


周囲に顕現していた銃を消し、アウセンは改めて楢崎の方を見やった。


「楢崎。やーお前は人間だ、大型のアンノウンと戦うのは危険が付きまとうぞ。まずいと思ったら無理をせず神族に応援を要請しろ。これに関しては、シェーデルも了承している事だ」

「シェーデル…確か、古岡署長の事でしたっけ」

「ああ、あのカマジサー無愛想のことだ」

「…意味は分かりませんけど、貶し言葉なのはなんとなく分かりました…仲悪いんですか」

「いや、そんなことはあらんないよ。ただの軽口だ、気にさんけするなよ」


アウセンはそれまでの無愛想な態度を崩し、やれやれと頭を抱えた。


「あいつがJITTEを発足させたのは、そもそもアンノウンに対抗するためだ。…所属してる人間の人権云々に関しては、シェーデルより上の連中が決めてる事だから、俺には何とも言えないが」

「…あなたは、今までも今回のように人間界を見守っていたのですか?」

「そんなところだ。───今の天界は腐りきっていて当てにできん」

「…え?」


アウセンの言葉は最後、わざと聞こえづらくなるような低い声だった。


「気にするな。それより…」


そこでアウセンは、急に声を潜める。


「(今の暴走・・について、市松には話すな。あの状態のあいつには禁忌語句・・・・が存在する。今は正気に戻ってはいるが…下手に刺激したくはない)」

「(わ、分かりました…普通に接する分には問題ないんですよね?)」

「(ああ、今まで通りに付き合えばいい)」


アウセンは楢崎と額を合わせる程に近くで話すが…楢崎はなおも引っ掛かっていた。水嶋が言っていた、アウセンが楢崎を避けるように顔合わせを辞退した、という内容。なのに何故、今こうして話をしているのか…それを聞こうとした時


「…それより、学生達に怪我は?」

なんちゃあ何も問題はない。全員視た・・が、怪我しちゅう生徒はひとりもおらざったいなかった

「───!…そうか」


アウセンは即答してきたホクヤを見た瞬間…ハッとしたように目を見開いたが、すぐに瞬きをして驚きを隠した。


問いかけるタイミングを失い、どう切り出すかと楢崎が考えていると…


「…あっ!」

「どうした楢崎」

「竿!引いてます!」




───アウセンが釣り上げた鯛は本人の手によりその場で捌かれ、刺身…といきたかったが、衛生の観点から大事をとって塩焼きになった。楢崎が引きを指摘してから入れ食いのように数が釣れたため、生徒達の中でも食べたい者が数名混ざっての試食となっていた。

