[Episode.4-繋げ、生命のwave•B]

───用があるのは別の入院患者、とは言ったものの。実は楢崎は、直接話を聞けるとは思っていない。


楢崎が本来会いに来たのは───ミノリ・・・。先の潜入捜査で屋上から落ちた女子生徒だ。しかし、楢崎とミノリは一応お互いの顔を知っているし、彼女の精神状態の保護が第一だ。医師の許可がなければ、調査のためとはいえ聞き取りは難しいだろう。


「(…あの時、自分達はミノリが屋上から落ちる瞬間を誰も見てはいない。唯一現場に居合わせたのは…カイナだけだった)」


そして…そんなカイナを悪魔だと疑い、矢継ぎ早に質問した市松の様子も気にかかる。いくら市松が純粋たんじゅんに見えたとして、友人と認めた相手より自身に敵性を示した者の言うことを優先して信用するだろうか…


「(───そうじゃない・・・・・・)」


その答えは、楢崎にもおおよそ当たりがついている。

市松は───否定しろ・・・・、と願っていたのだろう。カイナにはただ一言だけ…違う・・、と言ってほしかった。そんな必死さが、あの時の言葉には込められていたのだと…時間を置いた今なら想像ができた。


だが、そうはならなかった。カイナは否定をすることなく、今はまだ話せない…そう言って去ってしまった。しかし、カイナには自分達を騙していた素振りはなかったし、実際ミノリは高所から落ちたとは信じられない程の軽傷…どころか、ほぼ無傷で助かっている。入院しているのは、やはり精神の不安定さを考慮した結果でしかない。一体、あの時何が起こったのか…それを知るには、やはり当事者に話を聞くしかないのだが。


「(カイナには連絡なんてつきようもないし…何処に行ってしもうたがじゃ)」


そうして病院内を歩いていると…救急外来近くに来た時、若い医師達の一団と会った。彼らは男女問わず疲弊しきっており、まるでゾンビのような足取りでフラフラと歩いていた。


───「いつもの事だけど、やっぱロン先生の助手はキッツいわ…」

───「めっちゃあり得んスピードでオペするもんな…」

───「道具とか、もうまとめて持って待機してないと追いつかんし…」


医師達は次々に漏らすものの…その表情はどこか満足げだった。現に、その執刀医に対しての不満や愚痴はなく…それを聞いただけで、楢崎も察した。


「(はぁ、なんだかんだ信頼されちゅうな、あのひと・・・・は)」


そこで医師達の中から、ひとりの女性看護師が楢崎を見てハッと目をしばたいた。


「あっ…時々話を聞きに来るお巡りさん…今日は非番ですか…?」


話を聞きに来る、とは。

搬送された患者が事件性がありそうな外傷を負っていた場合───明らかな銃創や刃物で刺されているなど───受け入れ先の病院から警察に通報が行くようになっている。そうした患者について、担当した医師や時には看護師に事情を聞くことがある。当然、その時は仕事の一環として赴くため、標準装備を身につけた警察官の服装で来ることになる。この女性看護師とも、そして今名前を呼ばれた崙という医者とも、何度かそうして話をしたことがあるので楢崎とも面識があった。


「ええ、お世話になります新居浜ニイハマさん。今日は話を聞きに来ただけなので、制服だと患者さん達に圧がかかるから私服なだけですよ」

「話、ですか…」

「はい、少し落ち着いた頃だと思って…稲田イナダミノリさんの担当をされた医師の方は誰か分かりますか?」

「確か、半月ぐらい前に来た女の子ですよね…担当したのは崙先生だと思います。今は手術が終わった後のシャワーを浴びてると思うので、その後でしたら話せるかもしれません」

「分かりました、ありがとうございます…お疲れ様でした」


女性看護師…新居浜の顔色が悪いのを察し、つい労いの言葉を付け足してしまう。この病院の人使いが酷く雑なのは、睦花からも聞いている。


EDEN───Emergency Doctors and Emergency Nurses。

それが、この病院に勤務している医師や看護師の通称。


彼らの勤務形態は、まさかの24・・時間・・365・・・…と聞いている。しかし、人間である彼らがそのような激務に耐えられるはずはない。恐らく、水嶋が言っていた人手不足・・・・を補う式神達というのは…密かにスタッフ達を休ませ、その代わりの人員を埋めるためのもの。

そもそも、何故そんな人道を無視した強制労働シフトが課せられているのかは、楢崎にも分からない。勿論、労働に関する組織が調査に立ち入ったこともあったらしいが…その非道な行いは巧みに隠され、表沙汰になることは決してないのだという。

当然、楢崎がそれを公表することも止められている…しかも、当事者の新居浜達にだ。何か深いわけがある…とは思えど、内部をよく知りもしない状態での告発は危険でもある。楢崎が警察官であるという立場も、この状況だと逆に枷になってくる。今の楢崎に打てる手は…残念ながら、ない。


───ゾンビ医師団に一礼して、楢崎はさらに奥へと向かう。


シャワールーム近くまで来ると、ひとりの人影が姿を見せた。

その出で立ちは…髪を拭くためのタオルを肩にかけ、次の戦場・・へと赴くため真新しい紺のスクラブを纏った"臨戦態勢・・・・"。

細身で浅黒い肌、肩辺りまである茶髪。中性的で整った顔立ちに、瞳の青が映える"彼"───ロンは楢崎の姿を見るなり、疲れているような表情から一転、満面の笑顔を見せた。


「はいさい、子ガツオ・・・・か!来るのは聞いてたから、いつもより3分早く・・・終わらせたさぁ」

「子…その呼び方やめてくださいって言いましたよね」


前述の通り、救命救急医の崙は厄介な患者・・・・・に当たる確率も高く、通報を受けて駆けつけた警察官達に事情を話す頻度も高い。人懐っこい崙は、楢崎と話をするうちに顔馴染みになり、"子ガツオ"という愛称(?)までつけられる仲になっていた。


「えぇ~俺は可愛いと思うやしがだけど

「可愛いは自分にとって褒め言葉にならないんですよ!気にしてるんですから」

「そんな気にさんけよするなよ、細かいこと~。可愛くないより愛嬌あった方がいいさぁ」

「そういう問題ではなくて…ああもう、調子狂うやいかだろう!」

「あはは~やっぱり子ガツオやさ」


どうにも、この"子ガツオ"という呼び名。楢崎の出身である土佐の名産の鰹と、本人の背(と言っても、166cmは特別低いわけではないが…)を掛け合わせたものらしい。芸が細かいのか適当なのか…何故か本人が琉球訛りなのも相まって、この崙は考えを読みきれないところがある。


「からかわないでください、自分は仕事で来てるんですよ!」

「シー、病院では静かに。さて───」


一通り楢崎をからかって満足したのか───崙はそこで、笑みを消して声色を低めた。


「子ガツオが遊びで病院に来るわけない事ぐらい分かとーんさぁ分かっているよ。今日は私服やしがだけど、聞きたいことあって来たんだよな?」

「…ええ、半月ほど前に屋上から落下したとして搬送されてきた、稲田ミノリさんについて」

「…ああ、じ…さつ…未遂の女子生徒のことか。ごめん、まだ直接話はできないさ。やしがだけど睦花が時々、メンタルケアにこっちに戻って、話纏めてくれてる。睦花もそういう前提で話聞いてたみたいだし、警察官が話聞きに来たらそのまとめを代わりに伝えていいか、本人にも了解とってるって。それでいいなら伝えるさ」


崙は明らかに、自殺・・という単語を厭そうに言い淀んだ。

"生きたいと願う命を救う"立場にある救命救急医の崙にとって、自殺は嫌悪の対象。それを分かっていて言わせるしかない状況に関しては、楢崎も罪悪感で心に重石をされる気分だった。