その間…不幸にも墨の被害を受けた市松は、焼き上がっていく魚を見つめながら、文字通り泣く泣くシャワールームへと向かう羽目になった。


「市松も食べたがっていたのに…ちょっと可哀想ですね」

「墨まみれでウロウロされても生臭いからな…まあ、霊兵は食事を必須としないから、飢えることはないだろう」

「そういう問題じゃないんですが…今度個人的に食事に誘うことにします。というか、七輪と網まで持ち込んでたんですか…」

「事前に許可は取っている。後片付けもちゃんと行えば咎められる事もないだろう」

「見事に馴染んでますね~人間界に…」

「まあな。馴染まなくては観察や警護もままならん。そこのフラウも似たようなものだろう」


見れば…魚試食グループに立候補はしていなかったものの、学生達の中から遠巻きにこちらを見るタマキフラウの姿があった。


「フラウ、やーお前もこっち来い」

「い、いえ!アウセン様の側など恐れ多い!」

「…アウセン、さん?もしかして、神族の中でも結構上の立場だったりします?」

「フラウが若い神族なだけだ、俺としてはそこまで畏怖の念を抱かなくてもいいんだがな」


皮目に焦げと気泡が出始めた魚の身を裏返し、塩を軽く振り直すアウセンの肩を、ホクヤが軽く叩いた。


「ほうじゃのう!神族っちゅう頼もしい存在がおってくれるなら安心やき、これからも仲良くしとうせ」

「それは気安すぎますよホクヤ兄!?」

「別段気にしない、大丈夫だ。スキンシップというものだろう?恐れず敬わず・・・、友人程度に思っていてくれればいい」


アウセン本人は涼しい顔だが、楢崎の胸中は緊張で張りつめていた。その様子を見て…アウセンが異変・・に気がついた。


「楢崎?どうした、顔色が悪いぞ」

「え?」

「ほんまじゃ、グレード・・・・イエローラベル・・・・・・・じゃあ」


アウセンに次いで、ホクヤの表情も心配そうに変わる。大したことは、と言いかけた楢崎は───次の瞬間、目眩を起こして倒れこんだ。


はんまよーなんてこった!おい、ホクヤと言ったか?救急車を!」

「分かっちゅう、ざんじすぐに呼ぶぜよ!」


ホクヤが救急車を要請する間、アウセンは楢崎に声をかけ続けた。


「おい、楢崎!意識をしっかり持て!楢崎!」───





───次に楢崎が意識を取り戻すと…薄暗い部屋で寝かされていた。枕が妙にひんやりしていると思い、ゆっくりと目を慣らしていくと───


「…ああ、起きたか子ガツオ?」


視線の上に、安堵した表情のナスターの顔があった。よく見れば、自身がナスターの膝枕で寝かされているという事に気がついた。


「ッちょ…」

「こらダーメ、まだ大人しくしてろ」


慌てて起き上がろうとするものの、ナスターに頭を押され強制的に膝に引き戻された。こんな状況では、休まるものも休まらないのだが…ナスターの膝枕は、心なしか水枕のように心地よい冷え具合だった。


「…あの、ここは…?普通は病室で寝かされているものと…」

「ここは宿直室…まったく、あれだけ熱中症には気を付けろって言ったろうが、フリムン」

「…すみません」

「…親ガツオホクヤニイニイお兄さんが言うには軽症だと。もちろん俺も熱中症をなめてはいないから、できる処置はしてるよ。その後は、藍那達が個室の代わりに宿直室に連れて行けって。ついでに俺も休ませようとしたんだろうな」


ナスターの口調は、言葉に反してとても優しかった。まるで我が子を慈しむように、まだ朦朧としている楢崎の頭を撫でていた。


「…あの、そのフリムンってどういう意味なんですか…?」

「ん…子ガツオ達の言葉で言うなら、バカモン・・・・って感じかな」

「…崙先生」

「んー?」


この際だ、と楢崎は覚悟を決めた。


「…この間、自分と話した時。どうして、ティールさんに対してバカモンだなんて思ったんですか?」

「───時間がないから・・・・・・・

「えっ…?」

「ティールに会ったって言ってたろ。俺は…ティールが昏睡スリープ状態になる直前に、その修復ちりょうを担当してたんだ」


ナスターはゆっくりと、絞り出すように語りだした。


「ティールはさ。責任感の強い…それでいて優しい、変わった奴だった。ある時…天界の奴らのせい・・・・・・・・で、瀕死の重傷を負って。なのに、初動対応に当たった別の医師は…優秀なのにも関わらず、わざと治療を遅らせた!時間が経って、俺に連絡が来た時…ティールの出力は消えそうなぐらい弱くなってた。なんとか死亡きのうていしは回避できたやしがけれど、ティールは昏睡スリープ状態になって…どうしてすぐに俺を呼ばなかったんだって…ずっとずっと、後悔してる。…そのせいで、ティールはいつ死んでもおかしくないぐらい弱ってる。今は奇跡的に昏睡スリープから脱却できてるとしても…きっと、あと何年も稼働でき生きられない」

「崙先生…」

「だから…少しでも早く、3分早く・・・って思うんだろうな。救急医療は1分1秒の勝負だ。俺の行動が遅れることで、失われる命があっちゃいけない。…俺と同じ思いをする者が、二度と出ないように」


ナスターの頬を、雫が伝い…ガラス玉のように楢崎の頬に当たって跳ねた。


「…崙先生」

「…あはは、ちょっと弱気になっちゃったか。質問の答えになってなかったらごめんな?」

「…自分には、話を聞くことしかできないかもしれませんが…辛い時は頼ってください。ひとりで抱え込むより、マシになるかもしれませんから。…なんて言ってみたところで、問題の根本は解決しないんですけどね…」