「それで構いません、自分も直接会って話せるとは思っていませんでしたので」

「分かった、場所を変えよう。相談室を空けるから、そこで続きを話すさ」


先程の笑顔からさらに一転、苦い表情を浮かべた崙は楢崎を連れて相談室へと向かった。


───その道中、先程の女性看護師…新居浜が、自動販売機の脇にある長椅子で飲み物を飲みつつ休んでいるのが目に入った。


「あ、崙先生…お疲れ様です」

「お疲れ。藍那アイナ大丈夫?途中ちょっとふらついてたさ」

「あ、はい…すみません」


藍那…それが新居浜の名前らしい。新居浜は崙に名を呼ばれると慌てて背筋を正した。


「謝らんでいいさ、調子悪いなら早めに言ってな。オペ室に入ったら、全員が命のやり取りする立場になる。調子が悪いとしても言い訳にはできないさ。道具出し、もう少し早くできるようにしてな」

「はい、すみません…」

「謝らんでいいって、次のオペまでゆっくり休んで。それでもダメそうだったら、早めに言ってくれたらどうにかするさ」

「は、はい…」


新居浜は緊張した様子で返事をしていたが…


「崙先生、彼女相当疲れてるみたいですし、もう少し優しく…」

「い、いえ、いいんです!崙先生の言う通り…もう少し早く道具出しできるように練習します」

「ですが…」

「崙先生は見込みがある人にしかアドバイスしないって言ってたので、私はまだ成長できるってことですし。それに…速度を上げて、3分早く・・・オペを終えられれば。その3分で、崙先生は別の患者を救えるかもしれないんです。看護師として…EDENとして働く以上、甘えてなんていられません」


新居浜の覚悟は強く、それは彼女の瞳を見れば一目瞭然だった。楢崎もこれ以上は首を突っ込めないと思いつつ…その不安を読み取ったか、崙が新居浜に告げた。


「藍那。再三になるが、無理だけはさんけーよするなよ。休める時は休んで、次のオペに入る時には全力で挑め。メリハリ、って言うんだっけ?」

「はい、ありがとうございます。…崙先生も、時々は休んでくださいね。先生、ここのところずっと休めてないじゃないですか」

「俺はいい。そんな疲れてないし、他のスタッフ休ませる時間を作った方がいいだろ。…本来、EDENの勤務形態に休みはない・・・・・。こうやって、隙間見つけて休ませるしかないってのは…並の人間には酷な話だろ」

「でも…」

「いいから休めって。子ガツオと話してる間に急患が来たら、初動対応はツモルに頼んであるから」

「…すみません」

「あはは、すぐ謝る。気にさんけーしないで、体壊した方が色々としんどいしな。じゃ、俺は子ガツオと話あるから」

「はい、お疲れ様でした」


新居浜と別れ、声が聞こえない距離まで来たところで…崙がポツリと溢した。


「…ひどい話やさだよ。聞いたと思うやしがけれど、EDENの医師に、人権はない」

「…え?」

「あの子は元々、医者を目指していた。別の病院で研修医として働いていた時…医療ミスを押し付けられて、全うな医者にはなれなくなった。それを…このホスピタルがEDENの看護師として再雇用した。その事件を盾にとって、逆らえないようにして。温情深い事だよな」


崙は苦笑混じりに話すが、それは半ば皮肉のようなものだった。


「EDENの勤務形態は、24時間365日勤務の強制。何かしらの弱みを握られ、反抗すら許されない。そんな過酷な環境で、まともなパフォーマンスが続くはずない。だから───」


崙の胸に下げたネームプレート。その裏に…水嶋が渡してきたアウセンの神紋札と同じような、あの金の紋が刻まれたカードが仕込まれているのが、一瞬だけ楢崎にも見えた。


神族の・・・俺が、その重圧を引き受ける。少しでもスタッフの負担を軽減して、休める時間を数分でも多く作って、人間を守る・・・・・。それが、疲労しにくい神族の…俺の務めやさ」

「そうか…あの3分早く・・・というのは、そのための…」

「…それだけじゃあらんやしがないんだけど。もちろん、患者の命が最優先なのはあてーめー当たり前。その上で、医者側も潰れないようこっそり立ち回るって話。…内緒な?」


崙は最後、悪戯っぽく笑いながら人差し指を口元に押し当てて囁いた。それに対して…楢崎も疑問をぶつける。


「じゃあやっぱり、水嶋さんの言ってた式神っていうのも…」

「そうそう。まあ病院内にいっぱいいるし、会ってるよなぁ」


崙は笑いながら言うと、片手を前に出し───その指先から水のような透明な液体を滴らせ、小さな水溜まりになるとほぼ同時に、水は糸のように編み上がり、あの人形のような謎の生き物の姿に変化した。


『メメー!』

「うわ出た」

『メーン』


謎の生き物は早速楢崎の足元に駆け寄るが、楢崎は構いもしないが拒絶もしない。


「そうやって生み出してたんだ…なんか手から水みたいなの出してましたけど大丈夫なんですか?」

「平気平気、というか驚かないな?」

「あなた以外にも神族には会ってきましたからね…さすがに式神を扱う神族はあなたが初めてですけど」

「…霊兵ならいるやしがけれどね」


崙は一瞬だけ笑みを陰らせたが、すぐ元の柔和な笑顔に戻り、近くの水道まで行くと…今顕現させた式神を掴んで蛇口の真下に置き、蛇口を捻って水を浴びせかけた。


「うわ、何してるんですか!?いくら自分の式神だからって、虐待は───」


しかし楢崎がそう言う間に、式神は浴びる水を取り込んで膨らんでいき…一度水の塊に変化した後、等身大の楢崎の姿になって・・・・・・・・・・・・水道から廊下へと着地した。


「えっ…えぇーーーーっ!?」

「あはは、どぅまんぎたびっくりした?人手不足解消の要はこういうことやさ。休憩に行かせた人間そっくりに変化させて、代わりに働かせる。やしがだけど、あんまり大勢を一気にここまで変化させると俺もさすがに疲れるから、休憩の人間だけ変化させてる。それに…」


楢崎に変化した式神は…楢崎に向かって笑顔を見せながら


『メンメー!』

「ヒエッ…」

「そう、声だけは元の甲高いまんまになっちゃうんだよな。だから喋らせたらボロが出るし、患者さんと話をするには向いてない。あくまでオペの補助や雑用向きなんだよ」


そう言って、崙が指を鳴らすと───式神は再び水の塊になり、そのまま跳ねるようにして水道の洗面台に吸い込まれ、消えていった。


「俺の神力の切れ端を引っこ抜けばただの水。用が終わればすぐに消せるし、便利でいいぞ」

「うーん…でも、なんとなく情が沸いてしまいそうで…」

「人格はないし、そう見えてもそれは俺の神力の共有だから、元は俺のもの。深く考えないでいいやしがだけど…優しいんだな、子ガツオは」

「ぐっ…」

「あはは、優しいのはいいことやさ。恥ずかしがることねーんどーないでしょ?じゃ、そろそろ行こっか」


崙はそれだけ言うと、踵を返して廊下を進み始めるが…楢崎は先程の崙の言葉が引っ掛かっていた。


「("何かしらの弱みを握られ、反抗すら許されない"…つまり、それは崙先生も・・・・───?)」

ぬーそーが何してるの子ガツオ、置いていくよー?」

「す、すみません…少し考え事をしてて」


慌てて早足に崙を追いつつ、楢崎の心中しんちゅうには重い気持ちがのしかかっていた。【相談室】のプレートは、思っていたより近く、同じ廊下の数十歩歩いたぐらいの距離に見えていた。

それなのに…目的地までの道程は、思った以上に遠く感じた。


「(崙先生…あなたは、一体どれだけの闇を抱えているんですか…?)」

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