つい格好をつけた言葉が転がり出た恥ずかしさから、最後は取って付けたように誤魔化した。だが…その心遣いは、確かにナスターの胸を打った。


「…いや、十分だ。ありがとうな、ケンゴ・・・


まだ涙を滲ませたまま、ナスターは弱々しく笑った。


───あの院長が、ナスターを追い詰めているというのなら。

───きっと自分は、その枷を外すためになんでもするだろう。

そんな思いが、楢崎の胸中に芽生えていた。


「…もう大丈夫です。生徒達を監督する立場でありながら、一番に倒れてしまうなんて醜態を晒してしまった」

「その辺りは、アウセンと親ガツオのニイニイが上手く取りなしてる筈だから。動けるようになったからって、無理はさんけーするなよ、子ガツオ」

「分かってます…って、説得力ないですね」


ようやく上体を起こした楢崎に…


「子ガツオ」

「はい?」

「…これ、持っていけ。攻撃力はないが、憑依型のアンノウンになら効くかもしれないさ」


渡されたのは…神族の持つカード。やはり、アウセンやフラウが持っていたものとは金の紋の模様が違う。どうやら、所有者個人で模様が違うという事らしい。


「あ、ありがとうございます…でもこれ、大事なものなんじゃ…」

「神族の力が濃縮されてるものだから、多用は禁物。やしがだけど、また憑依型のせいで無駄な命のやり取りが行われるぐらいなら…仕方ない、よな」

「…分かりました。ありがたく借り受けます」

「…エントランスまで送るよ。患者の面倒は最後まで見る主義なんだ」


宿直室を出て、先を行く楢崎の数歩後ろをナスターが歩く。それは、ただの見送りのためではなく───



───数日前、楢崎がホスピタルを訪れた数時間後。


院長室の前を通りかかったナスターは、院長が誰かと連絡を取っているのを聞いた。


───「…ええ、問題ありません。生け贄の炉・・・・・は用意してあります。なに、彼が死んでも・・・・・・誰も困りませんから。運良く適度に成長していて僥倖でした」───


「(生け贄の炉…?何の話だ…?)」



───感づかれないよう、その時はすぐにその場を離れたが…タイミングが良すぎないか?滅多に院長室から出てこない院長が、エントランスで楢崎達と会ったすぐ後、そういう話を持ちかけるなど───


「…崙先生?」

「う…っああ、悪い悪い、ちょっと考え事をな」


楢崎に呼ばれて思考を止めたが、嫌な予感は拭い去れなかった。


───もし、院長が言う"炉"とやらが楢崎の事だとしたなら。

───何をするつもりだとしても、絶対に守り抜く。

それだけの覚悟を、ナスターは決めていた。





───エントランスから一歩外に出ると、ナスターは一度伸びをしてから楢崎に声をかける。


「…気をつけて帰れよ、子ガツオ」

「ええ、お世話になりました」


そんなナスターの背後から、楢崎の見送りをしようとしたのか、あの式神達が数体現れた。式神達はナスターの左右に並ぶと、両腕を頭上に挙げ、上体を左右にゆっくり揺らし始めた。


『メンメンメー、メンメンメー』

「見送りですか?ありがとうございます」

「あはは、ごめんね騒がしくて」

「いえ、彼らにも気を遣わせてしまいましたね」


苦笑する楢崎を見て、ナスターは一度病院の方を振り返って上階を見上げるような仕草をした。


「あの女の子の事は任ちょーけ任せといてよ、じきに退院もできるはずやさ。他にも…何か困ったことがあったら、いつでも相談しに来たらいいからな。手術中とかですぐに話ができない時もあるやしがけれど…待ってるから」


ナスターは楢崎の方に向き直ると、満面の笑みを浮かべて楢崎に向かって手を振った。

その時…ナスターの持つ院内PHSの着信が鳴った。


「あやや、多分モモ・・からだ!ちょっとごめんね…もしもし?」

───『崙先生、そろそろカンファレンスの時間ですけど、こっち戻れますか?』

「うん、今から行くさ。待たせてごめん」

───『いえ、時間通りですから焦らなくて大丈夫ですよ』

「了解、あとちょっと待っててな」


そう言ってナスターが通話を切ると、楢崎は思わず苦笑した。


「看護師の方ですか?」

「うん、看護師長・・・・。と言っても、"師長"はアダ名みたいなものやしがだけど…まあ、その話は今度するさ」

「そうですね、崙先生も忙しいのにすみませんでした。自分も、その話を楽しみにしてますね」

だからよーそうだねぇ、今度はお互い健康で、ゆっくり時間が取れたらいいよな」

「はい、ホクヤ兄と…アウセンさんにも、会うことがあったらよろしくお伝えください」


そうして病院を後にした楢崎の背を、姿が見えなくなるまで笑顔で見送ったあと───ナスターは表情を険しくした・・・・・・・・


「(気づきかけている・・・・・・・・、か。アウセンめ、接触には気をつけろってあびたんしが言ったのに…まあ、子ガツオ本人が思い出したい・・・・・・と願うなら、俺達はそれを阻むべきじゃない…それがたとえ、どれだけ酷い記憶だとしても)」

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